第17話
この宿の浴場は唯一無二と言われている。
その理由は元日本人の転生者が作ったからなのだが、もう初っ端、暖簾からその片鱗が見て取れる。
「女・男は何と書いてあるのでしょうか?見たことない、字?なんですかね?」
「馴染みない文字だものね。左からオンナとオトコ。私たちは左に入るのよ」
その地の慣習など、局地的なこと以外の知識は豊富なベルテでさえ判断がつかない入口。
間違って入ってしまってものを投げられる。なんて経験をした男性も多いのではなかろうか。
「さ、入口前で屯ってても邪魔なだけだわ。行きましょ」
「はい、お嬢様」
赤色の暖簾を潜れば、目に飛び込んでくるのは懐かしい風景。
厳密には私では無く兄の記憶なのだから、この目で見るのは初めてとなる。
「いい香りですねー。それに……なんだか異大陸に来たみたいです」
「それはそうでしょうね。完全再現もいいところよ」
洗面台にはドライヤー模して作られた魔導機械が。
衣服を入れる籠は、防犯なんて概念の一切無いただの区切られた箱。
床には木製のすのこ。
良くも悪くも昔の銭湯と言ったところだ。
服を脱ぎ、カラカラと音を立てる引戸を開けて中に入る。
「体を洗って、と思ったけれど、結構混んでるのね」
「丁度の時間に来てしまったみたいですね」
夕食前のこの時間、壁際にある6つの洗い場には先客がいた。
ダンジョンで血や汗、魔物の体液なんかで汚れているから、体は洗ってから湯船に浸かるというのがマナーではある。
だが、ベルテはそもそもダンジョンに行っていない。
私は汚れが着くようなヘマはしていない。
ならばかけ湯だけでいいだろう。
桶を手に取り、熱い湯を掬って身体にかければピリピリとした感覚を覚える。
殺菌性の高い酸性湯というのもダンジョン都市ならではだろうか。
「なかなか、熱いですね」
「そう?ならもう少し向こうに行きましょう」
2人は湯に浸かる数人の前を横切り、壁際へ移動した。
ここなら湯口から離れているし、ちょうど良いだろう。
「あの、お嬢様。少し聞きたいことがあるのですが、よろしいですか?」
湯に浸かってしばらく経った頃、ベルテが話を切り出してきた。
「ええどうぞ。私に答えられることなら」
「では、その……私とネジャロはお嬢様が選んだと聞きました。でも、その時はまだ会ったこともなかったはずです。私は生まれのこともありますし、どうしてなのかなと」
「ああ。これ、まだ話してなかったかしら。私は今のこの1年ほどを何回も繰り返しているのよ。その経験から、あなたたち2人を選ぶのが1番良い旅になると分かっているから。それだけよ」
兄と体を共有していた頃は、彼女が忌み嫌われている理由の獣人族と人族のハーフという見た目に惹かれて選んでいた。
しかし、私だけになれば女性が恋愛対象に入ることも無い。
そもそも元はフェルリル、魔物なのだから人を好きになるというのでさえごく稀なことなのだ。
「そう、だったんですね。
実は少し心配だったんです。18年間一度も選ばれたことがなかったのに突然の指名でしたから。
お嬢様たちと会う前なんか、ついに捨てられるんだ、なんて思ったりしたくらいで……」
「そんなこと考えてたの?
全く、もう少しネジャロを見習いなさい。私たち4人は対等。誰も蔑ろにされることは無いし、もっとわがままを言っていいの。分かった?」
「あ、はい!ありがとうございます!」
これで少しは打ち解けてくれればいいが。
誰が初めに考えたことか、ただの生まれでの差別がここまで後ろ向きにさせてしまうのだ。
ただ、その差別しているのがほぼ貴族なため、大方可愛らしい見た目に嫉妬してとかなんだろう。
顔は人族で、耳としっぽ、それとベルテの場合は肘から先はもう半分の血の猫人族のもの。
ファンタジーに飢えて、2次元のキャラが大好きな世の男子女子からしてみれば歓喜するレベルだ。
私だって彼女のことは綺麗だと思っている。
ベルテを眺めそんなことを考えていると、大きな音を立てて戸が開いた。
入ってくる女性は遠目からでもわかるほど目が赤く腫れている。
その理由は明らかだ。
「腕が……」
立ち上る湯気の中、ベルテも気づいた。
そう、その女性は右腕を失っていたのだ。
しかもそれはすぐ最近のこと。泣いていただろうからじゃない。
見知った顔。それもこの国ではかなりの有名人だからだ。
「不憫ね。あれではもうパーティには居られないわね」
〈月光の導き 〉
赤金級4人からなる一応まだトップのパーティ。
纏う雰囲気で誰も近づかない彼女を見て、私は少し考える。