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8 ちょっと危ない看板娘たち……。


 偽装カップル初日を終え、思いのほかクタクタになってしまった俺は、どうにかこうにかバイト先まで来た。


 自然を感じさせる佇まいの珈琲屋さんだ。

 店長自慢の一杯が売りの地域密着型、とっても温かい場所!


 普段なら裏口へ周り当たり前のようにお店の中に入るのだが、どうしたものかと立ち止まっている。


 その原因は学園No2の絶対的美少女、涼風さんだ。


 あろうことか電柱の影からこちらを見ている。

 最初は進む方角が同じだけかと思ったけど、ここまでくれば疑いは確信に変わる。


 び、尾行されてる!!


 ま、真白色さんに連絡を!!

 と、思うも連絡先を知らない。

 

 危機迫る感じを意識せずにはいられず、内心ドキドキだった。


 俺をつけ回して何がしたいのか?

 実のところ目的が見えてこない。声をかけるのならいくらでもチャンスはある。今だってそうだ。


 でも電柱の影に隠れている。


 なんなのこれ。真白色さんの影に隠れているとは言え、涼風さんだってS級美少女だよ?!


 そんな彼女が今は電柱の影に隠れて俺をストーキングぅ?


 ははは。

 誰がこんな未来、想像したでしょうね?


 ………………………。


 ………………………。


 って!! そんな他人事になれる状況じゃないんですけど!!


 う、うん。目的はなんだろうか。

 客として横暴な態度を取ってクレーム入れるとか? 


 店長はそういう客ならざる者には厳しい態度を取る。それこそ出入り禁止にして退店したあとに「塩撒けゴルァ!」というような、それはもう本当に怖いお人だ。


 そんな、誰も得しないような状況だけは避けたい。

 

 とはいえ俺が涼風さんに声を掛けるのも不自然だし。当の本人はあれでバレていないと思っている節があるし。


 うん。俺にできることなんて何もない!


 知らんぷりに徹する──!


 ◇ ◇


 準備を済ませ、店内ホールに入ると店長がゲッソリしていた。

 

「夢崎くぅん……! 待ってたわ~。感謝感激ぃ! オラァ! バッチコーイ!」


 そういうと手を出してきた。

 バトンタッチの意味を成していて、店内での通例みたいなものだ。


   “パチンッ”


 お客様からは見えない位置で交わす手のひらパチンッ。


「とりあえず一服させて~、話はあ・と・で♡ うふふん♡」

 

 夕方と言うこともあり客並みは引いているが、ポツポツと常連さんたちが居る。店内に落ちるゴミなどを見るとどれだけ忙しい時間を過ごしたのかは想像に容易い。


 疲れているはずなのに、笑顔を絶やさない店長……まじパない!


 俺はサッサと店内掃除に励んだ。


 やがて何時間ぶりかわからない一服を終えた店長が戻ってくると、その顔は完全復活を果たしていた。ニコチン、チャージ完了。的な?


 そうして俺が急遽出勤になった理由、いまお店を取り巻く一大事を知ることになる──。


 カウンターに立ちながらの世間話。


「もぅねっ。今日は柊木ちゃんがお昼から来るはずだったのに、朝起きてびっくりよ!」


 夜はバーテンダーの顔を持つ、二足のわらじ経営。店長と夜の仕込みをしながら話した。


「柊木さんがどうかしたんですか?」

「どうもこうもないわよ! 辞めるって! 唐突にメッセージが来てたのよ!」


「えっ……」


 柊木(ひいらぎ) 凛々(りり)

 俺が働く珈琲屋さんの看板娘にして、当人が通うちょっと頭の良い大学のミスだったりもする。


 綺麗な見た目に反してまだどこか垢抜けない幼さをも兼ね備えるハイブリッド。

 可愛いと綺麗を見事に両立させた、完全無敵の看板娘!


 幼系綺麗なお姉さん!! おっと訂正。


 幼系綺麗なお姉さん(巨乳)!!


