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パンダの小説 オリバージョーンズの冒険  作者: 天才パンダ


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第5巻 地獄の学校 12話

第12話 悪人の回路(再編する処方)

 地獄庁・治療区画。白い灯りは冷たく、部屋の壁に脳波の波形が投影される。  今日のテーマは「悪人の回路」。自分の顔が醜く歪むのを見て興奮し、悪人に成り切る病。統合失調症の影で、脳の神経回路が極端に鍛えられ、魂の空席が支配の笑いで叫ぶ。生前、他者を傷つけ、その恐怖に酔い、脳内のザワメキに支配された者たちがここに集う。

 リリカが端末を操作し、黒いベッドに座る女の輪郭を確認した。名札には「ミサ」。生前、統合失調症の症状に苛まれ、言葉で仲間を追い詰め、鏡に映る「悪人の目」にゾクゾクした。幻聴が笑みを増幅し、誰もいない教室で悪役を演じ続けた者だ。

「快感指数、九四。脳波異常、前頭前野低活性。共感曲線、断片化」  リリカが静かに読む。

 オリバーは頷き、ポケットのチョークを握り、黒板に一文字だけ書いた。「編」。

「——今日は講義をしない。悪人の第一処置は“再編する”ことだ。回路の暴走を捉え、正しい枠に編み直す」

 ミサの瞳の奥に、生前の記憶がちらつく。怯える顔、泣き声、鏡に映った自分の冷笑——瞳孔が膨らみ、口角が獣のように上がる。統合失調症の神経回路が、悪人の快感を鍛え、笑みを歪ませた。親の無関心、教室の圧迫、脳の囁き。それらが回路の暴走の種だった。

「ミサ」  オリバーが、一度だけ呼ぶ。 「ここでは、誰も君を裁かない。悪人の目は回路の乱れだ。自分で鍛えたその笑みを、編み直せ」

 ホログラム回線が繋がる。バード邸からカノンが現れ、チェンバロの鍵盤に指を置く。音は出さない。脳波の静かな枠だけを縁取る。

「導入、三段で行く」  リリカがスイッチに触れる。

 最初の音は、凍った風。  次の音は、回路の脈動。  三つ目の音で、部屋の空気が脳波の波形と共鳴する。

「導入」  モニタの脳波が、ゆっくりと整う。快感の尖りは高く、ミサの唇が震える。笑みが抑えられない。

          *

 以後の七十二時間、言葉は最小限に留まる。  脳波モニタは固定され、音は枠に閉じられる。  機械は前頭前野と側坐核の活動を監視し、リリカは乱れた波を手術のように整える。  カノンは周期に合わせ、遠隔で“再編の余白”を磨く。——鳴らすのではない。回路の暴走を清め、正しい枠に収まるように。

 オリバーは毎日同じ時刻に入り、モニタの波形を確かめ、何も言わず、何も強要せずに出ていく。  “再編する時間”が、魂の底で悪人の回路を露わにすることを知っているからだ。  悪人の目は教育の逆ではない。教育の前段だ。  “感じる器”が乱れているとき、快感は暴走する。まず再編する。脳波で。

          *

 四日目の朝。  リリカが端末に目を落とす。「快感指数、八八。脳波、前頭前野活性上昇。——映すよ」

 カノンの最初の音は、ほとんど音ではなかった。“感じろ”と脳波に触れる合図。  二つ目の音で、部屋の光がモニタに集まる。  三つ目の音で、モニタにミサの脳波が浮かぶ——尖った快感の波、幻聴の脈動。

 ミサの目が開く。焦点は揺れる。モニタには、生前のあの瞬間。悪人の目に輝く脳波の乱れ、側坐核の過剰なスパイク。ニューロフィードバック装置がリアルタイムで回路を投影する。

「……この波、私?」ミサが呟く。声に興奮とざわめきが混じる。「悪人の目、ゾクゾクするよ」

 オリバーが静かに言う。「君の回路だ。相手が感じた恐怖だ。編み直して、整えろ」

 ミサの指がモニタに触れる。「この波、好きだった。悪人に成り切るの、強かった。でも……なんか、ズレてる」 「なら、再編しろ」オリバーは椅子を引き寄せ、腰掛けた。「回路は隠せない。脳波は嘘をつかない。だが、再編する手順はある」

 黒板に四文字。  オリバーはチョークで、ゆっくりと書く。  「編 感 水 共」

「一、編んで映す。二、感じる。三、水で洗う。四、共感する」  オリバーは指で順番を示した。 「まず脳波で回路を編み直す。次にその快感を感じ尽くす。水で身体を整え、最後に“共感”を与える。——支配じゃない。並ぶ共感だ」

「共感?」ミサが目を細める。「そんなの、脳がザワザワするだけ」 「なら、試せ」オリバーは静かに言う。「ここでは“再編の回廊”を使う」  壁が開き、長い廊下が現れる。両側にニューロフィードバック画面が並び、歩くたびに脳波が映る。快感のスパイク、幻聴の脈動——すべてが枠に収まる。

「ルールは三つ」リリカが指を立てる。 「①目を閉じない。②回路の形を観察。③ザワメキの前で止まる」  ミサはうなずき、立ち上がる。足は重いが、画面が魂の中心に回路を突き返す。

