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15/33

──②


 「もっと清いお付き合いを目指しなさい! まずは手を繋ぐところから。春が来て夏が来て、いくつもの季節を巡り巡って、やがて唇はひとつに!」


 「清いわね。楓様に相応しい恋ね」

 「なんて美しい話なの。これがラブ!」


 一軍女子たちのガールズトークが止まらない。


 でも。そ、そうだよな。

 傍から見たら恋仲なわけだから、き、キッスしてると思われても何ら不思議なことではない。


 偽装カップルって、なんだかちょっと……卑猥だな……。


 ていうか早く廊下に出ないと!

 真白色さんと待ち合わせしてるんだ!


 授業が始まってしまったら教室から出づらくなる……! 適当に肯定して話を終わらせる!


「わかった! まずは手をにぎにぎする! ギュッギュしてくる! 行ってくる!」


 「ちょっと!! まずはってなに?! まるでその先があるみたいな言い方!!」

 「にぎにぎギュッギュッってなんなの?! もう二度とその言葉使っちゃだめ!」


 「本当にこの男、不安しかないんだけど」


 「でもさっ、この慣れてない感じがいいんじゃないの? もし小慣れてる男が楓様の彼氏だったらどう? 想像してみて」


 「悍ましいわ。鳥肌が止まらない!」

 「私たちは夢崎くんが彼氏で救われていたのね」


 「夢崎くんありがとう!」「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」


 な、なにこれ……。

 褒めてるのか貶されてるのかわからないな。


 いや、いい! そんなことよりも一秒でも早く廊下に出るんだ!


「ど、どういたまして!」


 ……噛んじゃった。

 

 



 ☆


 一軍女子たちを振り切りどうにかこうにか廊下に出ると、真白色さんの姿はなく、数学の中村先生がポツンと立っていた。


 もうとっくに授業開始のチャイムは鳴っている。なにしてるんだこの人……。


 俯きボソボソと独り言を垂れていた。


「欠席者ゼロ。真白色と夢崎は授業をしっかり受ける優秀な生徒。仮に目に映らないのなら、視力低下が疑われる。眼科を予約しよう」


 うん。聞かなかったことにしよう──。


 とはいえ、教室前の廊下。真白色さんと待ち合わせをしている手前、ここから動くわけにもいかず……。


 中村先生が俺に気付くのは必然。


「夢崎……! も、もういいのか? 真白色はさっき出て行ったきりだが……!」


「あっ。はい! お構いなく!」


「よし、じゃあ授業を始めるぞ! 早く席に着け」


 こればかりは教師として当たり前。なんせ俺は授業中にも関わらず廊下を出歩いてるわけだから……。


 でも、真白色さんと待ち合わせをしている。授業に出ることよりも、優先したい確かな想い!


 俺はもう、選択を間違わない!


 カノジョファーストを貫き通すッ!


 影薄シリーズはもう使えない。

 今の俺に切れるカードは……。真っ向から体調不良を訴える! これしかない!


「あの……! 先生!」


 俺の呼びかけに対し、中村先生は無反応だった。それどころか、わざとらしく教室を覗くと……。


「おっ、夢崎も真白色も席に着いててえらいなっ!」


 あれっ、あれれっ?!

 それは会話ではなく、ただの言葉。独り言ッ!


「欠席者ゼロ。欠席者ゼロ。欠席者ゼロ」


 中村先生はまじないのように唱えながら教室へと入っていった。


 そして怒鳴り声が響く──!


「おおーいお前らァ! とっくに授業開始のチャイムは鳴ってるだろ。早く席につけ! 先生が居ないとコレか。まったくけしからん!」



 お、おう……。

 なんとも恐ろしい現実を目の当たりにしてしまった。


 リアルが捻じ曲がる、瞬間……!


 これってやっぱりあれだよな。

 真白色さんの固有スキル『インビジブルビジョン』の効力……!


 ってことは、授業開始のチャイムが鳴る前にスキルを発動させたのか……!


 あれっ。でも真白色さんが教室に来たのって、チャイムが鳴ってからそこそこ時間経ってたような……。


 なんだろうか。何かが、引っかかる──。

 

 



 ☆


 それから間もなくして、真白色さんはお花摘みから戻ってきた。


 向かう先は聖域にして神域のカフェテラス。

 真白色さんはスタスタと歩き出し、俺はその背中を追い掛ける。


 気品に満ちた後ろ姿。

 こうして後ろを歩いていると、安心する。


 今まで意識してこなかった。でも今ならわかる。……こんなの、カップルっぽくない。


 これではまるで金魚の糞だ。三軍ベンチの心構えが日常の細部にまで染み付いている。


 カップルならこういうとき、手を繋いで並んで歩くもの。


 隣、歩いていいですか?

