E.鳥ノ巣の人たちは忙しいんだよね?
辺境の町ザラクから鉱山都市サンベルグまで行くのに、ゆうに一週間かかった。服を売りながら移動しているのだから当然と言えば当然だし、馬の気分にもよってしまうのだから仕方ないがイヴォルビットから言わせると「のろますぎる」ということだった。サンベルグという町への道はザラクより若干北よりに位置しているので、移動の間は過ごしやすくてセシリア的には嬉しかった。結構涼しげな格好をしているリネージュに至っては寝冷えする事態に陥ることもあったが、ゆっくりながらもサンベルグに無事到着することができた。
ベルッグ地方は鉱山に囲まれている大きな地方で、土地は広いけれども人が住める場所は一部に限られる。その中でも特に大きく列車が通っているのがサンベルグで、人が良く集まるという点では商い事をしやすいと言えるだろう。リネージュの服はここ一週間で53着持ってきた内30着も売れた。特に若い女性や子供服が人気で、涼しげだが肌を見せすぎず、色も豊富なのが売りだろう。一方男の服はよくわからないらしく、作業服などを適当に売っていたが、それの売れ行きは微妙だった。通気性こそいいが、どうやら強度が足りないらしい。セシリアも兄の格好は見てきたがウメルケアで売れる服というのは正直よくわからないので、助言のしようがなかった。
セシリアとリネージュは2時間交代で店番をして、休憩も2時間置き。昼から夕方にかけて売って、セシリアのお願いにより夜は街の外れや森で野宿をすることになっている。リネージュはセシリアの抱える事情を深くは聞いてこなかったし、年ごろの娘なのに野宿に対して文句のひとつも言わなかった。オルレージュも必要以上に質問してこない人だったが、ありがたくは思うけれど気を使われているのがとてももどかしい。彼女のために何かしてやれないだろうかと、セシリアは休憩時間に土産屋を覗いていた。
ここベルッグ地方は鉱山地帯ということで、特殊な鉱石を使用した指輪などが多く売られていた。天然石のブレスレットや指輪など、たまに雑貨屋の隅っこに置かれているのを見たことはあるが、専門店に入ったのは初めてだった。セシリアは興味深くそれらを見て、商売繁盛のお守りの効果があるペンダントを購入した。少々値は張ったが生憎誰かのせいで、金が有り余っているのだ。
『貴様は金を持たせると使い果たしてしまうタイプか』
「イヴォルビットも何か欲しい?」
『…買ったとして、身に着けるのは貴様だ』
「それもそうだね。じゃあ要らない?」
『貴様が死んだら私の所有物でもなくなるから、結果的には必要がないな。』
「それって欲しいの?欲しくないの?…まあいいや、これ買ってあげるよ。緑色の鉱石…健康成就だってさ」
イヴォルビットは何も答えなかった。でもまさか冗談で言ったつもりなのに好いとも嫌ともいわれない微妙な反応をされるとは。実は鉱石や宝石など、キラキラしたものが好きだったりするのだろうか?イヴォルビットは嫌悪感を露わにするときは素直だが、あまり自身の好みの話をしない。それに最近はリネージュと行動しているからか、ダメ出しをしてくる他は以前よりずっと話しかけて来なくなった。セシリアは一抹の寂しさを感じていた。
だから欲しいとは言われてないけれど、欲しくないとも言われていないのだから、これはイヴォルビットへのプレゼントだ。セシリアは買ってすぐカバンの中に入れた。次、自分が目覚めたときこの鉱石のペンダントを身に着けていれば、イヴォルビットに気に入ってもらえたってことだ。
『楽しそうだな。だがそろそろ、道を急いだ方が良さそうだ。鳥の巣の馬とやらは、この世に生きる馬の中で一番足が速いのだろう?』
「えっ、もう追手が?そんな…境界門を超えられたから、大分時間は稼げると思ったんだけど。」
『何を言っている。ここは150年ほど前…地下を巡って人形劇が行われた町だぞ。それにお前が難なくここに来られたということは、奴らにとってこの国に来るのは造作もないということだ』
相変わらず言っていることの意味は半分ほど理解できないが、確かに鳥ノ巣の人間は皆通行許可証を持っているし、制服さえ着ていればもしかすると通行許可証を見せずとも通れるかもしれない。少なくとも兄が外国へ出張しに行ったとき、通行許可証を忘れていても制服を着ていたから通ることができたという話を聞いたことはある。とすると、そろそろ急ぎ足で道を行った方が良さそうだ。セシリアは急ぎ足でリネージュの元へ向かった。周りの人々がウメルケア語で何か話していたが、言語学が苦手だったセシリアはなんといっているのかわからなかった。
