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新しい婚約者

さて、新婚約者、登場!です。

「…は、初め、まして、…ヨル、ヨルゲン子爵家、っ長子、ト、ト、トトト、トール、ヨルゲンとー申しますっ。…こ、こ、このたび、このったび、…このたびは?…あっ、このたびは、婚約の…お許しを、い、いただかまして…っくっ、いただきして、まことに、光栄の極みでござります?…まことに、あっ、ありがとうございます!」


(わたくし、もしかして、この方を脅して婚約しようとしてるのかしら?…何故、疑問型?もしや、ご本人の意思ではなくて、ご両親の無理強いだった、とか?)


 と、目の前の光景にマリエルが考え込んでしまったのも許して欲しい。

 いま、マリエルの目の前には、体の大きなもっさりとした男が、これでもか!というほど小さく小さくなって頭を下げ続けているのだ。


 知らない人が見たら、マリエルが何かただならぬことをしでかした男を、けして許すまじ!と見ている姿にしか見えないだろう。


(これは…なかなか…面白い。初めての経験ですわね)


 今までの婚約相手は、自信たっぷりか、下からゴマすりながらか、生真面目か…に、おおむね分類ができた。

ここまで緊張、というよりも怯えて見える相手は初めてだった。


 そもそも、初めて婚約相手と会うのは、家族の付き添い同席の上で女性の家、と言うのが通例だ。

 今回も、それに違いはないのだが、この初会が驚く早さで実現した。


 今朝、父が婚約承諾の返事が書かれた手紙をヨルゲン子爵家へ出した。

その僅か一時間後に『これから、お会いさせていただきたく、ご当家へお伺いさせていただきたいと存じますが、よろしいか?』という、下からなのか上からなのか意味もよく分からない手紙が返ってきたのだ。


 しかも最初の手紙に書かれていた、柔らかく繊細な美しい文字は跡形もなく、ひどく固いガタガタと震えた線が並んでいた。

 その手紙は、先方の慌てぶりを物語るのに充分すぎるものだった。


 それだけ熱心に会いたいと思ってくれているのだろう、と早く会うのにやぶさかではないマリエルもすぐに了承した。

 それからターシャに、少しでも綺麗に見えるようにして欲しい、と頼んで身なりを整えて待つことになった。


 付き添いには、急な話で難しかろう、と思いながらもマリウスに頼むと、大事な妹のためだ!と父に告げ、難なく仕事を休んでしまった。

 仕事を休むよい口実を与えてしまった…とマリエルは苦笑しつつも、これも一つの兄孝行と開き直る。


 結局、子爵家と最短で最多のやり取りで決まった面会は、このままではお昼前にも来てしまうのでは…と心配させられたが、さらなる返事には『午後にお伺いさせていただきます』とだけあった。

 この朝から何度も交わされた手紙の、ようやく訪れた一段落に、ホッとしたのは主も家人もほぼ全員だったに違いない。

 特に両家の従僕は、今朝からさぞ忙しかったことだろう。


 お昼を過ぎ、午後のお茶を頂こうかと言う時に彼は来た。

 遠くからでも分かる、のそっもさっとした大きな体躯は、暗い森で見かけたなら間違いなく熊と間違え、悲鳴をあげて逃げ出しただろうくらいに大きかった。


 執事に連れられてきたトール・ヨルゲンを、テラスでお茶の支度をしていたターシャは驚いたように見ながら


「お嬢様、あの熊…言葉は通じますかね?通じなかったら、売り飛ばしますか?」


と小さい声でマリエルに呟いた。


(いやいやいや、いくらわたくしでも熊さんと婚約しないから…ターシャ的には熊、決定なの!?)


と、浮かんだ思いを伝える間もなく、マリウスが続いた。


「姿絵を寄越さなかった理由はこれか…。なかなか、これは見事な生き物だな。まぁ、売り飛ばすなら荷役か、沖仲仕(おきなかし)か、見世物小屋か…」


(お兄様、荷運び以外のお仕事頑張ってはありませんの?…しかも最後さらっと、酷いことをおっしゃいましたわよね…)


 二人の呟きに軽く呆れると、マリエルはにっこり笑って言いきった。


「そう?わたくしは素敵だと思いますわよ?きっとあれだけのお体ですもの。病弱ではないでしょうし、他の方より包容力がお有りかもしれませんもの」


(だいたい、わたくしが人様の見かけをどうこう言えるような立場だと、何故思うのかしら?やはり、自分に非がない方々の考えは、厳しいですわね…)


「お嬢様、トール・ヨルゲン様がお見えになりました」


 執事のマーカスが、お茶の支度が整い終わったぴったりのタイミングで、トールを連れてマリエルの前に立った。



 そして起きたのが、謝罪のような、あの挨拶だった。



 ☆☆☆☆☆



「初めまして、ウィルフォード公爵が長子、マリウス・ウィルフォードです。これが、妹のマリエルです」


 兄の紹介を待ってから、マリエルはスッと立ち上がり、淑女の礼を尽くす。


「初めまして、ヨルゲン様。わたくしが、ウィルフォード公爵、娘のマリエル・ウィルフォードにございます。ヨルゲン様、どうぞお楽になさってくださいませ。…さぁ、こちらにお座りになってお茶をいかがですか?今日はヨルゲン様がいらっしゃるので、珍しいお菓子を料理人が作ってくれましたの。…東国コルデバランのもので、粉で作った皮で、豆を甘く炊いてすり潰したものと、木の実や種実、蜜漬けの干し果物などを入れて包み、平たい形にして焼いたものですの。実は、わたくし大好きなんですの。…ヨルゲン様は召し上がったことがおありですか?あ、それとも、甘い物は苦手でいらしたかしら…?」