 手、繋いでいいですか?


 うん。聞くのは違う気がする。彼氏ならざる者の行いなような気がする。


 もっとこう、自然に。息を吸うように、隣を歩き手を握る。


 できるな。何も難しいことはない。

 今の俺にはそれを成せるだけの経験がある!


 日常溶け込み型ストーカー涼風さんの隠密行動! 妹、夏恋との予行練習の数々ッ!


 あぁ、できる!


 まずは背後から歩幅を合わせる。このペースを覚えるんだ!


 目標までの距離はおおよそ二○○センチ。

 続いて手の振り幅を目視で計測。


 なるべく自然に、尚且つ瞬時にスマートに手を握る!


 呼吸を整え大きく一歩を踏み出す! 透かさずサササッと小走り!


 よっ! こらっ! せーいッ!


 手を掴むのと同時にお隣IN!


 いよしっ! 彼氏のポジション取りに成功!


 何度目かわからない“俺だってやるときはやるんだ!”を心の中で叫び、祝杯を上げると──。



「ひゃあっ!」


 ……え?

 ま、真白色ひゃん……?

 

 似つかわしくない可愛らしい声が飛び出したかと思えば──。

 今しがた握ったはずの手は振り払われ、真白色さんは俺と距離を取るように廊下の壁に背をつけていた。


 それはもう、どこからどうみても嫌よのサインだった。


 拒否……られ……た。


 予想もしていなかった事態に、言葉を失う。

 先ほどまでの息巻いた感情など、秒で吹き飛ぶ──。


 頭の中が真っ白になり、ただ漠然と立ち尽くすことしかできない。


「あっ。ごめんなさい! こ、これは違うのよ。ただ、驚いただけだから。……手を繋ごうとしたのよね?」


 真白色さんはハッとして、事態の収集を図るように口を開いた。

 

「は、はい……。カップルっぽいことがしたいなと思って……。手を繋いで隣を歩きたくて……」


 かくいう俺は、聞かれたことを素直に答えるので精一杯。

 

「そうよね。そう思うのは当然よね。……良い心構えだと思うわ。手……手ね。繋ぎましょう」


 そう言うと手を差し出してきた。

 それはまるで、貴族の夜会で踊りを申し出る様に高貴で美しいもの。


 でも──。

 真白色さんは俺の顔を見ることなく、斜め下を向いている。どことなく苦しそうな表情にも見える。


 それは、無理をしているようにも見えた。

 そう思えるだけの、らしくない姿だった。


 考えてみれば当たり前のことだった。俺の中で手を繋ぐことへのボーダーが限りなく低いものになっていたとを思い知る。


 予行練習で日常的に夏恋と手を繋いでいるからなのか、

 一軍女子たちとのお喋りで、手を繋ぐことへのGOサインをもらったからなのか。


 わからない。でも──。


 “手くらいええやろ。にぎにぎぎゅっぎゅしたろ!”


 これくらい軽い気持ちだったことに、間違いはない。……間違いは、ない……。


 ………………………。


 ばかーーッ! 俺の大バカヤローッ!


 だめに決まってんだろ! 相手はあの真白色さんだぞ! 美少女にして学園を代表する才色兼備のお嬢様! 絶対的No1の誰もが憧れ羨む存在!


 かたや俺は冴えない三軍ベンチ。

 

 どこに手を繋いでいい道理がある。

 偽装カップルを過大解釈していた。そこにはどうしたって気持ちがある。心があるじゃないか!



