8 . 秋水邂逅のメタルジャケット
こんばんは。第八話です。
置き去りだったクラスメイトを登場させてみました。
よろしくお願いします。
ーーー【花畑】ーーー
メナシとの邂逅と一連の凄惨な光景を思い出したことによる凄まじいショックで昏倒してから、どれほど時間が経っただろうか。一時間かも知れないし、一週間かも知れない。一ヶ月や一年ということは、人間が絶食状態で行える生命活動の限界の観点からしてあり得ないだろうが、それでも倒れ伏していた時間を推測できなくなるのには充分なくらい、タツトは長い間眠りに就いていた。
無理もない。人間の、それもまだ年端もいかない少年がおよそ味わっていいとされる経験とはかけ離れたそれに巡り会ってしまったのだから。
死んだように動いていなかったタツトの指先が見ても分からないほど微かに震え、仮死状態に近い時の過ごし方をしていたため病的に青白くなったその肌に、ゆっくりとではあるが綺麗な赤みが差してくる。これらは今から目覚める兆しに他ならない。
長い間その拍動を緩やかなものにしていたタツトの心臓が、これでもかその鼓動を強く早くする。
血流がどっ、と全身に流れ出し、活性化する。
時の流れを経て、その眠りから目覚めようとする少年はその頭に何を思い、その心に何を描き、そしてどのように行動するのだろうか。
これからの絶望的と呼べる未来に心が砕けてしまって、全てを投げ出してしまうのだろうか。
それとも、驚異的な気力と豪胆を以て、またあの理不尽の権化のような存在である、超常の異物達に挑むのだろうか。
ーーー答えは、どちらも、否であった。
今まさに立ち上がろうとしている少年の心に、そのような感情は一切存在していなかった。
少年が描いていたのは、“無”。
ただ一つ、無だけがその少年の心を支配していた。
無論、無とは、“何も考えていないこと”を指すわけではない。思考は驚くほどクリアで、意識は冴え渡り、五感は揺らめくナイフのように研ぎ澄まされている。
途方も無い修業の果てに、千古の仙人が無我の境地に至るように。
天才的な芸術家が最終的に辿り着く至高の絵画が“何も書かれていない”ものだったりするように。
タツトの心にもまた、完成された無が存在していた。
全身から力が、際限なく沸き上がる地下温泉を掘り当てたかのように漲ってくる。
ごく自然な、それでいてその一連の動作自体が一級のアート作品のような流麗な体の使い方で閉眼したまま起き上がり、感情の読み取れない表情で大きく深呼吸する。
スゥーーーーッ、ハァーーーーーーーッ。
体を落ち着かせ、しばし心に描かれた“無”を堪能する。
時間にして約二分ほどであろうか。中世に彫られた彫刻のように美しい佇まいで動かなくなったタツトは薄らと瞼を上に押し上げ、眼前の極彩色の花々を見下ろした。
【強化蘇生】によるステータスアップの効能は何も、速さや力といった身体能力を向上させることだけではない。
深い思慮をもたらしたり、優れた五感を与えてくれたりする。また、より躰を頑健で砕けないようにするために、160台半ばであった身長は5センチほど伸び、骨密はぎっしりと詰まり、筋肉は以前とは見違えるほど剛健なものへと変貌を遂げていた。
華奢だった矮躯が、見事なまでに戦闘に特化した強靭でしなやかな身体へ進化を果たしたのだ。
澄んだ瞳で前方を見据え、その目線の先にある美しい漆黒の輝きを放つ宝箱へと、これまた自然で、モデルが裸足で逃げ出すような美しい歩き方で歩み寄る。
足元の、無数に生い茂る花茎を足の辺りでサク、サクとかき分けながら宝箱へと近づき、蓋の部分に手で触れる。
細かい意匠の凝らされた上蓋を開けた瞬間、如何なる感情も存在していなかったタツトの心に、ある強烈なドス黒い負の感情が、濁流のように流れ込んできた。
それは、【執念】。
何者をも許さず、何者をも呑み込み、纏ったものも、その矛先を向けられた者も、等しく身の内から滅ぼす激烈な感情。
