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パンダの小説 オリバージョーンズの冒険  作者: 天才パンダ


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第5巻 地獄の学校 19話

19話 現実の処方(生きている者の治療)


 地獄庁・接続室。


 治療区画のさらに奥にある、小さな半透明の部屋。壁も床も天井も白なのに、どこか「外」の匂いがした。そこだけは、死んだ魂ではなく、“まだ死んでいない人間”と繋ぐための場所だった。


 中央に淡い光の椅子が二脚。片方にオリバーが座る。もう片方には、誰もいない。かわりに、空間の上に青い点が脈打っている。生者の信号だ。


「……聞こえる?」とリリカが尋ねる。声はやわらかいが、いつもの治療報告のトーンではない。少しだけ慎重だ。


「きこえる。うん……うん、聞こえるよ」


 返ってきたのは、若い男の声だった。息が少し縒れている。眠れていない人間特有の呼吸。名前はリオ、とデータにあった。二十代、現在進行形で生きている。つまり本件は、死後ケアではない。


 オリバーはうなずく。「こちらは地獄庁だ。俺はオリバー・ジョーンズ。俺の隣にはリリカとカノン、あと勝手に入ってきたフェイ太郎とハチ公がいる」


「勝手にとは失礼だな、先生」とフェイ太郎。「ちゃんと記録班だよ、ぼく」


「ワン」とハチ公。


 リオはかすかに笑った。「……すごいな。地獄庁って、もっとこわいところかと思ってた」


「こわいところもある」とオリバーは素直に答える。「でも今日は違う。“まだ死んでいない人間”に対する接続は、初の正式例だからな。優しく行こうと思っている」


「今さら前置きが怖い」とリオが言う。「あの、俺、なんでここに繋がったの?」


 リリカが代わりに説明する。「通報があったの。あなた、三日間ほとんど寝ていないわね。SNSのアカウントは五つ。合計の投稿数が一日で百件を超えてる。フォローの波とリプライのやり取りでアドレナリンが出てる。脳波パターンが“危険域”に片足入ってるのよ」


「……ああ、うん。そう。たぶん俺、多分もうすぐ壊れると思う」


 リオは淡々と言った。淡々と言うしかない場所に追い込まれるほどには、すでに疲れ切っていた。


「そこまで分かってるなら止めればいい」とオリバーは言った。「回線を切ればいい。人をブロックすればいい。なぜやらない?」


「やったら全部なくなるから」


「全部とは?」


「俺のこと知ってる人。俺のこと覚えてる人。俺のこと待ってる人。俺が“そこにいる”って記録。俺が生きてるって証拠、そのもの」


 オリバーは黙る。リリカは小さく頷き、端末に指を走らせた。


「それが無くなるとどうなる?」オリバー。


「俺、いないのと同じになるじゃん」とリオは言った。「それが一番こわい」


 オリバーはその言葉をゆっくり反芻してから、はっきり告げた。


「では、診断を始めよう。これは“死にたい”ではない。“消えたくない”だ」


 カノンが静かに口を開く。「そこは大きな違いよ、リオ」


 リオは息を吞んだ。「……あ、そうだ。そうだよ。そう。わかってくれるの、初めてだわ」


「死にたい人は、終わりを求めるの」とカノン。「あなたは違う。あなたは“証明の喪失”を恐れてる。“お前なんか最初からいなかった”って世界に言われるのが怖いの」


 リオの息づかいが一瞬、泣き出す直前の子どもみたいになる。「……そう。そう。そうなんだよ」


「いい。ここまではっきり言えたのは進歩だ」とオリバーは言った。「これで俺たちは“どの病気に処置するか”を決められる」


 オリバーは黒板を呼び出す。ホログラムの空間に、四文字が浮かぶ。


 「在 線 間 選」


「第一、“在”」とオリバーは示す。「お前は“ここに在る”ことを確認しろ。誰も見ていなくてもだ」


「第二、“線”」リリカが指す。「お前を擦り減らす線は切り、お前を支える線は残す。線は全部同じじゃない。線の手入れは生きてる人間の基本メンテナンス」


「第三、“間”」カノンが言う。「間をつくる。反応しない時間。それは冷たい無視じゃなくて、自分の体を戻すための余白」


「第四、“選”」オリバーが最後に言う。「何を受け取るか、何を捨てるか、お前自身が選べ。選んだという事実が、お前の生存証明になる」


 リオは黙って聞いていた。しばらくの静寂。そののち、しぼり出すように言った。


「……それ、やらなきゃダメ?」


「ダメじゃないとでも?」オリバー。


「正直言うとさ」とリオは笑った。「“在る”って言われるの、めちゃくちゃ怖い。俺は、誰かに“お前ここにいるよ”って言ってもらいたいんだよ。自分で自分に言いたくない。言わされたくない」


 リオは、非常に正直だった。


 カノンは優しく首を振る。「それ、わがままでも依存でもないわ。ちゃんと傷だもの」


「でもね」とリリカが続ける。「そこ、ずっと他人に任せると、あなたは奴隷になるの。承認で釣られるペットになるの。呼ばれて行って、沈黙されたら死ぬ。そんなふうに扱われるために、あなた生まれたんじゃないでしょ?」


「…………」


 返事がない。否定もない。涙の音だけがある。


 オリバーはゆっくり言葉を落とす。「リオ。お前は今、“地獄庁の患者”ではなく“生きている証人”としてここにいる」


「……証人?」


「そうだ」とオリバー。「お前は、生きている者がどれほど追い詰められているかを、ここに証言する役目を持って来た。俺たちは死んだ魂の治療をやってきた。だが、それだけでは遅い。遅かった。お前は、手遅れになる前の最初の橋渡しだ」


