1ー8
「アンナが面白い提案をしてくれたって、母上が楽しそうに言ってたよ。何か、名案が思い付いたの?」
その日の夜。
2人の寝室でトレイスに問い掛けられ、私はにんまりと、お茶会でみんなに見せたのとは違うタイプの笑みを浮かべた。
「うん。オルビアンでならね、可能性があると思うの」
お茶会の場で私が考え付いたことは、単純に女性のパートと保育所の設置についてのみではなかった。
他の都市ではどうか分からないけれど、少なくとも王都オルビアンでは、お茶会で話した女性のように、小さな子供を抱え、頼れる親も近くになく、働きたくとも働けずにいる女性が多くいる可能性が高い。
オルビアで保育所という制度が受け入れられるかどうか、まず試用期間としてでも開設してみるとしたら、オルビアンで始めるのがいい。
オルビアンは王都だから、ここで成功したら、他の町へも波及して行く可能性が高くなるもの。
そして、同様に子供が学校に行っている間でパートで働ける人も、オルビアンには一定数いるはずだ。
この2つの制度を使い、今までになかった人手を確保することで、実現出来る可能性が出るものがある。
それは、半ば暗礁に乗り上げた状態の、モサモサの毛の加工のこと。
既存のモクモクの花の加工工場は、すべてオルビアンの外、どちらかというと郊外の町にある。
けれど、オルビアンに新しく、国で出資してモサモサの毛を加工できる工場を設けて、従業員もフルタイム働ける人に限らず、保育所を設け、パートを含めて募集を掛けたら、人手の確保が出来て加工が可能になるんじゃないだろうか。
ルフトの工場だって、パートの主婦が多いって言っていたはず‼︎
勿論、オルビアンには糸の加工の知識がある人のあてはない。その場合は誰か、教えてくれる人が必要にはなるだろうけれど、まずは人手と場所、それから道具の確保が必要だ。
私はまず、フランシス兄さんに現状と私の考えを書いた手紙を送り、オルビアンで加工工場を設置する場合に、どれ位の規模で始めるのがいいか、必要な設備は何か、そのためにかかる経費はどれ位になるかなどの相談をした。
オルビアは議会政治を取っていて、1年間の国の予算の使い道も、全て議会で決定されている。
議会の最終決定権は、国王であるトレイスにあるけれど、それはあくまで議会で意見が割れた時にそれぞれの意見をまとめて判断するような役割であり、基本的には選挙で決定された各地域の代表者である議員達の、多数決に近い形で決議が行われている。
国で出資をするのであれば、議会に設置に必要な経費を報告し、承認を受ける必要がある。
フランシス兄さんはさすが商売人で、ルフトの例の工場にも確認し、必要な設備や最初に必要であろう人数の目安、オーダから仕入れた場合の見積価格、場合によってはオルビア国内で仕入れた方が早く安いと思うので、必ず国内で相見積もりを取るように……という返事をくれた。
私は、せっかく思い付いた名案に上機嫌で、すぐに国内で設備を購入した場合の見積もりを取った。
それから、モサモサの飼育に掛かる費用についても、今までしっかりとサキファ村に補償出来ていなかったので、乳牛を育てている牧場など、他の動物を育てている施設に費用を聞き、必要と思われる概算金額を出してもらった。
そして私は意気揚々と2つの予算についてまとめ、案を議会に掛けることにした。
やっと、大きく前進出来る。そんな思いだった。
「……と、いうことで、こうすればモサモサという新しい資源を確保し、女性の働く場も用意出来ると思うの」
自信満々に言った私の前で、浮かない顔の議員達がヒソヒソ話を始める。
予想外の反応に不穏な空気を感じていると、会議の議長が
「王妃……大変申し上げにくいのですが」
と切り出した。
「……議会では……申し訳ありませんが、王妃様の提示された案を承認する訳には参りません」
言いにくいと言いながらも明らかな拒否の言葉に、私は耳を疑う。
「……何で?何が問題なの」
呆然と私が呟くと、議長は、
「……確証がありません」
と答えた。
