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5、ブリーフィング「擬態サメ」

「それで?」


 目の前には、真魚の長いまつげが迫っていた。シャークブラウジングセンター、そのブリーフィングルームで真魚は机から身を乗り出していた。顔を緋荼里に近づけて、もう一度問う。


「どうしたの?」

「どうしたのって……ここのことは何もいわなかったよ。そう厳命されてたし、喋ったら何されるかわかんないし」


 そう、と真魚は体を座っていたソファに沈める。


「懸命ね」


 小さく放たれた一言が、やはり箝口令を守らなければ危ういのだと教えてくれる。非現実な組織の非現実なあり方は、映画や小説でさんざん見てきた。実際に目の前に提示されると、自分ごとでないように思える。


「でも、なんか凄く疲れた」

「それは……そうでしょう。ときの人だものね」


 今日も見かけることすらなかったが、真魚は同じ百々道高校の生徒のはずだった。学校で緋荼里がどのように噂されているかは、耳に届いていることだろう。


 緋荼里はわざとらしい程に大きなため息をついて、手足を伸ばす。仰ぎ見れば、シミひとつない白い天井が目に映る。でもさ、と小さく呟いて緋荼里は視線を落とした。


「周りの扱い以上に、何も言えないのが……ね」


 真魚が瞬きをしながら、緋荼里の言葉の意図を探る。くりっとした目は吸い込まれそうな愛らしさがあるな、と緋荼里は思う。顔立ちも整っているし、黒くて艶のある長い髪。二つ隣のクラスだが、入学した当時に綺麗な子という噂は聞いた。


 その子が自分を見つめている。そういう気があるわけではないのに、この真っ直ぐな視線で見つめられると頬が上気してしまう。


「あぁ、そういうことね」


 何かに納得したらしく、二度頷いて真魚は身を引いた。テーブルに置かれたペットボトルの紅茶に口をつける。緋荼里も真魚に倣って、乾いた喉を潤した。温度や湿度の調節が完全になされているというブリーフィングルームは、快適ではあるが、真魚と少し会話をするだけで喉が渇いた。


「つまり、あなたが言いたいのは……サメについて何も語れないことの口惜しさかしら」


 ペットボトルを机において、緋荼里は小さく頷いた。

 それは仕方がないこと、と真魚は前置きして続ける。


「だって、幽霊のようなサメが人々を食い破っていったって……どうやっても説明できないもの。あなたが最初、現実を受け入れがたいものとして認識したようにね。公表すればセンターはより大きく行動できるでしょうけれど……あんなサメはまだかわいい方だもの」


