表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/6

1、邂逅

本業の都合上、月2回以上更新(不定期)です。

ゆるゆるとお付き合い下されば幸いです。

 早乙女緋荼里は、茶色の頭をかき乱しながら呆然としていた。彼女の白いシャツにもベージュのズボンにも……メガネにすら血しぶきがついていた。けれど、これは彼女自身の血ではなかった。

 「何が起こっているのか」が、緋荼里の最初の疑問だった。

 目の前に広がる血しぶきと、鼻腔から脳天へ至る鉄の臭い。瞬く間に三人の大人が、腕を失い、頭を削られ、胴部を食い破られて倒れた。

 今は昼下がり、場所はショッピングモールの小さな野外広場。何者かが刃物を持って、無差別に切りかかったのなら理解できる。緋荼里にとっては、無差別殺人も遠い場所で起きる事件に過ぎない。

 それでも、視界を飛び交う半透明のサメが人々を食い荒らすという光景よりは数倍マシだ。

 まだ、無差別殺人なら人智の及ぶ距離にある。

「あぁああああああああ!?」

 誰かの叫び声が耳を衝いた。

 野外広場に設けられた小さな噴水、その周囲が赤く染まっている。赤い場所から人々が駆け出すのが見えた。日曜日だ、家族連れから緋荼里のような学生まで……とにかく人が多い。


 非常事態に気づいた警備員が、倒れている人を助けようとして……腕を失った。果たして自分が見ている光景が、他の人にも同じように映っているのか。足が震えて動けない中、緋荼里の思考回路はかなり冷静だった。むしろ、冷静すぎた。

 一重に、この出来事を拒否したかったからだ。限りなく透明に近いサメが噴水から飛び出ては、人々に食らいつく。人々が撒き散らした血だまりからも現れる。サメが飛び出す範囲が瞬く間に広がっていく。

 早乙女緋荼里は、ごく一般的な女子高生である。少なくとも現時点では、非現実に打ちのめされる少女の一人にすぎない。遠くに意識を飛ばしかけ、緋荼里は腕の中で震えるもう一人の少女を思い出した。

 緋荼里によく似た愛らしい顔立ち、同じような栗毛色の髪。ただし、緋荼里と違ってメガネはかけていない。

「美樹……」

 妹の名を呼ぶが、返事はない。震えていると思った身体が沈んでいく。二つしか変わらないとはいえ、高校生と中学生では精神耐性に大きな差がでる。緋荼里は妹が気絶したのだと気づく。

 また、血しぶきが上がった。噴水みたいに。

「あ、あぁ……んくっ」

 嗚咽を飲み込みながら緋荼里は必死に考える。血だまりからサメが飛び出して動く距離に、もう届く。妹を逃がすだけの猶予は残されていない。逃げ出すもの、逃げ出せないもの、向かってくるもの……広場は混乱を極めていた。誰かがぶつかり、メガネが飛んだ。周囲が途端にぼやけて見えた。

 緋荼里は、ただただ立ち尽くしていた。

「なんで……」

 絞りだすような声が聞こえたとして、誰が緋荼里の真意に気づけただろうか。

 彼女の言葉は、こうだ。

「なんで、見えるの!?」

 非日常の中で彼女は、極めて冷静であった。サメがどこから現れるのか、彼女には見えていた。周囲の人々は、逃げる向かうに関わらず、頭を執拗に動かし、目玉を飛び出るほどに回転させている。だが、緋荼里は一点だけを見つめていた。

 ぼやけて乱れる視界の中に、焦点がサメにだけ合っていた。自分の意志とは無関係に、目玉が動かされているような感覚すらあった。

 サメは、次に死んだ警備員の腹部にできた血だまりから出現する。そして、緋荼里の方へ向かってくる。緋荼里はサメの動き理解し、次に取るべきアクションを判断した。

 妹をそっと横たわらせ、両腕を胸の前にやる。

 何かに拳を突き出すために、この構えを取るのは何年ぶりだろう。サメが口をあけている間、緋荼里はそんなことを思っていた。自然と右手は突き出される。数年ぶりに突き出された拳は、狙いすました通りにサメの鼻っ面に叩きこまれた。

 ミシっと嫌な音がした。手の指の骨が軋む音だ。素手で殴るには、半透明のサメは硬かった。半透明のくせに、幽霊のような存在のくせに、手には確かな感触があった。何故か、無性に腹が立った。

 サメが怯んだところに、すかさず左ストレートを鼻先に突き入れる。サメは鼻とエラを狙えと記憶の片隅にある。多分、何かのテレビ番組だ。もしくは、お父さんの無駄話か。

「はぁ……はぁ……」

 ワンツーで打ち込んだだけなのに、息が切れる。生き延びたら、もうちょっと体力付け直そう。ぼうっと考えている間にも、視線はサメを追っていた。

「……帰った……?」

 一秒、五秒……十秒経ってもサメが出てくる気配がない。あの奇妙なサメは、消え去っていた。

 呼吸を大きく深くして、構えを解く。下ろした腕ですぐさま自分を抱きしめていた。全身の震えを止めようと、手は肩を強く掴んでいる。痛いぐらいだったが、目の前に転がる死体を目にすると、痛みは生きている証拠だと実感する。