 大切なところがひとつ抜けていた。


 週末になれば柊木さん目当てに遠方から訪れるお客さんも居るくらいだ。


 しかし店長自慢の一杯に皆、心を奪われる。


 意外と繁盛していてウッハウッハなんだとか。


 平日週三日勤務の俺はあまりよくは知らない。


 店長はしっかり還元するタイプで、柊木さんには一家が十二分に暮らしていけるくらいにはお給料を出していると言ったのを聞いたことがある。


「あの子がうちを辞めるなんてよほどのことよ。大学行きながらうちよりも稼ごうなんて思ったらね、夜の世界しかないもの」


 と、まぁ。そう思うのは当然なわけで。


「だからね、待ってるから落ち着いたらいつでも来なさいって送ったのよ。でも返事がないのよ~。柊木ちゃんみたいに勤務態度も真面目な子がいきなりこんなことになるなんて、ズバリ。男絡み意外考えられないでしょぉ」


 まさか、あの柊木さんに限ってそんな理由で仕事に来ないわけが!


「ちょっとなによその顔? これだから男は嫌よね。本当にっ! 夢崎きゅんには幻滅ちゅっちゃよ!」


 ひぃ……!


「女はいつだって恋がしたい生き物なのよ。それゆえに、恋がすべてと言っても過言ではないわ。長いこと珈琲屋の店主としてね、従業員を見てるとわかることもあるのよ。男絡みで仕事を手放す。普通にあることなの。特に若いうちは尚更ね」


「そう、なんですか……」


「そうよ。お酒に逃げたり自暴自棄になったり。恋が終わりを告げでも日常は訪れる。それって頭で考えるよりずっと辛いことなのよ。あの子の場合は結婚も考えていたと思うし、尚更の尚更よ」


 そういえば柊木さんは遠距離恋愛で中学だか高校からずっと付き合っている彼氏が居るって聞いたことがある。


 ずっと片思いをしていて振られるのとは訳が違うの……かな。


「それでね。私は待ちたいと思っているの。あの子は真面目で強い子だから。……だからねぇ、脆いのよね。きっと」


 なるほど。それを俺に言ってくるって事はつまりはそういうことだ。


「いいと思います! 柊木さんにはお世話になってますし、居なくなるのは寂しいです。なので俺、がんばります!」


 柊木さんは手際も良くて要領もいい。

 誰にでも分け隔てなく優しくて、ホールに舞い降りし天使様のような存在だ。


 俺がミスをした時に「いま店長居ないから、二人だけの秘密にしちゃおっか」なんて言ってくれたこともある。


 その時々に、欲しい言葉を掛けてくれる気遣いにも長けた天使様のような人だ。


 俺が一時的にバイトを増やすだけで、戻ってこれる可能性があるのなら、断る道理はどこにもない──。


「夢崎きゅん……。好きよ! 好き好き! 手当は特盛りに弾むわ!」


「手当とかいらないですよ! 困ったときは頼ってください! 俺にできることなんて限られてるんですから!」


「もぉ。惚れちゃうわね。イイ男。きゅん♡」



 正直、内心は揺れていた。

 それでも俺は一言返事で期待に応える。


 高校に慣れ始めたら夏恋はバイトをすると言っていた。そろそろきっと、始める頃。

 我が家を取り巻くお財布事情はそこまで余裕があるわけではないから。


 詰まるところ、そう遠くない未来。夏恋と過ごせる時間が少なくなる。


 バイトのある日は時間が合わなくて一緒に夕飯だって食べれないし。


 だからなんだって話なのだが……。

 そもそも、こんな感情を抱くこと自体、間違いなのだから──。


 ◇◇

「それにしてもさっきからあの子、通りを行ったり来たりしているわねぇ! これってもしかして! そういうことなんじゃなぁ~い?」


 誰かと思えば涼風さんだった。

 電柱の影から見るだけでは飽き足らず、通りをうろうろをしているようだ。


 とはいえガラス張りというわけではなく、小窓が二つあるだけ。その小窓から中を覗くように行ったり来たり。……あ、怪しすぎる……。


 店長は両手をパチンッと叩き、外へと出て行ってしまった。


 ほどなくして涼風さんと一緒に戻ってきた。かと思えば──!


「可愛い子。うふふん。うちの看板娘になれちゃうわよ? 今日はゆっくりと見学していくといいわ」


 えっ。どういう展開?!

 スカウトしちゃったの? えっ。その子はだめだよ店長!


 看板娘枠なら今雇ってもコストは別計算になるのだろう。柊木さんを失うかもしれない、この状況下においては棚からぼたもち的な?!


 涼風さんは驚いたような顔をすると、サッサッと髪の毛を整えるような仕草をした。


「あのぉ……アルバイトをする場合はお父様に相談して……それから、ぇっと。学校からの許可も降りないと働けないので……ど、どうしたらいいのぉぉ……」


 え……。えぇ……?

