努力と翻弄
ラブが欲しいと言った、私めのせい?
…こんな話に進んだのは…あれ…?
行きの神妙な顔つきとは全く違う、底抜けに明るい顔でマリウスは戻ってきた。
何だかんだと言っていても、やはり親友に騙されていたのではないか?と疑わざるを得なかったのは、彼にとって大きな重荷だった。
その喜びを押し付けるようにマリエルに報告した。
最初はマリエルも、騙されていたわけではなかったこと、法を犯させていなかったこと、などを素直に喜んでいたのだが、やがて気づいた。
(待って!ということは、そもそも私が気持ちをしっかり建て直しできていれば、こんなに家族に心配をかけることもなかったし、キーランを巻き込まなくても済んだということ?)
自分の心一つで『醜い私』が見えなくなるという、ある意味での治療法が見つかったと言うことは嬉しくもあったが、怯えて暮らした十五年の月日が簡単には消えるとも思えず、それは新たな不安材料となった。
ただ、マリエルの気持ちとしては、自分の大事な人達に迷惑を掛けない方法があるのならやる、それこそが正しい道だと思った。
「ターシャ、わたくし…キーランの元に行くを止めるわ!前回お願いしてからまだ5日よね…私の不安が原因なら、このまま過ごしてそれを克服するわ!」
「…お嬢様…分かりました!私も微力ながらご協力させていただきます!」
両親もマリウスも、そのマリエルの宣言を喜んで聞いた。
この問題さえ解決すれば、マリエルが楽になる、その上で次の婚約者は正式な嫁ぎ先となるだろう、と楽観的になれたからだ。
それからマリエルは、深呼吸をして気持ちを落ち着けてから鏡の前に立つようになった。
「あの顔は見えない。私は醜くくない。鏡の私はいつもと同じ…」
もはや、呪文のようにぶつぶつ呟きながらそっと目を開く。そこに変わらぬ自分の姿を見つけると、マリエルはホッとしてその日一日を無事に過ごすことができた。
そして、そんな日は何事もなく外出するように決めた。外出は、怯えない自分の証明となるだろうと、考えたからだった。
ターシャはその間、決して焦らせずに我慢強くマリエルが落ち着くまで朝の支度を待ってくれた。
例え、日増しに鏡の前へたどり着くことに時間がかかるようになっても、朝食に間に合うよう早目にマリエルを起こすことになっても、それに合わせて自分の仕事時間が長くなっても、文句も言わずじっくりと付き合った。
最後に施術を受けてから三週間が過ぎたある日、鏡の自分の頬にヒビが入っているのが見えた。
マリエルは怯えて、一瞬ひゅっと息を飲んだが、気のせいだ、不安のせいだ、と言い聞かせてターシャにも言わず、見えなかったことにした。
さらに一週間が過ぎると、顔色が赤く変色してきていることに気づいた。やはり、すんでのところでターシャにも知られず、耐えることができた。
しかし、不安という黒い沼が足元に広がって来たのをひしひしと感じていた。
この辺りからマリエルは、外に出るのも恐くなり始めた。
周りはいつもと変わらないと言ってくれるが、自分には現実に見えている。
果たしてこれが、本当に気のせいなのか…と一度疑いだしてしまうと、きりがなくなった。
その頃には『もう大丈夫だから』としか告げずに行かなくなったキーランから、マリエルを心配する手紙が頻繁に届くようになった。
『急に無理をしてはいけないよ。少しずつ気持ちを落ち着かせる方がいい』と書かれた手紙に涙が出た。
何度もこの言葉に甘えてしまおう、と思ったが、その度にキーランも自分の大事な人の一人だ…と言い聞かせて踏み留まった。
施術から一ヶ月半を過ぎた辺りで、ついにターシャをごまかせなくなった。
完全に外出が恐くなり、部屋の鏡を叩き割ろうとしてしまったからだった。
