第1巻 エピローグ:ケインの子どもたちと、神話の嘘
第1巻 エピローグ:ケインの子どもたちと、神話の嘘
「行っちゃったね……みんな。未来の世界に」
アベルがぽつりとつぶやいた。
赤く染まる西の空を見上げながら、彼は寂しげに笑った。肩を並べるルルワが、ふと顔を傾けて言った。
「行っちゃったわね。……ねぇ、父さんじゃなくて、母さんでもなくて、父さんでもあり、母さんでもある、ケイン。あなたは本当にバーンズ・ダンを愛してたの?」
質問は唐突で、問われたケインには残酷な物だった。
横で聞いていたカインも同意するように頷いた。
「それ、俺も知りたいな。ずっと聞けなかったけど」
サン=ジェルマン・マグナス・ケイン――かつて“神話の種子”を蒔いた男は、しばらく沈黙してから、空を仰いで言った。
「……どっちでもいいし、どっちでもよくない話だな」
その言葉に、3人は黙った。風が乾いた草原を通り抜け、まるで誰かの気配のように、彼らの間を吹き抜けた。
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後に「カインがアベルを殺した」という物語は、旧約聖書に記され、人々の記憶に深く刻まれていくことになる。
だが実のところ――それはマグナス・ケインの家族の話ではなかった。
後世の神話研究者が残した文書には、こう記されていた。
「サン=ジェルマン・ケインという人物が、カインと名付けた子を人工子宮で産んだ」
「そして、その子はやがて弟を殺すという宿命を背負っていた」
しかし、これは完全な誤解である。
・実際に弟を殺したのは別の初期人類
・ケインの家族はただのモデルケースとして使われただけ
・ある宗教思想家が「神話を象徴的に美化」するために、ケインの子らの名を借用した
それは「嘘」と呼ぶには巧妙すぎて、真実と錯覚されてしまうほどに美しかった。
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ケイン自身も、この“神話のねじれ”を理解していた。
ある日、カインとアベルがその話をぶつけた時、ケインは渋い顔をしてこうぼやいた。
「……俺のカインがアベルを殺した? やれやれ、いい加減にしてくれ。あの子は兄弟喧嘩ですら一度も勝ったことがないんだぞ」
その場にいたアベルも、すかさず茶々を入れる。
「え、オレ殺されることになってたの? なんか損してない? 兄さんのほうがモテるのにさ」
「それは否定できないな」と、ルルワが笑う。
アベルはふくれて言った。
「ケイン、どっちなの? おれの運命は? カインに殺されるの? それとも誰かの代役にされただけなの?」
するとケインは、少しだけ悲しげな目で、2人を見た。
「……“神話”ってやつは、誰かの愛憎や嫉妬や期待で出来てるんだよ。お前たちがどう生きるかじゃなくて、“どう見えるか”で形を変えてしまう。そんなものに、お前たちの人生を縛らせたくはない」
「ふーん……」
アベルがため息まじりに言う。
「でも“未来の人たち”って、信じちゃうんだよね、そういう話を」
「ああ。信じる。刺激的な嘘のほうを、ね」
その言葉の先に、誰も何も返さなかった。
夕陽が丘の向こうに沈む。静寂のなか、三人の若者たちはそれぞれの影を伸ばしながら、地平線を眺めていた。
そしてケインは静かに呟く。
「……でも俺は信じてるよ。嘘の向こうにある、お前たちの本当の姿をな」
――その言葉こそが、誰よりも深く、真実を愛した父の証だった。
完
(オリバージョーンズの冒険1)
――次の巻へと、物語は続く。




