10 エイティーサウザンドナパーム
4月下旬になった。
ついに依頼から三ヶ月が経った8まんえん。
いい加減にせーよ、と思いつつ電話した。
Y氏「来週できるだけ早く送るようにします」。
ほう……今度こそ、本当に返事来るのか?
翌週。
本当にメールが来た。
なぜか担当者がY氏からいつの間にか上司のT氏に変わっている……彼はクビにでもなったのか?(;´Д`)
一言目に、返事が遅れたことについての謝罪が一言。あとはろくに説明もない。担当者が変わったことへの言及もなかった。
そして、小説家先生からのレビューがメールにベタ貼りされていた。
さあ、8まんえんレビューだ。刮目して見よ!である。
※小説家先生の名誉のために、名前は伏せておく。
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『辰巳センセイの国語科授業』講評
試験の小論文には、おそらく採点者泣かせの答案というのがあろうかと思う。例えば、エッセイや創作として読めばたいへん面白い、しかし出題者が求めている内容ではないから、加点すべきポイントが見当らないというもの。
逆に、一読したところ捉えどころがないのだが、仔細に検証してみるとよく対策が練られていて、加点のポイントが多く、結果的に高得点となるもの。
試験の小論文は小説とは違い、市場に送り出してお金を取るためのものではないから、後者のタイプは、採点者泣かせというわけではないのかもしれない。受験業界には委しくないが、むしろ効率の良さをして称賛されるタイプの答案なのかもしれない。
ともあれ小説投稿作にも、しばしばこの2つのタイプが観察される。というより、箸にも棒にもかからない9割(有名作品の稚拙なコラージュ、ウェブからの盗作、なぜか自伝、等々)をふるい落とした後は、ほぼ、このどちらかしか残っていないと言っても良い。
A:面白いし完成度も高いのだが、作者が投稿先を間違えているか、生まれてきた時代を間違えているかで、書籍化したがりそうな編集部や歓迎してくれる市場が見当らない。
B:小説入門を謳った書籍やウェブサイトにあるコツは、ほぼクリアしている。しかしさして感動的でも痛快でもないため、出版した場合の市場の手厳しい反応が予想される。かといって欠点を指摘するのも難しい。
結論から言えば、『辰巳センセイの国語科授業』(以下、本作)は、AとBの厄介なハイブリッドだ。基本的にはBなのだが、肝心要なところにAの要素が顔を出し、出版戦略を阻害する。整備しようにもAとBが変な具合に絡み合っている。
まず、どのような出版形態を想定して書かれた作品なのかが、皆目判らない。作品の趣旨や文体から察するに、若年層向けの文庫書き下ろしなどの軽装を目指しているようだが、それにしては長い。ざっと換算したところ、400字詰め原稿用紙で約800枚。章立てが細かいので通常の800枚よりも頁を食う。イラストが入ればまた頁が増える。いわゆるライトノベルの体裁だと、ざっと3冊ぶんある。
章ごとに連続刊行していくような、シリーズ展開が想定されているのだろうか? それにしては個々のパートの独立性が低い。一般に続編というのは正編の好評を受けて企画・執筆・刊行される。だから最初の1冊には相当な起爆力が望まれる。「読者にいまひとつ正体が掴めない主人公・辰巳が、生徒のプライバシーを把握する」話に過ぎない本作序盤には、読者がどうしても物語に追い縋りたくなる“心配ごと”「辰巳センセイ、どうなっちゃうんだろう?」が無い。
それらしきものが生じるのは3章だが、教職を続けながら特定の女生徒と仲良していきたいというのは、余りにも虫の好い願望であるから、読者に辰巳を応援する道義はなく、むしろ反発をおぼえる可能性が高い(これは本作の大きな弱点でもあるので、後にも触れる)。そのうえ辰巳がなんの努力をすることもなく、咲耶の一存により解決してしまう。これでは「引き」にならない。
そこで、500頁級の自立するような分厚い一冊本としての出版を想定してみる。とうぜん価格設定は高くなり、完読者は頁数に反比例するので、作者がメインディッシュとして用意している辰巳の「秘められた過去」にまで到達してくれる読者の数は、あまり見込めない。この悪条件を押して無名の新人が分厚い本でデビューするには、公募新人賞を受賞するくらいの話題性は必要かと思う。ところがライトノベル系の公募賞にこの長さを受け容れてくれるところが無い。ざっと募集規定を調べてみたところ、各社270~300頁が上限だ。
ではミステリ系公募新人賞では? 講談社江戸川乱歩賞の上限は400字詰め原稿用紙550枚、集英社小説すばる新人賞は500枚、文藝春秋オール讀物新人賞は上限100枚、KADOKAWAの横溝正史ミステリー&ホラー大賞の上限が恐らく最も高く、それでも700枚。
お解りだろう。『辰巳センセイの国語科授業』は長過ぎるのだ。
本作梗概には「泣ける恋愛ドラマ+文学教養+ミステリーの一石三鳥エンターテイメント」とある。恐らく作者の執筆コンセプトであろう。こういう簡潔なキャッチフレーズを付与できる作品づくりには、おおいに感心する。ただし本作が、みずから設けたこのハードルを越えられているかといえば、厳しい評価をくださざるをえない。
梗概は、通常の3倍の密度の読み物だという期待を煽っている。実際には、男性向けラブコメ、名作読解、日常ミステリ連作という、3つの読み物のザッピングだ。複合体ではない。この3つは強く絡み合っているわけではなく、どの1つを抜いても大きな問題は生じない。
名作読解である授業の場面の削除は、比較的容易い。辰巳センセイが口にする蘊蓄で、充分に代用できる。
では、本作からラブコメ然とした教室の場面や咲耶との親密な交流を排除し、「名作読解+日常ミステリ」として書き直すことは可能だろうか。本作で作者が「ミステリー」と称している部分は、実は「辰巳センセイは事の次第を知らない」→「当事者から事実を教えられる」という、論理パズルとはなっていないものなので、謎解きとしては余りにも呆気ないものの、いちおう成立はする。
では、咲耶以外の人物にまつわるミステリ構造を排して、「名作読解をちりばめた、辰巳センセイと咲耶の恋物語」には仕立てられるだろうか? 考察したところ、これが最もすっきりすると予想できる。分量的に多く、ラストの展開にも直結しているうえ、作者が最も書きたく思っていたらしく、筆が乗っている要素だからだ。
分量は3冊ぶんなのだから、ではいっそ3つの要素をばらばらに、別々の作品として、商業的に発表できるだろうか?