「無理はしないでください。手を繋がなくても、俺、立派に彼氏を演じて見せますから! 真白色さんに嫌な思いはさせませんッ!」


「……そっか。今の私って、そういう風に見えてしまうのね。……確かに無理はしてるわ。でもそれは心の準備が追いついてないだけで、嫌とかそういうのじゃないのよ……」


「本当ですか? 嫌じゃないんですか……?」


 あれっ。俺、何言ってるんだ。

 こんなのは建前で気を使ってくれてるだけだろ……。


「当たり前じゃない。私だって、恋夜くんと……そ、その……か、カップルっぽいことしたいわよ。さっきのは急過ぎたから……。でも、もう……大丈夫。手、繋ぎましょう。ねっ?」



 言葉の重みを、確かな意思を感じた。

 それでもやっぱり、斜め下を向いたままで俺の顔をみてくれない。


 …………そうか。真白色さんも偽装カップルを演じるのに全力なんだ。嫌だ嫌だとは言ってられないってことだ。

 

「わかりました。に、握らせていただきます!」


 差し出される手を取る。互いに正面を向いた状態で交わる手。──握手!


 その手を離さず、並んで歩けば──。


 手を繋いでウォーキング!


 あのS級お嬢様たる真白色さんとこうして手を繋いで歩いている。


 信じられない。


 だからこそ、これじゃだめだ。

 真白色さんだって頑張っているんだ。偽装カップルを演じるために、繋ぎたくもない手を繋いでくれているんだ。



 思い出せ。我が妹、夏恋の教えを──。


 カップルの手の繋ぎ方は指を絡ませる! 恋人繋ぎをして、ファーストステップ! ようやく第一段階!


 あの時、俺が感じたドキドキはこんなものじゃなかった。胸がはち切れんばかりに、指先で感じたんだ!


 カップルとはなんぞやを、指の髄まで叩き込まれた!


 こんな紛い物の握手に等しき手の繋ぎ方で、他は欺けない!


 彼氏たる振る舞いを!

 しいてはカップルである振る舞いを!


 

 心を澄まして、精神統一。

 もう同じミスは繰り返さない。前もって断りを入れる!


「恋人同士が手を繋ぐ場合は、こうですよ! こうっ!」


「ちょっ。えっ、なにっ?!」


 もう止まれない──。

 夏恋! 俺だって、やるときはやるんだぞ! お前との予行練習が今という時を紡いだ! 意味を見出した!


 だからこれからもたくさん。いろいろ。いっぱい。俺に教えてくれ!


 無駄なことなんて、なにひとつない!



 放てッ! ひーっさつ!

 予行練習第一項。始まりの奥義ッ!


   『恋・人・繋・ぎ!』


 にぎにぎ──! 

 ぎゅっぎゅっのぎゅーッ!



「ひゃぁぁっ!」


 またしても可愛いらしい声が飛び出した──。

 先ほど同様に手を振り払われそうになるも、恋人繋ぎでぎゅっとしているため離れることはなく……!


 体勢を崩し、そのまま壁へと──。


 ──ドンッ!


 勢い余って手のひらだけではなく、肘まで壁についてしまった。手を握っていることも相まって、ゼロ距離──。


 なんだっけ。これ。

 頭の中で『なんだっけこれ』が無限増殖。


 艷やかな髪の毛が鼻を靡く。視線を落とすとつむじが見えた。


 つむじ……?


 胸元がむにむに柔らかい。まるでましゅまろのように。


 ましゅまろ……?


 左足だけ妙に温かくてむにむに柔らかい。まるでお股に挟まってるような、むにむに感。

 

 …………………………………。



 ま、ま、真白色さんの股の間に足が挟まってる──!



 壁ドンと股ドンがコラボレーションを果たし、

 覆い被さるように、真白色さんを壁に押し付けていた──。


 まるで現実味を帯びない状況を前に、俺の思考は一時停止を果たす。


 時間にして数秒。現実を逃避した──。


 その一瞬の浅はかな逃避行が事態を思わぬ方向へと加速させてしまう──。






 ☆


「れ、恋夜くん。あのね……。ま、まだ……こういうのはちょっと……。は、早いと思うのよ……。だから、その……」


 まるで怯えるように、掠れた声だった。


 覆い被さっているから表情までは見えないけど、俯いているような気がする。


 いつだって風を切るように美しく、エロスを放つ姿が、そこにはなかった──。


 繋いでいる手にぎゅうっと力が込められる。

 言葉を振り絞るために、必然的に力が入ってしまうような。そんな感じが伝わってくる。


 ………………………。


 お、お、お、俺はなんてことをしているんだ!!

 

「す、すみません!!」


 即座に180度クルッとまわり、真白色さんのお隣に移動!


 急激に恥ずかしさが襲ってくる。


 彼氏っぽいことをしなくちゃと思うがあまり、麻痺していた感情がうねりをあげる──。


 手、手、手握っちゃってるよ! そ、それも恋人繋ぎで力強くギュッて! ギュギュって!


