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Evolvit-イヴォルビット-  作者: 蜜橋
エヴラ・ソラス編
3/14

S.首のない化け物

 「我が名はイヴォルビット」セシリアがどこからともなく聞いた美しい女の声は、セシリアにそう名乗った。イヴォルビット…セシリアはこの名を知っている。何で見たのか何処で聞いたのか見当もつかないが、セシリアはこの名を知っていた。

 イヴォルビットという名を呼ぶのを躊躇っているとついに自分の順番が回ってきてしまったらしく、仮面をつけた男の無骨な腕にステージへと導かれた。スポットライトが眩しくて、セシリアは思わず顔をしかめた。

 今までの子供とは違い19歳の女性がステージに上がったので、観客は戸惑いの声を上げた。子爵は口元をいやらしくにやにやさせながら、ねっとりとセシリアの紹介をした。


「彼女は今回の目玉…今は希少な【メルクーチ】の少女でございます。混血ではございますが、母親譲りの美しい銀の髪と愛らしい薄紅色の瞳があなた様を必ずや満足させることでしょう。1000アールムから……」


 メルクーチとは一般的には銀の髪を持った、色白で細身の人種という認識をされている。人種差別のない今は純血の者などいないため、骨格と見た目でその種を判別される。エヴラ・ソラスには、色白で色素の薄い人種が多いとされている。

 セシリアはこの競りに既視感を感じていた。自分が台の上にただ茫然と立ち、多額のアールムが自分に掛けられるこの光景に。

 しかし世間のことが十分わかる歳な上に胸周りや尻などあまり女としての魅力がないセシリアにかけられるアールムは、ほかの少女たちとは違いなかなか高騰しなかった。この女、私の秘密を知った上に売り物にもならないのかという子爵の痛い視線がセシリアに突き刺さる。

 しびれを切らした子爵はナイフを持って、パフォーマンスとしてセシリアの衣服を切り刻み始めた。腕を拘束されているセシリアは抵抗もできなくて、まだどの殿方にも触れられていない肌があらわになってしまった。


「や、やめ…っ何をするのです!」

「黙るのだ小娘、貴様は下女の分際で、知ってはいけないことを知ってしまった。」


 知りたくて知ったわけじゃないのに。セシリアは悔し涙を目じりに浮かべ、唇をきつくかみしめた。子爵がまた舌を回す。


「愛玩物にするも結構、慰みとして使うも結構、召使いとしてこき使うのも結構。」


 多額の金を私によこせ!セシリアには子爵がそう言っている風にしか聞こえなかった。だけどもしこのまま自分が売られてしまえば、兄の助けになりたくて貯めていたなけなしのアールムやただでさえ少ない私物をすべて失うことになる。

 それだけじゃない、子供たちや自分の未来、それに貞操まで何もかも奪われてしまう!それは嫌だ!絶対に!!

 けれどあの如何にも怪しい女の声に応えるのは如何なものか。ただの自分の妄想の可能性だって捨てきれないのではないだろうか?絶体絶命に瀕したとき、人は自分に都合のいい夢を見るというではないか。

 いいや極端に考えろ。今は自分の妄想だなどと悲観的に考えるのではなく、ポジティブに今あの怪しい声に応えて名を呼べば子供も自分も助かると思おう。

 今あの怪しい女の声に応えず、なすがままにされていれば、自分もあの子供たちも死ぬと思おう!

 子爵が声高らかに叫んだ。その声をかき消すがごとく、セシリアも叫んだ。


「4万アールムで落札されました!!」


「“イヴォルビット”!!子供たちを助けて!!」


 ざわついていた観客席が一気に静まり、耳に痛い静寂が会場にあふれた。金を叫ぶ声も、セシリアが露出したことを悦んだ男の声も何も聞こえなくなり束の間ほっとしたが、本当にあれは自分の妄想だったのではという不安が同時に襲ってきた。

 閉じていた瞼をゆっくりと開くと、そこは鮮やかなたくさんの赤、赤、赤。何処を見ても赤――そして、観客はすべて首のない人形と化している。

 後ろを振り返ると、子供たちは怯えて泣いていた。値段をつけられた子供たちも、値段をつけようとされていた子供たちも、皆セシリアに怯えて泣いていた。


「ヒ…ぃ…ッ、化け物…!!」


 子爵も子供たちと同じ目で、セシリアを―セシリアの影を見ていた。

 セシリアは自分から伸びる黒い影を見やった。随分と大きく、そして気味の悪い形をしている。形容するならば、それは首のない紳士という言い方が適切だった。


「イヴォル…ビット?」


 イヴォルビットは美しい女でもセシリアの妄想でもなく、紛れもないただの悪魔だった。



 セシリアはあの後子供たちを連れて地下から逃げ出し、リトアレス区の衛兵に保護された。保護されたはいいが、セシリアは職を失ったことに絶望しずっと放心状態だった。セシリアが何故あの地下を見つけて子供たちを助けられたか、という衛兵の質問に対しては、イヴォルビットがでっちあげた嘘でなんとかごまかした。