「確かに、王妃様の仰るとおり、成功した暁にはそのモサモサとやらはオルビアの国に大きな利益をもたらしてくれるかもしれません。加工品の糸や化粧品の品質も、オーダで色々な商品を扱っておられる王妃様の兄上様や、本職の化粧品会社が評価しているならば、間違いはないのでしょう。けれど、それだけの予算を掛けて、どれだけの需要のあるものが作れるのか。現時点では机上論であり、まったく確証はありません。今オルビアが置かれている経済状況は、何より王妃様が一番ご存知のはず。成功する確証のないものに大きな予算を割く余裕は、今のオルビアにはございません。……国王陛下。よろしいでしょうか」
私は、国王の椅子に座って成り行きを見守っていたトレイスを見た。
オルビアは議会政治を行っている。けれど、最終決定権は国王にある。
議会の総意とは異なる意見でも、事実上は国王の意見を押し通すことは可能ではある。それが分かっているから、その場にいた人間全てが、国王であるトレイスの判断を緊張の面持ちで待った。
トレイスはしばらく目を伏せ、静かに何かを考えているようだった。
考えがまとまったのか、目を開けたトレイスはまず1度私の方を見てから、口を開いた。
「……私は、議会の総意に異論を唱えるつもりはない」
私に話すのよりは、幾分硬い、国王としての重い言葉。
議員達の表情が、一様にホッとした顔になる。
けれど、トレイスの言葉はそこでは終わらなかった。
「……私からも1つ提案がある」
議員達の表情が、今度は困惑に包まれる。
トレイスが私の意見を受け入れなかった議会側を肯定したことは、少し悲しくはあったけれど、彼が私と議員の意見が相反した場合、恐らく私に対する感情だけではなく、冷静な判断を下すだろうということは、最初から分かっていた。
けれど、提案って何だろう。
私も正直、トレイスが何を言うのか分からずにいると、彼は言った。
「国の予算をまだ確証のないもののために使えない、という議会の意見はもっともだし、尊重すべきであると考える。けれど、王妃もこのまま引き下がれない状況ではあるだろう。……もし、王妃が自ら資金を確保した場合、王妃の好きにさせることに問題ないだろうか。それと……城の敷地に、いくつか使っていない建物があるだろう。それを王妃がこの試みのために使用したい場合、使用許可を与えたい」
何でそんなことを言い出したの。
私はその場でトレイスに詰め寄りたい気持ちを、どうにか抑えた。
トレイスは、普段はぼんやりしているけれど、本当は何も考えていない人ではない。
議会の意見と、私の意見。どちらも尊重するために導き出してくれた提案なのだろうということは分かったから。
議員達は突然の国王の提案にまたざわめいたけれど、やがて、
「……国の資金を使うのでなければ、問題はないかと存じます」
と答えが返って来た。
それを聞くと、トレイスは満足そうに頷いてから、私に向き直った。
「……と、いうことだ、王妃。……困難ではあるかもしれないが、モサモサの今後は、国ではなくあなたに委ねられた。……慎重に、進めて欲しい」
「……心得ました」
今後、どうして行けって言うの。
本当はその場で言いたかった。
王妃である私の生活費は、国の資金で賄われていて、それは国民の支払う税金から出来ていて。
国の資金を使わずに、私にモサモサのために必要な設備を整えるお金なんてない。
でも私達は夫婦である前に、私は王妃で、トレイスは国王だから。
双方の立場を思うと、この場でまくし立てることは出来なかった。
「……アンナ……ごめんね」
その日の夜、トレイスが私を気遣うように優しく言った。
「……議会の意見を無視することも、本当は出来た。……でも、それは議会政治じゃない。……それでは、国民の意見を無視するのと同じだ。アンナは、納得が行かないかもしれないけれど……」
「……謝らないで。あなたは国王として、正しい判断をしたんだから」
私は、泣きそうになるのを堪えて、どうにか強がった。
トレイスは悪くない。
困難ではあるけれど、どうにか可能性は残してくれた。
それが、トレイスの優しさなんだと思う。
「……でも、ごめんなさい。……今日は1人でいたいの」
私が言った。どうしたらいいのか、気持ちの整理がつかなかった。
トレイスは、
「……分かった」
と答えて、部屋を出て行った。
仕事が立て込んでいる時なんかに仮眠するように、トレイスは執務室にも簡易的なベッドがある。恐らく、今日はそこで寝てくれるのだろう。
私はトレイスが出て行くと、枕に顔を埋めて、初めて泣いた。