原因は庭ではなく貴方でした ≪2≫
前回の続きです。
『裏庭』同様、マリエルは過去のトラウマから苦しみます。
苦手な方はすっ飛ばしてくださいませ…
「―――マリエルか?」
ここしばらく聞いていなかったのに、忘れることがないらしい声に、体がビクッと反応した。
(うそ…いないって言ってたのに…)
「マリエルだろう?…この庭に入って…お前、大丈夫なのか?」
恐る恐る後ろを振り向くと、第一騎士隊の制服を立派に着こなしているが、騎士にしては前髪と襟足を長く伸ばした濃い栗色の髪に、この髪色にしては珍しい明るい榛色の目をした『奴』が四阿に向かって近づいて来た。
「あ…ユースタス殿下…」
強張る声で名前を口にすると、体が拒否したのか喉の奥がキュッと絞まる。
マリエルは嫌がる体を宥めるようにスカートを撫でつけながら立ちあがると、身についた習慣でゆっくり腰を落とし、たおやかに淑女の礼で挨拶をする。
「いい、いらん!やめろ。そんなことして、また倒れられたら堪らん。座っとけ」
即座に低めの通る声が、ザクッと切りつけるような鋭さで投げつけられる。
(っ!いつも倒れたりしない!…なんでこっちに来るのよ…早くどっかいって!お兄様、早く帰ってきて、お願い助けて!)
『裏庭』へ入れた時に消え去ったと感じた恐怖の波が、呆気なく戻っては次々と上から被さってくる。
自分の視野が急に狭くなり、それに合わせて暗くなるのを感じて、息苦しくなった。
マリエルは必死に、意識してゆっくりと呼吸を繰り返した。
頭が混乱して、胸が苦しくなった時には、こうしなさい、と子供の頃に大叔母から教えられたことを実行する。
(ああ……どうしてもう大丈夫だと思ったのかしら?…油断したわ…)
こんなに会いたくない相手なのに、家格を利用しても唯一マリエルが上位に立つことができない相手は、簡単に逃げることを許さない。
そしてその相手は今、マリエルを追い詰めるように目の前に立とうとしていた。
こんな時、マリエルの願いはいつも届かず、今回は兄の助けすらも間に合わないらしい。
数段ある階段を長い足で軽く飛び上がると、エリアーデ王国の王太子ユースタス・ミルコ・エリアーデは、何の躊躇もなく四阿に入ってきて、マリエルの前に立った。
(…あぁ、目の前が狭い…ここで倒れるわけにはいかないわ。早く、落ち着いて、息をしなきゃ…)背中に汗を感じて、体が冷たくなる。これは良くない兆候だ、と少し焦る。
「お前…それはどこの食い物だ?何が入ってる!」
「?…我が家の料理人が作ったケーキですわ…入っている物は…多分、お酒に漬け込んだ乾燥果物と兄の好きな木の実だと思いますが…厳密には分かりかねます。…何故ですか?」
マリエルは、急な詰問とその内容に驚いたが、そのおかげで戸惑いながらも思ったよりしっかりした声で答えることができた。
そんな自分に、ホッとして少し落ち着きを取り戻す。
「…マリウスへの差し入れか。ふんっ…ナールが入ってないなら、別にいい」
「ナール…ですか?…絶対、とは言い切れませんが、そんな貴重なものは入ってない普通の焼き菓子だと思いますが…」
(ナール?)マリエルは、何故ここでそんな名前が急に出てくるのか不思議に思う。
『ナール』とは南国パラン公国を原産とする果物で、熟すと甘く良い香りが漂い、少し厚い皮を剥いて現れる白い実は、軽く指で潰せるほど柔らかく、口に入れるとフワッとした食感で、とても甘く美味しい。
しかしこの果物は不思議で、まず収穫時を見極めるのが大変難しい。
熟してから収穫すると運搬中に傷んで食べられなくなり、早めに収穫してしまうと熟さず、やはり食べられない。
収穫後に熟させる方法もあるのだが、それには専門の高度な技術がいるらしく、その数少ない技術者は公国が全員占有している。
また育つ土地も限定され、パラン公国の特定された土地以外で育てようとしても枯れてしまい育たない。
何より、魔術の発達しているエリアーデ国が、流通をどうにかできないものかと通常なら簡単に出来る保存や状態維持の魔術による保護を施しても、ナールは全く受け付けず、熟す前とは違う石のような堅さになってしまうのだ。
このナールの育成と収穫技術を独占するパラン公国は、大陸一とても小さな国だ。
その小さな公国が、大国とも引けを取らず渡り合えているのはナールがただの果物ではなく、公国に大きな利益をもたらすと共に外交にも一役買っているからに他ならない。
そのナールを、国家あげての貴重品と位置付けて大事に保護しているのは当然のことだろう。
結果、美味しいとどれだけ評判が高い果物でも、パラン公国との間に国を挟んだエリアーデでは、高位貴族ですら簡単に手に入らない高価な貴重品となっている。
(王家のこの人なら簡単に手に入るのかも知れないけど、普段使いのお菓子にそんな高級品を入れたがるほど贅沢を望んだりしないわ!なにこれ、嫌み?自慢?嫌がらせ?もしかして自分が好きだから入ってるか確認したの?もうっ!おあいにく様、これはお兄様のケーキよ。貴方の分なんかないわよ!)
