男三人、一人を想う ≪2≫
マリウスはすぐ終わると思ったのになぁ…
男2:果てなき後悔の先。
家族が増えると言う。
自分が兄になると言われた。
自分より小さくて可愛い者が来るから、可愛がるように、と両親が言う。
しかも『それ』は、母上のお腹から出てくると言う。そんなことがあるのか!と驚いた。
正直に言えば、よく分からない。
だって、周りは自分より大きい人ばかりで、自分より小さい者とはどんなものなのか。
小さいからお腹から出てくる事ができるのか。
どれくらい小さいと大丈夫なのだろう?
ティーカップくらい?大叔母様にもらった木彫りの鳥くらい?
母上の大きなお腹を見ると、そんなに小さくも思えない。
本当にこの中にいるのか?今?
…想像もできなかった。
そして、その日は突然に来た。
母上が苦しみだし、お腹を押さえて踞った。
家中が慌ただしくなって、使用人は走り回りお医者さんまで来た。
大変なことが起きたのだ!と恐怖に怯える自分の肩を、父上が抱き締めてくれる。
『大丈夫。もうすぐ無事に産まれてくるよ』
産まれるって何?大丈夫って?だって、母上はあんなに辛そうなのに…父上は心配にならないの?
疑問は尽きないが、言葉にならない。どう言えば伝わるか、よく分からない。
最近、分からないことばっかりだ…。頭の中はこんなに雄弁なのに、口に出すには知ってる言葉で伝える術がない。
その事が気に入らなくて、機嫌が悪くなる。
分からないことばかりの毎日なのに、それを上手く説明して教えを乞うことすらままならない。
そんな自分にうんざりした。
そこにきて、よく得体のしれない『それ』もやってくる、という。
本当、毎日、ままならない。
母上が部屋に入ってから長い時間が過ぎた。心配することに疲れ、体をじっとしていることにも疲れた頃、何か別の気配を感じた。
母上のいた部屋の扉が勢いよく開き、中からお医者さんとお婆さんが出てきて頭を下げた。
「閣下、おめでとうございます!ご令嬢のお誕生にございます!お喜びを申し上げます。奥方様も、お嬢様も、大変お健やかにございます」
「そうか!女子か!よくやった」
父上はものすごく喜んでいた。
僕はそこで、あるものが目に入り、ハッと息を飲んだ。
ちょっと待って、このお婆さん、白い前掛けに血が付いてる。誰の血?本当に大丈夫なの?母上は?
と、父上を見上げると、父の目にうっすらと涙が見えて黙りこんだ。
何だか今は、声をかけてはいけない気がした。
「これでお前に妹ができたんだよ。お前は兄として、公爵家の跡継ぎとして、妹を守らなければいけないよ?わかるな?」
全然、分からなかった。でも、頷いた。
だって、これは父上からの本気の願いだ。
それは分かったから。
妹が何か、守るとは何か、本当は全く分からなかったけど、この父上の本気は覚えておかなければいけないんだ、ということは分かった。
応接間で何だかを待つと父上が言う。
よく分からないけど、父上と待っている間に僕は眠気に襲われた。
気づけばすでに夜中近く、普段なら絶対起きていることを許されない時間だった。
こんな時間に起きていても何も言われないなんて、妹とはどんな力を持ってるのだろう?と思う。
『それ』は父上や母上より強い力を持つ生き物なんだろうか?
