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【11】獣たちの夜

(やっぱり生きてる、生きてた……! 美しくて、一番強い、殺生鬼!)


 『呪術師』は血だまりの路地裏に戻り、興奮と歓喜に細い躰をブルブルと震わせていた。

 『家無き者』の食い散らかされた死体はあれど、しかし己が精魂込めて作り上げた至高の芸術――〈悪死鬼〉の姿はない。

 美しい殺生鬼は、〈悪死鬼〉をあっさりと倒すと、姿を消した。おそらく、新たな主の元に帰還したのだろう。


 ――東都の政に携わる老人〈黒卿〉。


 彼は多くの兵士を有していた。中でも、殺生鬼という兵士は『ものすごく強い』との噂は兼ねてから耳にしていたのだ。


(殺生鬼。『呪術師ワタシ』の作った兵器と、どちらが強いのかな?)


 『呪術師』は疑問に思った。

 だから、彼に恨みのある男を唆して、あの老いぼれのもとに〈悪死鬼〉をけしかけたのだ。

 〈悪死鬼〉の数が多すぎたからだろうか。それとも殺生鬼たちが存外弱かったのか。

 壮絶で、凄惨とも言える戦いの中で、老人を守る兵士たちは死んだ。守るべき主人を、守り切れずに。

 だが、ひとりだけ生き残ったのだ。


 ――殺生鬼『紅焔』。美しい鬼の子。黒髪赤目の、一際美しい少年。


 彼は『呪術師』の作った〈悪死鬼〉たちの頸をいくつもいくつも刎ねて、しかしそれでも傷ひとつ負わない。

 淡い月明かりに照らされる、返り血に濡れた白い横顔は無感情で、やや幼さを残していた。

 その強さは、まだ伸びしろがあるのだろう。

 どこまで強くなるのか、期待を抱きつつも、『呪術師』はその日が待ちきれない。

 あの美しい殺生鬼の魂を、『呪術師』の作った〈悪死鬼〉が喰らえば。特別な兵器が出来上がる。

 誰にも負けない、最強の生物兵器が。


「うふふ、ふふふふ……! 殺生鬼『紅焔』! もっともっともーっと、強くなってね? そうしたら、ワタシの〈悪死鬼〉が魂ごと食べてあげるから。最強の兵器が生まれるね。ワタシとキミの愛のシルシ! 誰よりも深く深く、愛してあげるから!」


 いとけない笑い声が路地裏にケタケタと響く。

 死臭の漂う地獄で、その声を聴く者はひとりとして存在しなかった。


 ***


「おいグレンテメー、人の部屋で何してんだよぉ」


 サクヤは私室の棚を物色する女の姿を目に入れると、呆れた声で問いただした。


「何とは? 愚鈍な貴様は見て分からぬのか? 我は盗まれた酒を取り戻しに来たのだ」


 部屋の主たるサクヤに顔も向けず、それが当然の権利のように主張するのは、赤く波打つ髪を持つ、派手な美貌の女であった。

 年の頃は二十代後半。例えるなら大輪の薔薇のような女だ。

 いかんせん見た目の主張が激しいので、そこにいるだけで存在感を放つ。

 女性にしては背が高い方だ。今は膝を立て、デカイ尻を突き出しているが、サクヤと並んでも身長は変わらない。手足はすらりと伸びているが、程よく引き締まっていた。

 東都の人間には珍しく、大陸風のシャツやズボンを身に纏う。その肉体は日々の鍛錬で鍛え上げられている。男であるサクヤでも、彼女の腕力には不意打ちでも勝てない。

 彼女は東都でも名の知れた剣士であり、そして凄腕の魔術師でもある。


「あった、あった! 我の酒。我の愛っ……!」


 目的のものが見つかったのだろう。酒瓶を豊かな胸元に抱え、グレンはフンフンと上機嫌に頷く。釣り目がちな深い緑色の瞳を細めると、猫のようにも思えた。


「言っとくが俺は盗んでねーぞ? かっぱらったのは、テメーの弟子ヒバナだからな?」


「まさか。我の可愛いヒバナが、悪行に手を染めるとは思えぬが?」


 グレンは眉を顰めると、憤然として言う。


(こいつもこいつで、弟子を愛するあまり、盲目がすぎるんだよなぁ)


 サクヤは不満げに返す。


「おいおい。警邏隊長さんよぉ。俺はコソ泥に見えるのか?」


「ああ。貴様は幾度となく我の酒を奪っていたであろう?」


 酒瓶にチュッチュと接吻する女に、サクヤは反論しようとしたが、きっと彼女は聞く耳を持たない。


 ――魔剣士グレン。


 女だてらに東都の警邏隊第一部隊長の責務を負う彼女は、剣術の弟子である少女を溺愛している。

 その愛と熱量は弟子の兄にも劣るまい。歪んだ兄の愛情とは違い、ある種真っ当とは言えるか。

 強い戦士をとにかく好むらしい彼女は、何度かヒバナやヴィオレットを身請けしたいと申し入れていたが、サクヤはその都度、話を握り潰していた。

 ヴィオレットはともかく、精神的に未熟なヒバナに、厳しい警邏隊の務めが果たせるだろうか。なんだかんだで心配性な父親は、義理の娘を手放すことに抵抗を感じていたのである。


(だがいつかは〈夜鷹〉を巣立つんだろうな、あいつも)


