El.一難去ってまた一難
数年間連絡を取り合うことすらも忘れていた従兄弟同士の二人は偶然、ウメルケアの辺境の町ザラクで再会した。ごてごてとした鎧と制服を着飾って暑そうなシルベスターとは裏腹に、セシルはやけに薄着だった。エヴラ・ソラス仕様の分厚い布で作られた制服のケープですら身に着けていなかったのだから、それはそれは涼しかったことだろう。
シルベスターは二つの意味で汗をかいていた。気候で暑いのと、怒りで体を燃やしているのとで。何故今日も忙しく働いているであろうセシルがここにいてしかも私服でいるのか、と嫌な予感がした。セシルは面倒な奴に会ってしまった、なんて思いながら「久しぶりだね、シル」と白々しく笑って言った。
「セシリアを追いかけてここに来たの?」
「そんなところだ。お前も…まさかセシリアを追いにここまで、というわけではあるまいな?」
「……」
やはり図星だったが、素直にそう頷けばシルベスターの長ったらしい説教が待ち受けていることは分かっていた。どうせ後から必ずばれる嘘だが、後でばれたとしても流石のシルベスターでも遠方まで説教の為に追いかけてきたりはしないだろう。それにシルベスターも、できれば自分の顔など見ていたくないはずだ。
「そんなわけないでしょ、仕事だよ。私服だからって勘違いされちゃ困るな…僕、暑いの苦手だって知ってるでしょ。」
「そうか……もしそれが嘘だった場合、どうなるかわかっているよな?」
随分曖昧で大仰な脅し文句だが、大方減給か研究費用を削減されるだけだろう。節約家のセシルにとって金を多少減らされるくらいどうってことない。あとでここまで追いかけてくる、とかいう気持ちの悪い脅し文句ならばまた話は別だけれど。
だがセシルは一つだけシルベスターに怒られようが聞かなければならないことがあった。こんな面倒な人とは会わなければ会わないでそれはよかったのだが、会ってしまったのなら訊ねる他ないだろう。それにこの様子ならばセシリアと接触した可能性はとても高い。有益な情報は遠回りをしないためにも、押さえておかなくては。
「言われなくてもわかっているよ。そんなに怖い顔をしないでくれないか、久しぶりに会ったというのに。」
「怖い顔もしたくなる…セシリア、あれは本当に悪魔と契約したようだった。お前の顔を見ていると、嫌でもあいつを思い出す。忌々しいッ!!」
「セシリアがどんな道を進もうが、シルには何の関係もないことだよ。どうせ僕らは直系のデムヴァルトじゃないんだしさ…。ああところで、セシリアってどのあたりに居て、どの方向へ逃げて行ったんだ?」
「吾輩が奴と接触したのはここから東北のサンベルグという鉱山地区だ。逃げたといっても、こちら側が逃がされたようなものだから何処へ逃げたかは…でもそんなことを聞いて、どうするつもりだ。」
やはりセシリアはアルガが予測した通りの道を進んでいるようだ。とりあえずはエヴラ・ソラスから遠く遠く逃げることを目標に、第二の境界門あるいはドルノ・メリーへ続く港を目指すことだろう。シルベスターが「まさか会いにいくつもりでは」などとごちゃごちゃやかましかったが、欲しい情報が手に入ったセシルは右から左へ受け流していた。
「聞いているのかッ。」
「ちゃんと聞いてるよ。仕事中にセシリアに会いに行くわけないじゃないか、仕事がままならなくなってしまう。じゃ僕もうそろそろ行くよ。先を急がなきゃいけないんだ。」
「はあ?…ああそうか、お前は重度の妹狂いだからな…それも、そうか。」
シルベスターが筋肉頭のバカでよかった。セシルはそう思いながら作り笑顔で手を挙げてシルベスターに別れの挨拶をし、早急に馬を走らせた。セシリアが何で移動しているかはわからないが、例え馬を走らせていたとしてもこの鳥ノ巣の研究員が育てた馬ならいつかは先回りできる。それにセシリアの写真も残らず家から持ってきたし、道行く人に聞いて回っていれば誰か一人はセシリアのことを見かけているだろう。
