騙したのは誰?騙されたのは誰? ≪2≫
トール君、退場!…寂しい…
「…わたくしが見ていたものはなんだったの?」
マリエルには、あの恐ろしい顔が偽物とは思えなかった。
「その魔道士を訴えますか?」
「え?…あ、いえ、いいんです。何か勘違いがあるのかもしれませんし…」
勘違いなどあるはずがない。それを一番分かっているのはマリエルだ。
しかし、そうなるとキーランが自分を欺いていたことになってしまう。
生まれたときから自分を見守ってきてくれた、もう一人の兄とも信頼している人が、そんなことをするはずがない!と思う。
(そうよ、そもそも私を騙す理由がないわ!)
とはいえ、疑問は消えない。
「…マリエル様が、そうおっしゃるなら…でも、もしおかしなことがあったら、すぐにお父上にお話なさるんですよ?」
「え、ええ…」
頭の整理がつかないまま、トールの言葉に頷いた。
「あ…では、わたくしの顔に問題がなかったら…婚約はこのままでもよろしいのかしら?」
ふとマリエルは、今日の話し合いの行き着く先について思い出した。
それが口からこぼれたことすら気づかなかった。
(私が騙していないなら、トール様に申し訳ないことはないということ?…なんの問題もなくなってしまったわ…では、トール様とこのまま婚約をしてしまっていいのかしら?)
自分の考えに没頭していたマリエルは、目の前で息を飲んだり、眉をしかめたり、と顔を白黒させていたトールにも気づいていなかった。
(でも…私、トール様という人がいながら、昨日あんなことをしてしまった…あれは申し訳なくないはずがないわ…あの時、トール様の事が頭に浮かびもしなかった。こんな気持ちで嫁いでしまっていいのかしら?)
「あ…あの…マリエル様!」
「うぁっ!っは、はい!」
急にトールから名前を叫ばれて、思考を中断させられたマリエルの意識がトールへと引き戻される。
「あのっ!…こんなこと、私が言うのは、大変おこがましいのですがっ」
「はぁ…」
「どうぞ、心置きなく、私と婚約破棄してください!」
「はい?」
「マリエル様は、お噂通り、本当に素晴らしい方で、私のようなうだつの上がらない男にも親切にしてくださり、いたらぬところを根気よく直してくださいました!おかげでこんな私でも、多少はマシな男になれたと思います!感謝しても、しきれません。私みたいな男を直せるなんて、本当にお噂通りだと感服いたしております!だからこそ、私では、マリエル様には役不足と言うことも実感いたしました…」
(…何かしら?このおかしな言葉の数々…噂って、いつもの婚約破棄に関してではなさそうな…)
「正直に申し上げれば、マリエル様に私を直していただいて、貴女の理想の男になれれば、貴女と添い遂げられるのではないか、と期待しておりました。それで、私を馬鹿にした女性を見返せるのではないかと考えたのも事実です」
「…トール様を馬鹿にされた女性がいらしたんですの?」
「…ええ…お恥ずかしい話ですが、私が想いを寄せていた女性に、みっともない、頭が悪い、間が悪い、情けない、と散々に言われ…終いには『貴方みたいな男が私に想いを伝えるなんて、何百年も早いわ!どうしてもと言うなら、マリエル公爵令嬢教練所を卒業してから出直してきなさい!』と言われまして…」
「ふぇっ?…マ、『マリエルこうしゃくれいじょうきょうれんじょ』!?それは一体何ですか?」
人生初の言葉を聞かされて、マリエルは驚くを通り越して呆れたように問う。
「…やはり、ご存知なかったですか?マリエル様と婚約破棄された人達は、みんな出世したり、格上の良縁に恵まれてらっしゃるんです。中には公爵家の後押しを受けた、とか、破棄された代わりに令嬢を紹介されたから、とかやっかむ人達もいますが、一番の噂はマリエル様とお付き合いをすると男振りが上がる、というものです」
「えっえぇぇ?………そんなことしようと考えた事もありませんわよ?現に、トール様が素晴らしかったのは元々です。わたくしが手をお貸ししたのは、姿勢くらいなものでしょう?それも、努力されたのはトール様ご本人ですわ。わたくしの力ではございません」
「それでも、私のいたらなさを嘲らず、根気よく直してくださったのは、マリエル様です」
「…何か当たり前の事を言われているだけな気がしますけど…」
「いいえ、当たり前ではないですよ。…私の仕事を理解して、話を楽しんでくださったのも貴女だけです。女性が好きそうなことに興味が持てなかった私に、歴史の観点から見たらどうか、と考え方を変えてくださったのも貴女です。思考方向を変えることで人生が豊かになるなんて、誰も教えてくれませんでした」
「それは…わたくし自身の悩みから来たもので…」
「だからこそ、分かってしまったのです。私は…貴女と添い遂げられる所にいないと…」
「え?わたくしは、そんな条件にうるさいつもりはありませんけど…」
「ええ、マリエル様は条件で人を見てらっしゃらない。ですが、もっと根本的な『何か』を求めてらっしゃるのは分かるのです」
「…わたくし…トール様となら…と思っているのですが…」
「…マリエル様、前にここでお茶を飲んだ時に何故この地で飲むと美味しいのか、と言ってらっしゃったのを覚えておられますか?」
突然、話を変えられたマリエルは少し戸惑った。
「えっ?…ええ、もちろんですわ。とても不思議な力を感じましたもの。だからこそ、ここでなら…と今日お連れいただいたんですのよ?」
「あれはですね…実は何の意味もないことなんですよ」
「意味がない?」
