20 . 永遠無窮のデスペア
こんばんは。第二十話です。
よろしくお願いします。
「............タ......ツト......?」
クロの絞り出すような掠れた声が洞窟内に響き渡る。自身より頭一つ分背の高いタツトを細く白い腕で必死に抱えながら、その少年の顔を驚天動地とした表情で見つめている。大きな目はこれでもかといわんばかりに見開かれていて、潤った桃色の薄い唇は、わなわなと震えていた。
二次元からそのままでたきたような美しい顔立ちの少女が脇に抱えて見ているのは、タツトの、もとの精悍な顔立ちとはかけ離れたそれ、ーー凄惨に焼け爛れた皮膚に、溶けた髪が抜け落ちて剥き出しの、同じく爛れた頭皮。その強酸は頭蓋骨にまで浸食したのか、ところどころに乳白色とピンクの、硬質な骨と肉まで曝け出ていたのだ。
全ての頭髪が抜け落ちた訳はなく、その部分だけ緑スライムの酸の進行が少なかったのか、髪の何本かの束が、タツトの殆ど禿げ頭に点在しており、その不気味なコントラストが余計に事態の悲壮さを醸し出している。
ただでさえ刺激に敏感な眼球はもちろんのこと、痛覚と近縁な口腔や歯の神経に至るまで、その細胞をことごとく破壊し尽くされており、常人がみたら卒倒しそうな、ホラー画像そこのけの奇形に仕上がっている。
【強化蘇生】によって、比肩する人類の存在しないほどに剛健な肉体を手に入れたというのに、それをせせら笑うような惨状であった。
「......う......ぇあ......」
言葉が出ない、とはこういうことを言うのだろう。
クロは、喉を震わせ、声になっていない声で呻きながら、ほとんど無意識にタツトに回復魔法をかけた。掲げた手から淡い蛍光のような光がぽわんと放たれ、即座に癒しの効果を発揮する。
すると間もなくして、タツトの凄惨に焼け爛れた顔の表面に変化が出始める。
ーー最上級回復魔法【回天】。
人間界では、この魔法を行使できる人間は神の末裔として崇められ、その国の宗教の大司祭として扱われることになっている。それほどまでに、行使できる人材が限られているほど、会得の難度が高い魔法である。
効能としては、複雑骨折や靱帯損傷といった大きな怪我でさえも瞬時に完治しうるほどの癒しの力があり、大司祭宛に、バカみたいに高額な上納金を納めることで、その施しを受けることができるのだ。
もっとも、それはあくまでも常人の中での話なのだ。ここにいるのは、チートスキル持ちの異世界人を宿主とする【概念の実】の実体。彼女にとっては、最上級魔法までならものの数日あれば、容易に体得できる程度のものなのだ。
しかし、こと回復魔法においては、主として攻撃魔法を得意とするクロには、その最上級が限度であった。
四肢の欠損や、神経系の損傷を治癒しようと思えば、それこそ伝説級や神話級の回復魔法が必要になってくる。よって、クロの【回天】では、今のタツトの深刻な容態を、完治させるには至らなかったのだ。
「ーー“回天”、ーー“回天”、ーー“回天”」
何度も何度も回復魔法を行使したおかげで、タツトの顔は以前のそれと遜色ないレベルまで治癒されているが、それはあくまでも外側の話だ。クロの魔法では、顔の表面の傷は癒やせても、肝心の、強酸によってズタズタになるまで溶かされた視神経や頬骨を治すことができないのだ。
それでも、諦めまいと、【執念】の実は狂ったように魔法を放ち続ける。もはや治せる箇所は治りきって、これ以上の行使は単に魔力を無駄に消費するだけだというのに、一向に眼を覚ます気配のないタツトにひたすら、癒しの波動を送り続ける。
「ーー“回天”、ーー“回天”ッ、あァっ!このっ、どうして治らないんじゃっ!」
少女は拉致のあかない事態に、「どうして」と号哭する。いや、実際、その理由には検討がついていた。クロほどの知識人が、今の自身の能力では、目の前のタツトの損傷を治癒することなど出来はしないということに思い至らないはずがないのだ。
そのため、一向に回復しない眼前の少年への無理解への慟哭というよりはむしろ、自分の不甲斐なさ、情けなさゆえ、そして、今も刻々と命の灯火を燃やしているタツトを見ての 焦燥、そんな感情が、少女を咆吼させていた。崩れながら泣き叫ぶクロに、日頃の超然とした態度はまるで見られなかった。
そうして、壊れたおもちゃのように魔法を打ち続けて、はや十分ほど経っただろうか。ーーついにクロの魔力が枯渇したのだ。とはいっても、最上級魔法を休みなしで十分間打ち続けられることが明らかに異常なのだが。
もともと真紅の少女の瞳孔は、泣き腫らした滂沱の涙によって、よりいっそう真っ赤になっていた。
「ぐっ......ふゥゥうっ......」
未だに鼻をすすりながら。
瀕死の少年に、悔恨と自責の念に押しつぶされそうになりながら。
魔力が枯渇したことによる倦怠感でフラつきながら。