人間の持つ感情の中でも取り分け強大な魔力を持ったもので、極めて感情的な、それでも“成すべきことを為す”ためには必要不可欠かつ極めて合理的な、この環境に棲む化け物とは対極に位置するような情動。
特大の嵐のように烈しい情念が、タツトの魂に揺さぶりを掛ける。
圧倒的な感情の奔流に意思を呑まれそうになり、すんでのところを理性をもって踏み止まる。脂汗を流して感情の濁流に耐えながらも少年は呟く。
「.....これだ。」
待ち望んでいたものが手に入る感覚。
「これだ。」
差し伸べられる救いの手がない状況で、活路を見出した感覚。
「これだっ!」
その正体が何であるかは分からない。しかし、そんなことは些末事だと言うかのように圧倒的な存在感を発し続ける一房の果実。
見ればその太陽の光で照り輝く、漆を塗ったような真っ黒な実の部分は連続的に形を変化させている。
例えるなら、ルービックキューブの世界王者がガチャガチャと目にも止まらぬ速さでそれを回しているときのルービックキューブの動きがそれに近いか。
「これさえあれば、越えられる。」
この力があれば、絶望的な現状を打ち砕くことができる。そう確信する。何度も諦めかけた元の世界への帰還へと、希望を繋ぐことが出来る。そう信じて疑わない。
(ーーーーーー食え。)
唐突に脳内にそんな言葉が響き渡る。
もし、どこかに地獄が存在し、そんな恐ろしい世界を纏め上げる閻魔なるものがいたら、こんな声色をしているのだろうかと、そう思わせる低い地鳴りのような声。間違いなく、聞いた者を等しく恐怖のドン底に突き落とすであろう声。
(ーーー食え。)
再度、言葉が発せられる。おそらく、眼前の漆黒の果実の声。
分からないことだらけだが、タツトはその本能に従い、果実を食らうことを厭わない。
異常とも言えるその状況で、少年は嗤う。
「こんな据え膳、そう易々と見逃す訳がないだろう?お言葉通り、ありがたくいただかせてもらうとしようか」
言い終わると同時、タツトは箱の中央へと手を伸ばし、その奇妙な形を幾何学級数的に変え続ける漆黒の果実を右手で思い切り掴んだ。
すると突然、その果実は頭の良い忠犬が飼い主に制されたように、激しかった変化を衰えさせて、形が球状になったところでその形状を一定のものとし、静止した。
直感が、これを体内に取り込めば凄まじい力が手に入るだろうと告げる。代償など考えはしない。そんなものは全てが終わった後にでもツケで払えばいいだろう。
そして、
タツトはそれを餓えた獣のように喰らった。まるで今すぐに腹の中に収めなければ消えてしまうと思っているかのような、焦燥じみた必死さで齧り付いた。
最後の一口を尖った犬歯で咀嚼し、ごくり、と飲み込んだ。
そして少年は、【執念】に干渉する力を得た。
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「ん、んぅ.....」
嬌声のような甘い声を発しながら彼女、【秋山 唯】は目覚める。
唯が目を開けた瞬間、目と鼻の先で【藤本 秀夫】が間抜け面を晒して寝ているのを目にし、
「ふにゃっ!?」
と変な声を出して飛び起きた。
急な出来事に驚いたとはいえ、花も恥じらう乙女であるところの自分が大声を出してしまったことに赤面してしまう。
周囲にはなんと、彼女を含め三十八名の生徒が一カ所に固まって横たわっており、更に驚愕する。
最初に一度驚いたことで慣れたのか、今度は変な声こそ上げなかったが、びっくり具合で言えば二回目の方が断然大きい。
「これは、一体どういうことなの.....」
見たこともない材質の石膏で出来ているひんやりと冷たい床にペタン、と女の子座りで座る。
長い間倒れていたのか、掌には地面におしつけられた部分とそうでない部分で、赤と白のコントラストが描かれていた。
倒れ込んでいるクラスメイトの中に彼、久保タツトの影を探してしまうが、見当たらない。もう既にその恋を諦めてしまったはずの少年を無意識に、されど必死に他のクラスメイトを掻き分けながら捜索するが、見当たらないのだ。
