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王妃ですが、社長に就任しました。  作者: 椎名実由
第3章 会社誕生
21/29

3ー5

 サキファ村にナイジェル達が向かってから数日が経過した、ある休日。

 会社も休みなので、久し振りにのんびりした気分で城の廊下を歩いていると、セレーネとエリンの声が聞こえて来た。

 どうやら、エリンは今日もセレーネに言葉を習っているらしい。

 声を掛けようかとも思ったけれど、邪魔をしてもいけないと思い、静かに部屋の外から様子を伺っていると、

「あらアンナ。ここにいたのね」

 と、背後から声を掛けられた。

「母后様」

 振り返ると、私に声を掛けて来たのは、にこにこと笑顔を浮かべた母后様だった。

 母后様は穏やかな表情ではあるけれど、私は何となく背筋が伸びる気持ちになる。


「エリンは、今日も熱心ね。セレーネは、今までアンナにマナーを教えたように、何人かに色んなことを教えて来たけれど、今まで教えた生徒達の中でも、エリンは1番意欲があって、教え甲斐があると言っていましたよ」

 母后様に言われ、私は、

「エリンは、工場の従業員達とスムーズに話が出来るようになりたいのだと思います。仕事上は、エリンが他の従業員達に教える立場にはなりますが、実際には歳上の女性達ばかりですし、みんな素直なエリンを好ましく思ってくれていて、色々と話し掛けていますから。言葉が理解しきれないことが、彼女は歯痒いのではないでしょうか」

 と答えた。

 母后様は、私の言葉に頷いて、

「そうですね。歯痒い、悔しい、と思う気持ちは、彼女が学ぼうとする心の、大きな原動力となるでしょう。幸い、エリンは若く、年長者の意見を聞き入れる素直さがある。エリンはきっと、オルビアで素敵なレディに育つと思うわ」

 と言った。

 そこまで話した時、穏やかな空気が一瞬、すっと引き締まった、気がした。


「ところでね、アンナ。最近、あなたはいつも忙しそうにしていたから、お話する機会がほとんどなかったでしょう?料理長に、お菓子とお茶を用意してもらったのよ。時間があるのなら、たまにはお茶に付き合ってくれないこと?」

 その言い方は、許可を求めるようでいて、むしろ、否とは言わないでしょうねという、拒否権のない状態だったりしませんか?

 私は、一見優しい母后様の微笑みに、何故か言いようのない恐怖のようなものを感じながら、

「……はい。是非、ご一緒させて下さい。母后様」

 と答えた。


 母后様の私室に通され、椅子に座ると、目の前のテーブルに、私達が席に着くのを待っていたと言うように、次々とお菓子が運ばれて来た。

 最後に、香りのいい紅茶がカップに注がれると、母后様がカップを手に取る。

 私がどうしたものかと思っていると、母后様から

「どうしたのアンナ。好きなものを召し上がりなさいな」

 と声が上がったので、私は

「……いただきます」

 と答えて、取り敢えず紅茶のカップを取り、口を付けた。


 母后様はまず、

「会社の方はどうなの?順調に行っている?エリンからセレーネを通してや、トレイスからや、噂は色々と聞くのだけれど、なかなかあなたから直接聞くことがなかったから」

 と聞いた。

 ああ、母后様には、ちゃんと都度報告をしておけばよかった。

 トレイスには都度相談したり、上手く行ったことがあったら話して一緒に喜んでもらったりしていたけれど、正直母后様に報告する、と言うことが、頭からすっかり抜けていた。

 私は、

「ご報告が遅れてしまい、申し訳ありません。会社は、人も集まって来て、なんとか一歩一歩進み始めたと言うところです。加工工場の従業員は、人間関係も良好ですし、皆さんお子さんがいて、学校の持ち物などを裁縫して作ったりするのにも慣れた方が多いですから、皆さん手先が器用で、飲み込みも早く、助かっています」

 と答えた。


「保育所の方はどうなの?」

 母后様は更に聞いた。

「保育所も、先生達が元々学校の先生ですし、皆さんやはり子供の対応が上手で。それぞれ、お子さんのいらっしゃるお母さんでもありますし、お母さんの相談事にも乗っているようですし、ご飯や野外の遊具なんかも子供達に人気で、全般的に好評です」

 私が言うと、母后様は満足げに頷く。

「サキファ村の方も、トレイスが紹介をして、随分人数が増えたそうね。色んなことがどんどん進んで行くから、あなたは大変でしょうけれど、従業員のためにも頑張ってちょうだい。ひいては、それがオルビアの国に、もっと広がって行くのかもしれないのだから」

