ジサツの権利
私もこの権利持ってないです。
恋人に捨てられた。生きるのがイヤになった。だから死のう。
よくある話。どこにでもある、ありふれた話。
そんなよくある話の一つに、私もなろうとしている。
私が立っているのは、地面の終点。下を見ると、ずっと遠いところで海が待っている。多分、落ちたら死ぬ。いや、絶対死ぬ。
やっぱり、死ぬまでに走馬燈って見るのかな。あ、でもそんなの見たらこの世に未練出来ちゃって地縛霊とかになっちゃうかも。そんなのは、困る。私は死にたい。一刻も早く死にたい。
今の私を見て、「恋人に捨てられたくらいで」と鼻で笑う人がけっこういると思う。
そんな奴らに言ってやりたい。あんたらは、恋の重みを知らないんだと。
適当に好きになって、適当に付き合っていた人に捨てられたのなら、私だって死のうとは思わない。
けど、私はあいつのことが本当に好きだったんだ。それこそ、死んでもいいくらいに好きだった。
だから、今死のうと思ってる。そこに後悔の念は無い。
よし、飛ぼう。
「まぁ、待て」
後ろから肩を掴まれ、前にかかっていた重心が引き戻される。肩が外れるかと思った。
「おっと、振り返るなよ。いや、別に振り返ってもいいが、生憎僕は顔には自信が無いんだ。だから、出来れば振り返らないで欲しい」
いや、別にあんたがイケメンだろうとブサイクだろうとどっちでもいいし。どっちでもいいから、早く飛ばせてよ。死なせてよ。
「見たところ、君はジサツの権利を持ってないようだが」
「はぁ!?」
何? ジサツする為に市役所に届けでも出せっていうの? たらいまわしにされて、書類にはんこもらって、やっと死ねる?
冗談じゃない。そんなジサツ、聞いたことない。
「手、離してよ」
「駄目だ。君は、死ねない。死ぬ権利がない」
意味わからんし。あんたが私の人生に介入する権利の方が無いでしょうに。
「じゃあさ、どうやったら死んでもいいの?」
面倒なので、適当に話を合わせることにした。悔しいが、私の力ではこいつの手をふりほどくことは出来ない。
「まず、親族が全員死んでいることが条件だ。まだ生きているのなら、殺すしかない」
余計に混乱してきた。ジサツは駄目だけど、殺すのはオッケー? とんだ権利だこと。
「次に、友人や知人だ。この人らも、全員死んでなければならない。無論、生きてるのなら殺す他無い」
「ちょっと待ってよ。あんた、むちゃくちゃ言ってることわかってる?」
極端な話、該当者が100人以上いるのなら、私はその全てを殺してまわらなければいけなくなる。おめでとう。歴史に名を残す犯罪者になるね、私。
「この二つの条件を満たせば、晴れて君はジサツの権利を得ることが出来る。で、どうかな? 君は権利を得ているかな?」
「そんなわけないでしょ。家族は普通に生きてるし、友達だって生きてるわ」
思い浮かぶ。父さんや母さん、弟の顔。昨日まで一緒に遊んでいた友達の顔。
どいつもこいつも、楽しそうに笑っている。
それは、私がこの世から消えて無くなるなんて、微塵たりとも思ってない素敵な笑顔。
「自分で自分を殺せば、当然、生きている人は悲しむだろう。それは罪だ」
「わかってるわよ、自分がどれだけ酷いことをしているかなんて」
「いいや、わかってない。罪、というのは君にかかる罪じゃない。生きている人にかかる罪なんだ」
困惑する。こいつが何を言ってるのかわからない。
男は、続ける。
「残った人はこう思うだろう。『もしかしたら、私のせいで○○は死んじゃったのかもしれない』と。一旦そう思ってしまったのなら、その人間には透明な罪の十字架がのしかかる。いわゆる、罪の意識というやつだ」
「全ての人がそう思うわけじゃないでしょ? 中には、『あぁ、死んだんだ』って思うだけの人もいるだろうし」
「そんな奴は、別に生きててもいいんだよ。僕が殺せと言ったのは、そうは思わない人々だ。君のことを心から思ってくれている人全てを、僕は殺せと言ったんだ」
「無理だよっ」
殺せるはずがない。そんなの、無理だよ。
「君は今、とてもイヤな気持ちになったね?」
「当然でしょ!」
ならない人の方がどうかしてる。
「その気持ちこそが、君が死んだ後に生きている人が味わう気持ちだ。そんな悲しい気持ちを背負わせちゃいけない。だから、殺すんだ。殺すことによって、君だけが罪を背負いながら死に行くことが出来る。全ての罪を一身に背負うことこそが、ジサツの権利だ」
この人、どうかしてる。狂ってる。
でも……。
「あんたって、すごい腹立つ。初対面の人間に説教食らわすあたり、おかしいよ」
「よく言われる」男は笑った。
「あんたのせいで、ジサツする気持ちが無くなっちゃったんだけど、どうしてくれんの?」
訳のわからない説教のせいで、私の中の『死にたい気持ち』は消え去っていた。
生きよう! とまでにポジティブにはなれないけど、生きてみようか、くらいには思えてる。
いや、違うか。
今、私の中にあるのは、『生きてみよう』という気持ちと、『私を死なせちゃいけない』という気持ちが半々。うん、これが正解だ。
「そうか、それはよかった。じゃあ、人生をリスタートした君に質問だ。ここを去ってから、まず何をする?」
「そうだなぁ。まず手始めに、私を捨てたあいつをひっぱたいてこようかしら」
おかしくもないのに、私は自然と微笑んでいた。
「それがいいさ。やはり人は、死ぬために頑張るよりも、生きるために頑張っていた方が素敵だろうし」
うっわ、超くさい。でも、なんか心が落ち着く。
「また死にたくなったら、その時は死ねばいい。ただし、ジサツの権利を得てからだ」
「あんな無茶苦茶な権利、私には生涯獲得できそうにないわ」
あの権利を得るくらいなら、生きていく方がよっぽど楽だし。
「じゃあな。僕は帰るよ」
ふっ、と。肩に乗っていた重みが消え去る。
私は振り返る。
そこには、手を振りながら歩いていくスーツ姿の男の後ろ姿があった。
「『実は幽霊でした』とかの方が面白いでしょうにっ!」
去っていく背中に、私は話しかける。
「残念だな。僕は生きている」
会話は、そこで止まった。私も、彼も、何も喋らない。どんどんと小さくなっていく、彼の後ろ姿。
あぁ、ぐだぐだ。最低にぐだぐだ。
でもまぁ、ぐだぐだだからこその人生だ。落ちるからこそ、次に上がろうと思えるのでしょう。それでこそ、生きてるって思える。
恋の重みを知らない云々、と思っていた少し前の私に言ってやりたい。そんなものより、命の重みの方がよっぽど重いと。
用意していた遺書を破り捨て、飛び降りるはずだった海へ捨てる。私の身代わりになって、海に落ちていく紙くず。
「んじゃま、生きてみようかね」
暇な時には、この海岸に来よう。そして、死のうと思っている人がいたら教えてあげよう。
ジサツには、権利がいるのだということを。
設定やプロットを一切書かない人なので、誤字や矛盾があるかもしれません。
そういう時は、笑ってやってください。




