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9 愛深きゆえに、彼氏のフリでも全力です☆


 あれから──。

 梅雨入り前の六月──。


 夏恋(かれん)との予行練習は日に日にエスカレートしていき、まんまとペースに嵌められ。


 葉月との恋人ごっこは延長に延長を重ね、延長拒否を試みるも、ふしぎの国の葉月ワールドを前に成す術なく。


 真白色さんとの偽装カップルは何か大切なことを忘れているような気がするも、割と順風満帆。


 気掛かりだったアルバイトは柊木さんの復帰が決まり、連勤ともおさらば! ウキウキ!


 トニカク毎日、必死!


 ここには本物が、ひとつもないとしても──。



 ◇ ◇ ◇


 支度を終え、レッツゴーガッコー!

 靴を履いて玄関を出る。ありふれた朝のルーティーンの中で──。


「ほらっ、お・に・い! 忘れ物!」


「……は?」


 夏恋に呼び止められるも、その手にはなにも持っていない。……忘れ物なんてあったかな?


 そう思ったときにはすべてが手遅れ──。


「あっ! あっ──! ちょっおまっ──!」


 ゼロ距離まで近づく夏恋の唇。


 玄関のドアを背に精一杯の抵抗をしてみるが、これ以上の逃げ場はない。


 頬に感じる確かな温かさ……。


 あっ。また今日も……。


 その一瞬の感触に腰が抜け、そのまま尻餅をついてしまう。


 不意をつく、一瞬の抜刀ならぬキキキ、キッス。


 その抜刀術ゆえに、俺にもたれかかる体勢になっていた夏恋も一緒にストンッと膝をつく。


 玄関先のタイルはひんやり冷たいのに、それとは逆にいろいろ柔らかいものが当たり、温かい。


 物理的なシンクロ率、ほとんどひゃくぱーせんと!


「いたたたぁ……って、わわわ!」


 夏恋は焦る素振りを見せると、すぐさま立ち上がり捲れた制服のスカートをぱっぱと手直しした。


 兄としては危なっかしいソノ短いスカートの丈を、少しでいいから長くしてほしいと願うのは贅沢な悩みなのかもしれない。


「なにやってんのお兄ぃ~! 忘れ物ひとつ満足に受け取れないなんて!」


 言いながら差し出される手を取り、俺もよっこらせと立ち上がる。


「い、いきなりだったからな! ちょっとばかし驚いちまっただけだ!」


 予行練習ッ──!

 臆する姿を見せれば夏恋はツケ上がる。もっとからかってやろーって思うに違いない。


 毎度毎度、予想の斜め上を攻めてくる。

 いつ飛んでくるかもわからない、頬への攻撃に身構える朝は、体力の消耗が激しい。

 

 ただ、これより先はない。

 夏恋の予行練習に対するボーダーライン的なのがわかりつつある今日この頃。


 しかし、シチュエーションは無限大。


 よほどそのへんのカップルよりもカップルカップルしているような気がしなくもない。


 ……本当に付き合ってるワケではないんだけど。



「いっちばん大切なものを忘れるとか、お兄は成長が見られないね~!」


 昨日は自転車に跨りながらちゅっとしてきただろって。忘れ物って言われてからの展開は今日が初めて。


 それもこれも、不意打ちだからドキドキ三倍──。


「あのな、前もって言ってくれれば俺だってこんなに驚いたりはしないっつーの! 次からは言ってからにしてくれ。そ、その……キスするときは」


「さすがお兄。だめだめだね! キスしていいかいちいち聞くのはアウトです! どっちが誘ってるのかわからなくなっちゃうでしょ?」


 ちょっとなに言ってるのかわからない。

 首を傾げる俺を見かねたのか、夏恋はため息をひとつ吐くと、一歩近付き……俺の胸の中に入ってきた?!


「ねぇ、先輩……。キス、していいですか?」


 人差し指を俺の唇に当ててきた!!


 な、なんだかすごい艶っぽい。

 ドクンドクン。ドクンドクン。


 まだ家の中なのに先輩呼びって……。ていうかこんな! ていうかこんな! て、いうかこんなの!


 殆ど反則だろ!!


 ドクンドクンドクン。


 もう、だめだった。

 俺は瞳を閉じて、静かにそのときを待つ──。


 と、鼻・ツンッ!


「って、乙女か! なんでお兄が目瞑って待ってるの! ないない! これはない! 思ったとおり絶対ない!」


「ば、バカヤロー!」


 ドキドキした胸の高鳴りに反するかのように、思わず飛び出す俺のセリフは、こんなしょうもないものだった。


「まぁ、だからね、聞くのは無し。わかってくれた?」


「……あぁ、そうだな。わかった」

「うんうん。わかればよろしい!」


 なるほどな。これは心の奥底にメモしとこ。

 カキカキ。って! そうじゃないだろ!!


 でも案外、夏恋の恋愛観がわかる場面もあり、俺にとっては貴重な情報だったりもする。


 不必要な、使う日なんておとずれない情報だと、わかっていても──。



 若干、気まずい空気になりながらも……予行練習Reスタート!