そんなときであった。
ふと、先ほどスライムが現れた道の奥側の暗闇から、タイミングを図ったように別の魔物が姿を現したのだ。
毛深いチンパンジーのような、人型の魔物だった。生物とは思えないほどに異常に発達した筋肉と、太く長い手足。必要ないと言わんばかりに尻尾だけは通常サイズで、他のパーツと対比されると非常にアンバランスな容貌であった。
恐らく【岩場】で受けたものと思われる、顔も含めた身体中に刻まれた傷の数々が、暗にその一筋縄ではいかなさそうな、歴戦の強さを物語っていた。
この人外蔓延る【異常地】で、数々の裂傷を受けながらも、生き延びている。それは、どれほど異常なことなのだろうか。
ーーそんな未知の化け物が、実に三体である。
タツトの側から離れなかったクロも、さすがにその圧倒的な存在感を意識せざるを得なくなる。
「......なんじゃァ?貴様ら......」
その空気の読めない横やりに、泣き腫らした瞳のままに、鋭い眼光を送って威嚇する。が、身の竦むような視線を向けられたチンパンジー型の魔物達は一切動じず、相変わらず不気味にこちらの様子を伺っているだけだ。
クロの脳が尋常でない爆音で警鐘をならしていて、「今の自分では、アレには勝てない」と直感が告げる。
万事休す、絶体絶命、否応なしにそんなワードが頭に飛び込んでくる状況だ。
しかし、その程度の苦境で【執念】の実が諦念を感じるのかというのであれば、それは間違いだ。
その様子を見届けたクロが咄嗟にした行動は、タツトの腰元から【空虚と否定の短剣】を丁寧にそっと抜き取り、彼を背後に庇うように凛と立つことであった。魔法が使えないために、恐らく克てないであろう化け物に対し、物理的な攻撃のみで応戦するつもりだ。
そのまま右手に逆手で持ち、いつ、どのタイミングでも最良の剣戟を見舞えるよう、左の腰辺りまで【空虚と否定の短剣】を深く沈める。心なしか、その姿勢は、本来の持ち主の少年の構え方と重なるところがあった。
「来るなら来るが良い......タツトには指一本触れさせんぞ。」
そのままゆらりゆらりと揺れながら、化け物の出方を待つ。
脱力とは、一見隙だらけに見えて、実は全く隙のない、ほとんどあらゆる方向からの攻撃に対応できる構え方なのだ。
やはりと言うべきか、先にその膠着を破ったのはチンパンジー型の魔物側だ。
まずはその3匹の内の先頭にいた、最も体躯の大きな一匹を残して、後方に控えていた二匹が同時に飛び出し、瞬間移動と見紛うスピードで瞬時にクロの左右に現れ、筋肉が異常発達して膨れ上がった腕で、体を捻るようにしてラリアットをかましてきた。
クロはその、達人のように鮮やかなラリアットをすんでのところで、搔い潜るように真下にしゃがむことで逃れ、即座に立ち上がると同時に【空虚と否定の短剣】を振るいながら、踊るように一回転することでカウンターを加えた。
「ーーーッギィィィィィィィィィィッ!」
「ーーーギャウゥゥゥゥゥゥゥゥッ!」
少女の持つ短剣から飛び出した、鋼鉄並の剣閃によって、胸筋を深々と抉られた猿の魔物二匹が苦悶の声を上げ、苦しそうにしながらも立ち上がり、明らかに怒りの形相でこちらを睨む。
(今ので倒れんのか......さすがにまずいの)
クロもまた、会心の手応えがあったというのに、化け物がむしろ、先ほどよりも闘志を剥き出しにしてきたことに、別の意味で顔を顰めていた。
神が自分好みに、一から創り上げたような非の打ち所のない美貌の少女はこの世の終わりを垣間見たような表情をその顔に湛えながら、再度、敵の出方を伺う体制に構える。
先ほどから、何故これほどまでに「受けの姿勢」を貫いているのかというと、クロは直感で、恐らく無作為に【空虚と否定の短剣】で攻撃したとしてもその全てをいなされて、その隙を返り討ちにされることが分かっていたからである。
よって、待ちの姿勢から相手の攻撃を躱し、そこに剣戟を与えることで一縷の勝機を見出そうとしているのだ。
それでも、今の斬撃が当たったのは、ほとんど奇跡と形容してもよかった。うまくラリアットを躱してその隙を突くことができ、相手が【空虚と否定の短剣】の効果を知らずに不意を突かれ、それでも彼我の戦力差を埋めきるには足りず、残りの部分は運だ。それらの要因がうまく組み合わさって初めて、先刻のダメージに繋がったのだ。
いずれにせよ、それらのことが意味することはただひとつだ。
ーー(二撃目は、当たらない。)
自身の並外れた身体能力を“学習”され、【空虚と否定の短剣】の斬撃を“学習”され、相手の魔物にとって自分は、「取るに足らない小物」であるということを“学習”された。
そのことに歯噛みしつつ、次なる突進に備えて、深く構えた【空虚と否定の短剣】を固く握りなおす。