どのパートを眺めても、それは難しいと判断せざるをえない。率直に言って、どれもセールスを望めるほど面白くないのである。どれも、いつか見たテレビ番組のようで新味に欠ける。
作者もそれに気付いていて、3作ぶんのアイデアの合わせ技に挑戦したのではないか? しかし3作ぶんのエッセンスをもって1作を構成し直すのではなく、単純に足してしまったのではないか? そんな想像が湧いた。
本作を恋愛ドラマとして見たとき、どうしても腑に落ちない箇所がある。辰巳センセイがなぜ女性という女性からモテモテなのか、さっぱり解らないのである。生徒たちのために奔走するではないし、スーパーレディである咲耶が平伏すような美点があるでも、社会的には容認されない教え子への恋情を圧し殺して生きるストイックさがあるでもない。
異動を呑むという、社会人ならわりと普通のことが大きな決断なのだから、基本的には変化を好まず消極的な、直面している問題は誰かが解決してくれるのを待つタイプと思しい。そういう小心な人物を主役に据え、面白い物語を描くことはむろん可能だが、「それでもなぜか幸せになりました」では、自分は人生の荒波に翻弄されている、それに負けまいとして頑張っている、という意識のある読者の共感は得られない。そして読者というのは、ほぼ全員がそうなのだ。
辰巳センセイは作者に分身に他なるまい。その消極性が、何重にも保険をかけるかのように3作ぶんの文章を1作として、無駄を削ぎ落とすことをしない、本作の作法に出てしまったように思う。
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……やべぇ。
初段まるごと一人語り(小論文の指導ならこっちがプロだが)といい、
公募狙えの指示 (だったらそもそもエージェントいらん)といい、
でも文字数多過ぎ、というセルフツッコミ(わかって依頼してるんですけど)といい、
三分割にしたらといいつつでも面白くないというさらなる矛盾といい、
最後の人格批判といい……
これぞ!
3ヶ月連絡一本よこさず放置した末の!
8万円のプロの仕事!
壮大なギャグだな(・ω・)y-゜゜゜
実はかみさん、プロ編集である……ただし、文芸とは全く違う分野で。(文芸だったら本気でコネを期待してしまったかもしれない)
このエージェント企業の存在を知っていたのも、かみさんが業界にいて、活動を耳にしていたからだった。
おっさんがPC前で仏頂面になっていたら、隣から読んでいい?と覗いてきた。
モニタを覗き込み、黙って文面を読み終わり、おっさんのモニタから身体を引いたかみさんの目は……(;´Д`)きけんがアブナイ
「自分に酔ってるだけの文章ね。知らない名前だし、このレベルでほんとにプロ?」
かみさん痛烈。
お値段のわりにあんまりお粗末だったので、T氏にメールを打ち返してみた。
・どうして三ヶ月も放置したの?ていうかなんで担当いきなり変わったの?
・作品の中身に全く寄り添ってない内容なのはレベル低すぎでは?
(辰巳センセイから謎解き要素を抜いて3冊にしろ、とか実行したらただのバカだ)
・ぶっちゃけ最後のあたりただの人格批判になってない?
二日後、返事が来た。
・遅れたのはすみません。
・先生は大学で講義もしている立派な先生です。
・私も先生と同感でしたレビューはおかしくないです。
・人生経験を生かして別の作品を書くことを勧めます。
かみさん、またもや横でシャットダウン状態。
……明らかに「紹介した責任」を感じてしまってる。
さすがに腹が立った。
棘沼氏の誠実な仕事を見た後というのもある。
おっさんの怒りの理由は二つ。
プロを自称しておいてブザマすぎる仕事をしたことと、かみさんを哀しませたこと。
「俺が金を払うって決めたんだから、責任感じないでよ」
かみさんに苦笑しながら言った。
「ひっくり返してセンスの無さを後悔させてやろうと思うね……ここまでやられると、気持ちいいくらいの燃料だ。燃えてきた」
とりあえず、かみさんにはにこやかに、前向きなコメントをしてみた。
……小説家先生、あんたにコケにされたこと覚えておくぜ!
…さて
……燃料を投下されてから一週間後。
4月の終わり。
ネット小説大賞の二次通過の知らせがあった。
9316作品中の76作品。120倍の勝ち残り!
どうだA社!(・ω・)
……本音をいうと、8まんえんの一件でものすごく腐っていた。
だから、ちゃんと認められたと思えて、泣けてくるほど嬉しかった。
おっさんは手を休めるつもりもなく、さらに次の一手を進めた。
ほんと、怒りはいい燃料だった。
つづく!




