大叔母の蒔いた種
このお話の核は二人。
ユースタスとマリエラです。
他の人達は、この二人の影響に振り回されてるんです。
その言葉は、衝撃だった。
『無上の喜び』と言われた。
『望外の幸福』とも言われた。
それは、どれだけ甘いのか、と夢見た。
教えに忠実に。幸せを求めた。
『前』を向いて。
☆☆☆☆☆
「まぁまぁ、マリエル。よく来てくれたわねぇ。お茶を淹れてもらう間に、わたくしにお顔をよく見せてくださいな」
大叔母のマリエラは、少しふくよかな体から出される穏やかな空気を振り撒くように、可愛らしい声でコロコロと話してくる。
マリエルはいつも、その声で誉められると何も問題はないような気持ちになった。
マリエラは、彼女に会って帰宅の途に着くために馬車に乗ると、別れてすぐなのにもう会いたくなるくらい、魅力的な女性だった。
顔を見せて欲しいという言葉に、マリエルは被ってきたベールの両端をキツく握りしめて下を向いてしまう。
「…お顔…ひどいから、見せてはダメなの…」
大好きな大叔母に否、と答える情けなさは、マリエルの喉をどこまでも締め付けて、息を止める。
最近、何かを否定する時はいつもこうだった。
『嫌です』『ダメです』『いりません』と誰かや、何かを否定する言葉を口にしようとした途端に、喉がグッと締めつけられて呼吸が止まってしまうのだ。
それで気を失ったことは、もはや両手でも数え切れないほどになった。
「マリエル、マリエル!まぁ、そんな指先に力入れて…白くなってしまっていてよ?ほら、今朝お庭で摘んだ、このお花みたい。見てごらんなさい。小さくて、可愛いわ。まるであなたのようよ」
自分のよう、と言われた花を上目遣いに上げた視線の端にチラッと写す。
(わたし、あんなに可愛くない…)
「うふ、顔が上がったわね。マリエル、お花をもっと見てごらんなさい。そしてゆっくりと呼吸するのよ。いい?ゆっくり息を吐いて、はい、いーーち。今度は吸うのよ。にーー。はい、吐いて、さーーん。吸って、よーーん」
いつの間にかマリエルの横に腰を落としたマリエラが、揃えた指先でトーントーンと軽く背中で拍子を取りながら呼吸を促す。
目に入った小さな花瓶に活けられた白い花。
大叔母の優しい声。
その二つしか目にも耳にも入らない時を過ごすと、僅か数分で楽になった。
「大おばさまはすごいわ。これはまじゅつ?大おばさまにおあいすると、わたし、とてもらくになったり、しあわせになります!」
小さい子どもなりに、感嘆と感謝を何とかして伝えようと言葉を紡ぐ。
「うふふ、ありがとう。わたくしも、あなたに会うと幸せよ。ねえ、マリエル。その幸せのために、わたくしの前ではベールを外してお顔を見せてくださいな。大切な人はお互いに目を見て話すものよ?」
「でも…」
「あなたがどんな顔でもわたくしには関係ないわ。あなたがわたくしの大事なマリエルである限り、見た目はどうでもよろしいのよ。わたくしには、見た目なんてあやふやなものより、あなたという存在の方が大切なの」
「見た目はあやふや…?」
「そうよ。美醜なんて、住む国が違えば変わるの。一人一人の好みでも変わってしまうものよ。…そうね、例えば……白い人がいい。黒い人がカッコいい。赤い髪が素敵。金髪がいい。黒じゃなきゃダメ。背が高い方がいい。低くなきゃ可愛くない。皺があったらダメ。太っていたらダメ。痩せすぎていたらダメ。若くてはもの足りない。歳を取ったら魅力はない…こんなのいくらでも続いてしまうわ?でも、こんなことはどうでも良いことなのよ」
つらつらと続くマリエラの言葉は、何か儀式の呪文のようだった。
「どうでもいい…」
「そうよ。どうでもいいの。…あなたはね、あなたのお母様が生まれてから22年ぶりに我が一族に産まれた女の子よ。女神信仰のあるこの国では…祝福を受けられる女性のいない一族に繁栄はないわ。あなたのお父様の一族でも24年ぶりの女の子だったみたいね。それはそれは大事よ。……でもね、わたくし、初めて赤ちゃんだったあなたを見たときに、そんなことは綺麗に忘れてしまったのよ。あぁ、なんて可愛い女の子かしら!と感激したの。そして思ったわ。あなたがどんな人に育っても、どんな見た目であっても、最悪、どんな悪女になろうとも、わたくしはあなただけの味方になろうって。ただあなたが存在するだけで、わたくしは幸せになったの。そんな、わたくしに幸せをもたらしてくれたあなたに御返しをするなら、それくらいしか出来ることはない、と思ったわ」
「そんな…わたし、大おばさまに何もしていません…」
「だから言ったでしょ?あなたが、いるだけでわたくしは幸せになったの。これって、すごいことよね?ですからね、あなたの見た目も善人かどうかすらも、わたくしには関係ないのよ。あなたがいて、側にいてくれるだけで幸せなの」
マリエラは話に夢中になり、自分の方を見上げているマリエルのベールをそっと持ち上げた。
「ほら、あなたのお顔はこんなに素敵なのに、どうして隠すのか…わたくしには、わからないわ!お姉さま…あなたのおばあ様の事ね、譲りのその綺麗な瞳。豊かな銀色の髪。整った目鼻立ち。全て美しいのに」