でも、小さいと言うし…何より、母上のお腹から出てくるのなら、きっと『それ』より母上の方が力は上に違いない。
などと、眠気と戦いつつ考えていると、応接間の扉を開けてお医者さんが入ってきた。
「閣下、もうお会いになれますよ。マリウス様もお会いになれます」
母上に会えるの?と聞くと
「はい。お母上様にも妹御にもお会いになれますよ」と言う。
父上に手を引かれて部屋に入ると、寝台に横になった母上が、白く小さな塊を抱えていた。
「グイド、待望の女の子よ。やはり、マリウスよりも小さいの…会ってくださる?」
母上は力なく、でも嬉しそうに父上を呼ぶ。
父上は、いそいそと母上の横に立ち、白い塊を覗きこんだ。
「これは…何と小さく可愛らしい姫だ…瞳は君に似てくるかな?」
「うふふ、まだ分かりませんわ。瞳の色は変化するものですもの。…マリウス、いらっしゃい。あなたの妹よ」
母上に呼ばれて横に行くと、白い塊の内側を向けられた。
父上のように身を乗り出して覗きこむと、肌が赤黒いシワシワの小さな顔があった。
見たものにビックリして
「妹って、これ?これが可愛いの?」
と言うと、両親は笑って答えた。
「まだ生れたばかりだからよ」
「そうだな…。お前もこんな感じだったんだ」
自分もこんな訳の分からない生き物だった、と言われた衝撃をぬぐえないままに、もう一度覗きこむと、『それ』はモゾモゾと蠢いた。
そして、パチッと目を開けると、そこには母上に似た晴れ渡る青空のような瞳があった。
そして、『それ』は、タルタルと視線をさ迷わせた後で、ピタッと僕と視線を合わせると、パッと花開いたような笑顔になった。
んきゃきゃっ、と声まで出した『それ』に、母上と父上は目を合わせ、父上が僕の頭を撫でた。
「すごいな。この子はもうお前がお兄さんだと分かっているみたいだよ」
「本当ね…マリウス、あなたこの子に好かれてるのよ」
『それ』に好かれた?これまたよく分からないものの、再び目が合うと、んきゃっ、と声を出して笑う。
僕は少し胸がくすぐったくなった。
また目が会うと、今度は『それ』がじっと見つめてきた。
そのまま目を離さずにいたら、さっきくすぐったく感じた胸の真ん中が、キュッと温かくなった。
目を合わせたままでいると、もっと温かくなってくる気がする。
また『それ』が、んぐんぐと喉を鳴らしながら頬笑んできた。
それを見ていたら、僕は少し嬉しくなった。
そして『それ』から『妹』になった―――――
四年後、苦しんで大泣きする『妹』に、辛い思いをさせたのは自分だと、激しく後悔することなど、この時は思いもしなかった。
☆☆☆
うちの『妹』が人を陥落させる様はこの四年間で何度も見ていた。
あの子が一度微笑むと、たいていの大人は面白いほど転がった。
もちろん、気持ちが分からない訳ではない。
だって、あの子の笑顔に一番最初にやられたのは、他ならぬ僕だったのだから。
不思議なのは、本人は何の意図もないということ。
他人に好かれようとか、全く考えていないらしい。
あの子は、我がウィルフォード公爵家とその子家に24年ぶりに生まれた女の子で、母上の方のブライトン伯爵家の方でも、22年ぶりに生まれた女の子だった。
ここで少し、この国で何故、熱烈に女児が喜ばれるのか理由を話しておこう。
この国のある中央ドネルバン大陸には、全部で15ヵ国が立国しているが、そのうち12ヵ国が女神信仰を国教としている。
我がエリアーデ国もそうだ。
女神信仰は、豊穣・繁栄・軍・裁き・浄化・治癒・寛容・知恵・美の九つを司る。
そして、各家庭に生まれた女児は九つのうちのどれかを、神殿に務める神官(時として巫女や聖女と国によって違うが)から祝福を授けられる。
たいていは豊穣か繁栄なのだけど、時として裁きや軍などの重いものを授けられたり、二つ授けられることもあるらしい。
その授かる祝福がなんであれ、女児にしか与えられない。
そのため、家の後継ぎとして男児も望まれるが、女児のいない家は女神の祝福がないのと同義になり、祝福が貰えない家は次第に衰退してしまうことから、女児は大事にされる。