 イメージと違って、お上品さこそあれどどうにも可愛い感じの口調だった。少しおどけた様子も感じ取れる。


 しかもなんか押したらいけそうな、優柔不断さまで垣間見える。


 もっとこう、「お前をころす。絶対許さない」的なのを勝手に想像していたからなのか、ズコーッとなった。

 

 店長はそんな涼風さんの様子をジッと見つめ。やがて口を開いた。


「あなた、よく見たら雨の降るネオン街を一人寂しく歩く、猫ちゃんのような目をしているわね」


「…………?」


「待ってなさい。一杯作ってきてあげるから。あなたが今日を、明日を乗り越えられるだけのおまじないをかけた、最高の一杯を」


「は、はぁい……?」


 返事をしつつも首を傾げた。

 俺を殺さないにしても、もっとこう「生意気な三軍ベンチね。跪きなさい!」みたいなそういうのじゃないの?!


 え。なにこれ。どういうこと……。


 とりあえず何かを誤解してしまっている店長に伝えなければ──!


「て、店長!」

「あれは失恋ね。化粧で誤魔化してはいるけれど、目が腫れているわ。さんざん泣いて、うちのお店に迷い込んで来たのね」


 店長の見解は殆ど当たっているような気がした。ただひとつを除いては──。


 “俺のことをストーキングしていたら、ここに辿り着いたんです!”


 すぐそこまで出掛かる言葉は、喉元で止まる。

 

 三軍ベンチでモブな三等兵をS級美少女の涼風さんがストーキングぅ?


 ないない。絶対ない!



 そうして事態はますます謎に包まれていく──。


「……美味しい。美味しいよぉぉ」


 席に座り店長自慢の一杯を飲む涼風さん。


「たんとお飲みなさい。これはね、あなたが明日も頑張るための一杯なのよ」


「はぁい……うぅ……」


 あまりにも可愛い感じの口調に涙まで流していた。


 それから少し話すと涼風さんは次第に笑顔を取り戻していった。


 その姿はなんだかとっても良い子に見えてしまい……。


 ストーキングする悪い子だというイメージは完全に消え去っていた。


 そもそも、ストーキングされてるって俺の勘違いだったんじゃ……?


 不思議と今だけは、そう思えてしまった。


 飲み終わるとニッコリ笑顔で席を離れた。


「ありがとうございましたぁぁ!」

「いいのよ。アルバイトの件も考えておいてね♡」

「は、はぁい……」


 そこははっきり断らないと涼風さん!

 なんだかこのままじゃ、冗談抜きでこのお店で働いてしまいそうな危うさがあった。


 店長に深々と頭を下げると俺の元にも来た。


 ドキッとして身構えると、同じく深々と頭を下げてきた。


 ちょっと待って。涼風さん……。どういうことなの……。


「ま、またのご来店お待ちしておりまーす」


 とりあえず店員としての挨拶をすると、

 涼風さんは“うんっ”と首を縦に下ろし店を後にした──。


 待って待って。どういうことなの本当に……。涼風さんの目的がわからず、頭の中はクラッシュしそうだった。



「確実に看板娘になれるわね……。欲しいわあの子……欲しい……」


 店長の目はギラギラしていた。


 ◇ ◇ ◇


 そしてバイトの帰り道。

 繁華街で見つけてしまった。柊木さんだ!


 コンパ……? の帰りかな?


 明らかに男性比率の高いイケイケな集団が、パリピってウェイウェイしている感じだった。


 大人の世界だな。なんて思い、バイト行かずにコンパか……と。普段のイメージからは程遠い柊木さんを見て、心が少し霞んだ。


 目が合うとなぜか手招きされた。

 なんだろうと思い近付くと……!


「遅いじゃ~ん! 何してたの~?」


 へ……? 

 うわ……めっちゃ酒くさい……。しかも喋り方がなんだかチャラい! 本当に柊木さんなの……?


 目の前の光景に何ひとつ理解が追いつかずにいると──!


「ってことで、彼氏が迎えに来たので二次会はパース! パスパスパース!」

 

 可愛く敬礼をする姿は普段の余裕に満ち溢れた綺麗なお姉さんな看板娘だった。


 でもその目は酒に溺れたからなのか、うつろだ。


 え。でも、どういうこと? なんて言ったの今?


