第13話 氷雨(ひさめ)と雷鳴
ルプスがヴォルの監視下に置かれてから数日たつ頃。
明け方。五人の偵察隊が広場へ運ばれてきた。
天幕から飛び出してきたヴォルはその場へ着くとすぐさま声を張り上げ、他の医療衛士に応急処置の指示を出した。偵察隊が一目で危険な状態であるのは、誰の目で見ても明らかな状況だった。
全身から血を流してうめき声をあげる者もいれば、意識どころか呼吸すら怪しい者。皮膚という皮膚が青くはれ上がっていたり、甲冑の上からでもわかるほど、手足の向きが折れ曲がったりしている者もいた。
すぐさま処置、あるいは手術を始めなければ兵士たちの命はなかった。
彼の指示で重傷者はすぐさま天幕へ運び込まれる。そして、ヴォルは寝食を忘れてこの仕事に追われ、あっという間に一日が過ぎていった。
その結果、兵士たちはなんとか一命をとりとめ、彼も肩の荷を下ろす。だが治療した兵士のうちの二人は依然として瀕死の状況であり、術後の観察は怠れない。
そしてなにより、兵士たちの身に何が起こったのか彼は聞かされていなかったが、これが人間によってつけられた傷痕だという事に間違いはなかった。
「ずいぶんと慌ただしかったみたいね。私をこんな場所に追い出して、何をしていたの」
自身の天幕に戻ると、ルプスはベッドに横たわったまま、不機嫌そうな視線を彼に向けた。
その傍らには、カルロが困ったような顔で椅子に座っている。
「すこし疲れているみたいだけど、何か暖かい食べ物をもらってこようか?」
「いや、自分で取りに行く余力はある。それより、彼女の監視を引き受けてくれて助かった」
「僕はべつにこれぐらい問題ないよ」
「そうね、お友達の兵士さんに監視されている方が安全だわ。怖いお医者さんに愚痴をこぼされるよりはるかにね」
「ふん、それは何よりだ。患者が軽口を言えるほど快復しているということは、多少の無茶も我慢できるということだな」
ルプスは「嫌な医者」と聞こえるような小声でつぶやくと、シーツで顔を隠した。カルロはそんな彼女の姿を見て、苦笑いを見せながらもどこか遠い目をした。
捕虜となったルプスが女だという事を、ヴォルはカルロだけには伝えていた。
正確には、彼女の性別に感づいたカルロが周囲にこの事を話す前に、事実を明かして秘密を守るよう約束させたのだった。
彼女はその名の通り、野生の狼みたいに気性の荒い一面を持ち、小柄で痩身な子どものように見えなくはないが、狩人としての達観した知性と忍耐力は、内面の成熟度合を示していた。
しかし、ヴォルとは性格的に相性が悪いらしく、ふざけた軽口や反抗的な態度に手を焼かされた。そんな二人の緩衝材として、妹を持つカルロはぴたりとあてはまった。
「彼女、これでもヴォルには感謝しているんだ。君が戻ってきて安心しているのさ」
「ならば態度で示してほしいものだが」
「複雑なんだよ。聖王国民から施しを受けるということが。とくに僕らみたいな貴族からね」
「医者として患者に命令しているだけだ。医療室で身分になんの意味がある」
カルロはふっと笑みを浮かべ「そういうところがまた釈然としないそうだよ」ともらした。
ヴォルは、あんなにも戦いに怯えていた友人が笑みをこぼしたことに、めずらしく意外だと感じた。ルプスとの出会いが、彼の意識に変化をもたらしたのかもしれない。
しかし、それ以上思考しようとする前にカルロが口を開いた。
「それで、僕はずっとここにいたからわからないんだけど、いったい兵士たちはどうなったの?」
「問題はない。今のところ、私ができる範囲の最善は尽くした。あとは本人たちの回復力次第だが、容態が急変しない限り、問題はないだろう」
「さすがヴォル、いつの間にかそんなに腕を上げていたんだね。昔から君だけ仕事をしていて、ちょっと大変そうだなと思っていたんだ。けど、僕とは違って名誉職の衛士長なんだから、ちょっと羨ましいよ」
「今回のような事が起きればそうも言っていられないだろうさ。それに、医者は必要な技術が多すぎるだけだ。学びが生きたのも久しい」
「そうなのかい? でも、ヴォルが治療してくれるなら怪我したとしても安心だよ。兵士たちだってきっと助かる」
「医者の厄介にならないのが最善だ。それに、彼らはまだ楽観視はできないぞ。これから本部まで報告しに行こうと考えている。その間も、ここの患者を君に任せておいて大丈夫か?」
「任せてよ。でも、そういえば、なんで彼らは怪我したのかな。まさか、大型の動物とでも出会ったのかな」
カルロの疑問に答えず、ちらりとルプスの方へ視線を向ける。彼女は顔を反対側に向けていたため、表情を確認することができなかった。寝ているのか、それとも、聞き耳を立てているのか、ヴォルには判別つかない。
「それも含めて、本部に確認するつもりだ」
「そっか、なら、わかったら僕にも教えてよ。あっ、一般の兵士に言える範囲で構わないから」
「別に構わないだろう。君はラップと変わって口は堅いだろ」
「そう言ってくれるのは、ヴォルだけだよ」
カルロはそう言って乾いた声で笑い、顔を逸らした。
情緒が安定していない、ヴォルはカルロの態度に違和感を覚えたが、何も言葉を返さなかった。なによりも今は、五人の兵士たちの処遇と情報を仕入れることが優先だった。
「ともかく、私は出る。あとは君に任せる」
ヴォルは立ち上がると、すぐに身なりを整えた。そして、カルロが小さくうなづいた姿を視界の端に捕らえながら、天幕を後にする。
昼間の陽光の下、白煙が幾筋も空に向かって伸びている。
兵たちは昼餉を目前にして、にわかに活気づいていた。
しかし、ヴォルの内心は分厚い暗澹たる雷雲に覆われていた。
雨が吹雪に変わらなければいい。彼はそう心の中でつぶやきながらも、山の天気にはそれが無意味な願いだと承知していた。