「リネージュ!儲かってる?」
「セシリア~おかえりなさい。聞いて聞いて、完売したの!これで何か美味しいモノ食べよっ?」
「それはすごいや、やったねリネージュ。じゃあそろそろ準備して出発しても…」
「あっ、ねえねえ、さっき“鳥の巣”ってオニーさんが服を買って行ってくれたんだけど…」
その言葉を聞いた途端さあっと血の気が引くのを感じた。自分は10日以上かかったのに、彼らはもう追いついてしまったというのか。今日からもう周りを警戒しながら急いで道を行かねばならないなんて、なんて面倒なんだろう。女王も流石に研究員を引きつれて探しに来るなんてことはないだろうから、兄に会うことはないだろう。きっと女王のお供は王朝騎士団の人達…かもしれない。セシルがそこにいないのは不幸中の幸いだが、もし本当に境界門を通ったのが王朝騎士団だとすると、かなり、厄介だ。
「そ、そのお兄さん、なんか、言ってた?」
「んっとね、髪が銀色で目が赤色で、わたしくらいの年齢の、メルクーチのエブラ・ソリス人を見なかったかって。…メルクーチってなんだっけ?」
「色白で、髪の色素が薄くて、ええと…わ、わからないならいいんだ。あのさリネ、ちょっと急ぎ足でここを出てもいいかな?」
「え?いいケド、服完売しちゃったし布を見に行きたいなぁって…ダメ?」
リネージュには大変世話になっている。自分の抱える事情を深く聞いてこないことも、美味しい料理を作ってくれることも、わからない言葉を翻訳してくれることも。リネージュには本当に大変お世話になっている。自分の命がかかっていても、そんな風にしょんぼりしながらお願いされたら、ダメなんて口が裂けても言えないではないか。
そんなセシリアの葛藤にイヴォルビットは心底呆れた。自分の命より友人の気持ちを優先するこのお人好しがと。お前を捕まえようとする手は、もう目前に迫っているというのに。
「い、いいけど―――」
「あっさっきのオニーさん!」
ええっ。という声を上げる前に、何者かの片腕がセシリアの頭をがっしりと掴む。その高圧的な雰囲気は身に覚えがあったので、セシリアはとても振り返るのが怖かった。かといって、この力強い腕に無理やり首を捻られるのもとても怖かったので、恐る恐る後ろを振り返った。怖くて涙がにじみ、ちびりそうになったが、何とか堪えた。
そこにいたのは王朝騎士団団長―セシリアの従兄の、シルベスター・デムヴァルトだった。
「でっ、出たあああ」
悲鳴を上げるとともに、気付くとセシリアは従兄の手を振り払い、何処へ行くでもなく一目散に走り去っていたのであった。シルベスターは予想はしていたものの、本当に化け物でも見たかのような悲鳴をあげられて手を振り払われるとは、相変わらずなんて無礼な奴なんだろうとセシリアの消えた先を睨みつけた。状況のよく分かっていないリネージュはセシリアが悲鳴を上げて去って行ってしまったことに驚いたが、持ち前のマイペースで取り乱しはしなかった。
「出たーって、オニーさんセシリアとお知り合いなンですか?」
「知り合いも何も、先程お尋ねした人物が、今逃げて行った小娘なのだが…。こちらこそ知り合いだったのかって訊きたいほどだ。」
「銀髪、赤目…ああ!確かに、セシリア銀髪赤目でしたネ!じゃあセシリアがエブラ・ソリスから遠く離れなくちゃな理由って、アナタから逃げるため?」
「平たく言うとそういうことだろうな。吾輩だけではないが…。ご友人、もしかして何もご存じでないのか」
「ウン。セシリアが言いたくないコトは別に、知らなくてもイイかなって。でもナンでセシリアを追ってるの?」
「ご存知ないなら…ついて来れば解るだろうが、もたつく場合は置いて行く。それでも構わぬなら、好きにすればいい」
それだけ言うとシルベスターはセシリアの後を追って走り去ってしまった。リネージュは追おうか追うまいかとても迷っていた。セシリアのことは好きだし一緒に旅をしていて楽しい。でもよくよく考えると自分は彼女のことを何も知らない。知ってしまったらもしかしたら、自分は彼女に失望してしまうのだろうか?もしかしたら彼女はとんでもないペテン師で、今まで自分に語りかけていたセシリアが全部偽物だったら…そんなの、知らない方がいいんじゃないだろうか。
セシリアが追われている理由はきっと、セシリアが夜になると纏う邪悪なオーラのせいだろう。仄明るく光る緑色の瞳、あれはきっとセシリアではない何かだ。でもどちらが本物のセシリアなのかは自分には判断がつかない。でも…
「だからわたし、トモダチできないのかなぁ…。」