 突然のことに頭の中がパニックを起こす。


 「彼氏? ないない! 酔いすぎっしょぉ~! そんな芋学生と!」

 「柊木ちゃん飲み過ぎだよ~」

 「でもまだ飲みたりNA☆うぃーね!」


 超カックィィパリピなお兄さんたち。

 オラオラしちゃってる系から顔立ちの整った美形タイプまで、守備範囲は幅広い。


 野ねずみが迷い込むにはあまりにも場違いでダークサイドな香りがした。


 なんかやばそうな雰囲気だな。

 ふだんの柊木さんならこの手の誘いにはのらりくらりするのに、今はそのキレが見受けられない。


 目がうつろだし!


 このまま押されてついていってしまうような、危うさが見える。


 失恋……? お酒……? 自暴自棄……?


 店長の予想はドンピシャリに当たっていた。


 嫌な予感がした。

 ここで柊木さんを放ってしまったら、もう二度とバイト先には現れないような。そうして、涼風さんが看板娘になってしまうような。


 俺の日常が崩壊するような、破滅的な未来が見えた。


 夏恋がバイトを始めるまでの、残り少ない掛け替えないの時間。


 一度は諦めた時間だった。

 それでも今目の前に降ってきたチャンス。


 俺は、お前との時間を諦めたくない──!


「お姉ちゃん、お母さんが心配してるから帰ろうよ?」


 彼氏と言うのは無理がある。

 しかし弟ならどうだろうか。


 そんな淡い期待に賭けてみた。


「もぉ~。なぁーにいってんのぉ~?」


 やばい。ぜんぜん乗ってこない。

 普段の察しのいい柊木さんなら、乗ってくると思ったんだけど……。


 「柊木ちゃんってブラコンだったのか?」

 「でも顔似てなさすぎじゃね」

 「だけど本当だとしたら家族はやべーよ」


 作戦会議なのだろうか。パリピなお兄さんたちの顔が険しさに包まれていく。


 でもだからって。引けない!


 やるしか、ないんだ!


「うちのお姉ちゃんがご迷惑かけたみたいで……すみません」


 深々とお辞儀をしてみた。


 「い、いや、そんなことないよ」

 「お、おう。弟君? 迎えに来てくれてありがとうな」

 「でもさ、柊木ちゃんって実家ここらへんじゃなくね?」


 ざわざわとパリピなお兄さんたちの視線が向かってくる。


「ぇっと、従姉弟(いとこ)なんです!」


 もっとマシな嘘はなかったのかと、言ってからすぐに後悔した。


 しかし──!


「そーなの! お世話になってるおばさん家の次男ボー!」


 遅ればせながら乗ってきた!

 さすが柊木さん!!


 「なるほど!」

 「ドンピシャ!」

 「どうりで似てないわけだ! 遺伝子レベルで違うもんな!」


「ってことで! 彼氏が迎えに来たので帰りまーす!」


 ちょっ。次男坊設定はどうしたの?!


 「まぁこればかりはしょうがないべ」

 「次があるっしょ! ねっ柊木ちゃん? 次、いいよね?」


「う~ん。彼氏の許可次第かなぁ~?」


 ねえちょっと! 酔い過ぎだよ? いつもの柊木さん帰ってきて?!


 「弟君? いや、彼氏君って言ったほうがいいのか? なんだこれ。よくわかんねぇな。とりま、姉ちゃんのこと頼んだ!」

 「ちっ。まじかよ。今日のためにどんだけ用意したと思ってんだよ」

 「まぁまぁ。身内はさすがにやべーって。次があるっしょ」



 若干、不貞腐れながらもちょっと意味深な会話をこぼしながらも、パリピなお兄さんたちは去っていった。


 意外と上手くいくもんだな……。

 気付けば俺の足は震えていて、そのまま地面に座り込んでしまった。


 こ、怖かった!!

 遅ればせながらの感情が襲い掛かってくる。


 すると柊木さんが!


「夢崎くんえらいっ! いいこいいこしてあげるぅ~!」


 あぁ。なんだかとっても安心する。……でもやっぱりお酒くさい。


 足の震えが治まったところで立ち上がる。


「家まで送って行きますよ!」


 柊木さんはバイト先まで徒歩で来ているからそんなに遠くはないはずだ。


「だぁいじょぶだよー! 一人で帰れまーす!」


 可愛く敬礼をする姿は大丈夫そうだけど、やはり目がうつろだ。


 どうやら真っ直ぐ歩けないみたいで、俺にもたれ掛かってくる。


 ましゅまろが否応なしに襲撃してくる──!


