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【8】愛情のかたちは人それぞれ

「サクヤおい! 頼む、頼むから! 開けてくれ!」


 木目の鮮やかな扉は、〈夜鷹〉の主、サクヤの私室だ。

 ヒバナが乱暴に叩き続けると、バン、と大きく扉が開かれた。

 開けたのはサクヤだ。低く掠れた声でぼやいた。


「ああもう……うるせぇっつーの。おいヒバナ、何事だよ。今何時だと思ってんだ?」


「朝だ。もう昼も近いが」


「だったら俺はまだ寝てる時間なのぉ。夜勤で疲れてるお父様は休んでんのぉ。朝から元気なクソガキに叩き起こされる時間じゃないワケぇ……」


 欠伸を噛み殺すサクヤは、今しがた起きたばかりなのだろう。

 かろうしてベルトの外れたズボンは履いているが、上半身は裸だ。ヒバナの想像と違い、腹に余計な肉はついていない。むしろ年齢や食生活を考慮しても、引き締まっている方である。

 サクヤは寝ぐせのついた髪を掻きむしりながら訊ねた。


「で、何の用? 客はもう帰ったろ? まーた無理心中の修羅場でもあったのか?」


「無理心中がそうそうあってたまるか! いや、それよりも厄介なことが起きた。今生の頼みだ、修羅場を収めるのに、力を貸してくれぬか……?」


「はぁ?」


 いつになく弱気な用心棒にサクヤは驚いた顔をしつつ、ヒバナの背後に視線を向ける。


「あー……そういうこと? これはやっちまったかぁ」


 ヒバナの後ろではツバキとヴィオレットがニコニコと微笑みあっている。

 だがその視線はちっとも笑っていない。

 こうなってしまってはもう、ヒバナにはなすすべもなく、頼れるお父様に泣きついたのだった。


 ***


 サクヤは〈夜鷹〉の主人。つまり一番偉い。だから、私室も広い。

 彼の私的な応接間に通され、ヒバナは長椅子に、肩身狭く座っていた。

 長椅子は大きいが窮屈な思いをしているのは、ヒバナを挟むように、ツバキとヴィオレットが座っているからだ。


(何故わたしを挟んで座るのだ……。椅子は他にもあるのに)