嫌いになるのが怖くて、近くなれない。嫌いになりたくないから、近寄らない。それはたぶん、すごく寂しい事なんだろうと思う。
「ネシア、リネの言うこと聞いてくれる?」
ネシアは目をつむって、ブフンと返事した。リネージュはにっこり微笑んで「優しいね、ありがとう」とネシアをそっと撫でた。ウメルケアの昼は短く、辺りはもう暗くなっていた。
◆
セシリアにとって従兄のシルベスターは幼い頃から恐怖の象徴でしかない。女王の右腕と言われているデムヴァルト家の直系の血を引いているシルベスターは、デムヴァルトという名をとても誇りに思っている人だった。エリート思考で何でも一番でなきゃダメ。自分に限らず兄だろうが弟だろうが、また従妹だろうがそれは同じで、同じデムヴァルトの名を継ぐ者としてセシリアは従兄から激しく圧力をかけられていた。
何度受験しても鳥ノ巣に入ることがかなわず一般的な公立学校へ入学したときは、セシル共々1日中説教を喰らう羽目になった。それが原因でセシルとシルベスターは殴り合いの大喧嘩をし、結局デムヴァルト家の当主である伯父から喧嘩両成敗と言い渡され、それ以来音信不通だった。とにかくシルベスターから言わせると、セシリアは「デムヴァルト家の面汚し」らしい。
とてもひどい言葉だな、と今でも思う。そう言われた当時もひどい言葉だと思ったし、兄もその言葉が原因で激高した。普段優しい兄が人に本気で殴り掛かるところなんて初めて見たから、とても驚いた。ひどい言葉だが、今は本当に自分で自分のことを「兄の面汚し」だと思う。
『どこか行く当てがあるのか』
「そんなのないよ!ないけど、逃げなきゃ死ぬでしょ!?シル兄ちゃん、絶対、ぼくを捕まえたりしない。殺すつもりなんだ…だって、ぼくは」
『人間の女は、結婚すれば名を捨てる。…豚、そこを曲がれ。右だ』
「えっ!?う、うん」
『それに…万が一無様な肉塊に成り果てようとするならば、私を喚び願えばいいだろう。その為に貴様は私と契約を結んだのだ。そこ左。』
「う、うん」
もしかしてイヴォルビットって契約者の心が読めたりするのだろうか。今まで気づいていなかったけれど、そうか、人の心が読めなかったら契約者選びなどできるはずもない。しかしだとすると自分の思考は今までイヴォルビットにダダ漏れだったということだ。それはとても恥ずかしい。…だが、自分の思い違いでなければイヴォルビットは、自分を慰めてくれているのだろうか?
『愚かな。愚か者が愚か者に踊らされることほど、つまらない戯曲はないと言っているのだ。そのまま猪が如く何も考えず行け。木があっても気にするな』
「かっ、勝手に人の心読まないのっ!!」
それより先ほどから道を誘導されているのだが、一体どこに連れて行くつもりなのだろう。木が生えてても気にするなって、気にしなかったらぶつかってしまうではないか。そう噂をすれば目の前に木が…ぶつか―――る?
「わああああっ!」
と思いきやセシリアの足は宙を踏み、がらがらという音と共に自身の体も倒れていく。視界が1回転2回転としていく内、ガツンという音と共に視界も意識も暗闇に呑まれていくのであった。イヴォルビットはやれやれとため息を吐きながらさまざまに打ち身した体を重たげに起こし、あたりを見渡した。セシリアが落ちてきた穴から入る月光以外は、この地下道は闇に満ちていた。足元を見ると随分と古く錆びているカンテラが落ちていて、セシリアはイヴォルビットの誘導した通りの穴に落ちたということになる。そのカンテラに頭をぶつけて出血し、失神したのは予想外だったが、誤差の範囲内だ。
セシリアが追われている限り直接的な解決にはならないが、一般的には知られていない、また整備もされていない地下道なので、シルベスターを撒くくらいなら使える。この地下道を2日ほど歩けば鳥ノ巣の庭園に着くが、わざわざ敵の敷地内に入ることもないだろう。それはそれで面白い展開になりそうだが、豚にうるさく喚かれるのはごめんだ。
「セシリア~っ、どこにいるの~っ!」
シャツの袖で額から流れる血を拭っていると、外から馬のにおいとリネージュのにおい、それから声が聞こえてきた。シルベスターと共に探しに来るかと思っていたが、イヴォルビットの予想は外れたらしい。さて、返事をするかそれともこのまま別離するか…。
「ん?どうしたのメシア、ニオイする?セシリアのニオイわかるの?」
どうやら返事をしなくても馬が勝手に見つけてくれるようだ。手間を省かせてくれて結構なことだ。ただ甲高い声でセシリアの名を呼ばれるのは、敵に居場所がばれるので勘弁してほしいところだが。ただ馬の嗅覚は人間より優れているものの犬よりは劣るので、差し詰め悪魔の気配を感じ取っているだけとも思われる。