 しかしひとたび口を開けば……。


「いやぁ~コンパなんて行くもんじゃないねぇ。あやうくお持ち帰りされちゃうところでしたっ! 助かったぁ! ありがとゅー!」


 とてつもなくお酒くさい……。

 ましゅまろと相殺されてプラマイゼロ……。


 しかも綺麗なお姉さんのフェロモン的な何かとお酒の匂いが反発し合って、脳がぐるぐるまわる。


 くさいいにおい。

 いいにおくさい。


 いい匂いの後にお酒のくさい匂いが。

 生と死を繰り返すような無限コンボ。


 脳内をぐるぐるまわる、なんだかよくわからない感情……。


「断ってもグイグイ来るしさぁ。頭の中はお酒でぐるぐるしちゃってるし。あぶないねー。本当、なにやってるんだろ……わたし……ぐるぐるぅ」


 柊木さんもぐるぐるしちゃってるのか。ナカーマ……。


 どうにも歩くのが辛そうだから「おぶりましょうか?」と言ってみたら、「だいじょーぶ! ぜんぜん酔ってないんだからぁ!」とおでこをコツンとされた。


 通りがけの自販機で水を買って少し休憩。

 ホールを翔ける看板娘で天使様な姿はなく、ほとんど別人だった。


 立っていることすらままならず、柊木さんは地べたに腰を下ろしてしまった。


 あの、天使様な柊木さんがコンクリートに座るなんて……。その衝撃が、今、柊木さんの心境を現しているようで事の深刻さすらも悟る。


 うつろな目で夜空を眺めると、おもむろに話し始めた。


「彼ね、社会人だし時間もなかなか合わなくてさぁ。それでも会いに行ってたの。新幹線で往復四万円! さすがに続かないから夜行バスが多かったけど。高校卒業して二年。頑張ったのは最初の一年だけ。残りの一年は日々に擦れていったのかなぁ。彼がこっちに来てくれることも無くなっちゃったし。で、昨晩ね。彼から。って、なんで君にこんなこと話してるのかな? お酒ってやばぁいね!」


「い、いえ。話くらいならいくらでも聞きますよ。俺にできることなんて、ほとんどないですけど……」


 そ、そうだったんだ……。かける言葉すらも思い浮かばない。ただ、話を聞くくらいしか。


「ありがとう……。さっきもね、迎えに来てって何度もメッセージ送ったんだよ。既読はつくのに返事くれなくて」


 それは少し、妙な話だった。新幹線で四万円の距離って言っていたような……。


「遠くに居るから来れないので……仕方ないんじゃないですかね」


「違うの!! 本当に来れるなんて思ってない! そうじゃないの!! そうじゃなくて……」


 ちょっ、え?!

 泣くの? 泣くの?


「知ってるんだから。他に女ができたこと」


 待ってよ。こ、怖い……。


「嘘つき。嫌い。大嫌い。嘘つき。嘘つき。嘘つき。……嘘つき」


 ど、どどど、どうしよ……。

 あの柊木さんが、天使様の柊木さんが壊れちゃった?!


 あたふたとする俺をよそに、天使様はおもむろにスマホを取り出すと、ぽちぽちしだした。


 覗くつもりはなかったけど、見えてしまった。


 一方的にすごいメッセージ送ってる。男たちと写真を撮ったのかコンパの風景も送ってる。


 『楽しそうにやってて安心したよ。まあお前も幸せになれよ』


 この男もこれで案外、酷い……のか?


『やだ。会いたい。まぁーくんに会いたい。会いたいよ』


 ま、まぁーくんって言うんだ……。

 でも既読がついているのはそこまでだった。……これってきっと、もう……。


 二人の間に何があったのかわからない。こんな切り取ったような一部始終だけではわからない。


 けど、二人の関係がもう既に破綻しているということだけは、わかる。


 そうして、『さよなら』と送った。


 そのメッセージが届かないことは柊木さんもわかっているはずだ。


 さらに、ブロックして削除──。


 とっくに終わっていたはずなのに、今ようやく本当の終わりを告げた……?


「これで終わり。おーしまい。おし……まい」


 …………。あれ。なにこれ?

 なんで俺、ここにいるの?


 途端に恐怖心が襲ってくる。


「いっそ、ぜんぶ、おしまいにしようかな」


 待て待て待て待て! なんか今、とてつもない場面に遭遇してしまってる気がする。


 なんか今日、多くない? こういうの!


 ていうかちょっと怖くない?!


