1. はじまり
☆☆☆☆☆
<はじまり>
夕暮れ。
太陽も完全に西に沈もうかという時間帯。
人気のない路地裏に少女は立っていた。
「…………」
黙って地面を見つめる少女。
視線の先には、一人の人間と一匹の犬が横たわっていた。
二体とも、身体がピクリとも動かず、息もしていない。
……死んでいるのだ。
二つの死骸を前に、少女は立ち尽くす。
「…………はは」
ふと、笑みがこぼれた。
一度漏れ出たそれは、留まることなく、ビルとビルの谷間に 木霊していく。
「ふはははははは! はーっはっはっはっは! 」
☆☆☆☆☆
<とある中学校にて……>
「まーた芳樹の奴が1位かよ」
二年生の廊下に張り出された中間テストの結果を見ながら、少年は呟いた。
そして、隣で不機嫌そうに順位表を眺める友人の方を向くと、
「それにしても、山田。あれだけ勉強して2位ってどーなの?」
「う、うるせーよ! 勉強なんかしてねーし! テストの前の晩にちょっと教科書見ただけだし!」
「嘘つけよ。お前が夜遅くまで塾で勉強してんの皆知ってるって」
別の友人にそう指摘され、山田と呼ばれた少年は気まずくなったのか、黙り込んでしまった。
「にしてもスゲーよな、芳樹の奴。ずっと一位なのは当然として、毎回毎回全教科満点だろ? ありえねーよ。学校にも殆ど来てねーのに」
最初の少年がそう言うと、山田は自尊心を保とうとするかのように、
「きっと、どこか遠くの有名な塾に通ってるんだ。それか、よっぽど優秀な家庭教師をつけてるに違いない。学校休んでずっと勉強してるんだ。でなけりゃ、この僕が負けるだなんて……」
「まあ、ガリ勉山田のヒガミは放っておくとして、芳樹の奴、本当に何してんだろうな?」
最初の少年は再び不思議そうに呟く。
すると、先ほど山田の塾通いを暴露した少年が親切にもこう教えてくれた。
「噂じゃ、ネットカフェに通いつめてるらしーぜ。そこで株やら何やら動かしてるらしいぞ」
「ひゃー、中学生が株なんかやるかよ、フツー」
「あいつの頭なら、株くらい余裕なんだろうぜ。知ってるか? あいつ、アメリカの学校受かってたのに、ウチの中学に来たってこと」
「アメリカって、アメリカの中学?」
「馬鹿、ちげーよ。大学だよ、大学。飛び級で受かってたらしいぞ。まあ、日本から離れるのが面倒で蹴ったとか言ってたけどな」
「マジかよ!? 芳樹の奴、本当に天才だな」
「おまけに顔もイイときてる。同じ年頃の芸能事務所に入ってる奴でも、あいつに敵う奴なんてそうはいないだろうな。背はちょっと低いが、まあ許容範囲だろう」
「ホント、芳樹って完璧超人だよな。でもな……」
「そう、でも……」
二人は同時に溜息をついたかと思うと、声を揃えてこう言ったのだった。
「あいつ、性格悪いんだよなー……」
☆☆☆☆☆
<その頃、話題の芳樹は……>
今日、俺は学校をサボって、電車で二駅離れたネットカフェに行っていた。
いつも通っている、行きつけの店だ。
俺があの店を選ぶ理由はただ一つ。店員が俺に無関心だからだ。
あの店は平日の午前中、やる気のないフリーターが受付をやっている為、学校をサボるにはうってつけなのだ。