「お嬢様、いつ話してくださるかとお待ちしておりましたが、もう限界です!お話しください!今、何が見えているのか、どう思ってらっしゃるのか、そうやって一つずつ乗り越えましょう!」
(そう…本当は知ってたのに、待っていてくれたのね…)
ターシャの言葉に、一度は手放しかけたやる気をもう一度取り戻すと、マリエルはまた頑張れた。
それからは、毎朝鏡に映る自分の姿を震える声で見えたままに報告し、それをターシャが一つ一つ丁寧に訂正していく、ということを繰り返した。
それは自分に見える姿と、ターシャに見える自分との差をはっきりさせていくことでしかないのだが、何故か逆にその差が埋まっていくような、不思議な感覚をマリエルは覚えた。
一方で、ターシャは日々新たな挑戦を考え出した。マリエルが怯えて外出しなくなったことを憂慮して、帽子にベールをかけ、顔をはっきり見えないようにして外出することを提案してきた。
どこか街を歩かなくても、馬車からの車窓を楽しむだけでも違うから…と連れ出した。
ターシャはできるだけ、マリエルの気持ちの重荷が軽くなるように努め、助言で救ってくれた。
「どうしても行くことができなければ、ご領地に行かれるのも一つです。あそこなら、領民や使用人達も穏やかですし、人に会わずにお散歩くらいいくらでもできますからね。道はいくらでも考えだせますから、思い詰めるのだけはやめましょう!」
(…私、ターシャがいなかったら、きっともっと早く壊れていたんでしょうね…)
マリエルはターシャの存在に心から感謝した。
ある日、マリエルは一人で馬車で散歩に行くことになった。
たまたま、マリエルのドレスを頼まれていた洋品店から確認して欲しいとターシャに声がかかり、その対応に出かけてしまったからだった。
何度も出かけたおかげで、外に少しずつ慣れてきていたマリエルは、これも挑戦!と一人で出かけることにした。
そこに行こうと思いついたのは、ただの気まぐれだった。
もしかしたら、助けてくれるターシャが側にいなかったことも作用したのかも知れなかった。
馬車に乗って行き先を告げる際にふと出た場所は、あの断崖絶壁だった。
そこは、トールに初めて連れてこられた時と何も変わっていなかった。
マリエルが強い風が吹きつける崖の上に立つと、今は心細さよりも誰もいない安心感が先にたった。
崖から見下ろす海は、白い波しぶきが崖に当たっては散る。
その波が大きく唸る様は自分の心象とも重なって、どこから見ても荒々しいだけのその光景が今はマリエルに安らぎをもたらした。
(もし、私が心の弱さに負けてしまった時は、ああやって砕け散ってしまうのかもしれないわ…)
そんな不穏な思いが頭に浮かんだのは、戦っている今だからこそ、いつまで戦えばいいのか分からない疲れと、いつかそんな日が来てしまうのではないかという恐れからだった。
(私が強くならないと、皆に迷惑をかける。でも、強くするのってどうやったらなれるのかしら…)
眺めている景色はいつまでも飽くことがなく、むしろ家にいるよりも落ち着いて自分のことを考えられた。
しかし、体の作りはいかんともしがたく、寒さに震えだした。
その時、急に後ろからガシッと何かに包まれた。
驚いて、自由にならないほど固められた体から、どうにか動く範囲で首を後ろに回すと、何故ここにいるのか分からない人に、どこからか引き出した毛布ごと抱き締められていた。
「…こんな所にそんな格好でいたら風邪を引く。いつまで、ボケッと立ってるんだよ。体が冷えきってるじゃないか!…いや、それより!お前、こんな場所に供も連れずに何してんだよ!暴漢に襲われたらどうすんだ!」
「…従僕がいますもの。一人ではありませんわ。…それで…殿下?貴方こそなんでこんな所に?」
「…城に戻る途中でお前が見えたから、街に行くならついでにお茶でもと思って、ついてきたんだよ。…そしたら、こんな所にお前が来たんだ。しかも供は従僕一人で!心配にもなるだろう?」