 厄日なのかな……。お祓い……お祓い行かないと……。


「ああああああ」


 ちょ、ちょっと?! な、なんで俺の胸で泣くの?!


 お酒か? お酒のせいなのか? ……明日になれば忘れてるってやつだろうな?!


 ま、まぁこういうのには慣れっこだけど。

 葉月に告白して散っていった戦士たちの後始末。


 だから俺は背中をポンポンとしてあげる。


 でも、これはたぶん失敗だった。

 通常なら肩ポンから入る場面。俺は柊木さんの肩をポンッとしていない。


 そして何より、柊木さんと彼氏の間には数年の歴史がある。


 この中途半端な俺の背中ポンポンが事態を間違った方向へと加速させる──。


 ◇ ◇


 泣いて疲れたのか、その後は素直におぶらせてくれたので、どうにか柊木さんが一人で住むアパートまで辿り着いた。


 家の中に入り、ベッドに運ぼうと思ったら──。


「トイレ」


 そしてトイレから出てくると、もたれるようにして壁に叩きつけられてしまった──。


「ひぃ!」


 一瞬でも気を抜けば、容易に間違いが起こってしまう神的状況──!


 間違いの先にあるのは、柊木さんの後悔。しいてはバイトを辞めることへの直結──。


 もう、辞めているつもりかもしれないけど、今ならまだ戻ってこれる……はずなんだ。


 それに……。

 俺は早く家に帰りたい。……夏恋が待ってるから──。


 ここからの俺は早かった。

 バサッとお姫様を抱っこをしてベッドへと運ぶ。


 そして!

 真白色さん直伝! 額に手を当て目元ピタッ。からの夏恋に唯一褒められた魔法の言葉。──猫シリーズ!


「可愛い子猫ちゃんだ。今日はもう、ゆっくりおやすみ」


 そして、極めつけのおふとゅんトントン!


「……おやすみしゅる……猫しゃん、ねんねしゅる…………」


 こんなにろれつが回らなくなるまで飲んで。

 恋ってなんだろうか。片思いしかしたことのない俺には、ちょっとよくわからない──。


 そうして五分も経たないうちに柊木さんはスヤァへと旅立った。その寝顔は天使様だった──。


「……ふぅ」


 ほっとひと息。落ち着いたところで辺りを見渡すと……。

 ましゅまろが包まれし、生地の類が干されている。

 他にも脱ぎ捨てられた服やいろいろ。部屋中に香る、看板娘ならぬ天使様の甘い匂い──。


 一介の高校生には目と鼻の毒だ。さっさとドロンするに限る。


 テーブルの上に書き置きをして、ドアポストから鍵を投函。俺は柊木さんの家を後にした。


 バイト戻って来てくださいということと、鍵はドアポストに入れてあります、と。


 このとき、書き置きしたのが失敗だったことを後になって知ることになる──。


 時刻は既に十時を大幅にまわっており、大急ぎで家に帰った。


 ◇ ◇


 玄関を開けると待っていましたと言わんばかりに夏恋が突っ込んで来た──!


 タタタタタタッ!


「おっにぃちゃぁーん!」


 そのまま俺目掛けてダーイブ!


「ちょっ、靴脱いでる途中だから!」


「遅くなるときは連絡してって言ったよね? もう十一時だよ?」


「ごめん。これでも急いで帰ってきて……」


「知ってる! 汗で火照ってるし! 一秒でも早く帰って来ようとした、その姿勢だけは褒めてあげましょう!」

「お、おう。でもなんでそんなに偉そうなんだよ」



「え、だって彼女だから。当たり前じゃない?」

「……それも、そうだな……!」


 よ、予行練習──!


「それで、どうするの?」

「ど、どうするって?」


 的を得ない俺の表情を見てニヤリとした。


「ごはんにする? お風呂にする? そ・れ・と・も~?」


 ……お、おう。

 今日はいろんなことがあったからかな。堪えるのがキツイや。


 そんなの、俺の中では決まってるから。

 それでも、この気持ちを飲み込んで、兄として至極真っ当な返事をする。


「ご飯に決まってるだろ! バカヤロー!」

「はいだめー! ぜんぜんだめー! 予行練習の意味が問われるね~本当に!」


「うるせー!」


 今はまだ、大丈夫だけど。こんな日が長く続けば、きっと俺は──。



 夏恋、そこんとこ……わかってるのか?



 わかっててやってくれているのだとしたら。

 そんな、ありもしない望みを抱いてしまう俺は、やっぱりお兄ちゃん失格だった──。



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