奇妙な隣人
奇妙な隣人が居た。
挨拶をすれば返してくれるし、ゴミを出す日付もちゃんと守る。
何が奇妙かと言えば、その出で立ちが奇妙だった。
だが私の目から見れば、という話だけかもしれない。
単に興味が尽きないだけという、ありきたりな結果だけで終わりそうだが、とにもかくにも私にはその隣人が奇妙に見えて仕方なかった。
その隣人は一人暮らしの男性。
奥さんを早くに亡くし、子供も既に独り立ちしている。
質素な一軒家の主にして、私の家とも昔から交流があった。
私以外の家族は別に大して奇妙だなんて思っていないだろう。
もしかしたら私だけかもしれない。私だけにしか、見えていないのかもしれない。
いつしか男性の存在すら疑い始めた私は、ある日、お手製のクッキーを持って訪ねてみた。
その隣人の仕事は駅前にあるBARのマスター。なので昼間は常に家に居る。
その事を知らない近所の人達は、彼の事をニートかプー太郎だと思っているに違いない。しかし彼は誰よりも真面目で奇妙な男性だ。
「はい、どうしたの、芽衣ちゃん」
私を玄関で出迎えてくれる、一見普通のアラフィフ男性。
いや、普通じゃない。かなり奇妙だ。今日も顎髭が良く似合っている。
「これ、作ったんですけど……良かったら食べて下さい」
「あぁ、ありがとう。手作り? 凄いね」
別に凄い事など何もない。クッキーなんて材料混ぜて焼くだけだ。
「良かったら上がってく?」
「はい、お邪魔します」
私は言われるがままに家の中へと。
玄関先にはイルカが海を泳ぐ絵画が飾られており、その下の棚の上には魚を咥えた熊の置物が。
これウチにもある奴だ。何処の家にもあるんだろうか。
「紅茶でいい?」
「あ、おかまいなく」
私は男性にリビングに通され、そのままソファーへと鎮座する。
妙に静かで薄暗い。カーテンは閉じられ、家の構造なのか耳鳴りがするほどに静寂だ。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
私は紅茶へと口を付け、先程持ってきたクッキーを一つ食べてみた。
少し甘すぎるだろうか。私には結構ちょうどいい味だが。
「芽衣ちゃん、今いくつになったんだっけ」
男性は私とは違うソファーへとつき、そのまま紅茶を飲みながらクッキーを口に運ぶ。
数回頷きながら「美味い」と言う男性。なんだろう、少し暑くなってきた。
「今年で……高校二年です。十七歳です」
「十七かぁ。まだお酒は飲めないね。飲める歳になったら僕の店に来てよ、色々ご馳走するから」
「はい、是非」
そっとリビングを見渡す。
固定電話の隣には、亡くなった奥さんとお子さんの写真が。
お子さんと言っても、恐らく今は私より年上だろう。写真に写っている子供は小学生低学年くらいだが。
「あの、突然こんな事伺っていいか分かりませんが……」
「うん、何?」
私は本当にこんな事を言ってしまってもいいのか、と自問自答しながら、奇妙な男性へと
「私と結婚してください」
そう告白した。
その瞬間、奇妙な男性は紅茶を吹き出しながら咽て、私は背中を摩る。
一体どうしたと言うのだ。そんなに私はへんな事を言っただろうか。
「な、何? え、何?」
「いえ、ですから私と結婚してくださいって……」
「なんでいきなり……いや、ちょっと待って、深呼吸するから」
宣言通り深呼吸し、自身を落ち着かせる男性。
そのまま姿勢を正しながら、私へと視線を移してくる。
「で、どうしたの」
「いえ、ですから私と結婚してください」
「うん、なんでそうなるの? 芽衣ちゃん、こんなのと結婚したらとんでもない事になるよ」
どうなるのだろうか。それはそれで興味が尽きない。
「別にいいじゃないですか。とりあえず、私頑張りますから。奥さんに負けないくらいに……」
「いや、まあ、ちょっと落ち着こうか。芽衣ちゃん彼氏とか居ないの?」
「居ません。人間に興味無いですから」
「僕も一応人間なんだけど……」
男性は再び紅茶を口に含みつつ、クッキーを手にとる。
そしてそれをまじまじと見つめながら、私へと
「芽衣ちゃん、今多感な時期だから……。そんな軽々と人生を決定づけるような決断しちゃダメだよ」
「駄目なんですか? 私、もう高校生です。進路を選び始めてもいい頃じゃないですか。私の就職先はここの専業主婦です」
「うん、落ち着こう。ほら、紅茶を飲んで」
私は言われた通り紅茶を一口。
少し苦味を感じる。大人の味なのだろうか。そう感じると言う事は、私はまだ子供なのかもしれない。
「すみません、変な事言って……忘れて下さい」
「う、うん。ビックリしたよ」
「専業主婦じゃなくて、愛人としてお願いします」
再び紅茶を吹き出す男性。もう床とテーブルはベッタベタだ。
「あの、芽衣ちゃん……意味分かってる?」
布巾で吹き出した紅茶を拭き出す男性。ダジャレでは無い。
「分かってますとも。恋人以上夫婦未満ですよね」
「うん……まあそんな感じ……いや、違う違う、そういう事じゃなくて」
「じゃあどういう事なんですか。言っときますけど、子供は三人でお願いします」
「待って、とりあえず待って。一人で疾走しないで」
男性は再び呼吸を正しつつ、突然棚からお酒のような瓶を取り出してきた。
「もしかして……私を酔わせてベッドに? そんな事しなくても……」
「ごめん、芽衣ちゃんは絶対飲まないで。ちょっと僕が落ち着くためだから」
小さなグラスに注ぎ、それを一口で煽る男性。
そのまましばらく沈黙。落ち着いたのか、再び私へと向き合ってくる。
「芽衣ちゃん、僕を好いてくれるのは……とても嬉しいよ。でもね、僕じゃダメだよ」
「何がダメなんですか。そんな凄い性癖持ってるんですか?」
「なかなか抉ってくるね。でもそういう話じゃなくて……芽衣ちゃんはまだ十代でしょ。でも僕はもう五十代だよ。正直、あと十年もすれば……僕は死ぬかもしれない。そしたら芽衣ちゃんは……」
亡くなった奥さんの写真へと目を移す男性。
綺麗な奥さんだ。そしてズルイ。私も同年代に生まれていたら……
「今、一緒に居たいって気持ち……分かってもらえませんか」
「……ごめん」
奇妙な男性が、より一層奇妙に見えた。
私の中で何かがはじけた。一気に体温が上がるのを感じる。
そして同時に、目から何かが流れてきた。
頬を伝う感触を、私は指で打ち消すように擦る。
「……後悔しないでくださいね。私が大人になって、いい女になっても……もう振り向いてあげませんから」
「……うん。僕を後悔させて。芽衣ちゃんは……いい奥さんになると思うよ」
そのまま私はソファーから立ち上がり、男性宅から出た。
絶対に後悔させてやる。そう心に決めて。
※
《十年後!》
私は子供と一緒に、隣人の奇妙な男性へとクッキーを。
初めて子供と一緒に作ったクッキー。
「いらっしゃい」
温かな笑顔で出迎えてくれる奇妙な男性。
私は自分の娘と一緒に、あの日のように男性宅を訪れた。
「後悔……してくれましたか?」
「まだしてないよ」
どうやら……もっともっと……クッキーを持ってくる必要があるようだ。