7 閑話~メイキングオブ辰巳センセイ
本日は、予定を変更して「メイキングオブ辰巳センセイ」をお送りします(・ω・)
……カンレンシュクセイどこいったって?
うん。ごめん。
あんまり病気話ばっかり書いてると、読んでる方も重いかなーと思って。
一つ目(!)の病気話が終わったところで、ちょっと気分転換をしておこうと。
先日「辰巳センセイ」の1章、舞姫の時間について書き始めたころの話……という要望をせっかく頂戴したので、今日はそれを書いてみました。
(※結構ネタバレ入ります。拙作「辰巳センセイ 1章 舞姫の時間」をお読みいただいた後の方が、より楽しめると思います)
---ほわんほわんほわん……6年前にバックトゥ---
辰巳センセイ舞姫編のアイデアのはじまりは、6年位前、舞姫の授業をやったときだった。授業を準備する関係上、舞姫は何度も読み込んでいたが、おっさんの率直な印象は「ああこれ、森鴎外のラブレターなのね」。
エリスにはリアルでモデルがいたらしい、と当時から言われていた。舞姫は、鴎外が幸せにできなかった彼女に「君はこんなに素敵で、僕はこんなに素敵な恋をした」というメッセージを込めたもの、としか思えなかった。
さらに鴎外は「君は本気で愛してくれた。ダメだったのは僕だ」……作品にそんな自責を込めているように読める。舞姫を書き切ることで、自分の恋に締めくくりをしたかったのだろうと。
作品内で、過剰なほどにエリスを美しく、無垢で穢れ無き存在として描いているのは、その思いがあったゆえ、と考えればしっくりくる。反対に、主人公の豊太郎は優柔不断で、気付くべき点に気付けない超鈍感男……この明白すぎるコントラストこそ、幸せにできなかった彼女への愛の賛歌であり、贖罪の懺悔であり、思い出の刻印なのだ……と。
……まあそう読むと、後半で「私の豊太郎さま!」って溺れるように依存してくるエリスからの手紙について、出張中に「毎日来るから“我はえ忘れざりき”(忘れることができなかった)」と書いてしまったりしてるところに、ちらり、と本音が見えるというかw……愛の重さについて「ふぅ」とため息をつきたくなった男の本音ぽくて面白かったりもするのだけど(・ω・)
さて、こうしておおむね鴎外、豊太郎に共感しつつ読みすすめ、さあ授業、と思っていたのだが、同僚の女性の先生や、既に舞姫を学習していた女子生徒の評価がずいぶん酷くてびっくりしてしまった。
「あんな酷いことをしておいて、それを小説にしてばらまいた糞男ですね」それくらいの評価の先輩の先生もいた(先生、男に恨みでもあるんですか?と思ったが怖かったので黙っておいた)、「豊太郎っていうクズの話ですよね」と一刀バッサリの女生徒もいた……なんというか、女の敵=豊太郎=森鴎外みたいになっているなぁ、それって淋しい読み方だなぁ、と思ったのだった。
そうこうしているタイミングで、新しい資料が見つかり、エリスのモデルになった女性、エリーゼの実在がほぼ確認された、という報道があった。
おっさん教師は思った。
無垢なドイツ娘を孕ませて捨てたファッキン男の物語……と思わせるような授業でいいのか?と。確かに、事実だけ見れば、それはそうでもある。でも、男女の関係なんて、当人以外が善悪やらを語っても大抵は見当違いになるものだ。
それよりも、作品で明らかにダダ漏れになっているエリスラブ!の思いと、現実に長年付き合いを続けたリアル鴎外&エリーゼの在り方こそ視野に入れるべきなのでは。
場面によっては不自然なくらいに書かれたエリスの美しさ、純真さこそ、鴎外が残したかった彼女=心の中に持ち続けた、一番綺麗な彼女だったはずだ。
そして、聡明で、読み書きをこなしたエリーゼ(100年以上前のドイツである。教育水準を考えるべし)。彼女もきっと、舞姫の内容を読むか、鴎外から聞くなりして把握していたに違いない。鴎外は彼女に「愛しあったあのときのことを小説にした」と告げたはずだ。
向き合って抱き合えなかった二人。
でも心は長い時間通じあっていた。思いは結晶になって100年残る文学を生んだ。
それを伝えられるドラマが、国語教師の自分なら描けるんじゃないか?ついでに他の人が書こうとしない、という点で、オンリーワンな作品が仕上がるのではないか?
高校生でも共感しやすく、読みやすい、授業が楽しくなって、成績がちょっと上がるお話。哀しい恋をする女の子の心を、100年前の鴎外とエリーゼが解いてくれる……優しい謎解き。
……そうして、舞姫編のプロットはまとまった。
4年ちょっと前のお話でした。
次回こそ、カンレンシュクセイやるね(・ω・)マタネ。