第5巻 地獄の学校 1話
嘘吐きたちの授業 1
――オリバー・ジョーンズの地獄の学校より
⸻
嘘を吐く者は、いつだって孤独だ。
だが、彼らのほとんどは最初から嘘つきだったわけではない。
それは、ある日――誰かの“愛し方の間違い”から始まる。
少年の記憶の中に、一枚の光景がある。
母親の目。
彼女はテレビの言葉を信じていた。「怒る時は、子どもの目を見て叱りなさい」。
それを忠実に守った。
褒める時は目を逸らし、叱る時だけ、射抜くように見つめた。
その視線は愛ではなく罰の印になり、少年は次第に「見つめられること」を恐れるようになった。
だから彼は言った――「大丈夫だよ」。
本当は大丈夫じゃないのに。
それが、最初の嘘だった。
“嘘”は防衛本能だ。
殴られぬために。
嫌われぬために。
そして、見放されぬために。
少年は少しずつ学ぶ。
真実を言えば怒られる。
嘘を言えば許される。
世界とは、そういう不公平なルールで動いているのだと。
⸻
そして今、その少年の魂は地獄の講堂に座っている。
閻魔大王オリバー・ジョーンズの前に、嘘吐きたちが整列する。
天井には淡い光が降り注ぎ、壁には“罪”の文字の上から“問い”の文字が重ねられている。
「今日の授業は“嘘の起源”だ」
オリバーの声は静かで、けれど深く響いた。
「お前たちは、なぜ嘘を吐いた?」
一人が答える。「怒られるのが怖くて」
一人が泣きながら言う。「父さんと母さんが喧嘩するのを止めたくて」
もう一人は俯いたまま。「褒めてほしかった」
オリバーは頷く。
「いいか、それは罪じゃない。嘘を強いたのは“恐怖”だ。お前たちは、それに従っただけだ。」
だがその時、講堂の奥で低い声が響いた。
「違うな」
黒いコートを着た男が立ち上がる。
「俺は嘘をつき続けることで、世界を守った。嘘こそ正義だ。
真実を暴けば戦争が起きる。なら、真実など要らん。」
その声には確信があった。
オリバーは目を細め、問う。
「お前の嘘は、誰を守った?」
「……世界を」
「本当にか? それとも、お前が築いた“秩序”を守りたかっただけか?」
男の瞳が揺らぐ。
「正義という名の嘘は、最も醜い。
嘘で救える命もある。だが、嘘で支配された魂は救えない。」
男はうつむき、静かに崩れ落ちた。
⸻
オリバーは黒板に近づき、白いチョークで一文字を書く。
“真”――。
粉が舞い、光を受けてきらめく。
「真実とは、痛みに耐えても隠さないこと。
だが、誰かを守るための嘘は罰しない。
愛から生まれた嘘は、真実の兄弟だ。」
列の中にいた小さな少年が、手を挙げた。
「先生……ぼく、怖かったんだ。
お母さんが怒る時、目をじーっと見てきて、心が固まって……
本当は怖いって言いたかったのに、“平気”って言った。
それも嘘、ですよね」
オリバーは頷く。
「その嘘は、生き延びるための叫びだ。
罰しない。
だが覚えておけ――“平気”と言った瞬間、本当の自分が少しずつ遠ざかる。
だから、これからはその距離を取り戻すことを学びなさい。」
少年は泣きながら頷いた。
その涙は黒い床に落ち、光に変わって消えていった。
⸻
授業の終わりの鐘が鳴る。
嘘吐きたちの顔には、少しだけ色が戻っていた。
彼らはそれぞれの“真実”を胸に、静かに講堂を出ていく。
誰も裁かれない。
ここはもはや地獄ではない。
“学び”の場だからだ。
オリバーは講壇に残り、最後に一行を書き加える。
――「真実とは罰ではなく、赦しの始まりである」。
ペンを置き、天を仰ぐ。
その瞳には、かつて“怒りの視線”を受けて震えた少年の面影があった。
けれど今、その視線は優しく、誰かの痛みを包む光になっている。
彼は微笑んだ。
「次の授業は、“嘘と愛の違い”だ」
そう言って、静かにページを閉じた。
⸻
(了)