「…うつくしい?……大おばさま、それは大おばさまがかぞくで、おやさしいからです。わたし、言われたの。『ひどい顔だ』って。『ひどい顔は見せられない』って『だいじにしてくれるのは、かぞくだから』って」
「あぁ、あのお子ちゃま王子ね。話はリンデルから聞いたわ。あれはただの事故よ?怪我をしたようなものだわ。あなたのお顔はとっても美しいの。本当よ?…でもね、わたくしの言うことが信じられないなら、一つ本当の魔法を教えてあげるわ」
「まほう?」
「そうよ。この国は魔術に強いけど、帝国の方は魔法が主力のは知っている?」
「はい」
「そう。じゃあ、これは術式もいらない、知るだけで変われる魔法よ。それはね……≪あなたが目を向けて真っ直ぐに見た方向は、どこのどの方向であっても『前』になる≫ということよ。ただあなたは、自分が行きたいと思う方向を見さえすればいいの。あなたが向いた『前』が、あなたの目指す方向になるわ。あなたの全てが正しいのよ」
「…?」
「ふふっ…今は分からないかもしれないけど、いつかきっと、分かる日がくるわ。あなたの進む道は、どんな道を歩んでも『前』にしかなり得ない。そこに間違った道は存在しないのよ。本当は、全ての人がそうなの。わたくしも、あなたのお父様も。お母様も。マリウスもよ。でも、どんな道を選んでも、時として人や自分をを傷つけてしまうことがあるのよ。その時に『間違った』のではないかと不安になるのね…人は弱い生き物だから、誰かを傷つけても楽にはならないのよ」
「わたしも、だれかを傷つけたくないわ」
「そうね。わたくしもよ。でも、傷つけてしまう時はあるの。そういう時、わたくしはこう思うの。選んだ道が間違っていたのではなくて、歩き方を間違えたのだわ、と」
「歩き方?」
「ええ、そうよ。もし、選んだ道が大雨の後でぬかるんでいたら?その道をずかずか行くのもいいでしょう。でも、それで迷惑が掛かる人がいるなら?例えば、あなたがぬかるみを歩いて帰ったら、ターシャは後始末に困るでしょうね?」
「きっと、おこるわ」
「そうね。その時あなたはどうする?」
マリエルは汚れたドレスや靴を見て、怒りながらも綺麗にしようと頑張るだろうターシャの姿が目に浮かぶ。
「ぬかるみのない、よこ道をいきます」
「横道に逃れられなかったら?」
横道もダメなら?自分にできることが何かをマリエルは、しばし考える。そして、思い付いた。
「………あ!くつもドレスもぬいで、わたります!」
「っ!…まぁ、おほほほほほっ…それは…あなた、公爵家令嬢としては思いきった作戦ね。噂になりそう…うくくく…」
マリエラはおかしくてしかたない、とばかりに体を二つに折って笑う。
「でも、おお雨のあとのぬかるんだ道なんて、きっと人もすくないでしょう?だからすぐわたって、すぐドレスをきれば、だいじょうぶとおもいました」
「違った意味で、いろんな人が傷ついて怒り出しそうだわね。…でも、素敵よ!そう、そういうことなの。普通はね、ぬかるんだ道を選んだ事が間違いだった、と嘆く人がほとんどよ。でも隣の道に行ったら、大きな落とし穴があったかもしれないわ。嘆くだけの人は、その道も間違いだった、と言っては後悔し続けるのよ。そんなの楽しくないし、無駄なことよ」
マリエラは笑い過ぎて目に浮かんだ、涙を手巾で軽く押さえながらマリエルをじっと見つめて話した。
「もし、あなたが誰かを傷つけるために、わざとぬかるんだ道を進んだとしても、わたくしは、それを間違いと絶対に言わないわ。それが、あなたの味方になると言うこと。…ただ、常に覚悟だけはお持ちなさい。どの道も正しいけど、どの道にも問題は潜んでいるものよ。その問題が分かったときに、自分が『前』を向いて選んだ道なら、何があっても納得して対処できます。でも横を向いたり、下を向いたりしながら道を進んだ時には、納得できずに他の人や、別の事のせいにするわ。それさえしなければ、あなたは幸せに生きられます。ね、そんな生き方に見た目は関係ないでしょう?」
「みた目は、かんけいない…」
「そうよ。そしてね、ここからはわたくしの体験談」
マリエラは悪巧みでもするかのように、楽しそうに言った。
「見た通り、わたくしは美人ではないわ。だから結婚できていないのは事実ね。でも、さっきの魔法と、一つの楽しみでとても楽しい人生だったのよ」
マリエラのように可愛らしい人でも問題というなら、自分はもっとダメではないか…とマリエルは悲しくなった。
しかし、その後に流れた言葉は、まさに驚愕だった。
「一つの楽しみとはね、無上の喜びよ。…わたくしのような醜女にとっての無上の喜びはね、お願いします、何としてでも…と縋り付く男性を、きっぱり手酷く振り払うことよ。それはそれは、望外の幸福を味わえるものなの―――」
可愛らしいマリエラが艶やかに微笑んだ。
こうして、種子は蒔かれたのだ。
昨日のリンデルの勘違いは、まっとうな親ならああ理解すると思います。
まさか、こんな話を叔母から聞いてると思わないので。
マリエラ大叔母様は、最後に軽いお茶目をしたつもりでした。
それが、芽が出て花まで咲いてしまうとは…ですね。