「セシッ…リア…?」
「よくここがわかったね…流石、獣は人間より感覚が鋭い。お前も例外ではないが」
「…メシアはセシリアがスキだからかも。…ねェ、ケガしてるの?暗くてよく見えないケド、血のニオイがする」
「ああ、だが大した怪我じゃない。放っておけ。あまり声を出すなよ、追手に気付かれる」
「ウン、わかった。」
壁に背を預けて座るイヴォルビットの横に、遠慮しつつリネージュも座り込んだ。リネージュはセシリアよりは感覚が鋭いようで、正体には気付いていないようだがそれとなくセシリアに宿る邪悪な魂を感じ取っているようだ。夜イヴォルビットが、リネージュもセシリアも寝てから活動していると、リネージュはそっと自分を見ていた。異様なものを見るような目で。
「ねえセシリア。ヘンなコト聞いてもイイ?」
「………何」
「どっちがホントの、セシリアなの?…今のセシリアは、さっきのセシリアと違うヒトでしょ?何で二人いるの?」
「…お前がいつも話しているアホの馬鹿がセシリアだ。私の名は…イヴォルビット。それ以上は、セシリアが目覚めたら訊くといい。訊かれたら嘘は吐けない性分だからな」
「そっか…なら、いいの。」
リネージュの安心感がじんわりとイヴォルビットにも伝わってくる。もし逆だった場合リネージュはどうしていたんだろうか。やはり離別か。普段から仲良くしていた人間の本性がこれだったら、人は簡単に友人を嫌いになれるのだろうか。人間の情というものは、やはりよくわからない。
「そういえばわたしを旅に連れてってイイよって言ってくれたの、イボルビットだよね?それはどうして?」
「質問が多いな。言われない事は聞かなくても良いんじゃなかったのか」
「ヘンなコト聞くよって最初にいったよぉ」
「……アホの馬鹿はただでさえ判断力が鈍いのに、冷静さにまで欠けられては困るからだ。それに衣食住は大事なんだろう」
「ウン…?イショクジュウはわかるケド、どういうこと?」
「誰かの心配をしている内は、先の見えない不安に押しつぶされたりはしない。こいつの場合は…」
その言葉を聞いてリネージュはそっかとだけ返事をした。先程まで感じていた“セシリアを嫌いになりたくない”という不安はどこかへと消え去っていた。今はセシリアに出会えてよかったということと、ずっとわからなかったことがわかれてよかったという安堵に満ちている。セシリアが目覚めたら今までできていなかった、いろいろな話をしたい。家族のこと、好きな食べ物、嫌いな食べ物、何でもいい。セシリアのことを知りたい。
暫くするとイヴォルビットはゆっくり目を閉じ、そしてセシリアが目覚めた。穴に落ちてすぐ気を失ったため、なぜ壁に背を預けて座っているのか、隣にリネージュが居るのか状況が理解できていなかった。
「いてて…体中が痛い…ここ何処?あれ、リネージュ?」
「オハヨ、セシリアのこと探しにきたの。なんかねェ、イボルビットが色々お話ししてくれたよ」
「イヴォルビットが!?ご、ごめん…失礼なこと言われなかった?」
「ウン、大ジョブだよ。でも、セシリアのナイショはセシリアから聞いてって言われた。だから今度、セシリアが言ってもだいじょーぶってなったら、教えて欲しいな」
「…わかった。ありがとうリネージュ。…ところでシル兄ちゃんは?」
リネージュが返事をする前にメシアがヒヒンと鳴いた。驚いて地下通路の入り口を見やるとそこにはシルベスターらしき影が降りてきていた。ああどうしよう、ここまで探しに来たのならきっと仲間を引きつれているんだろう。ああ、絶体絶命だ。そう思っていたのだが、降りてきたのはシルベスター一人だけだった。
「漸く見つけたぞ。…何だご友人、ついて来ないなと思っていたら、先を越していたのか。」
「し、シル兄ちゃん…あの」
「人の顔を見るなり逃げ出しおって、この無礼者が。まあ無理もないだろうが、吾輩は女王の命で貴様を追いかけて来たわけではない。とりあえずは安心せよ」
じゃあなんで制服着て鳥ノ巣の馬使ってわざわざここまでやってきたの、と訊きたかったし、仕事しなくて大丈夫なの、とも訊きたかった。様々な質問が頭をよぎったし、自分が打撲だらけで額から血を流したことがとてもばからしくなったが、答えはただ一つだろう。自分を説教しに来たのだ。
「このッッ――デムヴァルト家の面汚しが!!!!!」
この一言とこれから始まる小一時間の説教を言うためにわざわざ自分を追いかけてくるなんて…。
シル兄ちゃん、暇なの?