 美しい鬼ツバキを拾って、彼女の顔つきは変わった。

 それは守るべき家庭を持った、ひとりの女性のようにも思える。

 サクヤが可愛く手の焼ける娘の姿を思い浮かべていると、グレンは長椅子に座り、サクヤを手招いた。


「……何だよグレン。用事が済んだらさっさと出てけって」


「まあ、そうつれないことを口にするな。これは我とっておきの酒でな。貴様にも特別に味あわせてやる」


「はいはい。感謝いたしますグレン様。喜んでご相伴に預からせて頂きますよっと」


 サクヤは溜息まじりに彼女の隣へと座る。

 これではもはや、どちらが主人か分からない。

 グレンのとっておきの酒とやらは、大陸の南部に位置する、スエニフィラフ南大国から輸入した芳醇な香りのする葡萄酒らしい。

 酒精は弱い。甘い喉越しに、サクヤは思わず唸った。なるほど、とっておきと豪語するだけあって美味い。

 言葉にせずとも、サクヤの態度で感想を知ったのだろう。彼女は自慢げに口にする。


「美味いだろう? 手に入れるのに、骨が折れたのだぞ」


「ああ。でもヒバナもヴィオも、アンタにはやらねーぞ?」


「分かっているよ」


 グレンは酒の入ったグラスを机に置くと、コトン、と躰をサクヤに預けた。

 見慣れた赤毛のつむじを見下ろしていると、グレンはポツリと言う。


「近頃、〈悪死鬼〉の出没が増えた」


「……最初に聞いとくが、それ俺に言っていい話?」


「東都屈指の情報屋を抱える貴様は、既に聞き及んでいるのではないか?」


 サクヤは肯定も否定もしなかったが、グレンは続けた。


「まったく。『呪術師』どもは、何を企んでいるのだか……」


 〈悪死鬼〉は自然に発生した化け物ではない。

 『呪術師』と呼ばれる外道術師どもが、死体に〈呪術〉を施すことにより、〈悪死鬼〉は作られる。

 そして彼奴らは生きた魂を求め、喰らうのだ。

 その事実を知るものは限られている。そして『呪術師』の思考は、常人にはとてもではないが理解ができない。

 サクヤがそれを知るのは生家の嫡子である役目と、優秀な情報屋のおかげだ。


「先日も、『呪術師』のひとりを捕縛した。ちょっくら拷問を試みたのだがな、何も吐かず、彼奴は死んでしまって。お上からはひどく叱責されたぞ」


「軽く言うけど、ちょっくら拷問ってこえーな」


 おまけに殺してしまうとは。本末転倒である。


「むぅ。本来我は、このような裏方作業が苦手なのだ。こうした役目は本来専門家に任せるべきだが、今は裏方の方も人手も足らぬのでな」


 物言いたげな視線を向けられ、サクヤはキッパリと言った。


「だからぁ、ヒバナもヴィオもやらんて」


「はぁ。誰も彼も、我に優しくしてはくれぬ……」


 しゅんとしてぼやくと、グレンは続けた。


「何故今になって、『呪術師』どもの活動が精力的であるか、我は存ぜぬ。だが、〈悪死鬼〉の討伐に、我も疲労しているのだ」


「へー。だから?」


「それを尋ねるのは、無粋ではないか?」


 グレンは苦笑すると、サクヤの首を掻き抱く。


 赤いくちびるを重ねて、グレンは問う。


「我の功績を労うものは少ない。だったら我が、率先して労ってやらねばな。どうか貴様の一夜を買わせてはくれぬか。サクヤよ」


 サクヤは不敵に笑って訊ねる。


「俺ほどの美男子となると、高くつくぞ。構わないか?」


「ああ」


 サクヤを押し倒しながら、グレンは口の端を持ち上げた。


「愛してやろう。貴様の骨の髄までな――」


 ***


「ツバキ! 良かった。無事だったか……」


 〈夜鷹〉の屋根の上で、ツバキの旦那様は不安げな表情を浮かべ、帰還を今か今かと待ち望んでいたようだ。

 安堵した面持ちの少女を抱き寄せると、彼女は緊張からか身をこわばらせる。


「……ツバキ?」


「ヒバナ。愛しい旦那様。わたくしの身を、心配してくださったのですか?」


「いや、旦那様でないが……当然、心配するに決まっている」


 旦那様を否定しながら、彼女の小さな手が背に回される。

 それから、あやすようにポンポン、と叩かれた。


「戻ってそうそう抱きしめるなんて、やはり秋の夜風に冷えたか? 詳しいことは聞かないから、今晩はもう、部屋に戻ろう」


 部屋に戻るのはツバキだけ。せっかく戻ってきたばかりなのに、そんなのあんまりだ。

 ツバキは弱弱しく見えるように、声を潜めて強請る。優しい彼女の同情を引くように。


「……もう少しだけ、こうしていても?」


「うん。暖めてやるぞ」


 ツバキの愛しい旦那様は、余裕のある口ぶりで言う。ツバキの下劣な下心なんて、まったく気づいていないのだ。


「なあ、ツバキ。怪我を負ってはいないな?」


「……ありません。この身は、ヒバナ。貴女のものですから」


 頬と頬を摺り寄せれば、彼女は不満そうに小言を漏らす。


「あのな。君の心も躰も、わたしではなく、君自身のものだよ」


 でも、と彼女は続ける。


「怪我がなくて本当に良かった。無事に帰ってきてくれて、ありがとうな」


 その一言で、ツバキがどれだけ救われるか、彼女は知らないだろう。

 いや、知らなくていい。

 ただ、密かに滲みよる闇とは、無縁であってほしいのだ。

 ツバキはそう願いながら、愛しい旦那様の躰を力強く抱きしめた。

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