 心拍の上昇が限界値を突破──。

 エクストラモードに突入──。


 ドクン。ドクン。ドクンドクンドクン…………。


 高鳴る鼓動を抑えられない。ましゅまろの感触が、今もなお、体の随所に残っている。


 今だけは忘れて、感情を落ち着かせたいのに頭の中はましゅまろでいっぱい──。


 行き場のない感情をぶつけるように、俺も真白色さんの手をぎゅっと握っていた。


 授業中の静けさ漂う廊下。

 壁に背をつけ、互いに俯き加減。


 無言の極致──。


 気まずい……なんてものじゃない! なにか話さないと。言わないと。そう思えば思うほどに鼓動は速くなり、言葉が出せなくなる。



 先に口を開いたのは真白色さんだった。「コホンッ」と軽く咳払いをして、仕切り直すように──。


「お手洗いに行きたいのだけれど……」


 また?! さっき行ったばかりじゃ……。

 いやいや、乙女の花園への旅路は見送るのがマナー!


「は、ははい! 行きましょう! 今、すぐに!」


 あっ。言ってすぐにおかしな返答だったと気づく──。


「……ついてきちゃ、だめ」


 だ、だだだよね!

 

「すすすすすみません! 今のはちょっと、間違いというか言葉の綾というか、間違いというか! 言葉が綾ってしまったというか!」


 落ち着けって!

 テンパり過ぎだろ、俺!


「ふふっ。わかっているから大丈夫よ。先に行っててくれるかしら。……そうね、隅の席で待っててちょうだい」


「は、はははい!」


 隅の席。それは神域内で死角になっている唯一のスペース。


 そこでティータイムをするとなれば、二人だけの快適自由空間。


 ってことはつまり、誰にも見られることなく邪魔だてされることもなく、連絡先の交換ができる!


 こんなことになってしまったけど、真白色さんはちゃんと考えてくれているんだ!


 今はちょっと、恥ずかしくて真白色さんの顔を直視できないけど……。初めてを捧げる時までには気を落ち着かせよう!


 ひぃひぃふぅ!

 ひぃひぃ、ふぅー!


 




 ☆


 カフェテラスに到着。


 緑と花が生い茂る庭園。

 神々の聖域にして、一般生徒は足を踏み入れることが許されない暗黙の場所。


 今では此処とトイレだけが、校内で心休まる場所になってしまった。


 でも、一人で来るのは初めてだ。

 

 入り口を前にして、足が竦んでしまう。


 染み付いた三軍ベンチ魂が邪魔をしてくる。


 行けっ! 行っちまえ! 真白色さんと隅の席で待ち合わせしてるんだろ!!


 ☆


 で、こんな時に限って考えうる中で最悪な人と出くわしてしまう──。


「お前は……!」


 校内モテ男アンケート。不動の一位。

 ハイスペックイケメンにして御曹司。そして生徒会長の龍王寺先輩だ。


 テラス席に座り、優雅にコーヒーを啜りながらノートパソコンを広げて居た。


 とりあえず声を掛けられたのだから、笑顔で挨拶しないと。


「ど、どぅも。こんにちは!」


「あ? あぁ、一人か。随分と大層な身分になったな?」


 ひえっ。そりゃそうだよ。

 どの面下げて三軍ベンチが神域に足を踏み入れてるんだってことだろうな。


 ぐーの音もでない。おっしゃるとおりです。


「しかも授業サボって此処に来た訳か。お前、屑だな?」

 

 そう言うとゆっくりと近づいて来て、肩をポンっとしてきた。

 ……こんなにも悪意に満ちた肩ポンは初めてだ。


 ていうか、授業サボって此処に居るのは生徒会長も同じでは……。出掛かる言葉をぐっと飲み込む。


 殆ど初対面。言葉を交わすのはこれが初めて。それでこの態度……。

 敵意剥き出しというか、とんでもなく嫌われている……。


 それもそのはず。この男もまた、真白色さんに想いを馳せし者の一人。

 しかも付き合っている宣言をした後に、告白されたって聞いた。


 言うなれば、涼風さんの男バージョン。…………つまり、敵だ! ゆめぜきれんやは敵ッ! たぶんこのノリのやつ。


 うん。余計なことは言わないに限る。穏便に、この場をやり過ごすんだ!



