6、サメの講義、あるいは、ただの賑やかし
「人口、約18万人! 福利厚生はわりと充実し、人口は僅かに伸びている! 面積は約62万平方キロメートル! さて、この街はどこかわかるかね!?」
部屋に入るなり、熊のような髭面の男はそう叫んだ。野太い慟哭のような声に、緋荼里は面をくらった。
隣を見れば、一緒に部屋へ来た真魚は素知らぬ顔だ。慣れているのか、緋荼里に淡々とした視線を送っている。
「どうしたね、メガネのお嬢ちゃん!? 私は貴重な時間を割いて、君の回答を待っているんだがな!」
まくし立てながら目を見開く男に、緋荼里は顔の神経が突っ張るのを感じた。
口早に語る男と自分は決して合わないだろうな、ということを考えながら緋荼里はともかくも口を動かす。当たり外れに関係なく、こういうときは適当にこう答えればいい。
「この街……U市ですか?」
「残念ながら、違うんだな! まぁ、君は今、考えることすらなく、一般的に無難な回答を流されるがままに口から吐き出しただろう!? うん、よい答えだ! 実によい答えだと、私は言っておこう!! ちなみに先程の答えは、J県南方のS市のことだ! J県二番目の都市だ!」
騒いでいるわけでないだろうに、やたらと声がでかい。癇癪持ちなのだろうか、とすら思えてくる。後ろを見れば、最後に入ってきた愛護の目が「こういう人だ」と告げていた。諦めて、この男が話すがままにする。
「挨拶が前後したな! 私が、岸部だ!」
ドンと胸を叩いて、岸部は力いっぱい自らの名を叫ぶ。
「さて、ちなみにU市はS市の人口は半分!! 面積は5倍ときている! こいつぁ、寂れた田舎町だと思わんかね!?」
「田舎ですし」
「はっはっは、確かに田舎だ! 君も田舎娘らしい野暮ったさがあるな! 真魚くんも同じ街の出身なのに、どこか垢抜けているように見えるが……やっぱり田舎娘だな!」
「いろいろと失礼な人ですね」
「言いたい放題させておいて、いい。茶々入れるだけ、時間の無駄。博士という生き物は、別次元のサメみたいなものだし」
小さく、冷めた口調で真魚がいう。瞳も冷めているように思えたのは、真魚の博士に対する接し方の表れであろう。
「さて、時間がないので、早速本題だ! ∪市のことを田舎だとわかっている君も、実際の人口や面積なんて特に気にしたことなんてないだろう! だが、人口や面積をしっかり把握すれば、やっぱり田舎だということがハッキリとわかるのだ!」
岸部博士は拳を振り上げて、豪語する。
「科学や情報は、数字や理論によって確立されるからこそ、役に立つし私たちは安心できる! それが似非科学であっても、だ! だが、サメは科学的根拠を尽く破壊する! 奴らは何の前触れもなく現れ、私たちの生活圏を食い散らかしていくのだ!」
ドンと机に拳を憎々しげに叩きつけ、博士はぐわっと目を見開いた。まるで猛獣が敵に対して、吠えかかるように博士は慟哭する。
「奴らは、非常に、残念なことに……奴らは! 科学で読み解くことができないあらゆる現象を引き起こす! 例えば……君はこんな都市伝説を聞いたことがあるか!?」
傍にあったホワイトボードへ乱暴に「揺れるビル」と書きなぐる。
「できて間もないビルが、一定の時間になると必ず揺れ動く!! 地震もおきちゃいないし、電車の走っている時間でもない、他のビルは揺れちゃいないのに何故かそのビルだけが揺れる! 知っているか!?」
ちょうど一週間前のバラエティー番組で見た。超常現象を科学的に解明すると題された、改編期によくある特番だ。博士の怒号に気圧されつつ、緋荼里は答えを述べる。
「確か、その時間に行われるおばさんのエアロビクスかダンスかの揺れが、ビルの揺れるなんちゃら度ってのと同じだった……でしたっけ」
「正解だ! 表向きはなぁ!」
まったく褒められている気がしない、大げさなリアクションを取りながら、岸部博士はいう。
「真実は、こうだ!」
そういってホワイトボードに一枚の写真を貼った。大口を開けたホオジロザメの写真であるが、ホオジロザメはビルの鉄骨のようなものに向かって、牙を立てていた。これが、ビルの地下で取られた写真だという。
わけがわからない、という感想が頭によぎる。
「残念ながら、これが真実! 真実なのだ!!」
両手を大きく広げて、岸部博士は豪語する。一事が万事、この調子では頭がクラクラしてくる。なるほど、と思わせるだけの迫力はある。