「そうか…まぁ、公爵家で作られた物なら大丈夫だろう。もう、いい」
(もう、いい?入ってなきゃどうでもいいの?じゃ聞くなっ!…もうっ、お兄様!遅いですわよっ!)
恐怖への防御反応としてか、本人は意識もなく王太子と兄に怒り、そのことで恐怖を誤魔化しているのだが、体は正直でスカートに隠された足は震えていた。
「わ、わたくし、この後、魔道省に用がございますので、これで失礼いたしますわっ」
「は?急に何を言っている。マリウスへの差し入れを渡しに来たんだろう?彼が来るのを待っているんじゃないのか?」
「あ…それは…」
「良いから、座れ。お前は相変わらず顔色が悪い」
(誰のせいだと思ってるのよ!…あぁっ、もっと上手く逃げられれば…)
逃げるのに失敗したマリエルは下を向いて唇を噛む。
一方のユースタスは、ケーキの横に広げられた手紙を見て眉をしかめた。
「そう言えば、また婚約破棄したそうだな…お前、いつまで続ける気だ?」
険しい顔をさらに強めて、またも詰問してくる。
(あぁっ!もう無理無理無理っ!放っておいてよ!)
それまで必死に冷静さを保とうとしていたマリエルは、混乱の渦へまっ逆さまに落ちていくのが分かった。
「…殿下にまでわたくしなぞのことで、ご心配をお掛けしておりますようで、大変心苦しゅうございますわ。申し訳ございません。しかし、ご安心くださいませ。この度、新しい婚約者が決まりましてございます」
「何っ!?破棄してから、まだ数日しか経ってないだろ?」
「はい、運良く新な良いご縁を頂くことになりましたの。そして、わたくしはこの方を最後に、一生添い遂げようと思っております」
「っ?何故急に?」
(何故?疑問に持つこと?…ああ、この人は子どもの頃のわたくしを知ってる。素顔も知られているし、そもそも王家直系の人は魔力が多く、魔道士の魔術も見破られる事がある、とキーランも言ってた気がする…わたくしなんかじゃ相手にされるわけないと思ってるのね!)
先ほどまで道が選べないと悩んでいたことも忘れ、売り言葉に買い言葉で結婚を選択し宣言までしてしまったことに、頭が働かない焦りの中で反射的に喋っているマリエルは、全く考えが至っていなかった。
「急ではございませんわ。わたくしも結婚相手を探して長くなりますもの。自慢にはならないことですが、適齢期もとっくに過ぎましたし、もう決める時だと思っただけですわ!殿下におかれましては、ご心配に及びませんよう、今度こそご安心頂けるようしっかり努めてみせますわ!では、わたくし、兄を探しに行ってまいります!」
(もう、無理!とにかく、ここから逃げようっ!)
恐怖に頭の中を真っ白に塗りつぶされたマリエルは、冷静さの欠片もなく、ただ勢いで畳み掛けるように早口で捲し立てると、王太子への礼も何も忘れて、四阿から逃げ出して…………
「マリエルっ!」
―――倒れた。
「ナール」はバナナのイメージです。
…やっと会った…この二人が会うまでに7話。
もう一人と会うまでにもっとかかるよなぁ…
おかしい!
最初の予定ではもう終わる話数だぞ!?
そんなわけで、気長にお付き合い頂けると幸いです。




