10. 石になったメルヴィル
「……ナ。……ルナ。……ルナ! 起きるワン!」
何やら柔らかいものでペチペチと頬を叩かれて、沈んでいた意識が覚醒する。
瞼を開けると、辺りはもう薄暗く、陽が落ちかけていた。
「目が覚めたワン?」
メルヴィルが俺の顔を覗き込んでくる。どうやら、俺の頬を叩いていた柔らかいものは、こいつの肉球だったらしい。
「痛てて……」
体を起こすと、節々に鈍痛が走る。
何だ? 何で俺はこんな所で気を失っているんだ?
あ、そうか……。セレナとの練習試合で、あいつの魔法と俺の魔法が激突して、二人共吹っ飛ばされて……それで……。
「セレナ! セレナは!?」
「私はここですよー」
ちょうど爆発地点を挟んで反対側からセレナの声がした。
「大丈夫なのかー?」
身体が動かないので、声を張って呼びかける。
「はいー。でも、私も今起きたばかりなので、身体が痛くて動けませーん」
「お前、回復呪文持ってただろー。それを使えばいいじゃないかー」
「ステッキがないんですよー。ステッキがないと魔法は使えませーん」
あ、そうか。確か俺たちのステッキは二つとも草むらの方へ飛ばされちまったんだっけな。
「おい、メルヴィル! 悪いが俺たちのステッキをとってきてくれ! あの辺の草むらに突き刺さってるはずだ」
「わかったワン。でも、ルナの服装が制服に戻っているから、ステッキの方もペンダントに戻っているはずだワン。草むらであんな小さいものを探索するには時間がかかるワン」
と、メルヴィルに言われ、自分の格好を確認すると、確かに制服に戻っていた。
術者が意識を失うと、変身が解けるってことなのだろうか?
「時間がかかってもいいから、とにかく探してきてくれ。今は俺もセレナも動けない。お前だけが頼りなんだ」
「わ、わかったワン。できるだけ早く見つけるワン」
そう言うと、メルヴィルは草むらの方へ駆け出した。
メルヴィルが杖を探索している間、俺は自分の身体を観察してみた。
幸い血はどこからも出ていないが、あちこちに身体をぶつけたので、この痛みは打撲によるものだろう。
しかし、痛みとは別に、何とも言えない疲労感がある。
起き上がれないのは痛みよりも、こちらの方が原因だということに今更気づいた。
とりあえず、下半身の石化は解けているようだ。あの呪文の持続時間は1時間だから、少なくともあれから1時間以上は経っていることになる。
ブレザーのポッケからスマホを取り出して時間を確認すると、案の定午後6時を回っていた。
この山に来たのが学校が終わってすぐの3時くらいだったから、呪文の登録やその他諸々の時間を差し引いても、2時間は気絶していたってことだ。
しかし、戦闘のダメージだけで、そこまでのダメージを受けるものだろうか?
それに、この身体のダルさ……。
もしかすると、魔法を使いすぎれば、精神や肉体に疲労を及ぼすのかもしれないな。
なんてことを考えている内に、さっきセレナの声がした方から大きな光が湧き起る。
その直後、
「〝レフェクティオ!〟」
と、呪文を唱える声。
どうやら、メルヴィルが杖を発見してセレナに届けたらしい。
「ルナさーん」
回復したセレナがすぐにこちらへ駆け寄ってくる。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃない。早く、俺にも回復魔法をかけてくれ」
「それは無理なのワン」
メルヴィルが言った。その口には俺のペンダントがくわえられている。
「どういうことだよ?」
「〝レフェクティオ〟はそれを使う術者自身を回復させる呪文なんです。だから、この呪文で、ルナさんを回復させることはできないんです」
セレナが申し訳なさそうな声を出した。
「その……すみません……」
「気にするな。だったら、俺のステッキにその呪文を登録すればいい」
俺がそう言うと、犬みたいな喋り方のリスは、またしてもダメ出しをしてきやがった。
「それも無理なのワン。ルナはセレナとの戦いで、かなりの魔力を消費しているワン。スペルを詠唱して、呪文を登録するには、かなりの魔力が必要だワン。ルナにはもうその魔力が残っていないのワン」
「じゃあ、どうすればいいんだよ」