セシリアは大陸でも随一珍しくとりわけ美しい銀髪を持つ人種、【メルクーチ】なのだから。尤も、兄であるセシルも同じだが。
◆
占い師は今日も金を探して練り歩いていた。すでにくすんでしまっている青色の布を被って、豊満な胸と足をぶら下げて、流れるような翡翠色の髪をなびかせながら、客を。気の弱そうな、お人好しそうな金持ちは占い師にとって絶好のカモだった。色を売ればすぐ金を出してくるだけの男もそれなりには巻き上げられるが、前者には劣る。どんなに安っぽい壺でも幸せを買っていると思い込んでくれるような、愚かで可愛い男あるいは女を占い師は探していた。
「そこの美人さん。こんな砂漠地帯でそんな分厚い布を撒いていては暑かろう。どれ、わしが脱がしてやろうか」
「悪いけど、目いっぱい着飾って金をちらつかせる下品な男とは寝られないんだ。他をあたっておくれ」
歳に似合わない小悪魔的な微笑を浮かべてやり、安いチップをちらつかせていた男を袖にする。しわが多いように見受けられるが実際の年齢はいくつなのだろう、なんて男が考えている内に、占い師は男の前から姿を消していた。占い師は人の情を誘うことも人の目を眩ますことも得意だったが、男の好みには人一倍うるさかった。銀色の髪で色が白くて体は締まっていて、身長が高い優なやつと以外は、気が向いたときにしか寝る気になれない性分だった。だから占い師は今でも独身を貫いている。
男の視界から早々に逃れると、占い師は再び壺を安易に買ってくれる可愛いカモを探し始めた。別に壺じゃなくても構わないのだが、生憎居候が“適当に”拾ってくるのはいつも壺だった。他の金品は騙さなくともしっかりと高額になるとかで、渡してくれないのだ。それに占いと言ったら壺だろう、なんて意味不明なことも言っていた。恐らくは流行りの小説の読み過ぎだろう。
「ウーン、いないなぁ……ん?」
その時占い師の目に一枚の張り紙が目に留まった。“お尋ね者”とでかでかと書かれたそれには、何やら不思議な似顔絵らしきものと、それなりに高額な報酬と、長ったらしい特徴の説明文が並べられていた。長ったらしい説明は構わないのだが、殆どエヴラ・ソラス語で書かれているので解読するのに時間がかかる。占い師はその張り紙をはがしてううんと唸りながらまじまじと眺めた。タイミング悪く背後から居候の、マスクで口元が覆われているくぐもった声が聞こえてきた。
「おーいババア、カモは見つかったかー?」
「う~ん……ババアは腰が痛くてねぇ、見つけらんなかったよ。ババアだからね」
「おいおい、まだそんな歳じゃねえだろ。サボんなよババア」
「はあ…バーババーバうるっさいねアンタは~。女ってのは本来家にいて旦那をかいがいしく待ってるもんなんだ、ババアだろうがババアじゃなかろうが養ってもらうもんなんだよ!ちったあ年上のお姉さまを労っておくれよ!」
占い師が年齢ゆえの更年期のような八つ当たりの愚痴をこぼすと、居候は面倒くさそうにはいはいへーへーさーせんと生返事をした。そして占い師がまじまじと見つめていた張り紙に手を伸ばし、なにこれ?と不細工な絵を見て笑った。
しかし似顔絵の絵心のなさは酷かったが、下に記載されている特徴に居候は少し覚えがあった。特にこの可も不可もないスリーサイズと、目を見張るような銀髪という項目は、今居候の手に持っている鉱石のペンダントの元持ち主と合致している。
「どうした、知り合いなのかい?」
「この不細工な似顔絵のせいではっきりとは言えないけど、この69、60、81って数字はなんか見たことあるし、その子はキレーな銀髪してたかも」
「ふーん、アンタの目は相変わらず便利だねぇ。じゃ、捕まえておいでよ。半年のメシ代くらいにはなるだろ、その懸賞金」
「ババアも協力してくれるよな?腰が痛いなんて結局のところ嘘だろ?」