「じゃあ、行ってらっしゃい! 寄り道しないで真っ直ぐ帰ってきてね! ご飯作って待ってるから! ダーリン!」


「お、おう。行ってきます! ま、マイハニー!」

 

 制服のネクタイを夏恋に直してもらい、見送らる様は新婚カップルの朝の別れ。


 ここ数日は必ずやっている。……いや、やらされている。……予行練習ならば、仕方あるまい。


 そうして、玄関を出てドアの前で十秒ほど待機。


「せーんぱい!」


 と、まぁ。行ってらしゃいと行ってきますをしたばかりの二人は玄関先でこうして先輩と後輩になる。


 やっぱりこれが、一番非現実的で夏恋を妹として割り切れない最大の要因。


 ダーリンマイハニーとか言ったって、そこは比較的、現実味を帯びない仮想現実のようなもので。


 でも、こればかりは記憶が呼び起こされる。


 始まる、スクールラブ! レッツ、スクールライフ!


 いや、本当に。別々の高校で良かった──。


 夏恋は自転車に跨ると思い出したかのように口を開いた。


「あっ、そーだ! 今日で連勤終わりでしょ? しょーがないのでお疲れ様会をしてあげます!」


 柊木さんのピンチヒッターとして、この頃はずっとバイト尽くしだった。でもだからといって、大変だったかと言われれば、そんなことはない。


「お疲れ様なのはお前だろ! 夕飯の当番任せっきりで悪かったな。明日からはしばらく俺が作るから。逆に夏恋の食べたいもの教えくれよ。なんでも作ってやるぞ!」


「げぇ~、またすぐそうやって自分を(ないがし)ろにする~。そういうの、先輩の悪いところですよー!」


「な! そ、それはお前もな!」

「やれやれ。先輩はすぐこれだ。……じゃあ、明日は久しぶりに! 一緒に夕飯作りましょっか!」


「だな!」


 そうして優しく微笑むと、颯爽と自転車を漕ぐ。


「気をつけて行けよー!」


 ふふん。と少しだけ振り向き手を振った。

 風に靡いて一瞬だけパンツが見えたことは秘密だ。……桃色!



 ──この関係がずっと、続けばいいな。


 なんて、思うも、

 次第に感情を抑えられなくなる自分が怖くもあり、悍ましい──。


「……はぁ」


 日に日に、兄としての自分が嫌いになる。


 ◇ ◇ ◇


 夏恋との予行練習で朝からライフポイントの半分を削がれながらも葉月家に寄るのもこれまた日課なのだが……。ここ最近、葉月の様子がおかしい……!


 『あと五分! 玄関開けといた!』 の、メッセージが来ない!


 それもそのはず──。


「おっはよぉ~!!」


 あの葉月が……あの葉月が! 家の外で待っているのだ!


 五分遅れの常習犯。あの葉月が!!


 でも、嬉しいと思う反面、切なさもある。


 こうやってキチンと外に出ているということは、慌ただしい朝の葉月ママを手伝い、準備を万全にしているということ。


 もう俺は必要ないのかな、とか。思ったりしなくもない。


 小鳥が巣立っていくような、そんな切なさ。


「おう、今日も早いな」

「ふふっ。とーぜん!」


 そっかそっか。もう、当然と自信満々に言えちゃうくらい、朝に強くなったのか。


 子供の頃から知っている、幼馴染の成長に切なさを(くすぐ)られるも……!



 けれども──!


 やや混み合う電車内。

 葉月と征く、ましゅまろ電車通学の旅!


「延長はいかがなさいますかぁ?」


 謎に始まるセールストークは、もはや恒例。


「そ、そのこと……なんだが、な」


 今日こそはと! 断固たる意思を持って望む。

 しかし、葉月の頬が俺の胸のところにピタッとくっつき、延長の一言を促進させる。


「今ならお得なサービスもございますけどぉ……」


 言いながら胸元を人差し指でぐりぐり。

 そ、そこ! くすぐったいの! や、やめて!


「え、えんっちょっする」

「わぁい! まいどありがとぉございまぁす! 恋人ごっこサービス、延長承りましたぁ!」


 あぁ、また今日も……負けてしまった。


「でもレンくん! 今日もちゃんと言えなかったね! はぁーい! 言い直しましょぉ! がーんばれ! がーんばれ!」


 ぐ、ぐぬぬ。

 恥ずかしさの極致。


「え、えんちょ……う……します!」

「うんっ。ちゃんと言えてえらいね! レンくんいいこいいこだよぉ!」


 そうして俺が降りる駅が近づくと、制服の裾をぎゅっと掴んでくる。


 最初こそ、葉月が降りる駅までついて行ったけど、さすがにこればかりはまずい。


 恋人ごっこは二人だけのアンダーワールドでなければいけない。


 葉月が通う学校の改札まで行ってしまうと、お友達の巻き髪やちびっこパーカーに遭遇してしまう。


 それは、本当にまずいこと。


 わかっているけど、袖をぎゅっと掴まれると……弱い。


 それでも、指をひとつずつ解く。

 しかし、次の指を解きはじめると、解いたはずの指に力が再度入り……ぎゅっ。


 そこに言葉はなく、葉月の意思だけを確かに感じる──。


 ~扉が開きます。~扉が開きます。

 ──プシュー。


「きょ、今日だけだからな。明日は……降りるから」


 昨日もその前も同じことを言っている。

 俺がしっかりしないでどうするよ……。


 わかっちゃいるけど、上手くいかない。もどかしい。



 閉まるドアにご注意ください~。

 ──プシュー。

 

 恋人ごっこ、七分延長入りまーす!

 不本意だが、こうなってしまった以上考えても仕方ない!