他に心当たりの同級生はみんないるのに、だ。それが彼女の焦りを更に助長させる結果となる。
「本当に、なんなのよコレ.....」
突然の状況に呆然としていると今度は【神山 龍二】が起きてきた。
「うぅ.....ここは......?」
龍二は起き抜けが弱いのか、まだこの異常な現状を把握しきれておらず、うつらうつらとしている。
「聞いて、龍二くん。私達、どうやらおかしな場所に連れてこられてしまったみたいなの」
「え?秋山さんじゃないか。どうしたんだい、こんなところで、ってぇえええ!!? ?ちょっ、ここはどこなんだ!!?一体なんで、僕たちクラスメイトがこんな場所で寝ているんだ?!」
龍二が漸く事態の異常性に気付いたようで、大声を張り上げて唯も先ほど抱いていた疑問を口にする。
「ちょっとぉ.....うるさいよぅ」
竜二の驚く声に苦言を呈し、起き上がってきたのは【原田 美琴】だ。唯やタツトとは中学校からの幼馴染みであり、特に唯とは親友と呼べる仲で、彼女の恋心の良き理解者であったりする。
「一体何の音なのって、ふええええええええぇえぇ!!!?」
美琴が、先ほどの唯や龍二の叫び声を遥かに上回るデシベルで、いったいその小さな体のどこからそんな大きな声が出ているんだ聞きたくなるような大音量で叫ぶ。
未だに美琴がみんなが倒れている部屋の端っこの方で「あわあわ.....」と落ち着かない様子で震えているが、騒音にその睡眠を妨害されたのか、クラスのみんながのそりのそりと起き上がってくる。
「んん.....うおおぅ!!?」
「誰だよこんなデカい声..........ってはあぁぁ?!」
三分前まで静寂に満ちていたこの部屋も、39名の異世界からの来訪者によってすぐさま阿鼻叫喚の地獄絵図と変えられる。
みなそれぞれ一様に驚き慄いていたが、それを鎮めるのは毎度のごとく龍二の役割だ。
パンッ!パンッ!
唐突な出来事で停止していた思考をいち早く復帰させた龍二が空中で手を叩き、みんなの注目を集める。
「聞いてくれ、みんな。突然のことで驚くのは仕方ないことだが、いつまでもそうしていては話が進まないだろう?一旦落ち着いて、冷静に状況を分析するんだ。どうしてこんなことになったか、誰か心当たりがある人はいないか?」
龍二の言葉にみんなが静まり返る。生徒たちが
この決まりの悪い静寂を断ち切りたいがために「お前がいけよ」「いやお前が」と責任をなすりつけ合っている。
そんな中、恐る恐る手を挙げた根暗そうな少年が一人。
「あ、あの.....僕、多分分かるんだけど.....」
「ん?何か言ったか?みんなにも聞こえるように、もう少し大きな声で話してくれないか?」
ボソボソと喋る一人の少年が紡いだ言葉が聞き取れなかった龍二が聞き返す。
すると何か癪に障ることでも言われたのか、少年は突然、
「あの!!!!!僕多分何でこうなったか分かるんだけど!!!!!!」
空気をビリビリと振動させ、甲高い声で怒鳴るように叫んだ。
「ひっ!?」
「きゃっ!?」
生徒の大半は耳を塞いでおり、顔を嫌そうに歪めている。
龍二も耳の奥がキンキンするように響き、眉間に皺を寄せて顔を顰めている。
みんなのその様子を見て、「またやってしまった」と狼狽えているのは【平田 啓太】だ。
これはタツトのクラスではある意味日常茶飯事となっているのだが、彼は話し声の音量の調節が頗る付きで苦手で、ついボソボソと喋ってしまう。もう少し大きく喋れと言われてそうすると、さきほどのように大音量で叫んでしまうのだ。
これにより平田はクラスでは嫌われ者の分類に属しており、本人もドジのわりには変なところに気が回る
せいでそれを自覚している。
日頃から被害妄想が激しく、非常に卑屈で根暗な性格をしている。
藤本の次に嫌われていると言えば、その嫌われっぷりが伝わるだろうか。
「.....すまん、平田。もう少し音量を抑え気味に喋ってくれ。それで、この怪奇現象について何か知っているというのは本当か?」
「わ、分かったよ。こ、このくらいでいいかな?