占い師がにやりと不敵な笑みを見せると、居候も同じようににやりとした。似てない似顔絵の張本人は今盛大にくしゃみしたことだろう。ペンダントを奪われたことにうなだれながら。
「へあっくし!!」
そんなわけでセシリア達一行は砂漠の焼けつく様な暑さと肌に刺さる日差しに体力を奪われていた。ウメルケアの暑さに慣れているリネージュはまだ持ちこたえていたが、セシリアは今にも行き倒れそうだった。身に着けていたエヴラ・ソラス仕様の服も脱ぎ捨てて、薄着で無防備でいたものだから、道端で出会ったナンパ男なんかにリネージュにあげるはずだったアクセサリーが奪われてしまった。追いかける気にもならず、一行は漸くたどり着いたオアシスの町――の傍らにある木陰で休んでいた。
砂に足を取られながら痛いほどの直射日光を浴びて移動しているよりはマシなものだが、すでに水筒の中身がなかった。もう少しオアシスにたどり着くのが遅れていたならきっとこの物語はジ・エンドを迎えていたことだろう。水筒の水を補給するには、体力を奪いつくされたセシリアかリネージュのどちらかが動かねばならなかった。
「ぼく…ウメルケア語わからないんだよね」
「お水くだサイくらいは教えてあげるヨ…?」
「いや…値段言われたとき聞き取れなかったら困るじゃん…?」
「おイクラですか、もう一度言ってもらえマスかも簡単だよぉ」
「………」
お互いに水は欲しいが体力がない、日陰から出たくない、動きたくない。そろそろ頭がぼうっとしてきて、いい加減水を飲まないと失神するかもしれない。でも動きたくない。二人は静かにどちらが水を買いに行くか攻防戦を繰り広げていたが、実際の所は自分との戦いだった。
セシリアは息の荒いネシアとメリアを見やった。この子たちは重い荷物をぶら下げてここまで自分たちを乗せてきてくれたのだ。それなのに水も飲めず食べ物も食べられずこんなところで意識を手放すなんてあんまりだ。でも、でも、でも―自分との戦いに勝ったのは、セシリアだった。
「ついでに何かご飯も買ってくるよ…。ぼくが帰ってくるまで、ちゃんと荷物見ておいてね」
「わぁいヤッター…ごめんねセシリア。いってらっしゃい」
意を決して重い腰を持ち上げ、セシリアはカルテゾ地方最大のオアシス「ゾッパーオラ・ルテ」に足を踏み入れた。もうすでに靴のなかは砂だらけだったが、まだまだ砂が靴の中を入ってくる。靴の中どころか髪の毛も体も砂だらけで更に汗まみれ、早くお風呂に入りたい最悪の気分だ。しかしこの砂漠地帯では水は貴重品だ。やはりこの町でも、易々とシャワーを浴びることはかなわないのだろう。
この町はザラクともサンベルグともまた風貌が違った。建物はすべて背が低く、そのほとんどがテントの様だった。道行く人々は皆ターバンを頭に巻き、日光をさえぎるための布を体に巻きつけていた。その中で無防備なシャツ姿でいるセシリアは、さらに異質な存在感を放っていた。
ウメルケア語で書かれた地図を眺めて水屋の位置を確認しながら、建物を2,3軒通り過ぎて狭い路地に入る。
「ここをまっすぐ…ッ!?」
「騒ぐな。」
突然後ろから羽交い絞めにされ、セシリアは布で口を押さえつけられた。幸い薬などは塗られていなかったようで意識ははっきりとしていたが、突然のことに気は動転していた。背後に立つ人物の顔を睨みつけたが、その顔の半分は黒い布に覆われているほか頭にはフードをかぶっているので、どんな顔をしているか何人かさえわからなかった。
「あんた、セシリア・デムヴァルト?」
声音で相手が男であることはわかった。気が動転しているセシリアは質問の意味を理解するのに時間がかかり、返事をするのに数秒遅れた。男は数秒の遅れも許さず、気付くと首元にナイフの切っ先が突き立てられていた。
ナイフから死を連想したセシリアは血の気がどっと下がり、意識を手放しそうになった。