「いい機会だ。ひとつ教えてやる。俺と楓は許婚だ。将来、否応にも俺の嫁になる女だ。お前みたいな一般人の出る幕はない。肝に銘じておけよ?」


 なるほど。二人は許婚だったのか。

 確かにお似合いだなぁ。俺の出る幕なんて最初からないんだけどさ……。


 でも、真白色さんはこの人のことを嫌っている節がある。


 ……それなのに、許婚?


 いや、深く考えるのはよそう。

 あんまり出過ぎた真似をすると、さっきみたいなことに成りかねない。


 今日の俺ってば、勇気を出して一歩を踏み出しては失敗続き。きっと厄日なんだよ。だからここは──。


「嫌いな相手と結婚しなきゃならないなんて、考えるだけでゾッとしますね! 俺なら絶対に無理です!」


「は?」


 は?


 えっ。俺、今なんて言ったの?

 ほ、本音がポロリしちゃったー!!



「はい! わかりました! 肝に銘じておきます!」


 すぐさまリカバリー。まだ間に合う!

 ピシッとした姿勢で明るく元気に答える!


「ふんっ。まあいい。分をわきまえる頭は持っているらしいな。ならば去ってよし。目障りだ」


 握った拳で胸のあたりを軽くコツンとしてきた。


 一瞬、ぶっ飛ばされるのかとも思ったけど……。さすがは生徒会長。一線は越えない。


 でもこの拳の握り具合。怒りに震える感じがひしひしと伝わってくる。


 さすがにさっきの本音ポロリはまずかった。何やってんだよ、俺……。本当に今日は散々だ……。


 早急にこの場から立ち去らないと!


 ……とはいえ、真白色さんと此処で待ち合わせしている。出ていくフリして、端っこにでも居るか!


 ☆


 で、今の俺は影薄シリーズの力を失っているわけで──。存在感は人並みにあるわけで。


「おい、俺は去れと言ったのだが? お前が近くに居ると思うと虫唾が走るんだよ」


 ひえっ。だ、だよね。やっぱり入り口で待とう。もうだめ。これだめなやつ!


 軽く会釈をして、立ち去ろうとすると──。


 風のように颯爽と現れた──。

 風の精霊さん……? 否ッ!


「夢崎君。どちらへ? 今、紅茶を淹れますゆえ、お座りになってお待ちください」


 じ、爺やさん?!

 いつの間に?!


 しかも生徒会長が座るテラス席の椅子を引いて、どうぞどうぞとしてくる。


 これには生徒会長も眉を捻らせ、怒りを顕にした。


「なるほどな。授業をサボるだけでは飽き足らず、楓のお付きに紅茶を淹れさせるのか。随分と優雅な生活を送っているんだな? おい、お前。何様のつもりだ? 気分はすっかりこちら側か? ああ?」


 ひ、ひぃ!

 違う! 違うよ生徒会長! 誤解だよ!



「すぐに最高の一杯を淹れますゆえ、早く座ってくれないでしょうか? これでは紅茶の準備に取り掛かれません」


 爺やさんはメガネをクイッとすると、ギラリと睨みつけてきた。


 チェーン付きメガネに白手袋。タキシードに身を包む姿は、一般的な執事とは一線を画す。


 その出で立ちは屈強の戦士にして、歴戦の覇者。断ったら殺される──!

 


「ど、どぅもです……!」


 こればかりは仕方ない。

 生徒会長と爺やさん。どちらが怖いかと聞かれれば確実に爺やさんだ。


 生存本能が生徒会長との相席を選択させる──。



「ははは。そうか。座るのか。ここまで舐めた奴だとは思わなかった。俺と対等にでもなったつもりか? 本気で潰すぞ?」


 もう本当に! この人誤解し過ぎ!

 


「やれやれ。少々、害虫の鳴き声が耳に触りますねぇ」


 えっ、爺やさん?!

 ちょっとちょっと爺やさん?!


「害虫とは傑作だ! 確かにそうだな。こいつは害虫だ! どんなマジックを使ったのか知らないが、こいつが楓の彼氏? 笑えないんだよ害虫野郎がァ!!」


 えっと。今のは生徒会長に対して言ったんじゃないの? 俺? 俺なの? ……ま、まぁ別にいいけどさ。


 ていうか言葉遣いもだんだんと荒くなってきたな……。



 このままじゃまずい。どうしよ……。


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