「君が述べたのは、センターがこのサメを隠すために作り上げた都市伝説なのだよ! 残念ながら、このサメがどういう経緯で出現したかは謎だが、同類のサメはアメリカ、南アフリカ共和国、インド等にも出現している! 識別番号56、『ビル食いサメ』! こいつが一度現れれば、ビルの支柱を齧り尽くすだろうな! こいつは一定の時間に食事を行う! つまり、こいつが支柱を齧る時間にビルは揺れていたのだ!」
力強く、そして、荒々しく貼り付けられた各地で撮られたという写真。そして、馬鹿馬鹿しいと一笑に付すには写真のサメはあまりにも活き活きとしていた。
「こいつを殺して解剖してみたが、何故地上で生きていられるのか、何故ビルの支柱を齧るのかは一向にわからない! わからないのだ! 現代科学をもってして、こいつの生態は謎に包まれている! 生きているこいつを捕獲しようとする試みは、失敗している! 生息するビルから数メートル離した瞬間にこいつは死亡しちまうんだ!」
あぁ、調べたい、と岸部博士は髪をかき乱す。常に錯乱状態だから、とため息まじりに真魚が告げる。他に適切な人材はいなかったのか、と問い返すと他の博士は自分の研究に没頭したいから、と返された。
岸部博士は、誰かに心情を訴えるのが好きらしい。つまり、緋荼里たちは説明を受けるのと同時に岸部博士のガス抜きに使われたのだ。甚だ迷惑だと緋荼里は、わなわなと震え続ける博士を見ていた。
「ちなみに、私は可能であれば君の目も研究したいと願っているぞ!」
唐突に指差され、緋荼里は肩を震わせた。
「君はかなり貴重な存在だ! サメに身体のごく一部を明け渡しておきながら、生きているのだからな! 普通であれば、死亡するかサメに冒されてサメとなるのが落ちだ! だが、君はその傾向が見られない……だからこそ、生きている!」
「博士、それを今いう必要性があるか?」
「なんだ、知らせていなかったのか!? なら、教えておいてやる! サメは先程の例をあげるまでもなく、超常的で人智を超えた存在だ! いつ私たちの生活圏を食い散らかすかわからぬ存在だ! 相容れぬ存在だ! だが、君はその目にサメを宿しながら……生きている! 素晴らしい事例なのだと自覚し給え!」
生きているだけで偉いといわれ、素直に喜べる人間がどれほどいるだろうか。岸部博士の言葉を裏返せば、緋荼里の目が何かセンターや緋荼里にとって不都合な事態を引き起こした時、緋荼里は殺されるといっているのだ。
「遅かれ早かれ、告げられる事実よ。私と、同じ」
真魚の呟きは轟くような博士の声にかき消され、緋荼里が視線を向けた時には真魚はあさっての方向を見ていた。
「お前がお前であるかぎり、俺たちはお前の味方だ」
「……そう願いたいわね」
ずっと混乱しっぱなし、疲労感が募ったままの緋荼里はそう応えるのが精一杯だった。岸部博士はまだ何事か叫びながら、ホワイトボードに文字を書き連ねていた。もはや、博士の声をBGMにして愛護は緋荼里に話しかける。
「とりあえず、お前の目がお前自身でコントロールできない理由はなんとなく理解できたか?」
「私じゃどうにもならないってことは、理解できたわ」
「まぁ、お前が反応したら俺達が動く……作戦なんて、そんなもんだよ。明日もそのつもりだ」
「……真魚は戦うのよね」
あさってから戻ってきた真魚が、緋荼里へ向き直り頷く。
「私は、ちゃんとエージェントとして育てられたから」
「育てられた? それって……」
どういうこと、と言いかけて岸部博士がここ一番の絶叫を上げた。振り返れば、そのまま大の字にうつ伏せに倒れてしまう。慌てる緋荼里をよそに、真魚は人を呼びに退出し、愛護は緋荼里が近づこうとするのを押さえていた。
「いつものことだ。興奮が頂点に達すると、あーなる」
「あーなる……って……え?」
サメと同等ぐらいにわけのわからない人。
緋荼里の中にそう印象を残しながら、岸部博士は運ばれていくのだった。研究室を後にした緋荼里は真魚に先の話の続きを聞きそびれ、結局、資料を読みなおしたところで帰宅時間となった。緋荼里と真魚は、愛護の車の乗せられて家路につく。
妹の美樹には、病院絡みでしばらく遅くなるとだけ告げている。そのうち、新しい「嘘」を用意しなければならない。真実を伝えるわけにいかず、嘘で塗り固められていく。車の窓から街灯が流れていくのを眺めながら、人は何にでも流される、と緋荼里は呟くのだった。