 いっそ向かいに座るサクヤの隣に座ろうか。ヒバナはそう考えるも、両者にガッチリと腕を取られ動けない。


「つまりこの間男は、私の可愛いヒバナに命を救われた恩義がありながら、〈夜鷹〉に居座ろうとする恩知らず、と」


「うーん、俺そうは言ってないと思うけどな?」


「事実、そうではない?」


 ヒバナが『旦那様』となった経緯を、サクヤは端的に説明したが、ヴィオレットはやはり納得が行かないようだった。

 当然、説明するうえで、ツバキが暗殺者集団の出自であることは黙っている。

 ただでさえ大変なことになっているのに、彼の正体が知れたら、とんでもない波乱をもたらすことになるのは、サクヤも理解しているのだろう。


「つまりだな、わたしはまだ、旦那様ではなくて……」


「まだ?」


 ヒバナの失言を、ヴィオレットは耳聡く聞き返す。


「ええ。正式な夫婦となってはおりませんが。いずれは」


 ねえ、とヒバナを抱き寄せるツバキに、ヴィオレットの視線が鋭く突き刺さる。


「おお、さみぃ……」


 サクヤが両腕で躰を掻き抱く。名が机にはわずかに霜が積もっていた。

 一触即発の空気に、ヒバナは慌てて言い繕う。


「違うのだ、兄上! とにかくわたしたちは、夫婦ではない!」


「ふうん。分かった。兄は可愛い妹の言い分を疑いはしないよ」


 ヴィオレットは甘くとろけるような笑顔を浮かべて言った。

 ああようやく理解してくれた、と内心胸を撫で下ろすヒバナに、彼は首を傾げて問う。


「ところで、どうして夫婦ではないのに、共寝していたの?」


 私は夫婦でも許さないけれどね、と独占欲の強さを見せる彼の問いかけに、ヒバナは顔を引き攣らせた。


「えぇと、その……。…………サクヤが!」


「えー俺かよ?」


「部屋がないからって言われたから! しかたがなく一緒の寝台で寝ていただけなのだ!」


 自身も苦しいと思う言い訳に、しかし妹に甘い彼は頷いた。


「そう。でもね、私は間男がヒバナと同じ空気を吸うのも耐えらないのだけれど。だから、これは追い出してよ」


「ま、待ってくれ兄上。彼はどこにも行くところがないのだ。追い出すのは可哀想だろう?」


「ふふ。お優しいですね、旦那様は。貴女が向ける仁愛に、より恋心が深まりそうです」


「ツバキ! 君はしばらく、黙っていてくれないか!?」


 これ以上収拾がつかなくなると困る。ツバキの口を両手で塞ぎつつ、ヒバナは続けた。


「サクヤは置いてもかまわないと言った! 彼の食い扶持はわたしが稼ぐし、部屋は……そうだな、こんなに広いのだから、サクヤ、わたしに間借りさせてくれ! わたしのことは、犬や猫の類と思えばいい!」


「おいおいおいおい待て待て待て。こっちに振るなよぉ。テメーの兄貴、俺のことスゲェ目で睨んでんぞ?」


 サクヤは嫌そうな表情で身を引いた。


「めんどくせぇ飼い主のいる犬っころなんて、預かりたくねぇぞ俺……」


「だったら部屋のひとつやふたつ、用立ててくれないか?」


 ヒバナが必死に懇願すると、サクヤは天を仰ぎながら、深い溜息をついた。


「ああもう、ヒバナテメー……。…………しゃーねぇなあ、今回はその熱意に免じて用意してやるよ」


「本当か! 助かるぞ、サクヤ!」


 そうして何とか、ツバキの部屋を用意することができたのだ。

 〈夜鷹〉の主は仁義に厚く、押しに弱い。つまり、図々しい者が勝利を得るのである。


 ***


 ヒバナたちは、ツバキが住む部屋を整えるのだと、連れ立って出て行った。

 当然、妹を愛してやまないこの男もひっついていくだろう。

 ようやく静かに二度寝ができるとサクヤは喜んでいたが、予想に反して、ヴィオレットは部屋に居座っていた。


(あーもう、兄貴の方は、まだ何かあんのかよ?)


 サクヤが不満を漏らす前に、ヴィオレットは口を開いた。


「私のヒバナは、舞い上がっているのだろうね。剣士として活躍し、助けた相手におだてられて、庇護すべき者を守らねばと意気盛んになっている。あの子らしいと言えば、あの子らしいけれど」


「ふーん。お兄様は愛しのヒバナちゃんが、あの面のいい兄ちゃんに惚れたとは思わねぇの?」


 サクヤが訊ねれば、ヴィオレットはニコリ、と完璧な笑みを浮かべる。


「顔の良さでは私の方が優れているよ。それに、私のヒバナは、兄の顔が一番好みだからね?」


「すげぇ自信だなぁ……」


 サクヤが呆れて言うと、彼はその天女のように美しい顔を瞬く間に歪め、忌々しげに口にする。


「私の可愛いヒバナ。何故よりにもよって〈黒卿のしもべ〉の殺生鬼なぞ選ぶのか。ただの美しい鬼であれば、羽虫のように潰せたのにね」


(ほー。気づいてたのか)