「ええ、あれは…錯覚を利用したものなんです。本当は、美味しいお茶はどこででいただいても美味しいものなんです。ただ、野外や日常ではないところで飲むと、頭が未だない経験と錯覚します。そこに新鮮味を感じて、より美味しく感じるのです」
「錯覚…ですか?…」
「種明かしをしてしまうとなんと言うこともないですよね?…でもそういうことなんです。…恐らく、マリエル様にとって、私もその錯覚です。今までの婚約者より年も上でしょうし、貴女の周りより少しばかり趣味が高じた知識があっただけ、新鮮味があったんですよ」
「………もし、トール様の言われた通りだったとして、それで何がいけないんですの?」
「いけませんね…いずれ、貴女は私に飽きる。新鮮味はなくなってしまう、魔法が解けるようにね…でも、私にはそれを引き留めることができません」
「…そこは、引き留める努力はしてくださらないのね?」
「努力…では足りないでしょうね…」
「もしかして…トール様は想いを寄せられた方のことを、今も想ってらっしゃるのではないですか?」
「…それは…どうでしょうか?…分かりません。もう気持ちはないと思います。でも、もしかしたら残り火があるのかもしれない…よく分からないですね」
「なるほど…トール様も、世界は分からないことでできていらっしゃるのね」
マリエルには目の前の努力家な男が、想い人に言われて始めたこの婚約で、あれだけの努力を疑問もなく遂げたのに、マリエルのためにはできないと言う、そのことがすでに答えであるように思えた。
もし、今は本当にその人を想っていなかったとしても、次の想い人に自分がなることはない、という事実にも気づいてしまった。
「…昨夜、母に言われましたの。世界は分からないことだらけでできている、自分もその世界の一部だ、と」
「自分も分からない世界の一部…さすが、マリエル様のお母上様ですね」
「わたくしにとって怖くて優しい、世界一の母ですわ」
最後になるはずの婚約は、どちらともなくお互いを理解して終わった婚約破棄となった。
☆☆☆☆☆
「―――というわけで、今までで一番、大人なお別れとなりましたわ…そして、今までで一番残念でしたわねぇ…トール様だったら、わたくし添い遂げられたように思いますもの」
「それは…なんと言うか…」
話が終わってお茶をゆったり楽しむマリエルに、マリウスもターシャもかける言葉を探す。
「実際、まだ気づかれていなかったとしても、いずれ想い人の所に行ってしまわれると思いますの。もし、そのような方がいらっしゃらなかったら、わたくしも頑張ったかもしれませんわ」
「お嬢様、トール様を気に入ってらっしゃいましたしね…」
「そう、それより!『マリエル公爵令嬢教練所』というのを帰りに詳しく聞いてみましたら、わたくしが婚約破棄をすることを前提に婚約をお受けしていることを利用して、ご令息を一人前にしよう!という親御さんや婚約者の方々が多くいらっしゃるんですって!わたくし、いつのまにか『花婿修行』を請け負っていたみたいですわ!…だから、申し込みが耐えなかったんですのねぇ…」
「なっ!そんなこと認めてないぞ!?だいたい、うちは婚約破棄をした相手を後押ししたりはしてない!まぁ…最初の二人だけは…あれだけど…と、とにかく!誰にも肩入れしたりはしてない!出世したのは本人の能力っ……あれ?ということは…マリエルの教育の賜物だったということか?」
「それこそ、わたくしは何もしておりませんのよ?」
「いや…なるほどなぁ…うん。マリエル、新しい事業にでもするか?お前の『花婿修行教練所』とか開いて。教練費をもらって、訓練するんだ。そしたら、お前の趣味の婚約破棄を繰り返せるぞ?しかもそれで収入にもなる。」
「…お兄様ったら…はぁ………あ!でも、そうしましたら期間を決めて教練費を変えればいいかもしれませんわね?」
新規事業発見!と目を輝かせたマリウスに、ため息をついてはみたものの、マリエルもうっかり乗ってしまう。
「マリエル様!マリウス様!…今のお話を奥方様の前でもお話しできますか?」
「あ…無理だな」
「…ごめんなさい…」
二人が揃って肩を落とすと、ターシャが切り出した。
「それより、キーラン様のこと、どうなさるんですか?」
二人がはっ!と息を飲む。
「お兄様…ごめんなさい…キーランのことが、今日一番衝撃的で動揺してますの。本当は…お話するのをやめようかとも思いましたわ。お兄様はキーランと幼い頃からのご友人でらっしゃるし…でも、わたくしにはキーランがわたくしを騙しているとは思えませんの!わたくしにとってもそうよ。生まれときから近くにいて、お兄様と一緒に守ってくれる大事なもう一人の兄なの。だから信じたい…ううん、信じてますの。それでお兄様にもお話したんですけど…やっぱり、不愉快でしたわよね…ごめんなさい…」
「いや、マリエル。大丈夫だよ。今まであいつがやってたことがどういうからくりか聞いたことはないけど、確かに顔の施術と言うことに違和感は持っていたんだ。でも、あいつは騙したりしない。明日にでも、話を聞いてくるから、お前は何も心配しなくていい」
「お兄様…」
「お前だけじゃないよ、僕もあいつを信じてる。あいつが本当にお前を心配して、大事にしてたのを僕はよく知ってるからね」
マリウスは手を強く握りしめて自信ありげにマリエルを見つめると、そっと肩を撫でて部屋を出ていった。
「お嬢様…マリウス様にお任せすれば大丈夫ですわ」
ターシャが控えていたマリエルの後ろから、そっと声をかける。
「…そうね…」
マリエルは微笑んで返事をしたものの、胸にはどうしようもない不安が押し寄せていた。
あわや新規事業開拓!となりませんでしたが、意外とリンデルお母様は喜んで参加してくれそうだけどなぁ。
私ならやる!