 マリエルは、つらつらと自己紹介をしながら、トールに椅子を勧めて無事座らせることに成功した。


 椅子に押し込められたように座るトールは、できるだけ小さくなろうと身を縮めていたが、マリエルたちからは、広いテラスでもトールが一人いるだけで狭くなるんだな…と、変に感心した目で眺められていた。


「…いえ、初めて…い、いただきます。私も甘い物は好きです。…あの…頭を使うと疲れてしまって、甘いものが欲しくなるの、で…。あの、そのお菓子はカマル…でしょうか?本物を見たのは初めてですが、東国では月祝祭の日に食べると聞いています」 


「へぇ?他国の習慣なのに詳しいですね。確かにこれはカマルと言って、月祝祭のお供えとして月神様へ捧げた後に食べるお菓子だそうです。カマルとは東国の言葉で、月と言う意味だそうです。…形も円くて、月みたいですしね。それに、私も頭を使う仕事の後は甘いものが欲しくなりますね…ヨルゲン様は体を動かすより、頭脳派とみえる」


 頑張って小さくなろうとしている大きなトールが、マリウスの方を見ながらフッと軽く苦笑を浮かべて言った。


「この体型ですからね、肉体派だと思われがちですが、情けないことに体を動かすことは得意ではありませんで…もっぱら、頭専門なんです。学舎を卒舎した後、さらに歴史を学ぼうと専門修学舎に進みまして、今は王城の記録部で歴史編纂係に勤めております」


 自分のことを話して、ずいぶんと落ち着いたのか、最初とは別人のように滑らかに話をする。


「歴史編纂…確か、先日新たに見つかった古文書の、中身の真偽を確かめていると聞きました。もし内容が本当なら、エリアーデの歴史が変わってしまうかもしれない、と一部の人達が騒いでいた記憶がありますね…」


「はい。ご存じでしたか!その通りです。さすが次期宰相殿だ…詳しくご存じですね………実は先日、城内大図書館の古い書庫から、かなり古い巻物が見つかりまして……今はそれに書かれた内容の裏付けを検証中です」


 仕事の話になった途端、さらに口調が滑らかになった。

そんなトールをマリウスは見直し、マリエルも好ましく感じていた。


「ヨルゲン様は、本当にお仕事がお好きでらっしゃるのね」


「はい!今の職に就けたおかげで貴重な資料を読むこともでき、面白いですね。ウィルフォード公爵令嬢殿は、本はお好きですか?」


「ええ、わたくしが読むものは物語がほとんどですけれど…あの…ヨルゲン様…わたくしのことは、どうぞマリエルとお呼びになってくださいませ。家名で呼ぶには、ウィルフォードは長すぎますわ」


 マリエルが笑顔で笑いかけると、トールは頬を朱に染めた。

 熊のごとき、もそっと大きな男が頬を染める姿は、目をみはる光景だった。


「あ、ありがとう、ございます…。でっ、では、私のこともトールとお呼びください。…あの、私は、もう、お分かりだと思いますが…しゃべるのが、得意ではありません。…ですから、もし、マリエル嬢が、ご不快になられましたら、遠慮なく…し、叱っていただいて構いませんので!もちろん、他のことでも、…なん、でも…です…」


 先ほどの、仕事の話をしていた時とは段違いのギクシャクとした話ぶりを聞いて


「熊で被虐趣味?」


と、小さくマリエルに呟いたのはターシャだ。


 正直、ターシャの言いたいことが分からないでもなかった。しかし、そこは15回めの婚約である。

マリエルは余裕の笑顔で切り返した。


「そんな、わたくしこそ、いたらぬことが多いと思いますわ。その時はトール様こそ、ご指導くださいませね」


「は、はい。ありがとうございます!」


「?」


 何故、ありがとう?とマリエルが不思議に思っているところへ、トールは追い討ちをかけるように


「わ、私はマリエル嬢に叱られた事は、何であっても直してみせます!学ぶ事だけは得意なのです!どうぞ、最後までお見捨てなきよう、お願いいたしますっ!」


と、勢いよく頭を下げて言った。


「熊に調教」

「行先、見世物小屋、確定」


 ターシャとマリウスの失礼な呟きが、トール本人に聞こえていないのは、自分の言葉に必死だったことと、マリエルだけを見つめていたためだろう。


(まぁ…わたくし、婚約者ではなくて、調教師にされてしまいましたのね…)


 トールは、縮こまった小犬のようにマリエルを見つめる。

 その姿をじっと見返しながら、マリエルは決めた。


(そう、よろしいわ。それなら、最後までお付き合いしてみせますわ。調教師にでもなんでもなりましょう!)


 マリエルの口元に浮かんだ不敵な美しい微笑みを、本心から理解できる者は誰もいなかった。




カマル=アラビア語で月だそうです。

お菓子のイメージは『月餅』です。


お気づきかと思いますが…マリエルさん、本当に食いしん坊です。

何気に食べ物シーンが多いのはそのためです。

けっして、作者が反映されているとは…ゴニョゴニョ…無いとも言えないですが…エフンエフン…


そしてマリエルさん、熊さんの調教師に昇格!

チャララ、ラッチャラー!な回でした。



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