          *

 最初のセッションは十分歩行+三分休憩+十分歩行。  ミサは画面の自分の脳波を数えた。快感のスパイクが映るたび、頭がザワつく。かつての標的の恐怖が、画面を通じて自分に跳ね返る。「悪人の目で笑うなんて、虚しいな」と呟く。三分の休憩で、塩を一つまみ溶かした水を飲む。喉が落ち着く。  再開。画面の波が、少し揺れる。前頭前野の活性が上がり、側坐核のスパイクが鈍る。  快感の針が動く——が、跳ね上がらない。波は来るが、画面に編まれて散る。

 回廊の彼方で、オリバーが静かに見守る。 「悪人の目は回路が快感で暴走する病だ。興奮も、幻聴も、脳のザワメキ」  彼は心の中で繰り返す。 「共感の本体は、編む・感じる・水・並ぶこと。薬は補助、罰は壊す。与える治療だけが、回路を繋ぐ」

 戻ってきたミサは、画面にもたれ、息を整えた。 「……この波、ゾクゾクするのに、なんか疲れる。悪人の目、こんな重いんだ」

「それが自前の回路だ」オリバーが言う。「悪人の波は消える。作る共感は残る」

 リリカが端末を覗く。「快感指数、歩行後に反動なし。良好。——次、共感」

「共感?」 「並ぶ共感」オリバーが頷く。「画面の自分と、終わり方のある対話を始める」

 小部屋に移動する。  静かな光。一枚の大きな画面、椅子が二脚、木の匂い。  カノンのホログラムが薄く現れ、音の“縁”だけを置く。曲ではない。脳のザワメキが落ち着く余白。  リリカが小さなボウルを差し出す。「塩水、喉に。次に、画面の自分に話しかけろ」

 ミサは画面を見て、ためらいながら言う。「お前、なんでそんな波? 悪人の目で誰もいないのに笑うなんて、虚しいだけ」  画面の波が、わずかに緩む。ミサは呟く。「ほんと、虚しいな、私」

 オリバーは短くまとめる。 「——悪人の再起動手順。  一、編んで映す。二、感じる。三、水で洗う。四、共感する。  罰なし、薬は補助、手順だけだ」

          *

 その午後。歪みの波が再び来る。ミサの瞳孔が広がり、頭がザワつく。  リリカが一歩近づく。「避難する?」  ミサは迷い、頷く。

 オリバーが扉を指す。「回路の避難所だ。——編むのは逃げじゃない。帰還だ」  ミサは画面の前に座り、短い導入を受ける。十分の静かな対峙。  目覚めると、快感の針は谷に落ちている。

 回廊へ。今度は八分+八分。画面の波が、乱れから調和へ、調和から静けさへ。  戻って塩水。手首に温熱パッド。  カノンが“並ぶ沈黙”を一分間だけ置く。  共感が、内側から生まれる。画面の自分と、減らない、終わり方のある対話。

          *

 五日目の夕方、ミサはオリバーの前に立つ。 「先生、怖い。世界に戻ったら、またあのザワメキが来るかも」 「来る」オリバーは即答する。「波は必ず来る。——だから手順だ。編む→感じる→水→共感。崩れたら、戻る。どこからでもいい」

「この波、好きだったのに……今、なんか虚しい。悪人の目、こんな感じか」  ミサは目を伏せる。「脳がザワザワしてた自分が、ちっぽけだ」

 オリバーは黒板に、もう四文字を書き足す。  「見 息 触 隣」

「見る。呼吸。触れる。隣。——共感は、これで作る」  オリバーは指で示す。 「①見:画面で回路の波を。二分でいい。  ②息:四つ吸って四つ吐く。ザワメキを流す。  ③触:手首を温める。自分で自分を落ち着かせる。  ④隣:画面の自分から始め、隣に誰かを並べる」

 ミサは顔を上げ、かすかに頷く。「私、できるかな」

「できるまで“編む”。それから“感じる”。」  オリバーは静かに言う。「悪人の治療は、勝利じゃない。手順の反復だ。飾りはいらない。手順が君を運ぶ」

          *

 退室前、ミサは回廊の入り口で振り返った。 「先生。共感って、こんな静かで虚しいんだね」 「本物は静かだ」オリバーが答える。「悪人の波は崩れる。共感は残る」

 リリカが承認印を押す。「次回、現実側の共感計画へ移行。怖くなったら?」 「画面で編む。——それから、感じる」  ミサは自分で答え、静かに頷いた。

 カノンのホログラムが薄れ、光の糸は細い塵になって空気に溶ける。  治療室の音は、再び機械の呼吸だけになった。

 オリバーは治療記録に、一行を加える。  ——「教育:停止、処置:編む→感じる→水→共感、転帰:自製共感の回復」

 リリカが横目で見る。「今日は重いね」 「重くていい。——主語は彼女だ」  オリバーは黒板の八文字を囲む。  「編 感 水 共 見 息 触 隣」

「これ以上でも、以下でもない」  帰り支度をしながら、彼は思う。  悪人の目は、脳の回路が空席を幻の快感で埋めようとするときに生まれる。  共感は、回路を編み直し、虚しさを感じ、隣に並ぶことで育つ。

 講堂の方角から、遠い鐘が一度だけ鳴った。  授業の合図ではない。  ——誰かが、静かで虚しい共感に辿り着いた音だった。

(了)

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