【12】人には向き不向きあり
「俺様、思うんだよな。餅は餅屋って言うじゃんよ?」
「ああ。それで?」
「もうさ、諦めて殺しの仕事やらせるのがいいんじゃねーのぉ?」
「待ってくれ! そうならないために、君に頼んでいるんだろう!?」
朝も早い〈夜鷹〉の食堂に、人の影は三つ。
一人はユツ。〈夜鷹〉の料理人で、年下の下働きから慕われる、頼りがいのあるカッコイイ兄貴分である。
そしてもう一人は、自称〈夜鷹〉の用心棒、ヒバナ。
黒髪を首元で切り揃えた男装の彼女は、情に厚いが、後先考えない行動を起こしがちで、そのたびに、昔からユツに泣きついていた。
いい加減学習してほしいものだが、サクヤや彼女の兄ヴィオレット、師匠総出で甘やかすものだから、年々ひどくなっているような気がしなくもない。
そんな彼女は最近、珍しい拾い物をした。
ユツはちらり、とヒバナの隣に座る、三人目の男に視線を向ける。
余裕のないヒバナとは対照的に、男は泰然と構えていた。
「なんでしょう?」
おっとりと小首を傾げる男は、その生い立ち故に向けられる視線に敏感なのだろう。
「いーや。ただ綺麗だなーって見惚れてただけ」
ユツが心にもないことを言うと、彼は「そうですか」とニコリと微笑んでみせる。
笑顔を浮かべてこそいるが、心の裡では何を考えているか分からない、正直言って、得体のしれない男だ。
名はツバキ。黒髪赤目の、ビックリするくらい綺麗な顔をした男だ。
東都では彼のような存在を、『幸運の子』とか『美鬼』と呼ぶ。
だが、彼は拾い主であるヒバナに、幸運をもたらしたのではなく、動乱の種を与えてしまったらしい。
ヒバナが拾った男に何か仕事を与えてくれねぇか、と〈夜鷹〉の主であるサクヤからも頼まれている。
その際にユツは、彼の正体を伝えられたのだ。
――暗殺者集団〈黒卿のしもべ〉。殺生鬼のひとり『紅焔』。
東都を支配する高位貴族の、とある老人の屋敷が先日〈悪死鬼〉の群れに襲撃されたという情報は、情報通のユツの耳にも当然入っている。
その老人が従えていたのが、殺生鬼たちなのだ。
〈黒卿のしもべ〉の殺生鬼は、〈悪死鬼〉に主人ともども喰らわれたと聞いたが、その唯一の生き残りが『紅焔』こと、この美貌の男ツバキらしい。
弱っていたところを人売りに攫われたのだろう。さらに〈悪死鬼〉に襲われ、間一髪のところをヒバナに助けられた。それ故に、彼は命の恩人を『旦那様』と慕っているようだ。
(うーん、なんか腑に落ちないこともあるけどよぉ……)
モヤモヤは残るが、ユツはあまり深く考えるのが苦手だ。
そういうこともあるようなぁと納得して話を引き受けたが、しかし話は簡単に終わらなかった。
(これ、どうするよ……)
ユツの目の前には野菜の死体がある。
いや、かたちの不揃いな野菜の山だ。
下手人、つまり製作者はツバキである。
暗殺者である彼は、さぞ暗器の使いに慣れているのだろう。しかし、包丁に関してはそうではないらしい。
まな板をスパン、と勢いよく等分にした、その迷いのない手腕は料理人であるユツが思わず見惚れるほど鮮やかだった。
この時点で、ああこりゃダメかも、とユツは思い始めた。
試しにいくつか野菜の皮むきをさせてみたが、しかし一向に慣れる様子はない。野菜の見るも無残な死体が増えるだけだ。危なっかしい手つきながら、指を怪我しないのが奇跡的なほどである。
皿洗いや掃除も悲劇的だ。皿を何枚と割り、何故か雑巾が破けた。これ以上被害額が増える前にと、ユツは慌てて作業を止めさせた。
ヒバナもここまでひどいとは思わなかったようだ。
「何事も初めては失敗するものだ」と都度都度フォローしていたが、段々と彼女の口数は減った。
「そうは言ってもよぉ、ここまで不器用だと、逆に何ができるんだよ?」
テーブルに突っ伏したユツがくちびるを尖らせて訊ねると、ツバキは上品な笑顔を浮かべて言った。
「一番得意なのは、暗殺です。死体の処理も、どうぞこのわたくしにお任せください」
「そういう物騒なの以外で、何かないの?」
「そうですね……多少、薬学の心得はありますが」
(へー、これは望みが出てきたな)
薬学は基本的には一子相伝の閉鎖的な学問である。また、専門家に学ぶにしても、馬鹿みたいに金がかかる。独学はほぼ不可能と言ってよい。
なるほど薬学か。ユツが紹介できそうな伝手を密かに思い浮かべていると、ツバキは続けた。
「しかしわたくしの知識は、毒に特化しており、それ以外は無知です」
「新入り君は得意技術が極端すぎて、先輩だいぶ困惑してるぜ」