「れーんくんすきぃー!」

「お、おう……!」


 恋人ごっこも、なまじリアルな言葉が飛んでくるようになった。


「レンくんわぁ?」

「ば、ばか! ごっこ遊びだろ!」

「あー! 恋人ごっこ中はそれ言わないって約束したのにぃ! レンくんまた言ったー! いーけないんだぁ!」

「……悪い。次から、気をつける」


 いつの間にかルールが存在するようになり──。


「それから! 恋人ごっこ中はね、恋人ごっこ禁止とも言ったよね? ちゃんと規約は守ってください!」


 それを葉月は規約などと言い出す。


 でも、ごっこ遊び中にごっこ遊び禁止。

 俺はその言葉の意味をわからずにいる。


 不思議の国の葉月ワールドは既に開演していて、俺は迷い込んだ一匹の子うさぎ。


 細かなことを気にしても、きっとその先は不思議に包まれている。


 とりあえず、ごっこ遊び中はごっこ禁止なのだ。うん。……うん。……う、うん?


 そんな疑問を抱きながらも、話は流れる──。


「ねぇねぇバイトはどう? いつ頃落ち着きそうなのぉ?」

「おっそれな! 今日が連勤最終日で、明日は久々の休みだぞ!」


 そういえば最近、毎日バイトの休みを聞いてくる。案の定、今日も聞かれたわけなのだが。


「わぁい! やったねレンくん! 久々の休みだわぁいわぁい!」


「お、おう。わ、わぁい」


 両手を捕まれわぁいわぁいと乗せられて、ついうっかりやってしまった。……なんだこれ。


「じゃあ明日の放課後空けといてね!」


「お、おう? ……いや、明日はだめだ!」

「えぇーなんでー? どーしてなんでどーしてー?」


「この頃、夏恋にばかり夕飯作らせてるから明日は俺が作らないとなぁ……あっ」


 言ってすぐに、背中がひんやり冷たくなった。

 葉月の目の色が変わっている。


「夏恋ちゃんの話はいらないよ?」


 普段の葉月からは程遠い、冷たい視線。

 

 やってしまった。

 名前を出すだけでもタブー。犬猿の仲。やっば。まじやっちまったよ……。


 わかっていたことなのに、たまに無意識に飛び出してしまう。

 

「あぁっと葉月! えっとな、働き過ぎた分、今週はもう全部おやすみだから、別の日なら!」


 すぐにリカバリーをかける。

 夏恋と口に出した会話をまるごと全部なかったことにして、話を続ける。


「ほんとぉに? じゃあ三日後以降でお願いしますっ」

「お、おう!」


 そうは言っても葉月はこうだ。

 俺が明日と言われたら困ることをわかってるから、余裕を見てあえての三日後。

 

 放課後に葉月と会うなんていつ振りだろうか。ちょっともう、思い出せない──。


「なにか用事でもあるのか?」


「なぁんにもないよ!」

「ないんかい!」


「えへへ。放課後ちょこっと一緒にいれればいいかなぁ、って思ってたけど、……そーだなぁ。三日後以降だもんねー。土日でもいい?」


「葉月のしたいようにしていいよ」

「やったぁ! うんっ。じゃあ色々考えとく!」


 夏恋の名前を出してしまった手前……いや、あまりにも久々過ぎる誘いだからなのか、俺の頭の中には断るという選択肢はなかった──。


 ◇ ◇


「毎日早いなー。もうバイバイの時間だぁ」

「なーにいってんだよ。明日もまた会えるだろ? ほんの少しの我慢さ」

「さーみーしーいー!」


 などと、今日も最後の時間までごっこ遊びに花を咲かせ、改札を出る。


 すると、待っていましたと言わんばかりにちびっこパーカーが突っ込んでくる。


「はーづりん! むぎゅ。ぺたっ!」


 だいたい朝はこの流れで、押し出されるように葉月の隣を取られる。


「毎朝ご苦労! えらいぞちんちくりん! ほら、手ぇ出せ!」


 そしてチョコ菓子を必ずひとつくれる。コンビニで買える二十円のやつ。


 それがどうにもペットへの餌付けと、明日も葉月をよろしくね! というメッセージのような気がしてならなかった──。


 巻き髪はと言うと、


「また今日も居るし。マメな彼氏くんですごいね~」


 巻き髪は若干、呆れた様子。

 どうやら彼氏に同じことをしてくれと言って断られたらしい。

 そりゃそうだ。高校違うのに毎朝送りにくる男なんて希少種だ。


 恋人ごっこだから、ここまでやっているというのが正しい。あくまで俺と葉月にとってはごっこ遊びだからこそ、成し得る技!


 ……でも。


「ふっふっふ。レンくんは最強の彼氏だからねっ!」

「惚気けかぁ~? 朝から熱すぎぃ~!」


 ちょっとちょっと葉月さん?

 本当にこういうのは控えてよ?


 とは思うも、葉月ワールドに迷いし子うさぎの言葉は届かない──。


 ◇ ◇


 恋人ごっこ中の恋人ごっこ禁止。なにやら引っ掛かりを覚えつつも、その答えへと辿り着くのはずっと先──。


 俺はもっと、考えておくべきだったのかもしれない。


 ごっこ遊び禁止の意味を──。



 ◇ ◇




 葉月が五分早く行動してくれるおかげなのか、ましゅまろ登校をラストステージまで完遂しても、時間的には余裕だった。


 元々、夏恋と同じ時間に家を出て葉月に五分待たされても尚、学校には早く着き過ぎて居たのだから。


 それになにより、俺の高校生活は激変したから、早く着き過ぎたら……そうだな。たぶんトイレの個室で時間をつぶす。


 真白色さんの彼氏として校内すべての人から認知されるようになり、影薄シリーズを振りかざしていた俺にとっては思いのほか窮屈だった。


 真白色さんは委員会に生徒会と忙しい人で、四六時中一緒に居ることは叶わない。


 そうなると学年問わず、まるでパンダでも見に来るかのように、俺のクラスを訪れる。


 「あれが真白色さんの彼氏か!」

 「無色透明のオーラが見える!」

 「それ、オーラ出てなくね?」

 「楓様にしか認識することのできない、奇跡のオーラよね!」


 勉強ができるわけでもなく、運動神経がいいわけでもない。加えて、特別顔がいいわけでもなく。お喋り上手でもない。


 平凡とも言い難い、冴えない俺が学園一の美少女の彼氏ともなれば、通り名はこんなものだ。


 超ラッキーボーイ!