それでも女児が生まれないと、お金で買う貴族もいるようだし、酷いときには『女児拐い』なんてものが横行したりする。
どの家庭にも妻や母がいる可能性は高いが、女神の祝福は、おおむね子を産むと消えると言われている。同じ祝福が引き継がれるわけではないが、母から子への祝福の委譲に当たるようだ。
まぁ、まれに長く続く祝福もあるようだけど、その違いはよく分かっていないらしく、女神研究の研究者たちには人気の研究内容となってるそうだ。
つまり22年や24年も女児が生まれなかった両家から、それこそ女神のごとき歓迎と扱いを受けていたのが『妹』だった。
そのため、あの子が生まれてからしばらくは、上へ下へのお祭り騒ぎだったのを覚えている。
だから自分が可愛がられるのは当然だ、とあの子は思っているんだと思う。
そんな中に育って、あの子が傲慢な鼻持ちならない子にならずに済んでいるのは、母上の教育の賜物だと思う。
母上は、あの子をとても可愛がっていたけれど、とても厳しかった。
礼儀に厳しいのはもちろんのこと、あの子が少しでも鼻白むような事をすると、静かな怒りで正された。
あれは、恐い。本当に恐い。僕も何回かあるけど、体の芯から冷える恐さなのだ。
☆☆☆
それを踏まえて考えると、あの日、僕が感じていたのは『優越感』だったように思う。
王城の中をあの子と並んで歩いている時も、王妃様と王様までも陥落させた妹が、唯一すがるのは家族である父上か僕だけだった。
あの子は、たいがいの事は自分で考えて対処する。そう、母上からしつけられている。
だけどまだ小さく、初めての経験で困ったことがあると、頼ってくるのは先ず僕で次に父上、最後が母上と決まっていた。
しかし、ほとんどの事は僕で解決できるので、あの子が頼るのは僕に集中した。
それがとても誇らしかった。
だから『彼』も、妹を欲しがったのは当然だったのかもしれない。
でも、皆が欲しがるあの子から、一番深く想い返してもらえるのは家族だけ、と思っていた。
そんな驕りが確かに僕にはあった。
『彼』に手を引かれ姿が見えなくなるまで、自分の優越感だけに酔っていたのかもしれない。
姿が消えて初めて『妹』が心配になった。
あの子が転んだら?怪我でもして泣いていたら?誰が助けるのか!と今さら気づいて、自分に腹が立った。
慌てて追いかけ、二人を見つけたときには、異常な光景になっていた。
ゼイゼイと肩で息をするあの子を、見下ろしてる『彼』は呆然としていた。
登城のために着飾ったドレスから、素肌で出ている腕にはいくつもの傷が付き、あちこちに血がついていた。
横から垣間見える顔は赤く腫れていた。
頭の混乱を静めて、あの子の側に行こうとしたとき、僕と一緒に『彼』を追いかけていた護衛の人が『彼』と何か話していた。
直後、護衛の人が身に付けていた大きなマントを外して、それであの子を頭から全身くるみこんで抱えた。
マントの中からあの子のうめき声が聞こえてきて、僕はハッと息を飲んだ。
『何をするんですか!離してください!』
護衛の人の足を掴んで、妹を離させようと引っ張った。今まで経験したことのない恐怖が、足元からゾワゾワと這い上がってくる。
『マリウス様、ご令嬢はお加減が悪く、何かの病かと思われます。急ぎご両親の元へお戻ししたい。失礼ではございますが、一刻も早くお戻しするために、私にお任せいただきたい!では、失礼!』
護衛はそれだけ言うと、あの子を抱えたまま、走って城内に戻っていった。
『俺たちも急いで戻ろう』
奴が言ってきた。もちろん、言われるまでもない。
失敗した!あの子を守るのは僕の役目だったのに。僕が馬鹿な優越感に溺れていたからこんなことになったんだ。
今まで健康で、こんなことは起きたことがない。あの子をこんな目に遭わせた『奴』を許さない!
それを見逃した僕も許せない…
後悔の念は根深く浸透して、強い気持ちに変わった。
次は絶対、守りきる!
―――――マリウス・ウィルフォード、7歳。後悔の末の覚悟だった。
最後に呼び方が変わるのは、その人たちはマリウスにとって認めない人になったからです。
マリウス、立派にシスコンですよね?
あれ?
お兄ちゃんは一番まともだったはずなのに…