 リオは信じられない、というように乾いた笑いをこぼした。「俺が、役に立つの?」


「立つとも」とオリバーは即答した。「そしてな、これは大事だ。役に立つってことと、生きていいってことは別件だ。混ぜるな」


 カノンが小さく笑った。「それ、大事な注意ね」


「役に立たないと生きてちゃダメって思ってる子は多いのよ」とリリカ。「でもそれは罠。あんたは生きてていい。役に立とうが立つまいが関係ない」


「……そんなこと言ってくれるの、初めてなんだけど」とリオが言う。声が揺れているが、もう泣き顔の揺れ方ではない。体温が戻ってきた人間の音だ。


 リオは息を整え、言った。「わかった。じゃあさ。線、切るよ。ほんとにきついところからは、抜ける。俺を消そうとするやつらのとこからは」


「よし」とオリバー。「それは“線”だな」


「あと、“間”もたぶんやる。通知切る時間、毎日つくっていい? こっちから返さない時間」


「もちろん」とカノン。「返さないことは、冷たいことじゃないわよ。あなたの神経細胞を守るためのバリアだから」


「“選”も……やる。今日の分から、やる。受け止めていい言葉だけ読む」


 オリバーは頷いた。「残りは?」


 リオはしばらく黙って、それから言う。


「“在”は、まだできない。まだ怖い。自分で“俺はここにいる”って言うの、ちょっと無理」


「それでいい」とリリカ。「そこは宿題。すぐできろなんて言わない。順番は間違ってない」


 オリバーがホログラムの黒板に追加する。


 「在 線 間 選」

 その下に、新しい一文字が淡く浮かぶ。


 「予」


 オリバーは言った。「予告だ。いまはまだ“在”ができないことを、自分に予告しておけ。『俺はそのうち、ここに在るって言えるようになる予定だから』と、ただ予定表に書くだけでいい。それも立派な行為だ」


「予定表だけで、生きてていいの?」とリオ。


「いいんだよ」リリカ。


「いい」とカノンも重ねる。「予定は未来の呼吸だから」


 リオはふっと息を吐いた。「……ありがとう。なんか、変だな。こんなこと言われるためにここ来たのかな、って思うけど。言われないとどうにもならないことばっかりだったわ」


「それが治療だ」とオリバーは言う。「治療ってのは、当人が自力では絶対に言葉にできない場所に、代わりに言葉を置くことだからな」


「それ、録音していい?」とリオ。


「全部記録している」とオリバー。「お前の許可はすでに得てある。取り消す権利もある」


「取り消さない。残していいよ。誰か、俺みたいになる前に止められるなら」


 リオの声には、弱さと同時に、ちゃんと選んだ意思が宿っていた。


 オリバーは最後に確認するように言った。「リオ。お前はこれから、どうする?」


「とりあえず風呂入る。寝る。通知切る。で……明日、朝起きたら、とりあえず生きてるってだけで投稿する。“おはよう”ってだけ」


「写真は?」リリカが尋ねる。


「顔は出さない。出すと荒れるから。たぶん今日までは“俺を見てくれ!”って顔出してたんだと思う。でもさ、明日は『俺はいるよ』ってだけでいいかなって」


 オリバーはゆっくりと、しかしはっきり頷いた。「それでいい」


「それでいいの」とカノンも言う。


「それで十分」とリリカも重ねる。


 リオは短く笑った。今度は乾いていない笑いだった。「……変だな。なんか、まだ死ねないな、って感じになってきた」


「それを“生きたい”と言うんだ」とオリバー。


「……ああ。そうか」


 接続室の青い点が、ゆっくりと明滅を弱めていく。脳波が落ち着き、意識が眠りに向かう兆候だと、リリカはモニタで確認した。


「切るよ、リオ」とリリカが言う。「寝ていい」


「うん。おやすみ」


「おやすみ」とカノン。


「ワン」とハチ公。


「よく頑張った」とフェイ太郎。


「……ありがと。ありがとね」


 青い点がふっと消える。接続は終了した。


      *


 静寂が戻る。部屋に残っているのは、地獄庁側の面々だけだ。


「オリバー、残していい記録にするわよ」とリリカ。「生者の接続は初だから、扱い慎重にいく」


「そうだな」オリバーは頷く。「これは、最後に渡す資料の前段になる」


「最後?」カノンが首を傾げる。


「俺たちはもう、死んだ魂の処置だけじゃ駄目だ」とオリバーは言った。「生きているうちに声をかけなきゃ間に合わない。誰かがそれを続けなきゃいけない」


「それを、誰に引き継ぐの?」とリリカ。


「俺のクローンにも教える」オリバーは言う。「人間の精神科医、心療内科医にも教える。AIにも教える。記録を残す。過去にも未来にも飛ばす」


 それを聞いて、カノンが静かに笑った。「じゃあ、いよいよ最終講義ね」


「ああ」とオリバー。「次が最後だ」


 リリカは端末に新しいタイトルを打ち込む。


 ——第20話 記録の継承(最終講義)


 ハチ公がしっぽを振る。フェイ太郎が「ちゃんと録るからね」と胸を張る。


 オリバーは椅子からゆっくり立ち上がり、白い接続室を一度だけ見渡す。そこには、もう光の点はなく、ただ静かな余熱だけが残っていた。


「生きてる人間の治療は、やれる」と彼は低く言う。「それを証明した。あとは、伝えるだけだ」


 彼の影が、ゆっくり扉の向こうへ消えていく。


 講堂の方角から、鐘が一度だけ鳴った。

 授業の合図ではない。

 ——“まだ間に合う命”が、確かにここに繋がった音だった。


(了)


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