「……後をつけてきたんですか?」
胡散臭そうにユースタスを見ると、珍しく赤くなって
「ちっ、違うっ!後をついてきたんだよ!」
と言う。
「…同じに聞こえますけど…」
「それより、何だ!そのベールは!端から見たら若い未亡人が旦那の後追い自殺をしようとしてるみたいじゃないか!顔を出せ!」
「…未亡人…?…うふふっ…」
ユースタスが強引にベールを跳ね上げた。
マリエルは、自分がなる予定もないことを言われ、ふいに笑ってしまう。
「それで?真面目な話、何なんだ?それは。また、何か変なことを考えてるのか?ヨルゲンとの婚約は無くなったと聞いたが、それが原因なのか?話せ!」
相変わらずの物言いだけれど、温室で聞いた話のせいか、腹は立たない。
後ろから包み込むユースタスの体温が、マリエルを本気で心配してるということを、より深く親密に感じさせた。
「これはですね…」
ユースタスの心配をあやすように、マリエルは最後に会って以来、何があって自分がどう思って何をしているかを話した。
不思議なもので、前回お互いが感情をさらけ出したからなのか、マリエルは今さらユースタスに取り繕う必要を感じず自然に話せた。
話を聞いたユースタスは、マリエルに微笑むと、抱き締めた右手を上げて、優しく頭を撫でる。
「…そうか、頑張ってるんだな。…お前はいつもそうだが、負けないな…」
「殿下…嬉しそうですね?そんなに、人の足掻いてるのが面白いですか?」
「あ?いや…そこはただ素直に感心してる。…嬉しいのは…ああ、うん、嬉しいんだな?俺は…うん。くははっ…うん!嬉しいのは別件だ」
「何のことですか?」
「お前、気づいてないのか?…くくっ…お前、初めて俺と会ってから一度も気を失ってないんだよ。ああ、確かに、気分がいいよ!」
「え?」
ユースタスに言われて、初めて今の自分達の状況に気がついた。
「あ…あの…殿下、もう大丈夫ですので…は、離してください…」
「うん、無理だな」
「は?」
「お前が暖まったとしても、離れたら俺が寒い。そもそも、お前は、俺がお前を想っていることを忘れてないか?」
「そ、それは…」
「だったら、黙って抱かれてろ。俺はこのままがいい。離す気はないからな」
「そんな、きっぱりと…」
「ああ、そうだ!良いことを思い付いたぞ。お前が毎日散歩に出かけるなら、俺が供をしよう!」
「はぁ?何を言い出すんですか!そんなことできるわけないじゃないですか!」
「いや、簡単だろ?何で出来ない?俺が供をすれば安全だし、お前の顔の問題も解決できるだろ?家では侍女が、外では俺がお前の不安を解消してやる。…うん、いい思いつきだ!いつも何時から出かける?」
「…お昼のあとです…けど、いえでもやはり、殿下とご一緒なんて…」
「黙れ、おれが行くと言ったら一緒に行く。昼過ぎだな…じゃあ、俺が迎えに行くまで待ってろ!」
「でもっ!殿下…んんっ…」
マリエルの反対の声は、ユースタスの口に塞がれた。ユースタスは器用に体を半回し、マリエルの顎を上向けさせ、少しだけ深く口づけた。
「…ふははっ…これはいいなぁ…うん、いくらでも文句言っていいぞ!次から文句は俺が全部吸い取ってやる!」
「なっ…」
例え、それが長くない口づけでも、人のいない崖の上だとしても、その行為そのものに顔を赤くしたマリエルは、次に言う言葉が浮かばなかった―――――。
…次話で終わるはずだったのですが、諦めました…
がっくり…浮かれ王子め!
マリエルは頑固だし、ユースタスはあれこれ今さらやり始めるし…
やっぱりストーカーだし!
そんな訳で…あと、少しだけお付き合いお願いいたします!
(本当にこればっか…ごめんなさい…)
でも、そんな長くは続けない!
王子の思い通りにしてなるものか!




