奪還
やっと大事な物を取り戻せました。
扉を薄く開けたヒューバートは、中と外でヒソヒソと話をしていた。
マリエルの所まで聞こえてこない話し声では、相手の性別すら分からない。
短いやり取りの後、扉を閉めてヒューバートは再びマリエルの前に立った。
その手には新たな布地が握られていた。
「すまないが、お客様のご要望なんでね。またしばらく眠っていてもらうよ」
また薬を嗅がされる、と気づいたマリエルはじたばたと体を動かそうとするが、手足をきつく縛られている身では少しばかり左右へ転がった位だった。
「貴女は、以外に諦めの悪いお嬢さんだったんだね…」
『っ…!!』
ヒューバートが台の上にドカッと乗った足でマリエルのスカートを踏みつけ、右手ではマリエルの左肩を力任せに押さえつけ動けなくする。
彼はそのまま覆い被さるように、左手に持った薬が含まれた布地をマリエルの鼻に押し付けてきた。
口はすでに覆われていたので、鼻から吸わせようとしたのだろう。
マリエルは逆に口を塞ぐスカーフを利用して、少しでも薬を吸い込まないように、スカーフ越しに薄く息をしたが、やはり少しは吸い込んでしまい意識が遠くなってきた。
「…効いてきたかな?…悪いがこちらも商談の間は貴女にかかずらわされたくないんでね」
マリエルの目が下がり、足先や指先から力が抜けていく。
やがて、体中が一つの重石になったように重く動かなくなるはずだ、と何度目かの経験で想像はついている。
(だめよ!もう簡単に意識を飛ばしてはだめ!)
マリエルは縛られて力の抜けた右手で左手の甲に爪を立てた。
残った力を振り絞って仰向けに転がり、後ろ手に縛られた手に自分の体重を乗せることで力の足りない分を補うように、自らに痛みを与えて意識を保とうとする。
(もう、私の知らない所で私のことを勝手に決めさせたりはしない…私は私の成り行きを見つめて乗り越えないと、顔に怯えて気を失ってばかりの自分から変われない!)
マリエルの中に今まで感じたことのない、強い意志が沸き上がってきた。
(そうよ!本当の私は、自分で何でも決めて、自分の考えを大事にしてきた。人に自分を任せたりしなかったはず。…それがいつの間にか、怖いことから逃げて、家族に守ってもらってばかり。…私…そんな性格じゃ無かったはず。何故?いつからそうなってしまったの?顔のことだけが原因なの?…何か違う気がする…とにかく今は意志を強くしなきゃ!)
爪をさらに柔らかい肌に食い込ませる。
(…私、もう、逃げないっ!)
ドクンッ!
不意にマリエルは、背中から叩かれたような強烈な鼓動を感じた。
『っくはっ…』
ドクンッ!
また大きく鼓動する。
一瞬、息が止まりそうな衝撃が走った。
ドクンッ!
(…な…何?…この動悸…苦しい…)
ドクンッ!
(…変な…薬のせ…い?…)
ドクンッ!!
背中から全身にかけて強い衝撃が走り、体の奥から何かを吐き出すように息を吐く。
そして訪れたのは、また『暗闇』だった。
☆☆☆☆☆
急に目の前が真っ暗になって、気づくとマリエルは何も見えない所にたっていた。
(…やっぱり…気を失ったの?…これは…夢?…ここ、知ってる気がする…やっぱり夢かしら?)
自分の姿が見えず、声も出ない。
そんな本当に自分が存在しているか確認することもできない暗闇の中では、たかが足一歩を踏み出すのがとても怖かった。
もしかしたら、出した一歩が命取りになるかもしれない。
そう思えて仕方ない。
穴に落ちるか、何か命をなくすような何かにぶつかるかもしれない。
(どうしよう…すごく怖い…でも、これが夢なら死なないわよね?…夢から早く覚めて戻らないと…私、誰かに売られてしまうわ!確かに私は家族に甘えてきた。でも、私は今までだって、私の信頼した人にしか自分を委ねたりしてないわ!知らない男に自分を委ねてなるものですか!私は、私を、放り出さない!)