 超野菜男!

 超能力者!


 とにかく『超』がつく感じに、なにかがすごいと噂は尾ひれはひれがついてひとり歩きする──。


 その結果がパンダ。


 真白色さんがいる時は神域ならぬカフェテラスで過ごしたり、教室に二人で居ても見物客は寄ってこない。


 あくまで、俺が一人で教室にいる時だけパンダモードに入ってしまう。


 突っ伏寝をしてやり過ごしたいところだが、それでは見物客に失礼だ。なにより、「真白色さんの彼氏って突っ伏寝の三軍ベンチだろ?」などと言われる恐れもある。


 三軍ベンチの誇りが、俺に勉強してるフリをさせる──。


 ただ、見物客の中に一人だけ顔見知りがいる。


「…………じーっ」


 涼風さんだ。相変わらず何を考えているのかわからない子だが、こういった空気の中では彼女の視線は割と心地良かったりもする。


 ノートとペンを持って、なにやら研究している風な感じなのは見なかったことにして。


 “いらっしゃい。涼風さん! 今日も精がでるね!”


 こんなことを心の中で思う俺は、ちょっとどうにかなっちゃっているのかもしれない──。


 そして、唯一。クラスで俺を気にかけてくれる男がいる。


 その男はナニカを見透かしているかのように、勉強しているはずの俺に、なんの躊躇(ためら)いもなく声を掛けてくる。


「なぁ、夢崎。これはお前が本当に望んだことなのか? 俺はてっきり……」


 察しのいい我がクラスのホープ。

 先発一軍系の池田は何かに気付きつつある。


「な、な、なななんの話かな」


 噛みすぎる己を呪うこと十数回。


「お前がそうやって言ってるうちはいくらでも力になるからな」


「あ、ありがとう!」


 あの日の肩ポンが別の形で返ってきて、俺と彼との関係は何やら不思議に包まれていた。


 あまり深く突っ込むと、偽装カップルの『偽』の字が出てきそうだから、聞かない。


 足らない言葉の中で、意思の疎通が図れているような、摩訶不思議な関係──。


 池田と行動を共にする田中と中田の二人も俺の席の周りに居ることも多い。


「今回の彼女はマジなやつっしょ! あれでめっちゃ一途だしな。めっちゃ頭良いし女子高だし! 俺、今回はガチなんよ。前世から結ばれてたような気がしてならねえ!」


「惚気けるなら他所でやれっていつも言ってるっしょ。でも、お前の幸せそうなツラみると、元気湧いてくんな! おお中田! ウェイウェーイ!」


「っしゃあ! ウェイウェーイ! 女なら紹介するぜぇ!」


「……それはいい」

「すまん」


 ちょっと……俺の席の周りで気まずい空気流すのはやめてくれよ……。


 あの日以来、田中は少し元気がない。


 その責任の一端を『嘘』で担ってしまっている俺は、正直、合わす顔がない。


 ◇ ◇


 とはいえ、真白色さんとは一緒に居る時間も多い。

 というかもう、学校内で安息のときは真白色さんが隣にいるときだけ。


 キーンコーンカーンコーン。


「……だから、見過ぎよ」


 授業終了のチャイムが鳴り、バサッと立ち上がり俺の席の前に来た。


 何度目かわからない注意を受ける。


「隣の席に居るんだなって思うとつい……えへへ」

「それは私も同じで……あなたのほうを見ると、必ず目が合うから……見づらいじゃない!」


 俺は時折、空を眺める彼女の横顔を隣りの席から見ていた。


 でも最近、あまり空を見ていない。

 だから気になって、何度も見てしまう。



「な、なるべく、気を付けます!」


 ご立腹な様子こそあれど、会話も以前と比べたら柔らかいものになり、真白色さんを割と身近に感じられるようにもなった。


「それから、敬語!」

「ご、ごめん。真白色さん……」


「……苗字呼びも、やめてよ。楓って名前があるんだから」


「が、がんばる!」

 

 ひぃ……。確かに言っていることはわかる。

 わかるんだけど。S級お嬢様だと思うと、友達感覚には……なれない。


 いや、その先の恋人感覚にならなきゃいけないんだけど……。これはしばらくの課題だ。


 ◇ ◇


 


 ◇


 バイト先に到着──!


 今日は待ちに待った柊木さん復帰DAY!

 長かった連勤も今日で最終日!


「涼風さんもご苦労様!」


 今日も変わらず、電柱の影から覗いている彼女に届かぬ声で語りかける。


 無害でおっちょこちょいの涼風さんを見ていると、不思議とストーキングされているという事実を忘れてしまう。


 振り返ればそこに、涼風さんが居る!