すると、その動作が戦闘再開の合図となったかのように、直後、瞬時に姿を消し、さきほどと同じく、瞬きの間に距離をゼロにしてきた二匹のチンパンジーは、左の一匹は相撲の張り手のように、クロの額目掛けて右腕を射出し、右のもう一匹は空手の回し蹴りのように、空中で回転しながら、その勢いで蹴りを見舞ってきた。
どちらの攻撃も、刹那の間に行われた動作である。傍目から見ると、誰が何をしているのか分からない。ただ気付いたら、化け物が少女のもとにありえないスピードで詰め寄ってきただけにしか見えない。
クロはまず、極限の集中をもって左の張り手を、ギリギリのところで顔を捻って躱す。その際避けきれなかった頬の薄皮といくらかの髪の毛が持っていかれるが、目もくれずに右の空中回し蹴りを躱そうとする。
チンパンジーの脚が眼前に迫り、クロがその場を後ろに飛び退いて躱そうとしたときであった。
ーー突然、その蹴りの速度が冗談のように跳ね上がり、結果として蹴りを免れることができなくなってしまった。
「がふゥゥゥウッ!??!」
腹部に直撃した光速の衝撃に、風に吹かれた紙吹雪のように吹き飛び、そのまま洞窟の壁に衝突し、体内の臓器を掻き回され、クロは世界が引き歪む感覚を得る。
痛覚はタツトから独立しているようで、ありえない痛みにただでさえ魔力の枯渇で倦怠気味な脳が、意識を保つので精一杯といった様子だ。
意識はあるものの、体が微塵も動かせる気がしない。魔物の動向を確認しようにも、瞼が重すぎて視認することができない。
(ーー我は、蹴られたのか......?な、何が起こったというんじゃ)
もはや許容範囲の痛みを通り越して、痛みを感じる部分である側頭葉がその仕事を放棄し、鈍痛などを何も感じない。
ーーありえない、挙動であった。
例示するのであれば、投げたボールが、軌道の途中で速度を倍加させたような、世界の物理法則がてんで通用しない動き。
タツトと同等のステータスを持つクロでも全く反応できないほどの緩急を生み出した正体は、恐らくチンパンジー型の魔物の持つなにがしかの能力なのだろう。
言うことを聞かない頭を必死に動かし、そんな事を思案していたとき。
ーー右から、衝撃。
顔面を、右側から金属バットでフルスイングされたような衝撃に、壁に凭れるように倒れていた身体が地面に叩きつけられる。
視覚も既にないし、聴覚も壊れてしまって、「キィィィィィィン」という耳鳴り以外には静寂しか聞こえていない。よって、何をされているのか分からない。
あるのは「衝撃に叩きつけられた」という感覚だけで、痛みも感触も何もない。
ーー次いで、上からの衝撃。
覚えるのは、圧倒的な破壊力に、硬質な岩盤で出来ているはずの地面に為す術無くめり込んでいく感覚だけ。
ーー更に、突如何かに持ち上げられたような浮遊感に襲われた後、衝撃。
ーー衝撃。衝撃。衝撃。衝撃。衝撃。衝撃。衝撃。
未だに意識が残っているのが不思議に思えるくらいの、執拗なまでの衝撃。
もはやクロは考えることをせずに、ゆっくりと、静かに意識を手放した。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
これまで、倒れ伏していたタツトは、その光景の一部始終を見ていた。
クロが蹴られ、殴られ、叩きつけられ、打たれ、踏まれ、潰され、撲たれ、突かれ、折られ、投げられるその光景を、静かに見ていた。
いつの間にか回復していた片目のみの視力で、その凄惨な様子を見届けていた。
動けないクロを、弄ぶように、嬲るように、虐めるように壊すチンパンジーのような化け物を、鬼の眼光で視ていたのだ。
その間、少年の胸内に溢れ出るのは紛うこと無き【執念】。一点の曇りもない執念が心を埋め尽くし、烈火の如く燃えさかっていた。
その苛烈な情念は、加速度的に膨れ上がり、次第に
少年の身体に変化をもたらした。
スライムの強酸によって無残に融解した細胞が、じわじわと、逆再生のように回復していくのだ。まるで何事もなかったかのように、まるで受けた傷の方が間違っていたかのように。超自然的に傷が引いていき、両目の視力のみならず、全ての五感が蘇る。
それも、いつもに増して鋭くなっている感覚が。
「............許さねぇ。」
ボロボロになって倒れているクロを見やり、目の前の化け物に向けて、これでもかと激情を燃やす。【空虚と否定の短剣】は既に刃の部分が掛けた状態で地面に転がっている。
「......許さねぇぞ。」
拳を握り締め、超人的な速度で駆け出し、チンパンジー型の魔物の反応速度を超えて近づき、その内の一匹の顔面を、「メギョ」と鳴ってはならない鈍い音を交えながら、ぶん殴った。
「死んで詫びろ、猿どもが。」
ーー【執念】へ干渉する力、派生その一。【超再生】の発動である。
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