そう自分を鼓舞すると足を踏み出した。
途端に、足を置いた所から同心円上にヒビが入り広がっていく。
何故かヒビだけが白く線を描き、さらに先へと広がり続ける。
次の一歩はヒビの上に出すしかなく、このままではヒビが完全に割れて、そこから自分も落ちてしまうのではないかと思うほどだ。
(大丈夫よ。これは夢だもの。落ちないし、もし落ちても次の場所があって死なないのよ…)
そう恐怖心を宥めながら、恐々と次の一歩を踏み出した。
『あぁっ…!』
白い線のヒビはさらに広がり、大きなヒビの間を小さなヒビが埋めつくしている。
夢でも何でも恐いものは恐い、と心は震える。
さらにもう一歩。
ビキビキビキッ、とさらにヒビは広がる。
(目的地が分かってれば走って行くのに…私が向かうのはどこ?どこに行けばいいの…?)
さらに数歩進んだ所で、ついに足元が割れた。
大きく開いた穴からマリエルは落ちる。
しかし、そのスピードはゆっくりで、フワフワと浮いているかのようだったが、体の感覚は確かに落下していた。
(不思議だわ…落ちてるのに、スカートがめくれ上がらない…やっぱり夢なのね…そうよ!さっきまで手足を縛られてたのだから、絶対夢なんだわ!…こんなにゆっくり落ちるなんてあり得ないし…)
どれくらい落ちていたのかも分からないほどゆっくりと下がり続けた爪先が、ついに硬い何かに触れた。
それが地面なのか、床なのか、何かは分からないがとにかく両足をつけて立つことができた。
相変わらず周りは完全なる暗闇だったが、夢だとはっきり思えたからか、最初よりはマリエルの恐さも薄らいでいた。
マリエルは新たに着地した場所から、足を踏み出すかどうするかを一瞬悩む。
足を出すなら左右前後どちらに出すか…。
どこに足を出しても、あるのはただの『暗闇』だ。
でも、この一歩が大きく今後を変えるようにマリエルは感じていた。
この逡巡が功を奏したのかもしれない。
下を向いていたマリエルは、ふと気づいた物があった。
何も見えないそこに、確かに『ある』のが分かる。
しゃがみこんで足下の『それ』がある場所を手で撫でる。
暗闇の中でも存在を主張するように『それ』がほのかに温もりを放ち、触れた指先から手のひら全体が次第に温まってくる。
(これ…どうやったら出せるかしら…)
マリエルが何も見えないその場所を掘り返そうとしても、叩いてみても、埋まっているはずの『それ』は取り出せない。
急いで先に行きたい!夢から早く目を覚まして自分を明け渡したくない!と強く思えば思うほど、焦りとともに『それ』を手に入れなければいけない、という思いが相反して沸き上がる。
ついに、焦れたマリエルは地団駄を踏んで癇癪を起こした。
(もうっ!なんなの?…これが何か知らないけど、私に必要な物だと言うなら、今すぐ私の所に来なさい!私は私のために、ここでじっと何かを待ってるわけにはいかないのよっ!)
