第5巻 地獄の学校 4話
嘘吐きたちの授業Ⅱ 嘘を吐かれた者たち
(原稿用紙10枚/約4000字)
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閻魔庁・講堂。
いつもよりも重たい空気が漂っていた。
今日は「嘘を吐かれた者たち」の授業。
オリバー・ジョーンズは講壇に立ち、ゆっくりと視線を巡らせた。
席には、魂たちが静かに座っている。泣いている者もいれば、ただ虚ろな瞳で天井を見上げている者もいる。
「——今日の授業は、“嘘を吐かれた側の記録”だ。」
オリバーの声は静かだったが、底に硬い鉄の響きを帯びていた。
「お前たちは、嘘で何を失った?」
最初に立ち上がったのは、若い男だった。
顔はまだ少年のようで、手は震えていた。
「俺……恋人に嘘を吐かれました。
“他に誰もいない”って言われてたのに、ずっと裏で別の男と付き合ってた。
その嘘が分かった瞬間、心の中で何かが壊れたんです。
泣くことも、怒ることもできなかった。
ただ、“ああ、俺の信じてた言葉は全部偽物だったんだな”って。」
彼の肩が小刻みに揺れた。
「そのあと、彼女は言ったんです。『あなたを傷つけるつもりはなかった』って。
でも、それが一番刺さった。
だって俺を守るための嘘なんかじゃない。ただ、自分が傷つきたくなかっただけなんだ。」
オリバーは静かに頷いた。
「そうだ。嘘を吐いた者は、守ったつもりで壊す。
彼らは、自分の小さな恐怖を“優しさ”だと錯覚する。
だが、嘘を吐かれた者は、その恐怖ごと心に刺されるんだ。」
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次に、老婆の魂が立ち上がった。
深い皺の中に、何十年分の悲しみが眠っていた。
「私はね、息子に嘘をつかれたの。
“会社は順調だよ”“大丈夫、心配しないで”って。
それを信じてた。
でも、彼は自殺してた。借金まみれで、遺書も書けないほど追い詰められてたのよ。
私が最後に信じた“だいじょうぶ”は、あの子の遺言だったの。」
講堂が静まり返る。
オリバーはゆっくりと歩み寄り、彼女の前に膝をついた。
「お前は何を失った?」
老婆は涙をこぼした。
「“信じる力”を。……もう誰の言葉も信じられなくなったの。」
オリバーの声が少しだけ震えた。
「嘘は信頼を壊すだけじゃない。信じるという行為そのものを殺す。
だから、嘘を吐かれた者は、嘘を吐いた者よりも深く死ぬんだ。」
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やがて、講堂の奥から一人の男が立ち上がった。
黒いスーツ、冷たい瞳。声はどこか挑発的だった。
「俺は……嘘をついた側だ。
けど、正直言って、俺は悪くないと思ってる。」
ざわめきが起きた。
オリバーは静かに目を向ける。
「話してみろ。」
男は鼻で笑った。
「俺が嘘をついたのは、部下を守るためだ。
“ミスは俺がやった”って上に報告した。
結果? 会社が炎上して、俺は責任取って辞めた。
その後、裏切った部下が会社に残って、俺の悪口を言いふらした。
俺の家族は離れた。妻も子も。“あんたは人を見る目がない”って。
結局、誰も救われなかった。
……でも、俺は悪くないよな?」
彼の声は震えていた。
「俺は正義のために嘘をついた。
誰かを守るための嘘だ。
……なのに刺されたんだ。
俺を裏切った部下に。
“お前のせいで俺の人生が狂った”って。
刺されて死んだ人間の俺は、悪くないのに……!」
彼は叫び、崩れ落ちた。
オリバーは一歩近づき、静かに言った。
「悪くはない。だが、間違っていた。」
男は顔を上げる。
「嘘で守ることはできても、信頼は守れない。
お前の嘘は愛ではなく、支配だった。
“自分が上に立たなければ”という傲慢が、真実を殺したんだ。」
オリバーの言葉は、彼の胸を貫いた。
しばらく沈黙が続いたあと、男は嗚咽した。
「……そうか。俺は、偉くなりたかったんだな。
賢いと思われたかった。
でも、本当は怖かったんだ。失うのが。
信じるのが。」
オリバーは頷いた。
「そうだ。お前は嘘を吐いた者であり、同時に嘘を吐かれた者でもある。
“信じる世界”に裏切られた者は、やがて自分が嘘をつく側に回る。
それが人間の弱さだ。」
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講堂の上から、柔らかな光が降りた。
その光の中に、オリバーは一瞬だけ“母の魂”を感じた。
彼女はいつものように微笑んでいた。
——「人は、嘘に傷ついても、愛に還ることができるのよ」
オリバーは静かに黒板に向かい、チョークを走らせた。
“嘘は心を裂く。だが、真実は心を縫う。”
そして言った。
「今日、俺が伝えたいのは一つだけだ。
嘘を吐いた者よ、覚えておけ。
お前が賢いと思って放ったその嘘は、誰かの“生きる力”を奪う。
そして嘘を吐かれた者は、魂を引き裂かれるほどの痛みを抱えて生きる。
それは死よりも重い。」
講堂の中で、誰もが息を呑んだ。
オリバーの声が低く響く。
「——だが、赦しは始まっている。
傷を負った者は、もう一度信じることで生まれ変わる。
そして、嘘を吐いた者は、その痛みを知ることで救われる。」
沈黙の中、男が立ち上がった。
さっき「俺は悪くない」と叫んだ男だ。
彼は深く頭を下げ、涙をこぼした。
「……先生。俺は、間違ってた。
もう二度と、嘘で誰かを守らない。
真実で、生き直します。」
オリバーは微笑んだ。
「それでいい。お前はもう“嘘吐き”ではない。
“真実を学んだ者”だ。」
鐘が鳴る。
講堂の光が、嘘吐きたちと傷ついた魂を包み込む。
オリバーは最後に黒板へ一行、書き加えた。
――「嘘を赦すとは、痛みの意味を知ること。」
彼はペンを置き、微かに笑った。
オリバーは頷き、次の授業の準備を始めた。
タイトルは、「赦しの構造」。
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(了)