ユツは頬杖をつきながら、暗殺者が天職のような男の姿を眺めた。見た目は傾国の美人なのだ。殺しができるとは思い難い。
すると彼は、どこか困ったような表情をしつつ、驚愕の事実を述べた。
「申し訳ございません。わたくしの生涯十六年。その半分以上の時を、暗殺者として生きてきました故」
「……何だって?」
ユツは思わず耳を疑った。
それは彼の隣に座るヒバナも同じらしい。目を丸く見開いていた。
「嘘だろ? あんた、俺より年下なの? 俺十八で、ヒバナは十七だぞ?」
「嘘ではありませんが、そうなのですね。つまり、旦那様は姉さん女房と」
普段なら「旦那様でも女房でもない」と言い返すだろうヒバナは、しかし絶句して言葉が返せないようだった。
齢十六歳にしてこの色気の漂う美貌。
確かによくよく見れば、整った顔に、わずかな幼さが残る。彼の大人びた雰囲気が、見た目を年齢以上に見せかけているのだろう。
しかしまさか、年下とは思いもしなかった。
彼の美貌には、まだまだ伸びしろがあるらしい。
そうなるとまた話は変わってくる。
(男娼にして、躰を売らせるか……)
その選択は初めから視野に入れていたが、だが、ユツは口には出さなかった。
〈夜鷹〉では男と女が躰を売っている。そのいずれもが、好き好んで自らを商品にしているのではないと、ユツは知っていた。……一部、物好きな例外もいるが。
金に困って、家族に売られた者。
家族を養うために、自分から身を差し出した人間もいる。
ヒバナの兄ヴィオレットやユツの姉ユノが、実際に後者にあたるのだ。
幼いヒバナは死にかけたヴィオレットを背負い、遊郭をさまよい、〈夜鷹〉の戸を叩いた。
結果としてヴィオレットは男娼になる道を選んだ。生きるために兄の人生を犠牲にしてしまったと、その選択を今でも、ヒバナは後悔しているらしい。
遊郭の街に身を置きながら、ヒバナは躰を売る生き方を、受け入れられないようだった。
そんな彼女が、ツバキを男娼にする選択を取るはずがない。ツバキ自身は『旦那様』に命じられれば、拒むことはないだろうが。
「なあ、ユツ。何とかならないか……?」
眉尻を下げたヒバナが弱弱しく言うが、どうにかしてやりたくとも、正直ユツにはお手上げである。
「そういってもよぉ、殺ししかできない男にできる仕事なんて限られてるし――」
(ん?)
口にしながら閃いた。
あるではないか、彼に向いている仕事が。
「おいヒバナ。あるぜ、殺し屋の兄ちゃんに向いてる仕事」
「本当か!」
身を乗り出して瞳を輝かせるヒバナに、ユツは言った。
「餅は餅屋。殺し屋は殺し。つまり、こいつには殺しの仕事をやらせようぜ!」
***
昔から馬鹿なところがあるとは思っていたが、ここまで馬鹿なのか、とヒバナは至極残念に思った。
「だから、殺しは……」
「まあ聞けって」
眉を顰めるヒバナの文句を、ユツは遮った。
「ヒバナ、警邏隊って知ってるよな?」
「ああ……。街を巡視する国営の兵士だろう?」
ヒバナは察して、しかし困惑した表情で口にする。
「まさか、ツバキを警邏隊に入職させると? だがあそこは、入念な身辺調査が行われると聞く。出生や育ちを説明できぬツバキではなぁ……」
〈黒卿のしもべ〉は選りすぐりの暗殺者の集団だ。ツバキも自らが暗殺者と名乗らなければその正体が知れることはないだろう。
だが、出生や経歴は偽れても、作ることは不可能だ。彼が警邏隊に入職する術はないと思えた。
ところが、ユツは自信ありげに、ニヤリと笑う。
「〈黒卿〉の爺さんが私設の暗殺者集団を抱えているように、汚れ仕事をさせたいと考えているやつはごまんといるんだよ。例えば、清らかな警邏隊に任せられない、暗部とかな?」
「……ツバキを東都公認の、暗殺者にさせると?」
「察しがいいな、ヒバナは」
褒められても素直に喜べず、ヒバナは黙り込んだ。
暗殺者として解放されたツバキが、再び殺しに手を染めるのは、素直に賛同できない。
東都が腕利きの剣士や魔術師を雇い、表沙汰にはされない事件を力づくで解決しているらしい噂は耳にしている。何も殺しばかりではないが、任務には相当な危険を伴うはずだ。
それで多くの人間が救われているのも、また事実なのだろう。
「で、どうするよ、殺し屋の兄ちゃん?」
ユツに問われ、ツバキはニコリと微笑むと言う。
「わたくしの心は、ヒバナとともにあります」
つまり、選択をヒバナに委ねると言うことらしい。
ヒバナは考えたが、すぐには答えが出せなかった。
一旦は保留ということで、その場は解散となった。