 視線を下ろせば、気を失ったまま浅い呼吸を繰り返す妹がいた。妹も怖かっただろうが、今はその身体を抱いてやることはできない。自分を抑えるので精一杯だった。


 無数のサイレンがモールに響き渡る。これで、本当に助かったんだと身体の震えが止まろうとしていた。乱れていた呼吸はすっかり落ち着いていた。けれど、瞳がひどく疼いていた。

「え、何で……」

 視線に引っ張られて目玉が動く、目玉に合わせて頭が動いた。自分の意思とは関係なく、一連の動作はなされた。奇妙な感覚を伴いながら、視線は血だまりの一つに注がれる。半ば乾き始めていた、その血だまりにぷくぷくと泡が浮かぶ幻影を見た。

「ダメ! 逃げて!」

 立ち上がろうとして、足がもつれた。声を張り上げたが、喧騒に塗れた広場で彼女の声を聞くものはいない。サメが再び現れた……いともたやすく血だまりに近づいていた警察の脇腹を裂いた。また、血が溢れ出る。

「おい、あの嬢ちゃんの視線を追え! そっから出てきやがる」

「……このパニックはどうするのよ」

「処理班がすぐに来るから問題ない。今は被害者を減らすことだけを考えろ」

 渋い男の声と、同い年ぐらいの少女の声。

 視線の先に黒い影が現れた。それが、一人の少女が振り乱す髪の毛だと気づくのに三秒を要した。彼女の視線は、サメに集中しようと無意識下で動かされていたからだ。

 湧きでた数本の噴水、そのうちの一つへ視線は注がれていた。黒髪少女が一瞬振り向いて、緋荼里の目を見た。

「……緋荼里?」

 微かに黒髪少女の口が、名前をつぶやいた気がした。

 綺麗な横顔だと思った刹那、

「お前は突っ立つためにここに来たのかぁ、真魚ぁ!」

と後方から男の怒号が飛び、思考が吹き飛んだ。

 わかっている、と言わんばかりに少女が向き直した。よく見れば、背中越しに彼女が刀のようなものを持っていることがわかる。飛び出してきたサメに刃が振り払われる。サメは身体を捩り、牙を打ち合わせて反転した。

 再びサメの姿は、水の中へ消える。そのときには、背後からこちらへ近づいてくる大勢の足音が聞こえていた。

「処理班は、逃げ惑ってる奴らの対処に当たれ。サメの処理は終わっちゃいねぇから、噴水と血だまりには決して近づくな」

 男の声を聞きながら、緋荼里は再び頭を動かした。今度は黒髪少女の右手方向だ。女性の腕が落ちており、血が体から河のようにつながっていた。

「こっちを向かなくていい、右だ!」

「突き落とす!」

 男が緋荼里の頭を見つめ、黒髪少女へと叫んだ。黒髪を広げながら、とっさに少女は刺突の構えを取る。

「さぁ、お嬢ちゃん。タイミングよろしく叫べ」

 ごつっとした手が肩に置かれた。その瞬間、何故かサメに対する恐怖心が消えいていた。代わりにサメを倒すことに義務感が湧き出る。

 ごぽっと血が泡立つ。痛みを訴える喉を、緋荼里は無理やり動かした。

「今ですっ!」

 刃が鈍い光を放ちながら、血だまりに突き出された。映画で見たことのある顔だけつきだした状態のサメの口へ、刃が突き刺さる。黒髪少女は捻り込むように刀を突き進ませ、サメをえぐる。サメの姿が光の粒子となり、霧散した。

 サメであった粒子は、やはり水の中へ吸い込まれる。緋荼里は、最後のひと粒が消え失せるまではっきりと意識を保って、見届けていた。


「……さて、油断するわけにはいかないな。相手は、サメだ」

 男のいう「サメ」という言葉が、嫌な耳障りをもっていた。けれど、その意味を考える前に緋荼里は妹の無事を確認する。

「記憶処理の前に地域封鎖だ! モールの出入り口はもとより、周辺に逃げた連中もきちんと追いかけろよ。まったく、処理班も人数不足だってのに……愛護だ。思った以上に出入りが激しい、応援をよこせ」

 男は、緋荼里の肩に片手を残したまま電話を始めた。視線が自由になった今、改めて見あげれば宇宙人を捕まえる映画に出てくる外人のような、真っ黒いスーツとネクタイ。顔にはサングラスをかけている中年男性だった。

 くせっけのある髪に目を引かれつつ、男を観察する。電話を終えた男のサングラスと目があった。

「早乙女、緋荼里」

「緋荼里!」

 男の声と近づいてくる黒髪少女の声が、同時に緋荼里の名を呼んだ。男の事情は分からないが、黒髪少女は緋荼里と同じ学校の制服を纏っていた。そして、知性を感じさせる顔立ちと長い黒髪……男が呼んでいた真魚という名前。

「……神楽、さん?」

 親しくはないが知っている相手だった。近所に住み小学校から高校にいたるまで、同じ所に通っている。彼女が何故ここにいるのか。目を見開いたと同時に、緋荼里の意識は刈り取られた。電源を切ったテレビのように、視界がシャットアウトされる。

「あぁ、まったく……厄介なことになった」

 消えていく聴覚が最後に捉えたのは、男の本当に厄介そうな声色であった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