ドンッ!と、再度踏みつけた瞬間に『それ』は、その場所からスルンと溶け出してきた。
不思議な『それ』は暗闇に溶け込み、見えない空気のようでありながら、温とく発熱している。
そして『それ』が、ふわりと浮き上がってマリエルの胸に張り付いた。
(何?…これ…っ、っあぁ…)
張り付いた『それ』は、溶け出したのと同じようにマリエルの中にスルンと溶け込んだ。
胸で『それ』が灯る。さっきマリエルの手を暖めた熱が、今度は胸の中で発熱する。
(あぁっ…これは…)
あぁ、君はついに『それ』を手に入れたか…
いつか聞いた声。≪何か≫が言う。
もうこれで、君は元の幸せな君には戻れなくなって
しまった。
仕方ないね、何かを手に入れたら、何かを失うのは
世の常だからね。
イイエ、ソレデイイノヨ。ヨク、アキラメズニ、ガンバッタワネ。
ヨクトリモドシタワ。
また聞いたことのある声。もう一つの≪なにか≫も言う。
あぁ、そう…これが、わたしのとりもどしたかった
『あれ』なのね。
ソウヨ。『ソレ』ハ、モトモトアナタノモノ。
アナタニカエッタダケ。
…結局、君は自分の都合で放り出したり取り出した
りしただけだろ?
そのうち、今までの人任せの幸せが惜しくなって、
また放り出すんじゃないのかい?
だって君は、ただの臆病者だからね。
ソンナコトナイワ。
アナタノモトニ『ソレ』ガ、カエッタノヨ?
『ソレ』ノモドッタアナタハ、ナニモオソレルコトハナイモノ。
アナタニハモウ、『ソレ』ガナンナノカ、ワカッテイルハズ。ソウデショ?
『これ』は…うまれたときから、わたしのもの…
ソウヨ。
『これ』はしゅくふく。みっつめの。
ソウヨ!ソレハ、メガミカラアタエラレタモノ。
アナタノ、ミッツメノシュクフク。
本当に君にとって祝福かは分からないがね。
アナタニ、アタエラレタシュクフクハミッツ。
ヒトツメハ『ハンエイ』。
二つ目は『寛容』。
そして、みっつめが『いくさ』。
小さくて零れ落ちそうな僅かなものだけどね。
イイエ、チイサイカラコソ『ソレ』ハ、イミガアルノ。
チイサナ『イクサ』ノイミハ………モウ、ワカルワネ?
『軍』はたたかいのしゅくふく。
でも、それがふくむのはたたかうための、のうりょ
くすべて。
わたしにあたえられた、ちいさなしゅくふくは
『勇気』だったんですね。
それを簡単に手放して閉じ込めていた君は、全て人
任せで生きてきて楽だっただろう?
幸せだっただろう?
今さら手に入れた、使い道の分からない『勇気』な
んてもて余すだけだよ?
だって、君は醜い顔と醜い心の持ち主なんだろ?
≪何か≫を自分で決めれば、その責任も自分につい
てくる。
それはとても恐いことなんだろ?
君が逃げ続けてきたもの、そのものじゃないか。
どうだい?今からでも遅くはない。
『それ』を元に戻して、また深く隠して、閉まっと
いたらいいじゃないか。
そうすれば、君の恐いものは無くなるよ?
優しく、甘い世界に居られるんだ。魅力的だろ?
(そうね…でも、もう私は理解できているわ)
そうかもしれない。でも、もう大丈夫よ。
私はもう『これ』を手放したりしない。
≪何か≫分からないあなたにも、もう振り回された
りしないわ。
私は私の周りの人達も、私自身も≪何か≫分からな
いものに任せたりしない。
委ねたりしない。
そうよ。
「私は、もう、私の主になることを恐れないっ!」
マリエルが強い気持ちを口にした途端、胸の奥がカッと熱くなり、辺りは真っ白な光に包まれた――――――。
奪還したのはマリエル。
マリエルの奪還に向けては、これから…ということで…
実は、私事で荒んでた時に書いてたら、マリエルにどんだけでも酷い事をしてしまい、何十回と書き直し続けてしまいました。
どうしても合わない人っているものですけど、親族にいると…最悪ですね。
いずれ、お前らがしたことをお話しに落とし込んでやろうか!とブラック湊上が思ったせいなのか、危うくマリエルが大変な目に合うとこでした(苦笑)ごめんよ…
マリエル、後は幸せになるだけよ!