 ここでいうかわいい、というのは、容易いとか簡単な……そういう意味だろう。


「あれでかわいいって、他にはどんなのがいるのよ……」


 そうね、と真魚は視線をめぐらして小首を傾げる。記憶から情報を引き出しているのか、んー、と一つ唸り声を入れてから口を開いた。


「通り過ぎた場所を生物無生物問わずに食へるのとか、人間をサメの仲間に引きずり込む個体とか」

「字面だけだと、いまいちピンとこない」

「実際のものを見せるとか、事例を事細かに説明できたらいいのだけれど……その手のサメは研究主任の許可が必要なのよね」


 くるりと瞳を回して、残念そうに真魚はいう。


「あぁ、でも……」

「でも?」


 思考が逡巡しているのか、真魚は口を紡ぐ。言いかけで止められるのは、一番気になる行いだ。


「夢の話なら……そうあれなら私は語ってあげられるわ」

「夢?」

「夢といってもあれは、現実に根を下ろして人を食らうたちの悪い夢。識別コードは、たしか⭕⭕。名前は……」


 サ、と真魚が声を出しかけたところでブリーフィングルームの扉が開いた。入ってきたのは、ブラックスーツに身を包んだ若い女性だった。


「おしゃべりは、そこまで」


 硬い口調で告げると、緋荼里たちをぐるりと回ってホワイトボードの前に行く。真魚が立ち上がり、敬礼をしたのに合わせて見様見真似で緋荼里も倣う。


「別にあなたたちまで、油切ったオッサンたちと同じことをしなくていいです」


 後ろを見やりながら、女性は告げる。彼女に続けて、愛護が入ってくるのが視界の端に映った。


「中には、上司に敬意のかけらも見せない大人もいますが……二人はそういう大人にはならないでしょう。時がくれば、礼儀は身につくものですから」

「いやぁ、俺だって早苗ちゃんのことは尊敬してるよ?」

「鎌倉第三部隊長と話してると時間を無駄に消費するので、本題に入ります」

「ひでぇな、早苗ちゃん」


 皮肉に対する愛護の抗議を無視して、早苗は緋荼里に向き直った。目を覗き込むようにまっすぐ見つめ、少し頬を緩める。


「はじめまして、早乙女緋荼里さん。私はこのSBC日本支部J県分室室長の今宮早苗です」

「今宮室長」

「えぇ。直接関わる中では、もっとも偉い人と覚えてくれればいいわ。敬語も無理のない範囲でかまいません」


 淡々と告げた後、早苗は一つ咳払いを入れた。ホワイトボードに一枚の犬の集合写真を貼り、二人へと視線をくべる。


「では、本題に入ります」


 短く告げると早苗はA4用紙数枚からなるレポートを配る。表紙には、赤字で『持ち出し不可』と書かれていた。めくるように指示され、表紙を裏に回すと地図と文字の羅列が出現した。


「J県∪市木場町如月三丁目にある空き店舗にて、何らかの特殊性を持つサメが発見されました。不動産業者の男性一名がこのサメと接触し、通報したことによって発覚しました」


 通報の内容はこうだ。

 空き店舗に住み着いていた複数の野良犬を排除しようとしたところ、一匹のトイプードルがサメに変化して襲いかかってきたという。変化したのは男性が捕まえようと腕を伸ばした瞬間で、予兆は感じられなかった。

 変化したサメの大きさは、約2メートル。元のトイプードルの数倍に匹敵する。幸い手にしていた懐中電灯を叩きつけ、怯んだすきに逃走できた。


 通報を受けた警察署に潜入していたエージェントが、この事件を知って対応にあたる運びとなった。


「早乙女さんの目が有効的に活用できるという判断のもと、第二と第三部隊による合同作戦が決定しました。行動開始は明日の一七〇〇、資料を一読するように。部隊の顔合わせは直前で行います」


 一息に説明を終え、早苗は質問はあるかと問いかける。真魚が第三部隊だけでもよいのではと伺いをたてた。他の部隊との作戦が嫌なのか、表情が険しい。


「いくら目を持っていても早乙女さんは、経験が全く不足しています。万全の体制で望むべきとの判断です」


 反論はないかといわれ、真魚は静かに首を振った。


「早乙女さんは?」

「いえ……何がわからないのかがわからないので……」


 いきなり、あれやこれやといわれても理解が追いつかない。早苗は自分の額を指で二度叩くと、嘆息した。その宛先は、緋荼里ではなく別のどこかなのだろう。早苗は天井を仰ぎ見る。


「それも、そうね。……本来なら、研修期間を経てから実戦投入なのですけれど……」


「緋荼里ちゃんの目を有用に活用するべし、というお達しなのさ」


 言葉を濁した早苗を引き取り、愛護が説明を加える。


「少し考えたらわかるだろう。お嬢ちゃんみたいな若い娘が、小説や映画じゃあるまいし、理由がなければエージェントなんてもんになるわけないさ」


 現実感のなさは、緋荼里自身、自覚している。現実から乖離させられる全ての元凶は、緋荼里のもつサメの目にあることもわかっている。

 もっとも雑に極まる説明では、自分にはどうやら特殊な能力があるらしいことぐらいにしか認識できないでいた。


「別にドンパチやれとか、真魚みてぇに刀ぶん回せってわけじゃあねぇんだ。緋荼里ちゃんの役割は、索敵さ」

「索敵……って、えーと、敵を探し出すことてしたっけ?」


 イエスと、ネィティブな発音で愛護は答えた。


「その目で敵の実態を捉えること。なんせ、サメってのは異質だ。俺達の五感を騙す、常識を超えるなんてのは日常茶飯事なのさ」


 大袈裟に両腕を広げ、愛護は続ける。幽霊サメや瓶詰めのサメだけじゃ実感もわかないだろう、といって早苗に目配せした。


「ここは、どうだい。岸辺博士に説明を乞うというのは……博士の管轄物なら直感で理解できるだろう」


 早苗は眉間にシワを寄せ、組んだ腕を指で二度叩いた。叩くのは癖なんだろうな、と緋荼里は会話の外にいた。

 流されるままに、待つ。


「いいでしょう。連絡をしておきます」


 早苗は愛護に応えると、手をひとつ打ち鳴らした。


「では、私からのブリーフィングは以上とします。以降の作戦権限は鎌倉愛護第三部隊長へ。山波更紗第二部隊長を副責任者とします」


 また作戦後に会いましょう。

 そう告げて早苗は去っていく。扉が閉まる直前、彼女は緋荼里へと曖昧な笑みをくべるのだった。

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