「心配することないのワン。魔力はゆっくりと身体を休めれば回復するのワン。ルナの身体がダルいのも、魔力を使いすぎたことが原因だワン」
やっぱり、この肉体の疲労は魔法の使いすぎが原因だったんだな。
「ようするに、今はゆっくり休むしかないってことだな?」
「その通りだワン」
「やれやれだな」
しかし、ゆっくり休めと言われても、ここは野ざらしの山の中だぜ? こんな所でずっと寝てたら風邪引いちまうよ。
「ご心配なさらず。私がルナさんをおウチまで送りますから」
と、セレナはステッキを掴み、呪文を唱えた。
「〝ビアブルム!〟
例によって、ステッキが箒に変化する。
セレナはそれに跨ると、
「さ、私に捕まってください。メルヴィルも。さあ早く」
……魔法って、本当に便利だな。
☆☆☆☆☆
山を飛び立ってから数分。
陽はすっかり落ち、空は闇に包まれていた。
俺たちは今、高度100メートルあたりを箒で飛行中だ。
透明化魔法は使っていない。
こう暗くては、使う必要もないだろう。
闇夜に浮かぶ俺たちに気づく者もいないだろうから、魔力の無駄になる。
「どこです? ルナさんの家は? この近くなんですよね?」
箒を操縦するセレナが、下をキョロキョロ見ながら訊いてくる。
「あそこだ。あの電柱の前にある家」
「電柱の前の家って……あの三角屋根の洋館ですか? 随分オシャレなところに住んでるんですね」
「父さんの趣味だよ。もっとも、当の本人は仕事で家には滅多にいないけどな」
「へえ」
他に通行人がいないのを空から確認してから、セレナは箒を急降下させ、俺の家の玄関の前に着陸した。
箒を降りると、セレナは変身を解いた。服装は制服に戻り、ステッキもペンダントになった。
「ありがとな、セレナ。送ってもらって」
俺がそう言うと、セレナはペンダントを首にかけながら、
「いえいえ。お礼なんて言わないでくださいよ。私だけ回復してしまって何だか申し訳ないくらいなのに」
「よかったら、上がっていくか? 晩ご飯食っていけよ」
「え? いえ、私は――」
セレナが何やら口ごもっていると、玄関の扉が開き、中から俺の母親が顔を出した。
「ルナちゃん? ああ、やっぱりルナちゃんだわ。ダメじゃないの。こんなに遅くなるなら、連絡くらいしてくれないと」
「ごめんなさい、ママ~。今度から気をつけるから許して~」
「ワン!? 」
急に俺の口調が豹変したので、メルヴィルは目をまん丸にしていた。
セレナの方も、学校でこの状態の俺を見ているはずなのに、今更ながらに驚いている様子だった。
「しょうがないわね。今回だけは多めに見てあげるわ。あら? その子は?」
「転校生のセレナちゃんだよ~。この前、あたしのクラスに転校してきたんだ~。こっちはそのペットのメルヴィルだよ~。学校ですっごく仲良くなったから、遊びに来てもらったの~。ちょっと遅い時間だけど、いいでしょ~?」
「(ワンんん!? この娘は一体誰だワン!? 絶対にルナじゃないワン!)」
メルヴィルは、ただただ俺の豹変ぶりに唖然とするばかりだった。
それとは反対に、母さんはテンションを上げて喜んでいた。
「まあ! まあ! ルナちゃんが家にお友達を連れてくるなんて初めてのことだわ! すごい! どうしましょう! どうしましょう! あなた、セレナちゃんって言ったわね!?」
「は、はい」
「是非、晩ご飯を食べていって! いえ、むしろ今夜は泊まっていきなさい!」
「は、はあ……」
「よかった! じゃあ上がって! 上がって!」
母さんは呆気にとられるセレナの手を掴むと、家の中に引っ張り込んでしまった。
玄関に俺とメルヴィルが残される。
「ほら~、メルヴィルも早く中に入ろうよ~」
「ひいいいいいいいいい! お、お前、誰だワン!? 気味が悪いワン! 僕の魔法少女がこんなに可愛いわけがな――」
「黙れ糞リス! とっとと入りやがれ!」
俺に足蹴りされて、ようやくメルヴィルは家に入ったのだった。
明るいところに入り、俺たちの制服が汚れていることに気づいた母さんは、どこに行ってたのかを問い詰め、山で遊んでいたという俺たちの供述を聴き終えると、
「ご飯の前に二人共お風呂に入りなさい!」
と、俺たち二人を半ば強引に素っ裸にひん剥き、風呂場の中へ放り込んだ。
というわけで、現在、俺とセレナは二人で仲良く湯船に浸かっている。