 随分と物騒なことを言うヴィオレットに引きつつも、しかしサクヤは密かに感心した。

 極力、彼の出自に関する言葉は避けて説明したし、ツバキはか弱い美青年をキッチリと演じていたように思えたからだ。


「あの美人の兄ちゃんが殺生鬼だって、ヴィオ、なんで分かったんだ?」


「……昔、あれの姿を見たことがある」


 ヴィオレットはそれだけ言うと、口を閉ざす。

 あまり言いたくないのだろう。だから、サクヤは深く問いたださなかった。

 イイ男は多少秘密を抱えている方が、色気に深みを増す。それが後ろ暗いものであればなおのこと。

 サクヤが机にだらしなく脚を乗せ、プカプカ煙草を吹かしていると、ヴィオレットはひとりごちるように続けた。


「ヒバナは、私の可愛い妹だ。他の男の手に渡るなんて、許せないよ」


「可愛い妹ねぇ。……血は繋がらなくとも、可愛いもんか?」


「ああ」


 サクヤの率直な問いに、ヴィオレットはぞっとするような笑みを浮かべた。

 〈夜鷹〉の他にも、遊郭の一帯には美しい鳥たちが揃っている。

 とりたて美しいヴィオレットの顔は何年と見慣れているが、そんなサクヤでも思わず産毛が総毛立つような一種の感動さえ覚えた。


「同じ血が流れていても、流れていなくても、ヒバナは、私のヒバナなんだよ?」


「血は水よりも濃いって言うが、テメーら見てると、そうでもないよなって思わされるよ」


 貴族社会では特に血の結びつきを重視する。

 だが、〈夜鷹〉の主となって、サクヤの思想に多くの変化と影響を及ぼした。

 今では〈夜鷹〉に属する者は、サクヤにとって仕事仲間であり、同時に、何よりも大切なこどもたちでもある。

 サクヤがちょっといい感じに考えていると、ヴィオレットは続ける。


「私はヒバナのために生きているし、ヒバナは私のために生きなければならない」


「へー、ずいぶんと一方的で依存した兄妹愛だねぇ?」


「だってあの時、死にかけた私に『生きて』とヒバナは願った。ああ、いじらしくて愛おしいね? そんな風に強請られたら、一緒に死のうと思っていた私の決意が揺らぐに決まっている」


「テメー、担ぎ込まれてスープ食いながらそんなこと考えたのか? おっかねーな」


「だから、ヒバナは責任をとって、私と永遠に生きるべきなんだ」


(俺の合槌まともに聞く気ねーなら、いい加減帰ってくんねーか?)


「ヴィオちゃんよぉ、相変わらずヒバナ大好きすぎんだろ」


 大好きすぎる、という言葉では到底表し切れない愛であると思ったが、聞いていると段々頭が痛くなってくる。そうなると雑な感想しか思い浮かばなかった。


「うん。大好き」


 彼はこれまでに多くの女性を射止めただろうそれとは異なる笑顔を浮かべて言う。

 彼が本当の愛を向けるのはただひとり。

 ここにはいない妹に、もはや異常とも思える愛情を向けるヴィオレットに、サクヤは素直に思いついたことを問いかけた。


「そのだ~い好きなヒバナちゃんに、実はお兄様と血の繋がりがないってバレたらどうするよ?」


「どうもしないよ。その時はその時だし」


 回答は意外にもあっさりしていた。


「でもそうだね。ヒバナは悲しむだろうね」


「まあ、俺もそう思うわ」


 サクヤは「兄上っ!」と、ヴィオレットを素直に慕う少女の姿を思い浮かべる。

 彼女はヴィオレットを唯一の家族だと大切にしているのだ。だからこそ、過剰すぎる兄の愛情を疑いもなく受け入れているのだろう。

 その関係が偽りだったと知ったとき、彼女はどんな顔を見せるのか。

 長年一緒に暮らしているからこそ、サクヤには容易に想像ができた。

 最初こそ悲しむが、案外さっぱりと「まあ兄上は兄上であるからな!」と自分の中で整理がつけられるかもしれない。鈍感そうに見える彼女は案外、自分の中で整理をつけるのが早いのだ。


「でも、ちょうどいいかな。私がヒバナに愛情を注ぐのに、兄妹という関係性は、窮屈に思えていたからね」


「もう枠組み壊して、限界突破してないか?」


 サクヤのぼやきを無視して、ヴィオレットの菫色の瞳は夢見がちに、未来を語る。


「私とヒバナが本当の兄妹ではないと明かしたとき、私はヒバナを抱くよ。私の子を孕むまでね。そうなったら、彼女に言ってあげるんだ。『これで本当の家族になれるね?』って」


(うーわ、とんでもねーこと言うな、このお兄ちゃんはよぉ……)


 想像以上だった。

 あまりにも倫理が欠け、発想がぶっ飛んでいる。これにはサクヤも絶句した。

 ヴィオレットはうっとりとした表情で続ける。


「でもしばらくは、まだ『兄妹』を楽しむのも、悪くないかなぁ?」


(愛のかたちってやつは、人それぞれだよな……まあ、愛される方はたまったもんじゃあねぇか)


 ひとりの少女に盲目的な愛を向ける美しい男ふたりを脳裏に浮かべつつ、サクヤは哀れな彼女の未来を、密かに案じたのだった。

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