 “俺はひとりじゃない”


 うん。やっぱり俺は、ちょっとどうにかなっちゃっているのかもしれない──。


 ◇


 裏口から入って、バイトの制服に着替えホールIN!


 普段よりも活気に満ちた店内の温度に確信を得る!


 天使様が、居る!


 ちょうど注文をとっているところで、そのご尊顔を拝むことはまだ叶わないけど、


 後ろ姿をみるだけで安心する──。


 天使の羽根が見える!


 連・勤・終・了!

 やったぜ!


 注文を取り終わると、俺の姿に気付き、周りからは見えないように小さく手を振ってきた。

 

 ドキッと胸打たれた気持ちになってしまうのも、天使様マジック!


 コンクリートに座り込んで「ぜんぶ、おしまいにしようかな」と、天使のラッパを取り出すような姿はない!



「あらやだ。店長の私に挨拶するのも忘れて見惚れちゃうなんて! ヤキモチ焼いちゃうわよ!」


 おぉっ! うっかり忘れてた!


「す、すみません店長! お疲れ様です!」

「うふふん。冗談よ♡ 夢崎きゅんのハートのおかげで戻ってきてくれたようなものですもの! 好きだけ眺めるといいわ♡」


 ハート……?

 と、聞き返そうとしたところで、


「おーつーかれっ!」


 天使様の美声が耳に届く──!

 可愛く敬礼をする姿は、以前と遜色(そんしょく)ない幼系綺麗なお姉さん!


 そのあまりにも可愛く、透き通るような瞳に視線を奪われる──。


 胸を強調させるような、ワイシャツにベストのバイト姿に男子高校生の欲望も全開!


 虚ろな目してない!

 お酒くさくないし!


「お疲れ様です!」


 元気よく挨拶を返すと、柊木さんはニコッと優しく微笑み、顔が目前を掠めた。


 ば、抜刀術?! 頬キッス?!

 とっさに瞳を閉じてしまった俺の耳に温かな風が吹く──。


「(いろいろありがと。バイト終わったら少しお話しよっか)」


 ボソボソっと吐息混じり発せられるその声は、天使の祝福!

 

 首を縦に二回振るので精一杯。……すると!


「いいこだね。じゃあお仕事がんばろっか!」


 そう言って頭を撫でられ……た!


 そんな様子を店長が不思議そうな顔で見ていた。


「あらぁ。あらあら。あらぁ? あなたたち、そんなに仲良かったかしらぁ?」


 店長の言うとおり、バイト中に頭を撫でられることは初めてだった。


 あの日、酒溺れモードの柊木さんからは撫でられたけど。


 ひょっとして、酔ってるのか?

 お酒引っ掛けて来ちゃった? などと思うも、それはない。だって、お酒くさくないんだから!


 あの日、憧れの天使様な柊木さんを前にしても、割と平然を装っていられたのはお酒くささに他ならない。


 ほとんど別人だったから。

 だからこそ、あの距離感でもなんてことなく接することができた。


 でも今は、まごうことなき天使様──!


 あの日の距離感で接してこれると、バイトどころじゃないんですけど?!


「店長知らないんですかぁ? 夢崎くんって、男の子(、、、)なんですよ~?」


「あらぁ。あらあらぁ。そうね、この子は男の子♡」


 えっ。えっ?

 会話の意図がまったく掴めないでいると!


「ねぇ~!」


 また頭撫でられちゃった。

 頭なでなでのバーゲンセール?


 こんなのバイト代返上したってまだ足りないくらいだよ?


 と、そこに!


 ~カランコロン~~


 きょろきょろしながら入ってくる一人のお客様。店長の意識は瞬時にそちらに向く──。


「来たわぁ! キタキタキタキタぁ! っしゃあオラァ!」


 店長は一目散に駆け寄る。


 そのお客様とは……涼風さんだ!


「うぅーん? 新しい常連さんかな? とっても可愛い子だね?」


 天使様の顔に若干の曇りが生じる。


「この頃よく来るお客さんで店長のお気に入り、みたいな感じですかね!」


 というかもう、ほとんど常連さん。

 ストーキングついでに一杯引っ掛ける的な、たぶんそんな感じ。電柱の影に隠れる割に、これで案外、涼風さんは大胆だ。


「なるほどー!」


 そう言うと柊木さんは店長の後ろにピタッと着いて、聞き耳中を演出するかのように自らの手を耳に添えた。


 隠れる素振りなどなく、堂々と聞いている。そんな光景すらも絵になるから不思議だ。


 夕方のこの時間は常連さんや柊木さん目当てのお客さんも多く、アットホームな感じ。みんなクスッと笑ったり微笑んだりしていた。


 これが、天使様の展開するゾーン!


 しかし店長は涼風さんに首ったけなのか、気付く様子はなく。


 席へと案内すると本題を即座に切り出す!


「それでぇ? パパはなんて? ちゃんと聞いてきたんでしょお?」


「は、はいぃ……。お父様に聞いたら……アルバイトなんてする必要ないって言われましたぁ……!」


 日に日に、この二人の会話はおかしさを増していく。なんというかこの子はNOと言えない子!


「あらぁ。そうなの? 残念ねぇ。週一でもいいのよ? 社会勉強だと思って、パパにもう一度確認してみなさい。ここでの経験はあなたのためにもなるの! わかった?」


「は、はぁい……」


 ねぇ涼風さん! どうして断らないの? お嬢様系じゃないの?


 店長の言いなりになってたらね、いつかお父様も折れるよ?!


