8 カンレンシュクセイ、襲来
2018年11月。
もやもや病の二度目の退院から二週間後。
おっさんは、すこしゆっくり気味に目覚めて、水を飲みにリビングにきた。
ちょっと……寒いな。
家の中には自分しかいない。
11月も下旬になる。空気は冷えていた。
きゅうぅぅ……
--胸が、え?……苦し、い……なんだ、これ
胸が急激に締め付けられる感触。立っていられなくなって、ごろりと転がった。
きゅうううううううううううう……
苦しさが増す。手で胸を押さえたまま、床に伸びた。
天井を見る。
なんだ?、なんだ?、これ、なんだ……?新手のスタンド攻撃か?
何が起きたのか全くわからない。ただ、なにかヤバいことだ、というのはわかった。きゅうう、は、ぐうううううに変わり、胸は大きな拳でわしづかみにされているようだ。胸を中心に背中、歯茎、顔面、肩……痛みと脱力感、気持ち悪さが広がっていく。
------うあああああああ…………はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……。
3分ほど経ったところで、締め付ける感じが緩みはじめた。そのままさらに3分ほどで胸の苦しみは消えた。
身体を起こして、何があったのか……を考えないようにしている自分がいた。
脳……いや、違うよな。なんでだよ。嘘だろ?
手術2回もやって、やっと退院して、まだ2週間なのに……
いや、きっとこれはなんかの間違いだ。
きっと、今回だけ、のなんか特別なやつだったんだ。脳の治りかけだし。
人体ってのはいろいろあるさ。
おっさんは怖くて、自分から日常性バイアスに逃げ込んだ。
そう、これは一回だけの何かの間違い。もうきっと起きない……。
二日後。ほぼ同じ時間。同じリビング。
苦しさは前回の比ではなかった。
締め付ける、どころではない。
心臓を縛り上げられてるような圧倒的な苦しさ。
床に転がり、胸を押さえる。
破滅的、とでもいえばいいのか。
上半身全部に広がる激痛、脱力、気持ち悪さ……
胸の真ん中を、巨大なピンで留められた昆虫標本のようだ。全く動けない。
奥歯が浮いた感じになり、気持ち悪さに襲われる。
最悪の乗り物酔いのような、嘔吐したくなるような、身体の部品が自分の身体から抜け落ちていくような。
すべてが渾然として、脳の処理が追いつかない。
上半身全部が苦しくて、動く余裕など全くなく、身体が縮こまったまま、ごろりと転がっている。顔色や口はムンクの「叫び」のようになっていただろう。目はあまりの苦しさにしかめっぱなし。手も伸ばせない。腰高のカウンターに置いたスマホを掴む余裕がない。
苦痛は5分を超えても引いていく感じがない。
やばいやばいやばいやばいやばい……助けてやばい……
針の振り切れた苦しみの中で、生き延びようと頭だけが働く。
今、家の中には自分しかいない。
現時刻から考えて誰かが帰ってくるまで6時間。
このまま苦しんで、気絶したら、たぶん俺が発見されるのはずっと後。つまり助からない。どうにかして、スマホを掴む。救急を呼び、住所を言う。そこまでが最低限。
でも、痛くて苦しくて、締め付けられて3メートル向こうのスマホに届かない……
たっぷり10分以上……気が遠くなりかけてきたとき、痛みが少し緩んできたことに気付いた。上半身だけを起こし、床をはいずってスマホを掴み、救急通報し、胸が苦しい、助けて欲しい、と言った。
◇
発作から20分少々経った頃。
救急隊員のストレッチャーに乗せられ、おっさんは病院へ運ばれていった。そのときには、ほぼ胸の苦しみは消えていた。
2週間ぶり、おなじみの病院。
一通りの検査をした。
しかし、専門のお医者さんは留守だといわれた。異常も見当たらない、と。元気そうだし、血液検査の結果も出るから、また明日来なさい、と言われた。
翌日、病院に着いて早々、循環器内科のお医者さんが慌てた様子で登場。
「カンレンシュクセイキョウシンショウのおそれがあります。生命に関わります」
……なんだよ、それ。
勘弁してくれよもう(・ω・)
心が折れそうになった……涙が出てきた。