 その嘘というのはセシリアが子爵を探した際にたまたま地下への入り口をみつけ、中に入ったら貴族たち全員の首が落とされていて、しかも子爵が自殺していた、というものだ。子爵はあの後、恐怖に耐えかねて自殺した。

 子供達は悪魔がいたのと口をそろえて話したが、大人は子供の戯言といって真面目に取り合わなかった。故に、セシリアが悪魔と契約したという事実は誰にも知られていない。腑に落ちないが、子爵の件は快楽殺人者の自爆として片付けられた。


「子供たちは攫われた子たちが殆どで、捜索願も出されていました。ありがとうございました」

「いえ…ぼくはただの下女ですから…ははは…。子供たちが救われてよかったです」

「……仕事を失ってお気の毒ですけど、ベレスフォードよりもっと待遇も条件もいいところ、探せばいっぱいあるので。…せっかく貴女はいいことをしたのですから、元気出してください。」


 衛兵に気を使われるほど、セシリアは職を失った絶望感で沈み込んでいたらしい。先輩やほかの下女たちは安月給から解放されて嬉々としていた。

 セシリアはふと、自分にはここしかないと思っていたからこんなにも気分が沈んでいたのだということを理解した。他にもたくさん仕事があると知ったセシリアは自らの頬をたたき、気を取り直して邸宅を出る支度をした。

 次に職を見つけるならば、今度はベレスフォード家のような悪の権化とは無縁の世界で働きたい。まあ、もしまた悪と遭遇したならば、やっつけるに越したことはないけれど。


『可笑しな者だ、セシリア…お前こそ悪と手を組んでいるも同然だというのに』

「…きみは悪魔だけど、ぼくはきみの力を悪いように使いたいわけじゃない。子供たちを助けたりとか、そういうのに使いたいんだよ。どうせ契約しちゃったしさ」

『ふむ…悪ならば人を殺してもいいと?…極端だな』


 イヴォルビットはセシリアが「悪でも人は殺さない」と答えることを期待した。しかしセシリアはキャリーバックのチャックを閉めて、入れ忘れたものがないか確認しながら、イヴォルビットの期待と反する答えを返した。


「悪は消したほうが世のためだから、衛兵は犯罪者を収容する。野放しにしないで閉じ込めておくなら、殺すのも変わらないと思わない?」


 セシリアが正義感が強い善良な心を持った少女であるということには変わりない。しかしどこか心が欠けて、そこから長年蓄積したと思われる歪みが生じている。

 彼女が何故あの競りで子供たちを助けようと思ったのか、悪は殺してもいいという一歩間違えれば危険な道へ進んでしまう思考を持っているのか、真理はまだ、闇に紛れている。


 身支度を終えてから一旦寝泊まりできるところを探すため、セシリアは学生時代に仲が良かった友人が経営している本屋に行った。電話を借りたいと事情を説明すると友人は快く頷いて、友人の自室にある電話を貸してくれた。

 先ずは一番頼りになる兄夫婦へと電話を掛けた。3つコールが鳴ってから、兄ではなくその妻、ミンミ・デムヴァルトが電話に出た。


『はい』

「あ、こんにちは…あの、セシリアです。久しぶり義姉さん。」

『ああ~セシリアちゃん!こんにちは。ごめんね、セシルさんまだ帰ってきてないわ』

「そっか。まだ昼間だもんね。…あのね、急で悪いんだけど、しばらくそっちに泊まっても大丈夫かな?」

『え?どうして?何かあったの?』

「実は職場を失っちゃって…」


 詳しいことは言わなかったが衛兵が表向きに発表した通りに、自分が働いていたベレスフォード家が倒産したと説明した。すると義姉はじゃあ、使ってない部屋を掃除しておくからと快く承諾してくれた。

 セシルはまだ帰ってきていないため確定ではないが、義姉は「セシルさん喜ぶわ~」とほんわりした声で言っていた。下女として働き始めてから毎日と言っていいほど電話で連絡していたものの、忙しくて全く会いに行けていなかったため、兄と顔を合わせるのは1年ぶりだ。


 セシリアはこの一年間仕事が充実していて楽しかったが、ずっと兄に会いたがっていた。兄も多忙な身の為、休日が合わないことが多い。夜はセシリアが出歩けないし、とにかく予定が合わなかった。

 電話を切ると兄からの連絡が待ち遠しくて、暇つぶし友人が貸してくれた本の内容なんて全く頭に入ってこなかった。お察しの通り、セシリアはかなりのブラコンである。

 イヴォルビットはため息をつき、今後の未来が心配になった。はたして自分はこいつと契約して魂や声を得られても、時間の無駄にならないだろうか。


 もし時間の浪費だと判断する事態になったその時は、私の手でこいつの首を狩ってやる。それは魔界の掟に反する事案だが、構うものか。

 私は何よりも、退屈が嫌いなのだ。退屈するくらいならば、多少の罰でも受けていたほうが、よっぽど退屈しのぎになるではないか。

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