 伝えてあげたいけど、気付かぬフリをしているため、その言葉を届けることは叶わない。


 もどかしい。このままじゃ本当に、このお店で働く日が来てしまう!


 と、そこに! 聞き耳を立てていた天使様がカットイン!


「店長っ! 可愛いからって口説いちゃだめですよー! でも思ったんだけど、この制服って……夢崎くんと同じ高校じゃない?」


「あっ──!」


 って、ちょっと涼風さん……。

 なにそのバレちゃったみたいな顔! この子本当になんなの……。最初からバレバレだって……。ま、まぁ見なかったことにするけどね!


 しかし、「だよね?」と柊木さんから視線が向けられる。


「そう、みたいですね」

「なんでそんなに他人行儀なのかなぁ~? こんな可愛い子が同じ学校に居たら気になっちゃうでしょ~? それとも意外とシャイなのかな~?」


 柊木さんがグイグイ来る……。

 ここは涼風さんに悟られぬよう返す!


「まったく気にならないですよ!」


 その言葉を聞いて涼風さんはホッと安心したような顔をした。柊木さんは何故か笑みをこぼした。


「それもそっか! 夢崎くんは歳上が好みだもんね~!」

「はい!」


 流れるように返事をしてから気付く。

 そんなこと言った覚えは……ない!


 と、涼風さんがポカンと口を開けてこちらを見ている。って、メモを取り始めた!

 なんなの涼風さん? 本当に何なの? 書き終わると満足げな顔した?!


 ねえ、そのノート、なにが書いてあるの?


 涼風さんに対する謎は日に日に深まるばかりで、この日も門限があるからなのか一杯飲み終わると足早に帰っていった。

 

「あともうひと押し。必ず手に入れるわ。……必ず。欲しい。欲しいのよあの子……」


 店長のギラギラ度も最高潮に達する勢いだった。


 そうして、何事もなくバイト終了の時間は訪れる。


 はずだった──。


 更衣室は男女別々ではなく、一部屋しかない。

 使用中の札を掛けて使うのがこの店のルール。


 柊木さんは俺が居るのにも関わらず、当たり前のように入って来た。


「す、すみません! すぐ出るので!」

「いいよべつに。今更そんな、ね?」


 あれ、何か聞き間違いたか?

 と、思うも!


「でも、まじまじと見るのはなーし!」


「は、はい」


 あれ。耳掃除最後にしたのいつだったかな?

 あれれ。あれれれ?


 と、当たり前のようにワイシャツのボタンを外し始める天使様!


 即座にくるっと背中を向けて縮こまり、般若心経を唱える、俺!


 あれ、えっ。あれれ? えぇ?!

 

 おっかしーなー。

 あっ、あれ? 心の中は「あれれ」でいっぱいになる。

 

 ボディペーパーを取り出したのか、吐息にまみれて拭き拭きしている様子を背中越しに感じる。


 さらに、プシューと制汗スプレーの音までする。


 へっ? およよ? えっ?

 頭の中は既に超絶パニック!


「よしっ。じゃあ行こっか! って、まだ着替えてなかったの?」


「あっ、ええ。すみません……」


「どうしちゃったのかなぁ? 外で待ってるから、早くおいでね」


 なにかが、おかしい。

 そのおかしななにかが、わからない。


 更衣室には天使様の甘くとろけるような香りが、……残り香が充満していた。


 ここは、天界……?

 あれ……。あ……れ?


 なんだかよくわからない。

 わからなさすぎで夢でもみているようで、頭の中はクラッシュした。


 ちゅどーん!


 ……と、夢から覚めるわけもなく、ハッとして着替えて店を後にした。


 ◇ ◇


 店の外に出ると、ひと際輝く天使様の姿があった。商店街の一角にあるため、人通りはそこそこ。道行く男たちの視線を釘付けにして、二度見三度見は当たり前。


 そんな様子には慣れているのか、特に気にする様子もなく、何をするわけでもなく、夜空を眺めていた。


 どことなく、うつろな目をしている。


 俺はダッシュで駆け寄り声を掛けた。


「おそーいぞ?」

「す、すみません!」


「じゃあいこっか!」


 そう言うと手が出された。

 その光景には見覚えがあった。……予行練習?


 ほとんど無意識にその手を取ると、ぎゅっ。


 そうして普通に歩きだし、普通に会話が始まる。……おや?


「ご飯まだだよね? 何食べたい?」

「あ、えっと。家で妹が待ってるので!」


「あぁ! そっか。そういえばそうだった。妹と二人暮らしなんだっけ?」


「はい!」


 頭の中はふわふわしていた。

 もはや、ここに今自分が存在しているのかすら、その認識すらも怪しい。


 ふわふわりん。まるで夢でも見ているかのような気分。


 ひょっとして俺は今、ご飯に誘われてるのか?


 というか、なんだこの手。あれ、あれぇ……?


「じゃあ頼りになるお兄ちゃんだぁ!」

「ってほどでもないのですが……。がんばってお兄ちゃんやってます」


「そかそか。じゃあ公園でいいかな?」

「は、はい?」


 そういえば、少し話そうと言われてた。

 でもなんだ。本当に、あれれ?


 あれって気持ちに拍車をかけるように、現実は待ってはくれず。ますます、あれあれあれ? な状況になっていく──。


 公園のベンチに腰掛けると、またしてもあれあれあれ? を連発する。


 距離が異様に近い……。ど、どど?! どういうこと?


 天使様の肩が当たってる!

 軽く五人は座れるベンチ。それでいてこの距離感!


