4ー5
いつものようにトレイスや母后陛下と朝食を食べながらも、私は色んなことが頭の中を巡って、集中することが出来なかった。
レイナさんのこと。
テオのこと。
私は何をすればいいんだろう。
何がしてあげられるんだろう。
……そもそも、せめて2つの問題が別々に起こってくれれば良かったのに。
「……王妃様」
そうなると、私に注意するのは今日もこの人なのだ。
「小さな子供ではないのですから、お食事の時はお食事のことに集中下さい」
「セレーネ……。でもねぇ、私の決断で従業員の人生が変わって来るのかも、と思うとねぇ……」
私が言うと、セレーネはもう何度目か分からない小言を始めた。
「エリンから聞いております。妊娠した従業員の保障について、悩まれているとか」
実際にはそれだけではないけれど、テオのことはエリンには話していない。
レイナさんのことは、工場の従業員達は女性ばかりで仲もいいし、彼女自身がみんなに話したのかもしれない。
テオのことまで説明すると、余計に小言が多くなるだろうことは目に見えているから、敢えて言わないでいた。
レイナさんのことだけでも、セレーネは余計なことだと思っているようだった。
「王妃様が従業員を気遣われる気持ちは、私も雇われの身として、大変素晴らしく、ありがたいことだと思います。けれど、何度も申し上げますが、人のことなど心配されている場合ですか。人の妊娠、出産の心配をする余裕がお有りなのであれば、何より国の心配をしていただいて、王妃様ご自身がお世継ぎをですね」
「……セレーネ。それはさすがに話が飛躍しすぎじゃあないか?」
セレーネのいつものお小言に、助け舟を出してくれたのはトレイスだった。
「世継ぎのことは、何もアンナだけの問題ではないよ。私の問題でもある。そのことと、従業員の保障をどうするかは、別問題だよ。アンナ・オルビア社の対応が、国内の他の会社に手本として伝わることもあるだろう。アンナには、じっくり考えるように私も助言したんだよ」
「国王陛下……」
国王であるトレイスに言われて、さすがにセレーネも押し黙る。
すると、今度は母后様が言った。
「アンナ、確かに従業員のこと、特に女性の保障に関することを充実させるのは良いことだわ」
「母后様……」
「でもねぇ。セレーネの言うことも、国民の、ひいてはこの国の望むことだわ。それも、ちゃんと心に留めておきなさいね」
いつもはにこにこと優しい母后様の一言には、重みがある。
トレイスと顔を見合わせて、私は
「……はい、母后様」
と答えるしかなかった。
「言われちゃったわね」
2人の寝室でトレイスに言うと、トレイスも苦笑する。
「……でもね、今回ちょっと考えたんだ。レイナさんのことをきっかけに、同じようなことがあった時の保障を決める、それはいいけど、自分の時はどうすることになるのかな、って。私もね、欲しくない訳じゃないのよ。その……トレイスとの、赤ちゃん」
どうしてもこういう話題を話すのは気恥ずかしくて、顔が赤くなるのを感じる。
トレイスは心なしか嬉しそうに微笑んで
「うん」
と答えた。
「従業員の保障は整備しても、私がろくに休まずに働いてたら、それってよくないと思うの。社長って、従業員の先頭に立って、手本になるべきだと思うのね。……だったら、私の代わりに、少なくとも私が休んでいる間、会社を任せられる人が必要だと思ったのね。それで考えたことがあるんだけど……トレイス、意見を聞かせてくれる?」
それは、色んなことを考えた結果思いついたことで、上手くいくかはわからないけど、上手く丸く収まったらいいなぁと思うことで。
優しいトレイスは、勿論私の提案を無下にすることはなく、静かに話を聞いてくれ、最後に『いいんじゃないかな?』と言ってくれたんだった。
とすると、問題は当事者たちの意見な訳で……。
まず、私はレイナさんの件から対応していくことにした。
私の案を保育所の責任者であるナージャさんに話して了解をもらってから、私はレイナさんだけではなく、工場で働く従業員みんなを集めて説明した。
今回はレイナさんだけのことだけど、他にも小さな子供のいるお母さんはいる。
今後も、他の人が同じようなことにならないとも限らないんだ。
そして、誰かが一次的にでも休むことになれば、同じ職場で働いている人達にも影響してくる。
同じ女性として、子供を持つお母さんとして、問題がないかどうか意見を聞いて決めた方がいいと思ったんだ。