実はね、僕マンガとか結構読むから同じようなシ、シーンを見たことがあるんだけど、多分これって、い、異世界転生ってやつなんじゃないかな?」
もう一度あの大声が来るのかと耳を塞いでいた生徒たちが、調子の戻った平田の声を聞いてほっとする。
「うぅ.....」
そういうところにいちいち勘づき、更に卑屈になってしまうのが平田の悪癖であったが。
「はっ、そんなマンガと現実を同じ感じに考えるなよ、平田。だってありえねーだろ?んなこと、今どき小学生でも考えねーよな!ギャハハ!」
藤本が馬鹿にしたような口調でそう言い返した。
何が面白いのかゲラゲラと笑う藤本に一同が冷徹な目を向ける。
「いや.....私は意外とそういう線もあるんじゃないかと考えていたわ。別に平田を擁護するわけじゃないけど」
そう言い放ったのはクラスではザ・クールビューティーの異名を持つ【本郷 千里】だ。もっともそう呼ばれるのを本人は非常に不快に感じているのだが。
「本郷さんは何故そう思うんだ?」
「だって、こんな状況おかしいじゃない、明らかに異常でしょ?私が夢を見てるだけっていうならまだわかるんだけど、そうじゃなさそうだし。みんなと同じ夢を見てるなんて、そんなことあり得ないしね。だとしたら、そういう考え方も、一理あるって思っただけよ」
クールビューティーの説得力のある推測に生徒たちが「確かにそうかも.....」と思っていた頃、突如として、コツ、コツと軽く、音の高い足音が響いてきた。
それはどうやら、恐らく扉らしいと思われる壁に大きか切れ目が入っている方向からしているようで、だんだんと音が、大きく、そして長く響くようになってくる。
「うわぁ.....誰か来ちゃうよぉ.....」
美琴が怯えるが、唯が扉の方向に目を向けたまま、美琴の口元を手で制して宥める。
彼女の額から首筋に掛けても脂汗が流れていたが、それでも唯は凛と、何があっても瞬時に動き出せるように、こちらに確実に近づいてきている存在に最大限の意識を払っていた。
龍二や千里も似たような面持ちで扉を睥睨している。
それからほんの数秒後、クラスのみんなが不安や焦りの表情を浮かべながら凝視していた方向で、足音がピタリ、と止まった。
怖い物知らずの藤本すらも、その表情を恐怖のそれに歪めている。
(((ーーー多分、もう扉の目の前にいる)))
クラスの誰もがそう感じとって、部屋に剣呑な空気が流れる。
不意に、扉の切れ目に一条の白い光の縦筋が閃いたかと思うと、まるで何年も開けられていなかったようにギギィ、と鈍重な音をBGMにして、ゆっくりとその横幅を広げていった。
冗長なトンネルから抜け出たときのような光の眩しさに一同は閉目し、白光と自分との間にそれぞれの腕を置くことで光の緩衝材とした。
その閃光も二、三秒もすればやがて薄れていき、扉を開けた存在を直視することに何の問題もなくなったところで、生徒たちに向けて一人の老人と、その後ろに控える従者らしき人たちが、予めそう言うことが決められていたかのように一文字も誤ることなくユニゾンで言葉を発した。
「「「「「ようこそおいでくださいました、真の勇者様方。どうか我らの世界をお救いくださいませ」」」」」
読んでいただきありがとうございます!
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