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火焔の成金令嬢の呪われた宝石事件簿  作者: 燐火


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3.消えたガーネット

 急いで父の執務室に向かうと書類や家具が床に散乱していた。複数の宝石を収めていたガラスケースは破られ、床には宝石たちが無残に散らばっている。窓ガラスは内側から破られ、カーテンがはためいていた。


「しっかりなさい、ミリアル!」


 先に到着していた母が、ひとりのメイドを抱きかかえて必死に呼びかけていた。ミリアルは「うぅ」とうめき声を上げて目を開ける。


「あたし……は、そうだ、廊下の掃除をしていたら旦那様の部屋の方から物音がしたので、気になって近づいたら鍵が開いてて、中に入ったらガツンと頭を殴られたんです」


「間違いありませんわ。わたくしも物音を聞いて駆けつけたらガラスを破る音がして、中でミリアルが倒れていたんですの」


 二人の説明を聞いた父は「ふむ……」とあごひげを撫でながら室内を見回す。


(泥棒が入った? 信じられないわ)


 宝石を扱うリッチ家の周りは厳重に警備されている。部外者が立ち入ることは不可能だ。


「ミリアル、犯人の姿は見たのかい?」


「いいえ。背後から殴られたので顔までは。でも、男性ではないかと思います。あたしこれでも背丈があるので、立った状態で頭になにか振り下ろすとしたら長身の男性かと……例えばその方のような」


 ちらり、と視線を向けたのはオニキスだ。いまこの屋敷の中にいる『部外者』は彼だけ。


「だが窓を破って逃走したのだろう? 宝石を奪った犯人が素知らぬ顔して戻ってくるのは不自然じゃないかい?」


「あたしに聞かれても困ります。調べてみたらいいんじゃないでしょうか、彼の持ち物を」


「ふむ。一理ある。オニキス、君の持ち物を見せてくれるかな?」


「構いません」


 出てきたのは護身用の短刀と長剣、そして、大粒の宝石が三つ。途端に母が金切り声を上げた。


「こいつよ、こいつが犯人よ。早く捕まえて! 警察に突き出して!」


 犯人と決めつけて息巻く。


「落ち着きなさい。この宝石が盗まれたものとは限らない。勢いだけで彼を糾弾するのは失礼だ」


「しかし旦那様!」


「当主はわたしだ。少し黙りなさい。それに謹慎中の身で勝手に部屋を出てどういうつもりだ。だれが許可した」


「……ぐっ。申し訳、ありません」


 ふだん温和な夫にぴしゃりと叱られ、母は悔しそうに唇を噛んだ。


「マリアは部屋へ。ミリアルはお医者様を呼んで治療を受けてきなさい。フレイアとオニキスはここに残るように」


 母は執事に、ミリアルはベルに付き添われ部屋を出て行った。


「やれやれ。わたしが宝石の見分けもつかないと思っているのだろうか。オニキス、君への疑いを先に晴らしておきたくて中身を出してもらったのだが、すまなかった」


「いいえ。怪しい者を真っ先に疑うのは当然のことです」


 短剣と長剣を腰のホルダーにつけると、両手ですくうようにして宝石を麻袋に収めた。赤ん坊を扱うような優しい手つきで。


 フレイアは三つの宝石にじっと目を凝らした。


(恐らくスファレライト、ラピスラズリ、ペリドットの原石ラフストーンね。大きさは申し分ないけれど市場に出回ることも多いし、内包物インクルージョンも多い。ランク付けするのなら五等級のうちの真ん中辺りかしら)


 幼い頃から父の仕事に触れる機会が多く、宝石の種類や価値はおおよそ頭に入っている。


「ねぇ、その宝石はどうしたの? 研磨も加工も施されていない原石のようだけれど?」


「『守護石』です。俺の故郷では生まれた赤ん坊に親が贈る風習があったんですよ。これは亡くなった家族の分で、本来なら亡骸と一緒に棺に収めますが俺が譲り受けました」


「そうだったの。素敵なお守りね」


「はい、俺には勿体ないくらいの家族でした」


 やさしい手つきで麻袋に触れる。


(何かしら、この違和感。まるで焚き火の火の粉を眺めているような……)


 ひどく穏やかな気持ちになり、右眼がじわじわと熱くなる。

 もっとオニキスの家族について聞きたい気持ちもあったが、今はそれどころではない。


「ふむ。この部屋はひどく荒らされて見えるが……どうにも妙だ。宝石が入ったケースがこれみよがしにあるのだから机の上の書類をばらまく散らす必要がない。大げさすぎる。それに本当の泥棒ならばできるだけ発見を遅らせるため物音を立てずに逃走すると思うが」


「そうですね。物音を立てたせいでミリアルもお母様も気づいたのですから、あまりスマートとは言えません」


「何か理由があったのかもれない。フレイア、おまえの『眼』を貸してくれるかい?」


「はい。お父様」


 フレイアは前髪を耳にかけると深く息を吸った。集中力を高める。火傷によって視力を失った右眼にパチッと青白い光が灯る。その『眼』を通して宝石を見ると炎のような揺らめきが映るのだ。


「オニキス、きみには事前に知っておいてもらいたいのだが、フレイアの右眼には少々特殊な力が宿っている。道具を使わなくても宝石を鑑別できる力――わたしは『鑑別眼』と呼んでいるが、古い文献では『魔晶の瞳』と記されていることもある」


 それは遠い昔、宝石が『魔法鉱石』と呼ばれたことに由来する。


 何万年という長い時間をかけて地中で形成された鉱物は『魔力』を宿している。その大きさや波動は鉱物の種類や地域、加工方法によって異なり、まったく同じものは存在しない。