他の店だったら、俺みたいな中学生が朝から行こうものなら、「キミ学校はどうしたの?」って止められちまう。
俺がこの便利なサボり場を見つけたのは、かれこれ数ヶ月前だから、その間、平日は殆ど毎日、朝、学校に行くフリをしてネットカフェに通っていることになる。
朝起きて、電車に乗って、店に行き、学校が終わる時間になると、店を出る。
土日を除けば、毎日これの繰り返し。
今日もいつもと同じ一日になるはずだった。
帰りの電車で、俺は向かいの席に座った若い男がジーッと、こちらを見ているのに気づいた。
心底ムカッ腹が立ったので、俺はそいつが降りる駅まで粘って、一緒に電車を降り、ホームでそいつに声をかけた。
「おい、こら、そこのお前!」
「は、はい?」
その男は、かなりびっくりした様子で俺の方を見ていた。
「『はい?』じゃねえよ! テメー、さっきから何、俺のこと見てんだよ! 俺の顔になんか付いてんのか!」
「あ……」
「ジロジロ人のこと見やがって! ガン飛ばしてんのか、カス!」
「いや、その、あの……」
「何だよ、なんか理由があんなら言ってみろよ!」
「その……キミが……」
「あん? 俺がなんだって?」
「うう……何でもないです……」
「出せ」
「え?」
「お前がさっき、ポッケにしまったもんだよ! さっさと出せ! それをこっちに渡しゃ、許してやる。これ以上、騒ぎを大きくしないでおいてやるぞ」
「うう、わかりました……」
男は観念して、懐に入れていたものを差し出す。俺は乱暴にそれを奪うと、
「いいか? 次やったらこんなもんじゃ済まないからな」
と、男に脅しをかけて、改札口へと向かった。
後になって考えてみると、俺はこの時、「まだ時間があるから、この駅の周辺をぶらついてみよう」なんて思わずに、さっさと電車に乗って家に帰るべきだったのかもしれない。
そうすりゃ、あんなことに巻き込まれずに済んだんだ。
この後、あの妙な女に出逢ってしまったせいで、自分の運命が大きく変わることになるだなんて、この時の俺は微塵も考えちゃいなかった。
☆☆☆☆☆
駅を出ると、俺は真っ直ぐ繁華街へと向かった。
何しろ一度も来たことのない街なので、どこにどんな店があるのか、興味本位でいろいろ散策している内に、 辺りはすっかり薄暗くなってしまった。
時計を見ると、門限の時刻が迫っている。
「マズイな……。早く帰らねえと、母さんにどやされる」
俺は誰にともなく呟くと、すぐ横の路地裏に入り込んだ。
駅の場所は頭に入ってる。この路地を突っ切るのが一番の近道だ。
この分なら、あと数分で駅に着くだろう。
と、俺が安堵した時だった。
「芳樹さーん」
どこからともなく女の声がした。
「だ、誰だ?」
咄嗟に前後を確認したが、そこには誰もいなかった。
ここはビルとビルの間の谷間。
左右に人がいることはありえない。
ってことは……。
「っ!」
恐る恐る頭上を見上げて、俺は目玉が飛び出るかと思った。
声の主はそこにいた。
箒に跨って、 宙に浮かんだ 姿で。
そいつは、そのままゆっくりと下降し、俺の目の前に着陸すると、俺の顔をまじまじと見つめ、
「芳樹さん、ですよね?」
と、尋ねた。
「そ、そうだけど……」
だ、誰だこいつは!?