 近い。近すぎる!


「あ、あの……!」


「本当はね、もうバイトには行かないもりだったの」


「は、はい?」


 唐突に始まる会話はこの不思議な状況の答え合わせを示唆しているような気がした。


「でも、店長が言うから。夢崎くんがね、わたしが戻ってくるのを信じてバイト頑張ってるって」


「はい……!」


「このまま、知らないフリするのがいいかなって思ったんだけど。それってやっぱり夢崎くんにも悪いし、はっきりさせないとって」


 いったいなんの話だろう?

 と、思ったら天使様の手が俺の太ももに!


「もしかしてだけど……。その……しちゃったのかな。って。……いいの。しちゃったんだよね。わかってるから」


 ……え。

 全俺が一斉に疑問符を醸し出す!


 えっえっえっ、えっえっえぇー?!


「ごめんね。でもこういうのはハッキリさせておきたいから。わたしって、そういう女なの」


「しちゃったって、ナニヲデス?」


「……わかるでしょ?」


 え。待って。待って。

 待って? ねえ、一旦落ち着こう。


 ひぃひぃふぅ。ひぃひぃ──。


「えっち……。しちゃったんだよね?」


「ひぃ!!」


 なにがどうしてこうなった!

 て、天使様の口から「えっち」だなんて卑猥な言葉を吐かせるなんて、俺はもう最悪だ! 人類の敵だ!


 って、それどころじゃない!!


「そんなに怯えなくても大丈夫だよ。怒ってるわけじゃないから。……むしろ、その逆」


 手握られちゃった?!

 トキメキ最高潮! 天使様の加護の祝福を受けた的な?!


 ちょちょちょ! ちょっ! 待つんだ。待つんだ、俺!!


「してません! なにもしてません!! あの日のことをよく思い出してください!」


 そう。ここには大きな誤解がひとつある。

 

 やってない!! 

 

「うーん、正直ね、記憶は曖昧だけど……。トイレから出て夢崎くんにもたれ掛かっちゃって。そしたらものすごい勢いで抱きかかえられて……ベッドに押し倒され……た?」


 最後だけ猛烈に違う──!

 最初も少し違う……!


「そこから先の記憶がなくて……」


 すぐに寝ちゃったんだから、そこから先の記憶なんてあるはずない……。


 あれぇ……。これ、あれぇ……?


「でね、起きたら服着てなくて……」


 それは知らないよ?! 

 ……ん? パジャマに着替えさせるとかせず、そのままの服装でおふとゅんにINさせちゃったんだ。


 思い返してみると、寝るには少し窮屈な服装だったかもしれない。……で、苦しくなって脱いじゃったのかな?


 あながちなくはなく。ありよりのありだった。


 あれぇ……。これ、あれぇ……?


「でねっ、テーブルの上に書き置きがあって。……彼もよく、ドアポストから鍵入れてたの。もうだいぶ昔だけど。懐かしくなっちゃって」


 な、懐かしくなって……信憑性も増しちゃったってことですか? 思い出補正ですか?


 あれぇ……。これ、あれぇ……?


 ど、どど、どーしてこうなった?

 なにもなかったのに、それを証明するすべがない……?


 でもだからって!

 そもそもの前提が間違えてるんだ!


「いやいや! なにもなかったですし、俺と柊木さんじゃ釣り合わないですよ! 俺、身の程は弁えてる男なので!」


「……そうかな? それって誰が決めるの? 私? 夢崎くん? それとも関係ない他の誰か?」


 どどど、ど、どーしよ……。


「よく覚えてないんだけどね、わたしを二次会に行かせないとがんばる君の姿、可愛くて……格好良かったよ?」


 ななな! なななななな!!


「あとはなんだろうなぁ……ベッドに押し倒されたあと、すごい久々に幸せな気持ちになれたような気がするの。そこだけはしっかり覚えてて」


 そ、そりゃ!

 とっても気持ちよさそうに寝てたからね!


 ぐーすかぴーのスヤァスヤァだよ?!


「あっ! それとね! 足とかガクガクに震えてるのに、必死にわたしのことを守ろうとしてくれて、最後は尻もちついちゃうの!」


 は、恥ずかしい。そんなところだけしっかり覚えてるなんて……。


「少し幼くて可愛い、王子様に見えたなぁって」


「……え? あの……? えっ?」


「君のことだぞ~? 夢崎くん」


「は、はい!」


 何だこの神的超展開。

 天使様が俺のことを褒めてる? あの天使様が?


「なんだろうなぁ。一回抱かれちゃってるからなのかな? ここ、すごい落ち着く」


 俺の胸に顔を当ててきた!

 やばい、やばいよ。心臓が破裂する!


「ドキドキしてるのわかるよ。すごい脈打ってる」


 ど、どどど、どどどど、ど?!


「でもね、いまわたし、誰かと付き合うとか考えられなくて。もう、あんな思いするの嫌だから……。ごめんね。今はまだ、ね?」


 ……あ。あれ。振られたのか?

 告白もしてないのに、振られたのか?


 あ、あぶなーい!

 危うく勘違いしてしまうところだった。


 だよね、そうだよね!

 なぁんだ! 平常運転じゃないか!


 現実、入りましたッ!


「いえ。謝らないでください。柊木さんはなにも悪くないですから!」


「ありがとう。君は本当にいいこだ。でもね、大学では夢崎くんを彼氏ってことにしちゃってて。あの人たちしつこいからさ。だから、そのね……」


 なるほど。この感じには覚えがあるぞ!

