12 ゲームって『覚醒モード』の後が難しいよね
おっさんがこんなことを裏でしてたよ、的な内容を延々書いてきた2部だが、そろそろ一区切り。
1部で書いたように、おっさんは有限の自分の人生を自覚したことで、周囲の全てを新鮮に見られるようになった。その高まった感度の中だからこそ、辰巳センセイは書き切れた。
生き残れた、と手術から目覚めた瞬間の感動。
狭心症発作から助かったときの命の鼓動のリアル。
……退院から一年半が過ぎ、あの新鮮な感覚は時とともに薄れつつある。
自分の中の感覚が「通常モード」になってきたのをどう扱うべきか、考えるようになった。
兵隊は平和な社会に戻ったとき、どう生きていいのかわからず様々な不適応を起こすという。おっさんが陥った心理状態は、方向性としてはそれに近いのだと思う。
死がすぐ目の前にあった瞬間だからこそ、おっさんは自分の能力上限を突破した集中力を発揮できてしまった。辰巳センセイ脱稿までのおっさんは、明らかなブーストがかかっていた。
せっかく助かった命を無駄に危険にしたい、という話ではない。
生き残ったと自覚したあの日、辰巳センセイを書き切って人生からやり残しをなくしたい、と痛切に願ったあのテンション……それが日常によってほどけていくのは生き物としての必然だ。
だから、それを受け入れた先で、おっさんはまだ筆を折らずに物語を書けるのか?
……そこが問題なのだ、と思った。
自分なりの答えを出すつもりで、おっさんは新作の執筆に取り組むことにした。
構想はかなり前からあったものの、ずっと形にできていなかった一本。
2020年 5月19日に発表した「完全なり、マイライフ」である。
読んで頂いた方は、このエッセイと合わせて読むとおっさんが何を悩みながら書いた作品なのかよくわかってもらえると思う。
有限の生と、それに対する満足をテーマにして「満足の中で死にたい」とどこかで思っているおっさん自身を投影したSFになった。
難産だったけど、これもまた、ここまでの経験があったから書けた一作。
おっさんは思った。
辰巳センセイほどエッジの立った作品は、しばらくは書けないかもしれない。でも自分の持ち味を大切にしながら、楽しんでもらえる作品を丁寧に作っていくことは、まだできるし、やっていきたい。
「完全なり、マイライフ」をちゃんと完成させられたのだから。
しばらく短編が続くかもしれないが、やはり物語を紡ぐことは楽しい。
気負わずにやっていく。そして、小さな賞でもコンテストでも挑戦して、どうにかして実績を残す。作家としての実績を残せれば、それが「辰巳センセイ」の書籍化に向けた足がかりになる。「完全なり」はノベルアップのコンテストに申し込んだ(落ちたけど)。
もう一本、まだ公開できないが、ある文学賞にも短編を書き上げて応募した……引っかかるといいなぁ。
5年かけて「あらゆる手段で」辰巳センセイ書籍化に向けて可能性を広げていく……おっさんの戦いは始まったばかり
……と真剣に思ってたんですけどね。
ネット小説大賞、最終選考突破で書籍化が決まりました。ででどん。
次回 2部完結(・ω・)
つづく!