少なくとも、俺の知り合いに箒で空を飛べる女などいない。
一瞬、何かのトリックかとも思ったが、彼女の動きは鳥のように鮮やかで、とてもワイヤーかなんかで吊っている様には見えない。
それにこいつの格好。
パッと見、修道服をモチーフにしたと思われるが、本物のシスターが見たら怒り出しそうなくらいスカート丈が短い純白のコスチュームだ。
どうみても、平日の午後に街に出かける格好じゃない。
どっかのコスプレ会場から抜け出して来たんじゃないかと疑いたくなるくらいだ。
正直、もうわけがわからん。
アホみたいに口を開けて固まる俺をよそに、彼女はニッコリとこちらに微笑んだ。
「いやー、よかったです。今日ずっと上からあなたの姿を観察させてもらいましたが、やっと人気のないところに入ってくれたんで安心しましたよ」
「上から……?」
「ええ、この箒に乗って」
と、彼女は右手に持っていた箒の柄で、トンと地面を叩いた。
「う、嘘だ! そ、そんなことしたら目立つだろう! 今頃ユ○チューブにアップされて大騒ぎになってるはずだ!」
「ああ、それは透明化の魔法を使っていたんですよ」
「ま、魔法……?」
ファンタジーな単語に耐性のない俺は、またも固まってしまう。
「そう。魔法ですよ。信じていただけません?」
「信じられるかよ、そんなの!」
「ムー、いけませんね。魔法を信じない固い頭もそうですけど、何よりもその言葉使い」
「うるせえ。俺の口が悪いのは生まれつきだよ。性格が悪いのもな」
「いえ、そうじゃなくて……」
「そうじゃなくて?」
「あなたのようなかわいい女の子がそんな乱暴な言葉使いをするのはどうかな、と。おまけに一人称が〝俺〟だなんて」
「…………」
「…………」
「ふん、何を言うかと思えば。女が俺って言っちゃいけないって法律でもあるのか? 田舎に行きゃ、歳とった婆ちゃんとかは普通に〝俺〟って言うんだぞ? ちなみに俺っていう一人称は江戸時代では男女共用だったんだ」
俺の 屁理屈と薀蓄に彼女は呆れたような顔をすると、
「でも、あれはいけないと思いますよ」
「あれ?」
「さっき駅のホームで男の人を恐喝していたでしょう?」
「ああ、あれか。恐喝だなんて、人聞きの悪いこと言うなよ。あれはあの男が悪いんだぞ。電車の中でずーっと俺のこと見てやがったんだ。まあ、俺はこの通り、あの手のロリコンには好かれそうな容姿をしてるし、不覚にも足をかなり開いて座ってたんだから、無理ないんだがな。だが、あの男は見るだけなら飽き足らず、写真まで撮りやがった。しかも、スカートの中だぜ? 盗撮だよ盗撮。ほら、これがその証拠さ」
俺はさっきあの男から奪った小型のデジカメを彼女に渡した。
「俺のパンツが写った画像があるだろ? ほら、この縞パンと同じやつ」
「わかりましたから、スカートまくり上げないでください。はしたない」
女は画像を確認すると、デジカメをこっちに返した。
「ま、てなわけで、あいつも常習犯ではなさそうだし、出来心でやったみたいだったから、カメラ回収するだけで許してやったってわけさ。絶対に恐喝なんかじゃない。駅員を呼ばれなかっただけ、あの男は俺に感謝すべきだ」
「それは失礼しました。私も上から見ていただけなので、てっきり芳樹さんが恐喝を働いたのかと」
「……なあ、お前一体何者なんだ? ただの人間じゃないってのは、見ればわかるけど、どうして俺の苗字を知ってる?」
「あら、苗字だけじゃなくて、名前も知ってますよ。フルネームは、芳樹月さん。〝月〟と書いて〝ルナ〟って読むんですね。何だか可愛いですね」
「苗字が男の名前みたいだから、下の名前は可愛いのにしたかったって親は言ってたぞ。俺に言わせりゃ、ネーミングセンスゼロだけどな」
「そんなことないですよ。いい名前です。私もルナさんって呼んでいいですか?」
「好きにしろよ。どうせ、お前も 俺と同じ中学生くらいだろ?」
「はい。中学二年生、十四歳です」
やっぱり、タメか……。口調は大人びていたが、童顔だし、背も俺よりちょっとだけ高いくらいだからな、こいつ。
「で、自称空飛ぶ魔法使いのあんたは俺に一体何のようなんだ?」
この時にはすっかり混乱状態を脱していたので、俺はストレートな質問を彼女にぶつけることができた。
「〝魔法使い〟っていうのはやめてくださいよ。私は〝魔法少女〟です」
魔法少女?
今時?
中学生にもなって?
頭イカレてんのか、こいつ?
俺は一瞬そう思ったが、彼女の次なる台詞にそんな考えはどこかにブッ飛んでいた。
「ですから、ルナさん、あなたも魔法少女になってください」
次回の投稿は一週間後を予定しています。