私の提案は幸い、ほとんどが好意的に受け入れられた。
私が提案した内容はこう。
1、従業員が妊娠した場合、子供の生後半年から1年の、従業員が希望する期間で一時的に休暇を取った後、復職を認める。
2、休暇中の給与は、与えない。
3、休暇中も、上の子を継続して保育所で預かるのは、保育所の職員数等により、問題がなければ可能。ただし、保育料金は通常時と同額とする。
4、復職に際し、従業員が希望する場合は、一次的、もしくは継続的に労働時間を休暇前よりも短縮することを認める。
5、従業員の休暇中は、場合によって従業員の補充をし、業務に支障が出ないようにする。
6、産まれた子供は、従業員が希望する場合は原則保育所で預かる。
「本当は、お休みしている間はお給料が出ないのに、保育料金はもらう、っていうのは大変だとは思うんだけど。でも、保育所の先生達にもお給料は払わなきゃいけないし、今出来るのは、ここまでかなと思うんだけど……どうかしら」
私が言うと、聞いていた従業員の1人が
「さすがに、お休みしている間は会社に籍があってもお給料はもらえないか」
と呟いた。
「何言ってんのよ。働いて成果を出してるからお給料がもらえてるんでしょう。お休みしててもお給料もらえるなら、みんな休んじゃうわよ」
別の従業員がたしなめるように言い、どっと笑いが起こる。
私も一緒に笑ったけど、もらえたらいいのに、って思う人は、確かにいると思うんだ。
だって、多かれ少なかれ、子供を育てるのにはお金がかかる。
今まで、旦那さんの収入と自分の収入を合わせて生活費を出していたのが、一時的とはいえ、旦那さんの収入だけで生活しなきゃいけなくなるんだから。
正直、レイナさん1人のことなら、お給料を普通に働いたのと同じ額だけ出すのは厳しくても、半分くらい出してあげるとか、保育料金を下げてあげるとか、やってあげられるかもしれない、って思った。
でも、それじゃ駄目だって思ったんだ。
「うちの会社でしか出来ないような保障は、なるべくなしにしたかったの。働いている間もお給料を出す、という前例をうちの会社で、今やってしまったら、他の会社で同じような制度を、という声が上がった時に、障害になる気がして。お休みは取らせなきゃいけない、でも、休んでいる間もお給料を支払わなきゃいけない、だと難色を示す会社が多いと思う。だから、それ以外で考えたのはこんな所なんだけど……」
私としても、判断に迷ったことは他にもある。
例えば、お休みしている間の保育所通いについても、希望があるなら必ず保証してあげたいけど、よく考えたら厳しい場合もあるかもしれないと思った。
もし、代わりの人を募集した場合、その人にも子供がいるかもしれない。
今回の場合は、相談の結果、どうにか人を増やさなくてもいけるだろうということで保育士さん達の同意は得ているけど、これ以上保育する子供が増えたら、保育側の人手が足りなくなるかもしれない。
勿論、募集はするだろうけれど、いい人が見つからない場合もある。
簡単に保証する、とは言えないんだと思った。
どんな反応を返されるだろう。
私の心を占めていた不安は、もう学校に通っている子供がいるお母さんの笑い声に吹き飛ばされる。
「まぁ、それじゃあ会社の中での風当たりも強くなりそうだし、十分なんじゃない?もっと子供の小さい時にそんな制度があったら良かったわ」
「もう1人産んだらどう?」
「あら、今からでも行けるかしら」
多分、わざとおどけて言ってくれているんだろう、心強いお母さん達の言葉に、私も自然と笑顔になった。
レイナさんは結局、旦那さんとも相談した結果、上の子は出産前後も継続して保育所に通わせ、自分と下の子は産後半年から仕事復帰と保育所への入所をすることになった。
上の子も、まだまだ小さいし、保育所に行っていてくれれば、負担が大分軽くなるだろう、と旦那さんが言ってくれたそうだ。
復帰の最初のうちは、仕事の時間を短くして、様子を見て元に戻していく予定だ。
「レイナさんがどうするかは決まったけど、従業員の補充はされるんですか?それとも、しばらくは今の人数で回すとか?」
従業員から上がった声に、私は答えた。
「ちょっとね、あてはあるんだけど……最終的に決まってからね」
レイナさんの件は、これでひとまずひと段落。
私は手を伸ばしてぐんと伸びをすると、もう1つの問題を解決するために、もう1度ミトの街に向かった。




