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第10話 医者と兵士と人狼


 想定外の出来事が起きたのは、山中の野営目的地へ到着した時のこと。

 団長のダンバース伯爵が野営地の変更を提案したためだった。


 本来の野営場所となるその平地は、当初の想定通り第四師団が陣取るにはうってつけであった。見通しがよく、監視すべき山の稜線を眺めることができるほど視界が開けており、水源に適した河川も流れている。

 けれども、北から吹き降りてくる寒風を妨げるものがなく、凍えるその風は自然の刃となって肌を刺した。

 自然の刺客、身近な風景として眺めていた北の山々が、いかにして他国の侵略から聖王国を守護してきたのか。兵士たちはその身をもって理解させられた。


「野営場所を変更し、より防衛に適した構えをとる」


 ダンバースの団長命令に大多数の兵士は賛同し、異議を唱える者はいなかった。もっとも、隊長陣のみの会議では反対意見もあがった。

 ヴォルは冬山での狩りを経験したことがあったため、移動には懐疑的であった。けれど、冷たい風雪にさらされ続けることで、体調不良だけでなく意識が混濁する場合が存在することを知っていた。

 その備えがあることを医療衛士の彼は把握している。しかし、冬山の厳しさを考えれば、備えが充分であるかどうかは天の采配と外交の努力を祈るしかない。

 

 結局のところ、静観の構えで軍議を聞いていたが、多数派であるダンバースの意見が通る結果となった。


 斥侯が見つけた新たな野営地を目指し、第四師団はさらに山奥へと進軍していく。途中、刃物で切り取られたような渓谷にさしかかり、荷車がそこにかけられた橋を通れず立ち往生しかけたが、幸いにも目的地に近く、小型の馬車を使って荷を運ぶことで問題は解決された。

 

 当初の計画とは大きく逸脱することになったが、彼らは新たな地に陣を構えた。

 そして、この移動こそが、彼らの命運を大きく分けた最初の引き金であった。

 ダンバースを含め多くの死者が出た惨事は、戦争と呼ぶにはあまりにもお粗末で、脆弱な人間の限界が示された結果といえた。


 その始めの騒動が起きたとき、ヴォルは自らの縄張りである医療衛士の天幕で手紙を書いていた。朝食まで時間があったため、王国にいる家族のためへ筆を走らせる。

 

 ふと、書く手が止まったのは、にわかに周囲の雑音が騒々しくなったように感じたからだ。

 そして、忙しなく落ち着きがない足音が近づいてきた直後、見知らぬ兵士が一人、天幕の中へ駈け込んできた。


医療衛士(ドクター)はいるか、まずいことが起きた」


 その兵士は荒い呼吸を繰り返しながらそういうと、激しくせき込んだ。

 ヴォルはすぐさま立ち上がり、外套の袖に腕を通す。


「病人か、けが人か、何があった?」

「けが人だ……二、三人の兵士がやられた。だが、死にかけの重傷者が一人いる。まずそうな状況なんだ」

「野獣に襲われたのか、それともまさか、帝国兵の襲撃か。上への報告はどうなっている」

「いや、その、敵襲とかそんなのじゃない……状況はいろいろと複雑で。ともかく、命がかかっているのは本当だ。だから早くてきくれ!」


 興奮気味にまくし立てるその兵士を見て、ヴォルはすぐさま道案内を頼んだ。

 澄んだ冬の曙光が、薄く積もった雪を照らしていた。冷え込んだ空気を切って歩く道中、ヴォルは現場で何が起きたのか兵士に問いかけた。けれど、返ってくるのは歯切れの悪い言葉ばかりで、彼は一向に口を割らない。


 ヴォルは、不自然な彼の態度に嫌な予感を覚えた。そして、雑木林を進んでいる最中、まるで足跡のように点在する血痕が見え始め、その予感は現実のものへと変わった。


 そこにいたのは、さしずめ一匹の野獣だった。

 血を流し、肌に矢が刺さっていようとも、その手にもった二本の牙を決しておろさない。敵愾心と殺気、近づくものをすべて嚙み殺そうとする、そんな気配を隠そうとしない獰猛な獣。

 兵士たちは決して浅くない手傷を負い、肩で息をしながらも、剣を手に円陣を組んでその獣を取り囲む。退路を断たれたその手負いの獣、いや、狩猟ナイフを握ったその「少年」を決して逃がすまいと。