「でも、よかったんですかルナさん?」
「いいんだよ。ウチはいつも夕飯は多めに作るし、母さんは俺が友達を連れてきて喜んでるし」
「いえ、そういうことじゃなくて。本当はまだ疲れてるんでしょう? 早く休みたかったんじゃないんですか?」
「ああ、そのことか。箒に乗ってる間に大分回復したから大丈夫だよ」
「なら、いいんですが……。それにしても、何ですか、あの喋り方は? 家ではいつもあんな感じなんですか?」
「なんだよ、学校でも見てただろ? 俺は家でも外でもあんな風に愛想がいいんだぜ」
「そ、そういえば、学校でもさっき程ではないですけど、やけに愛想がいいな~とは思っていましたよ。一人称も〝俺〟じゃなくて〝あたし〟でしたし……。私に対してだけですか? そうやって男口調で喋るのは。一体本当のルナさんはどっちなんです?」
「俺は俺だよ。本性とか、そんなのはどうだっていい。ただ、母さんが俺にどんな娘でいて欲しいと思っているのかは、何となくわかるんだ。だから、母さんの前では、精一杯その〝いい娘〟を演じてる。がっかりさせたくないからな。学校だってそうさ。今の俺をそのまま表に出せば、いらんトラブルを招くことになる。いくら不登校児の俺だって、できれば余計な厄介ごとは避けたい」
「じゃあ、どうして私やメルヴィルにはその口調なんです?」
「ははは。考えても見ろよ、箒で空を飛ぶ女と人間の言葉を喋るリスがいきなり目の前に現れたら、驚くのが先で余計な気なんて回す余裕無いだろ?」
「なるほど。なら、もし私が学校でルナさんと出会っていたら、ちゃんと女の子の喋り方で接してくれてたってことですね。惜しいことをしました」
「惜しい? 何が?」
「だってルナさん、ちゃんとした喋り方をすれば、とても可愛いですから」
「……ほっとけ」
自分の顔は見えないが、もしも俺の顔が赤くなっているとしたら、それは別に風呂でのぼせたわけではない。
恥ずかしいので、お湯に潜って誤魔化すことにする。
そうこうする内に、風呂場の戸が開き、母さんが入ってきた。
湯加減でも訊いてくるのかと思ったら、その腕にはメルヴィルを抱いている。
「ルナちゃん、セレナちゃん、このリスちゃんも汚れているみたいだから、一緒に洗ってあげて」
母さんはそう言ってメルヴィルを風呂場に入れると、リビングに戻って行った。
「――というわけで、ルナにセレナ、僕を洗って欲しいワン」
「ちょっと待て。お前って一応、オスだよな?」
恐る恐る俺が尋ねると、メルヴィルは堂々とこう言い放った。
「ん? まあ、一応そうワンが、気にすることはないワン。僕ら精霊は人間の女の子の裸なんかに興味はないのワン」
「いや、でも……」
セレナが何か言いかけると、メルヴィルは「やれやれ」と、感情のこもってない声でこう言い放ったのだった。
「キミたちは豚や牛の裸を見て興奮するワン? 僕にとったらそれと同じことだワン。それに、そもそもキミらのような発育途中の貧相な体なら、仮に僕が人間の男の子だったとしても何の感慨もないはずだワン」
「…………」
「…………」
その言葉で、俺たちの中で何かがキレた。
「セレナ、お望み通り、こいつを洗ってやるか」
「そうですね、ルナさん」
俺はシャワーを手に取り、照準を糞リスに合わせる。
一方のセレナは、顔はニコニコ、目には殺意という何とも恐ろしい形相で、温度をマックスにしたシャワーの蛇口をひねった。
「ワンんんんんんんん! 熱い、熱いワン! 熱湯で洗うのはやめるワンんんんん!」
風呂場に精霊の断末魔が木霊するが、まだ俺は許さない。
首から下げていたペンダントで魔法少女に変身すると、ステッキをかまえる。
覚悟しろ! 糞リス野郎!
「〝オクルス・メドウセム!〟」
「メデュゥアアアアアアアアアアアアアアア!」
「ぎゃああああああああああ! ガギゴ…… ピキーン!」
「あーあ、メルヴィルが石になっちゃいましたね。どうします? ルナさん? 置き物にでもしますか?」
「フン! こんな不細工な置き物、誰がいるかよ!」
そう言い放ち、俺はリスの石像を踏みつけた。
「漬物石にでもしておけ!」
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