 偽装カップルだ! 付き合ってるってことにするだけで、柊木さんが守られるのならお安い御用さ!


「はい! あのときみたいので良ければいつでも俺を使って下さい!」


「本当に? 本当にいいの?」

「はい。もちろんです!」


 とっても可愛い笑顔で聞き返されたからなのか、俺は笑顔で即答した。


 でもそれは、偽装カップルとは少し違くて恋人ごっこのような雰囲気になっていく──。


「夢崎くんの下の名前って、れんやだよね?」


 まさかの名前呼びにドキッと脈打つ。


「は、はい!」

「じゃあ、れんやくんって呼ぼーう! わたしのことは凛々(りり)でよろしくー!」


「ひ、柊木さん!」

「もぉ。彼氏のフリする気あるのぉ~?」


 なんだかいろいろやばい。

 もう、心臓が五回くらい破裂してる。


 するとまたしても俺の胸に顔を当ててきた。


「ここは、わたしだけの場所」


 か、彼氏のフリ? 始まったのか?


 よ、よし! 猫シリーズ、発動!


「可愛い子猫ちゃんだ。頭を撫でてあげようね」


「にゃんっ。って、どこでそういうの覚えてくるのかな? お姉さんちょっと気になっちゃうかも」


「あっ! えーと……妹が教えてくれます!」


「ほほう。妹ちゃんか! ならよし! ねえ、もう一回して?」


 なんかその言い方とっても卑猥。


 ね、猫シリーズ! は、発動!


「よしよししてあげようね。子猫ちゃん」


「にゃん。……この場所は私だけのもの。誰にも渡さない」


 真に迫る演技力だ。

 本気にしたらだめなやつ。でもすごいな。さすが天使様だ。心を一瞬持って行かれそうになる破壊力。


 わかってるんだ。下界に住むただの人間が、天使様の彼氏になれるなんて、ないことくらい。


 大丈夫。葉月との恋人ごっこにも耐えてる。

 幼馴染とは言えど葉月も立派な天界人だ。できる。俺なら、できる!!


 でもあれ、二人きりの今、彼氏のフリをする必要ってあるのか?


 デモンストレーション的なやつだろうか。……う、うん。


 そうして、連絡先を交換してとりあえずのお別れの時間は訪れる。


 しばらくバイトもないし、次会うのはいつだろうか。お役目果たせるかな? なんて思っていると、


「わたしね、そんなに重い女じゃないから束縛したりしないけど、おはようとおやすみのメッセージだけは欠かさないで。これだけは約束できるかな?」


「は、はい。おはようとおやすみですね! 任せて下さい! 彼氏のフリ!」


「うん。彼氏のフリをしてくれればいいだけだから」


 あれ。なんか微妙に話が噛み合ってない気がするな。


 彼氏のフリ、だよね。


 ……彼氏のフリってなんだっけ?


 それはどことなく、恋人ごっこに対する違和感にも似ていた。


 柊木さんとお別れをすると、時刻はまたしても十時をまわっていた。


 ◇ ◇


 家につくと夏恋に帰りが遅いと軽くドヤされるも、なんなく就寝Timeに突入~。


「お兄ぃ~、まだぁ?」

「おう、今行くから」


 俺の部屋をノックして早くこっち来いと急かしてくる。


 夏恋の温もりTimeも最初こそドキドキしてどうにかなってしまいそうだったが、慣れてくると不思議と安心するもので。


 これが彼女の温もりだと言うのなら、大切にしたいと思っている。


 で、今日は夏恋の部屋のベッドで寝る日。

 枕とスマホを持って妹の部屋にお邪魔する。


「おいで、おにぃ!」

「お、おうよ!」


 ベッドに横たわる夏恋のおふとゅんになんなく入る。


 慣れたとはいえ、やはりこの瞬間だけはドキドキする。ただ、おふとゅんに入ってしまえば落ち着く──。


 ドキドキする気持ちとか兄としての葛藤とか、色々ある。でもそれよりも、温かくて心地が良い。


 ……………………………。

 ……………………………。


 ハッ!

 おっとと。危ない危ない。忘れるところだった。柊木さんにおやすみメッセージ!



 『おやすみなさい!』 23:05



「眩しいよ~。寝る前にスマホとか珍しいね。なんだっけあれ、メルルちゃんだっけ? 更新通知でも来てた?」


 部屋は真っ暗。就寝モードを演出する室内で、スマホの明かりは時に目の毒。


 メルルちゃん。それは俺が唯一愛するVの者!


「ばか! そんなんじゃねーよ。バイト先の先輩におやすみって送っただけ!」

「なんだしそれ。もっと意味不明~。ふぁ~あ。もう寝るよー」


 妹のおふとゅんで眠るなんて、きっと許されないこと。それでも、予行練習だから。


 都合よく言い訳をして、その温もりに安眠を求めスヤァへと旅立つ──。

 


 そうして翌朝起きて、驚愕する──。


 新着メッセージ6件──。

 不在着信──。



 『え、それだけ?』  23:06

 『ねえ聞いてる?』  23:12


 着信 不在──。   23:24


 『未読スルー?』   23:24

 『寝たふり?』    23:30


 『寝たふりだったら許さない』 01:14

 

 着信 不在──。     02:35

 通話 32秒──。     03:55


 『起きたら連絡して。話あるから』 03:57



 夢の中にでも居るのかと思い、何度も目をゴシゴシしてスマホを確認するも……それは、紛れもなく柊木さんからのメッセージだった──。


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