 普通の人間は視認できない魔力を、フレイアの右眼は炎のような色形で捉えることができるのだ。


(室内に揺らめく炎は三十数個……どれも見覚えのある形と色だわ。お父様はロウソクの火のように穏やかな魔力の宝石を好んでコレクションされるから)


 自分と波長のあう宝石を集めていると、自然と似通った魔力のことが多い。これも右眼で知ったことだ。


「床に二十二、クッションの下に二つ、ペンケースの中に一つ、ソファーの下に四つと隙間に一つ、書類の束の中にも二つあります」


 左眼で室内を、右眼で宝石の炎を見ることで的確に場所を言い当てていく。


 室内のものを集めてから窓の外を見ると、地面に転がっているもの、木の枝に引っかかっているもの、草むらに紛れているものなどが一目瞭然だった。外で作業していた庭師に頼み、すべて回収してもらった。


 散らばっていた宝石が全部集まったところで、父が「やはりな」とため息をついた。


「ケースの中にあったコレクションはすべて揃っている。初めて買い付けた宝石や知り合いの遺品として引き取ったもので一つ一つに思い入れがあり、間違いようがない。宝石目的の泥棒が一つも盗まずに逃げることなどあり得るだろうか?」


「考えにくいです。ソファーや書類など、意図的に隠してあった点からして本当の目的を隠すために攪乱……――あら、『本当の』?」


 ここでフレイアは引っかかりを覚えた。


「先ほどお父様は『本当の泥棒なら』とおっしゃいましたね?」


「ああ、言ったとも」


「つまり犯人は『本当の泥棒』ではない、ということですか?」


「単なる勘だが、そう解釈してくれて構わない。何故ならわたしのコレクションはすべて残っている。もしポケットから出てきたら怪しまれるだろうし、売っても大した金額にはならないことを家の者は知っている。取引に用いる高額な宝石は地下室の金庫に入れ、二重三重に施錠してあることを知っているのも家の者だけ。そして、この部屋から唯一なくなっている宝石についても……」


「と、おっしゃいますと?」


「昨日仲介人から引き取ったばかりで、これから鑑別しようと机の上のケースに入れていたガーネット――『メル・ブラッド』が見当たらないのだよ」


「まさか……!?」


 フレイアの表情が強張った。


 『メル・ブラッド』は宝石商の間でだけ使われる言葉であり、様々な曰くを持つ『呪われた宝石』のことを指す。いずれも大粒で透明度が高く、一級品として高値で取引されることが多いのだが、フレイアの『眼』を通すと赤黒い炎に包まれているのだ。


「あれらは一見美しいが、心身に異常をきたす魔性の石。善良なる宝石商は決してこれを市場に流してはいけない。どれほど価値があろうとも他人の破滅に手を貸してはいけない。リッチ家が代々受け継いできた大切な教えだ」


「もちろん心得ております」


 人間の血液には微弱な魔力が含まれている。ゆえに、一般に流通する宝石に含まれる程度の魔力であれば、体を活性化させたり、心を癒したりすることができる。しかしメル・ブラッドは違う。強すぎる魔力で心を歪めてしまうのだ。


(昨日引き取られたメル・ブラッドのことを知っているとしたら、やはり家の中に犯人がいるのでしょうね)


 疑いたくはないが、被害者のミリアルが怪しく思えてくる。


「お父様、ミリアルに話を聞きましょう。何か事情があったのかも知れませんが、まずはメル・ブラッドの回収を最優先にすべきです。一刻も早く」


「――いえ、もう手遅れのようです」


 口を挟んできたのはこれまで黙っていたオニキスだ。赤灰色の瞳で窓の外を見つめている。夕陽に照らされて、横顔が燃えるように赤く浮かび上がっている。


「聞こえたんです。ミリアルというあのメイド、医者が診察するため服を脱ぐよう指示したらそれを拒み、懐に隠し持っていたメル・ブラッドを飲み込んで逃走をはかったようです」


 淡々と、まるでその場に居合わせたように状況を語る。

 しかしずっとこの場所にいたことはフレイアと父が知っている。


「高飛びして外科手術で取り出してもらう算段だったのでしょう。だれに唆されたのか知りませんが、ずいぶんと早まったことを。……ほら、もうすぐ来ますよ」


「来る? だれのこと?」


「ちょっと失礼します。さすがに危ない」


 問いには答えず、オニキスは廊下へ出ると階段の方へ向かった。フレイアが後を追いかけると、階段の踊り場で膝に手を当ててゼーゼーと息をしている執事の姿があった。年甲斐もなく走り回り、体力の限界なのだろう。


「おじょ……さま……申し訳……ミリアルが、が、がーねっとをのんで、逃……」


「しっかりしてください」


 今にも倒れそうになったところを間一髪で支える。手指を覆っていた手袋を外すと労わるように背中を撫でた。その瞬間、オニキスの体が眩く輝き、腕を通して執事の体に光が吸い込まれていくのが分かった。フレイアの右眼だけに映った、初め見る光景だ。


「オニキス、いまなにをしたの?」


 慌てて階段を駆け下りた。執事は目を閉じているが呼吸は安定して顔色もいい。


「もしかして魔力? 凄いわ。人間でこんなに眩しいのは初めてよ。貴方は一体……」


「答える必要はありません。貴女はすぐに忘れるのだから」


「え?」


 赤灰色の瞳が青白く光り、フレイアの前に手のひらを掲げた。


「いま見たことは忘れてください、お嬢様」


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