今の私に至るまで
小さい頃は優しい両親、血は繋がって無いが優しくてたくさん遊んでくれた7歳離れた兄、いつも穏やかな笑顔で接してくれた父方の祖父、そして心の支えとなっていた姉と弟、そしていつも相手をしてくれた二匹の猫。
どこにでもある家庭だったと思う。今思うと2DKの家に7人に二匹の猫が住むにはかなり狭っかったと思うが、、、
専業主婦の母に、会社で課長をやっていた父、絵に描いたような幸せな家庭だった。いつからだろうその幸せが崩れてしまったのは、、、
いつの頃からか、父と母がよく喧嘩をするようになった。喧嘩の際は祖父と兄が来て、祖父達の部屋で遊んでくれていた。喧嘩の内容は兄について揉めていたらしい。母からすれば父の連れ子であったし父の母からはいやガセのようなものを受けていたらしい。父と母の子供である私たち姉弟三人も祖母にはあまり歓迎されていなっかった。祖母の家に行くといつも兄だけを構い私たちは放置されていた。
今思うと祖母は父と母の結婚をよく思っていなっかたのだろう。
ある日、父と兄と祖母が家に帰ってこなくなった。当時の私には何故だかわからなかったが、父は弟の誕生日の日に浮気をしていたらしい、、、母が父の携帯を見た時に浮気相手との写真を見つけて判明したという。
当然母と父は離婚し、父の子である兄と祖父は家を出て行った。うちの家の保証人が母の兄だった為だ。
離婚後、母は働きに出るようになり時間の都合上、当時通っていた幼稚園から車で20分の保育園に通うことになった。
仕事のできる母のお陰でお金にも困らず仲のいい家族でとても幸せだった。
その後、私たち姉弟は父に定期的に会ってはおいしもの食べさてもらったり、おもちゃを買ってもらったりしていた。その時初めて食べた笹の葉で包まれた鱒寿司は今でも私の大好きな食べ物の一つだ。
それから1年がたち、私は5歳になった。この頃から父と会うことは無くなった、、、
母が言うには祖父が病気になり養育費を払えないと言われ揉めたらしい。養育費を払うことが無くなったからなのかそれ以降父から連絡が来たことはない。
兄は消しゴムを貸してほしいと言う理由で家に来たことがあった、今思えばわざわざ消しゴムを借りに来るなんてありえないことだ。兄は私たちに会いに来る口実を作ってくれたに違いなかった。そんな兄もそれ以降会いに来たことはない。父に止められたのかも知れないが、、、
兄が来なくなって一年、私は6歳になり当時通っていた保育園よりも近い近所の保育園に空きが出た為転園した。姉は当時7歳で小学校に通い、弟は4歳で私と同じ保育園に通った。
ある日母からこの人達がこれから保育園の送り迎えをしてくれると、60歳くらいのとても元気で優しいおばさんを紹介された。小さい頃から自分達のことは自分でやるようにと育てられていた私達は自分達で起きて準備をして朝ごはんを食べるのは当たり前のことだったし、送り迎えの人が変わっただけで何ら支障はなかった。
送り迎えをしてくれる人達はサポートセンターと言うらしい。サポートセンターの人が送り迎えをするようになってから、母はさらに仕事をするようになり、週に1度会えればマシなくらいだった。私たちが起きる前に仕事に行って、私たちが寝てから帰ってくる。
当然ご飯を用意してくれる人はいないわけで、机の上に置かれたお金でデリバリーをしたり、作り置きされている冷凍のご飯や冷凍のパンケーキやたこ焼き、焼きおにぎり何かを食べて過ごしていた。