第5巻 地獄の学校 9話
ep.74 第5巻 地獄の学校 9話
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第9話 苛める者の治療(怒りの根)
地獄庁・心理治療区画。
今日の患者は「ケイゴ」――十七歳の少年。
生前、学園で何人もの同級生を泣かせた。だが暴力はなく、常に笑顔だった。
人を追い詰めるとき、彼はいつも冗談のように笑っていた。
リリカが端末を操作する。
「攻撃衝動指数、七三。疲労ホルモン値が高い。睡眠不足、塩分過多。怒りの根は“過労”と“警戒”だね。」
オリバーが頷いた。
「今日は、“怒り”を罪ではなく症状として見る。苛めとは、壊れた防衛本能だ。」
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ホログラムが起動し、教室の映像が映る。
机を囲むクラスメイト。
ケイゴが笑っている。
笑いながら、誰かをいじっている。
教師はその様子を遠くから見て、気づかないふりをしている。
母親は夜、彼に弁当を詰めながら言う。
「優しい子だって、先生が言ってたわよ。」
ケイゴは「うん」とだけ答え、黙って塩気の強いおかずを口に運んだ。
オリバーは再生を止める。
「怒りの根は“疲労”だ。
この少年は優等生を演じ続け、周囲の期待に潰されていた。
他人の機嫌を読みすぎて、ついに“誰かの痛み”で息をしていた。」
リリカが小さく頷く。
「だから、弱い者を見つけて吐き出した。怒っていたのは相手じゃなく、世界にだね。」
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オリバーは黒板に四文字を書いた。
「疲 警 距 息」
「怒りは、疲労が警戒を呼び、距離を誤らせ、息を詰まらせる。
——つまり、怒りは“防衛の過剰反応”だ。」
リリカがケイゴの脈を測る。
「心拍、高め。身体は常に戦闘状態。
夜、眠れてない。親や先生の顔色を読んで、笑顔を貼りつけてた。」
ケイゴは薄く目を開ける。
「……笑ってないと、怒られる気がしたんだ。」
「怒られるって、誰に?」
「皆に。母さんにも、先生にも。俺が静かだと“どうしたの?”って言われる。
優しい子のままでいなきゃ、俺の居場所が消える気がして。」
オリバーは椅子を引き寄せ、静かに腰掛けた。
「そうか。お前は“良い子”の檻に閉じ込められていたんだな。
人を苛めたのは、息をするためだった。」
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カノンのホログラムが現れ、呼吸音のような光を流す。
静かな波が部屋を包む。
「まず眠る。
次に呼吸する。
そして、“誰も見ていない空間”で動く。」
壁が開き、風の回廊が現れた。
ケイゴはためらいながら立ち上がる。
誰も見ていない廊下を歩く。
歩くたび、肩の力が抜けていく。
息が少しずつ長くなり、胸の奥が温かくなる。
オリバーが後ろから声をかける。
「怒りは悪ではない。
怒りは“助けて”と叫ぶ身体の信号だ。
でも、お前の世界はそれを聞いてくれなかった。だから、他人を通して叫んだ。」
ケイゴの目が潤む。
「俺……疲れてただけなのかな。」
「そうだ。
疲れて、怖くて、誰かを下に見ていないと、自分が消える気がしてたんだ。」
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リリカが水を差し出す。
「塩分は心を荒らす。今夜は温かいスープにして。」
ケイゴは小さく笑った。
「スープなんて、何年ぶりだろ。」
オリバーは黒板に新しい四文字を足した。
「眠 息 動 水」
そして続けて書く。
「距 聴 満 友」
「眠って、呼吸して、動いて、水を飲む。
距離を整え、人の声を聴き、静かな満足を覚えたら、最後に“友”を思い出せ。」
ケイゴは小さく頷いた。
「誰かに、また笑ってほしい。でも、今度は一緒に。」
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治療が終わる頃、オリバーは記録を残す。
——「教育:停止、処置:睡眠+呼吸+距離再訓練、転帰:攻撃衝動→共感回路への変換」
リリカが呟く。
「怒りって、誰にも気づかれない“助けて”なんだね。」
オリバーは静かに頷いた。
「そうだ。苛めとは、優しさを使い果たした者の最期のSOSだ。」
講堂の方角から、遠い鐘が一度だけ鳴った。
授業の合図ではない。
——誰かが、もう怒らなくても息ができるようになった音だった。
(了)




