車の一幕
彼の義体は彼の象徴。彼が彼である証。
【東区】と呼ぶのが一般的であること。街の人間でも【根崎町】と呼ぶ人は少ないらしい。というかほとんど居ないのだとか。
アリスオススメのジャズを聞きながらサクラはアリスに町のことを聞いていた。この町では犯罪が起こることは稀で警察のような組織は存在するものの、職務としてパトロールを一応しているだけである。小さなものでも一年に一度起きるか起きないか、ということであった。今から行く【東区】はデパートやショッピングモールなどが集まっている場所であるが平日の昼は結構空いているらしい。ほとんどは仕事で買い物に来る人は有給休暇をとっているひとくらいなものなのだという。共産主義的な姿勢をとってはいるが完璧主義の機械やアンドロイドが集まっているため、町は循環している。
「今から行くのは、ショッピングモールか?」
「いや、デパートですよ。【ネザキ屋】です。そこに義体のメンテナンスや換装をしているお店があるんですよ」
「む、そうなのか。‥‥なんだか不安だな」
初対面のものに自分の体を託すというのは、と付け足すとアリスはそれを笑い飛ばす。アリスはなんだか世話になっているらしく、腕は確かで人柄も間違いないですよ、と返してきた。義体の交換は! アンドロイドにとっては必須事項で今のアリスの義体は二十代目らしい。一つの義体の使用期限は五十年を前後しているそうで、つまりアリスは千年ほどは生きていることになる。
(私なんかより何十倍も生きているじゃないか)
その話を聞いた時の感想がこうである。敬語にしようかと迷ったがせっかく許してくれたんだし、と口調はそのままにしている。
「どうしました?」
「いや、なんでもない。他にはどんな店があるんだ?」
「他、ですか。あなたの知るお店は大体揃ってると思いますよ。夜のお店はないですが」
「行かないから大丈夫だよ」
サクラは既婚者である。遊びとはいえそういう場所に赴くことは遠慮したいのだ。死別してからもそれは変わらない。
アリスのいたずらっぽい笑みに微笑みをもって答える。動揺する姿を思い描いていたのかつまらない、と言った顔色に変わる。
「【西区】からだと【北区】か【南区】どっち経由して行きます?時間は同じですよ」
「じゃあ【北区】で頼む。いい景色だな、曇り空じゃければもっと楽しめるのだが」
この都市と外を隔離しているのは【不可視の壁】である。その影響で中からは外のことは一切確認できないし、外からだと視認すらできない。アリスは太陽が照っていると不都合なことがある、と言っていた。それは外と関係があるのだろうか、と夢想するがそれは一週間後の楽しみにしようと考えを振り払う。
「私もそう思いますよ、朝日や夕日はいいものです」
「できないんだよな。まあ、いい都市なのは変わりない」
各区画を区切る川、そびえ立つ【セントラルタワー】や広場に存在する大規模な噴水。区画が変わると雰囲気はガラリと変わることからも飽きない都市であることは確実だろう。だが、ここが生まれてからの世界の全てとなると寂しいものがある。世界を探訪するのは好きなことであった。そのために様々な言語を修得していったし休みの日には家族と共に旅行は頻繁に行っていた。護身は我が身一つで十分だった。
そんな記憶を思い出して懐かしく思う。もう随分前から会っていない息子のことや死んだ妻、そして母のこと。流れているジャズのふんいきも相まって涙が枯れていなければ涙が流れていたことだろう。
「サクラ、あれがテレビ局ですよ」
「ん、おお。工場より目立ってるじゃないか」
工場、というがイメージにあるような煙は吐き出していない。環境汚染の全くないクリーンな工場地帯である。そんな場所の奥にテレビ局が存在していた。中央の球体とそれを繋ぐ為にL字になっている建物。一画足りない気もするがそれは見逃そう。ここも夜景が似合いそうな風景である。夜に散歩もいいかもしれない。
「夜だともっといいんだろうなぁ」
今走っているのは外周に建設された高速道路のような高架上。トラックがたまに見えるくらいで自動車は依然とあまり走っていないようである。
その場所から奥なのだからあのテレビ局は内側にあるのだろう。どちらにしても風景は圧巻の一言である。
「夜だと明かりがつきますからねぇ。ここ、夜だと結構車通るんですよ」
「そうなのか、それは納得がいく」
それだけ雰囲気と風景が良いのだろう。見てみたい、とサクラは思った。誰でも風情を感じるものなら思うことだろうから不思議なことではない。
親切に教えてくれるアリスに相槌を打ちながら納得したように頷く。
「ここの燃料は何を使っているんだ?」
「燃料、ですか?ここの世界には【魔力】というものが存在してまして、それを抽出するために【結晶】を燃料にはしてますね」
「魔力?結晶、うん、やっとファンタジーだ」
ここの外がどんな場所か、知るのはその時であろうと憶測は立てたかった。魔力となるとやはりファンタジー世界の中にあるのだろう。ここまで隠しているのだからここはどこにも知られていないはずの場所のはずだ。結晶は、どうにも分からない。無限に採掘できる場所があるのか、作る場所があるのか、よく分からない。
教えてもらえるだろうが自分の目で見てから説明がほしい。ならば断片的な情報から推測もしない方がいいのだろうが知的探究心とでも呼べばいいのだろうか、そのようなものが抑えられないのだ。
「ファンタジー?確かに千年前はそうであったみたいですね」
「千年前は?今はどうなんだ?」
「分からないのです。気にはなりますが我々は戦力を持ちませんので」
持とうと思えば持てますが、とアリスは続ける。サクラは今のところは唯一の戦力、というところか。義体を製造できるならアンドロイド兵士も量産できそうにはあるがデータがあるかどうか謎だ。
「何があるかも分からない土地に力を持たないものを送り込めないでしょう?」
「たしかにそんな愚かな真似は絶対にしない方がいいな」
サクラがその返答を返すとアリスの様子が申し訳なさそうなものへと変わる。初見時から様子や感情は豊かであると認識していたので驚くこともないがしかとアリスの目を見る。
「申し訳ありません。あなたに重荷を着せるようなことを」
「私はここに留まるのは柄じゃない。外に行くのは君が言わなければ私が言っていたことだよ」
事実である。サクラは嘘を言う度胸など持ち合わせていなかった。ましてや騙し通せるなんて自信もない。
サクラの顔は無表情、サクラは感情豊かな方ではない。しかしながら感情が揺れ動けば表情は当然の如く変わる。つまりは感情が揺れ動いていない証拠になる。
「‥‥‥ありがとうございます」
「アリス、あれはなんだ?そろそろ東区に着いたのか?」
「‥‥ん?あれは【ネザキ屋】ですね。目的地ですよ」
どこかで見たようなタンクトップの男性の絵、そのタンクトップには【ネザキ】と書かれていた。ビルのように見えるその建物はイメージ通りのデパートである。駐車場は立体型と普通にデパートの周りにある型で分かれている。
二人の乗る車はガラガラに空いている駐車場の中で建物の入口に近い場所に停まる。到着したという旨の機械音声が流れると自動で扉が開いた。アリスが労いの言葉をかけて二人が車から外に出ると自動的に扉は閉まり施錠される。
「まずは、何階だ?」
「最上階ですね、十二階かな」
二人は言葉を交わしながら建物に入っていく。中はサクラにも馴染んだ内装で、案内板もしっかりある。これならば迷子にはならないと安堵する。
彼彼女らの一週間は始まったばかり。まだ外のことは知らないでいい時である。