「……はい」


 母后様が褒めてくれているのに、私はどうも落ち着かない気持ちでいっぱいだった。

 何だろう。言いたいことがあるなら、早く言って欲しい。

 ドキドキしながら待っていると、母后様がついに切り出した。


「そんな風に頑張ってくれているあなたに、セレーネのようなことを言うのは、正直気が引けるのですけれどね。会社のこと、従業員のことばかりを考えて、自分のことを後回しにしたら駄目よ。せっかく、あなたは小さな子供のいるお母さんが働ける環境を作ってくれた。これから、あなたが保育所を開設したことで、オルビアの他の場所でも、同じような場所が出来始めるかもしれないわ。でも、あなたがあんまり仕事にのめり込みすぎて、なかなか子供を作らないでいたら、それは本末転倒と言うことになるんじゃないかしら」

 ああ、何となく分かってはいたんだけど、やっぱりそういう話になるのね。

 しかも、セレーネじゃなくて、母后様から言われると言うのは、また違った重みがある。

 要するに、私は社長ではあるけれど、ちゃんと王妃として、子供を産まなければいけない立場なのだと、念を押されたのだ。

 母后様は最後に、

「子供が出来たら仕事は諦めなさいなんてことは言わないわ。王妃としての立場もあるのだから、普通の主婦の従業員達とは違う部分も多いけれど、せっかく働きながら子育てをしている女性達に囲まれているのだから、今のうちに色んなことを聞いておいたらどうかしら。そして、ちょっと今までよりも前向きに考えてちょうだい」

 と言った。

 私は、

「……はい」

 と答えるのが精一杯だった。


 私が母后様と別れて部屋へ戻ろうとすると、エリンもセレーネとの講義を終えたらしく、部屋へと戻ろうとしているところだった。

「エリン、お疲れ様」

 私が声を掛けると、エリンは

「社長、ありがとう、ございます」

 と言った。

「今日、これから、会社の人達が、おいしいスイーツのお店、連れて行ってくれる。たくさん、話、出来るといいです」

「みんなでスイーツ食べに行ける位仲良くなったのね。よかったじゃない。楽しんで行って来なさいね」

「はい」

 エリンは嬉しそうに笑って、出掛ける時間が待ち切れない様子で、早足で部屋へ戻って行く。

 私はそれを、眩しい気持ちで見つめた。

 エリンも、気付かないうちに、何歩も前に前進している。

 私は、どうしたらいいんだろう。

 王妃と、社長と、母親と。

 今まで、分かっていなかった訳ではないけれど、どちらかと言うと気付かない振りをして来たこと。

 全てを両立させることが、私に出来るんだろうか。


「そういうことを言われたんだけどね……どう思う?」

 夜、トレイスに打ち明けると、トレイスは、

「また、本当にストレートに言われちゃったんだね。……まぁ、母上も心配なんだろうけど」

 と苦笑した。

 それから、少し真剣な表情になると、トレイスは言った。

「僕はね、アンナ。君が一生懸命仕事してる姿も、好きだよ。だから、アンナの気持ちが追い付いていないのに、無理に子供を作りたいとは思わない。でも、アンナのことが好きだからこそ、いつか、僕の子供を産んで欲しいと思うのも、本当の気持ちだよ」

「……トレイス」

「でもね、僕は、いざとなったら、どうにだってなるんじゃないかとも思ってるよ。実際そうなってみないと分からないし、僕が妊娠する訳じゃないから、他人事みたいに聞こえるかもしれないけど、妊娠したからってすぐに仕事を辞めなきゃいけない訳じゃないし、子供が産まれても、アンナは保育所を作ったんだし、それこそアンナは王妃なんだから乳母だっているんだし。考え過ぎなくても、意外とどうにかなるんじゃないかなぁって思うんだ。何なら、少しの間僕が社長代行やってもいいよ」

 任せろとでも言うようにトレイスが胸を張って言ったので、私は思わず笑ってしまった。

 そうか、でも、うん。

 確かに、今からそうやって、考え過ぎなくてもいい問題なのかもしれない。

 普通にしていたって、それは数ヶ月後のことかもしれないし、何年も後なのかもしれないのだから。


 私は少し心が軽くなって、トレイスに

「その時はよろしくお願いします」

 と言ってみた。するとトレイスも笑って、

「承知しました」

 と言ってくれた。

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