 その緊迫した現場を一目見て、ヴォルの心臓がうるさく警告音を鳴らした。


「仕掛けたのはどちらからだ」

「はっ?」

「先に剣を抜いたのは、どちらからだと聞いている」


 鋭い視線を隣の兵士に向ける。

 この場までヴォルを連れてきた兵士は、しばらくしてようやく聞かれた言葉の意味を理解した。しかし、ここまで来る時と変わらず口は重く、肝心なところを濁すばかりだった。

 はっきりとしない兵士の態度に、ヴォルは見透かすように「なるほど」と静かに呟く。


「帝国兵には見えないが、いったい何者だ」

「あれは、たまたま林の中で出くわしたんだ。きっと、山の北側に住む他民族だ」

「そうだろうな、私も知っている。狩りの獲物をもとめてこちらに流れてきたのだろう」


 女神信仰、あるいは魔女信仰のある北方民族。山脈の南北で分かたれているため、一部の行商人をのぞいて聖王国とはつながりが薄く、その独自の宗教観や言語の違いから、異教徒という認識がほとんどであった。


「見回りの歩哨(ほしょう)と接触してしまったのは不幸だと言わざるを得ない。だが、兵士であるならば他民族と遭遇時の対処法を心得ている。そのはずだが?」

「それはもちろんだ。異教徒と出会ったらすぐに報告、刺激せずに戦闘は回避する。けれど、緊急時は現場指揮官の判断による」


 教え通りの回答を兵士は諳んじる。

 それを聞き、ヴォルは重たくうなずいた。


「ならば今の状況。見回りの最中、敵勢力に奇襲を受け、現場の判断で応戦した。そう私は認識したのだが、万に一つ、相違はないな?」

「いや、それはそうなんだが……」


 兵士は視線を逸らし言いよどむ。

 ヴォルは、それを見て心底呆れたが、顔には出さなかった。


「もう一度だけ聞いておく。私の認識に間違いはないんだな?」 


 その言葉に、兵士は無意識につばを飲む。処刑人から刃を向けられたような冷たさが、彼の首筋を走った。


「間違いはない。いや、ないです……衛士長どの」

「そうか。ならば、やることは一つだ」


 そう言ってヴォルは短く息を吐きだす。

 手に持っていた医療鞄を兵士へ手渡し、久しく飾りとなっていた腰の細剣を鞘ごと握る。

 金属の棒であるその重みを確かめると、彼は不思議な懐かしさを覚えた。


「あの少年を切るのか。そんな早まったことをしたらどうなるか、わかっているのか!」

「勘違いするな。私は医者だ」


 ヴォルは軽い足取りで一歩を踏み出す。


「けが人であるならば従ってもらうだけの事だ。抵抗されたとしても関係はない。患者は私の判断に命を預けてもらう」


 兵士によって作られた囲いの中へ躊躇なく踏み込む。

 その足取りは決まりきった仕事へ取り組むように淀みがなく。兵士たちの静止の声は彼の耳に届かない。

 震える瞳で敵意を向ける少年へ、ヴォルは鳥のささやきのような言葉をつぶやいた。

 そしておもむろに、少年の刃の間合いへ入ると、反射的に繰り出された刺突を剣の鞘で受け流し、そのまま手から掬い上げるようにして弾き飛ばした。

 まばたきをする間もないほどに一瞬の出来事。

 ヴォルはすぐさま空手となった少年の腕を捩じ上げ、背にしていた巨木に押さえつける。


「ぐぅっ」


 押しつぶされたような悲鳴が周囲に響き渡る。

 けれど、それは長くは続かず、少年は痛みに耐えきれず意識を失った。


 力が抜け、死体のように動かなくなった体を地面へ横たえると、ヴォルは役目の終えた細剣を腰へ戻す。


「担架をここへ。重傷者をテントに運ぶ」


 争いの終わりが告げられ、兵士たちの緊張が弛緩する。誰もが痛苦に顔を歪め、剣を持った腕を下す。そんな中、医療鞄を持った兵士がそばまで近づいてくる。


「こいつを、このまま生かしておくんですか。まさか、敵を治療するわけじゃないよな?」

「問題ない、衛士長として私がそう判断した」

「そんな勝手なこと、他の兵が許しません。こいつのせいで大怪我を負った者もいるんです。捕虜待遇なんてそいつらが黙っていられません」

「黙っていられないならば、私も報告せねばならない。いたずらに他民族へ剣を抜き、負傷者を出した愚か者ども。軍規に従わない背信者を見過ごすことはしない」


 周囲の兵士たちへヴォルは刺すような視線を向ける。彼らは目を逸らし、口を閉ざして沈黙を守った。


「この者を含め、本陣へ帰還する前に、ここにいる者はすべて私が診察する。それが衛士としての職務だからだ。後の些事は自らでつけるがいい。私からはこれ以上、言うことはない」


 彼らと少年の間に何があったのか、真実は当事者たちしか知りえない。けれど、少年が剣を抜かざるを得ない状況を作り出したのは兵士たちに他ならない。

 藪をつついて蛇に襲われた愚者の激情へ、彼は配慮する気などなかった。また、彼らが恐れているであろうこの件の処罰にも興味がなかった。


 ヴォルは、手早く応急処置を済ませると、次の怪我人の元へ向かう。

 彼の言葉に、逆らうものは一人もいなかった。


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