箱入り彼氏
デパートで箱入り彼氏を買った。在庫一掃セールで安売りされていたので、彼氏がいない私にとってはちょうどいいタイミングだった。
家に帰り、買ってきた商品を机の上に置く。今時の箱入り彼氏らしく、サイズは両手で収まるくらいで、外箱には可愛らしい花柄模様のデザインが描かれている。最先端の人間圧縮技術と保存技術が使われているらしく、未開封であれば彼氏を生きたまま長期保存できるらしい。
私は箱入り彼氏に付いていた商品説明と中に入っている彼氏のプロフィールを読んでみる。顔はあまり私好みとは言えなかったけれど、身長や年収、趣味は合格。加えて、次男というのもポイントが高い。私は説明書を読みながら、箱に入っている彼氏とのデートに胸を躍らせる。一緒に行ってみたい場所、やってみたいこと、考えれば考えるほど夢は膨らんでいく。
早速箱を開けて彼氏を外の世界に出してあげよう。私はそう思って箱に手をかける。ただ、箱の蓋に手をかけたところでふと考え直し、壁にかけられた時計を確認する。時刻は夜の10時で、明日は仕事で朝早く起きなければならない。今箱から出してしまうと、開封作業や開封後の諸々の作業で寝るのが遅くなってしまうかもしれない。私はうーんと腕を組んで、考える。未開封の状態であれば彼氏の健康状態は変わることはない。結局私は、説明書に書かれている言葉を信じ、明日開封することに決めるのだった。
だけど、次の日も箱入り彼氏を開封することはなかった。買った直後や説明書を読んでいるときは早く開封したいとワクワクするけれど、一旦時間が空いてしまうと熱が冷えてしまい、開封するのが億劫になってしまう。その日のうちに開封しておけばよかったと思いながらも、一日、また一日と開封しないまま毎日が過ぎて行ってしまう。
最初のうちは、明日こそは開封しようと目立つ場所に置いていた箱入り彼氏も、いつしか他の雑貨の下敷きになり、埋もれて見えなくなってしまった。中には一人の人間が入っているので、申し訳ないと思っていた。だけど、箱入り状態はいわゆるコールドスリープと同じだし、本人も同意の上で箱入りしたんだから申し訳ないと思う必要はない、というSNSのコメントを読んでからはあんまり気にならなくなった。
そうして多忙な毎日を送る中、いつしか私は、箱入り彼氏を買ったという事実すら忘れていった。
そして、数年後、自分には彼氏なんてできないと思っていた自分に春が訪れた。居酒屋で偶然近くの席に座っていた男性から話しかけられ、そのまま意気投合して交際に発展した。
彼氏の名前は大橋拓実で、私はたっくんと呼んでいる。初めて会った時から波長があって、不思議と親しみやすさを感じさせてくれる男性だった。私たちは順調に交際を重ね、愛を深め合っていった。そして、交際から一年も立たないうちに、将来を見据えた話をするようになり、お互いをもっと知るために、同棲をしようという話になった。
話はとんとん拍子で進んでいき、二人で住む新しい家も決まった。新しい生活、それも大好きなたっくんとの同棲生活に私は浮かれ切っていた。だからこそ、たっくんに手伝ってもらいながら家の荷造りをするまで、自分が過去に箱入り彼氏をデパートで買ったという事実をすっかり忘れてしまっていた。
たっくんが隣の部屋で段ボールに本を入れてくれている中、雑貨の下敷きになっていた箱入り彼氏を見たとき、私はおもわずあっと叫んでしまった。すぐさま私は自分で口を塞ぎ、たっくんに先ほどの声が聞こえていないことを確認する。
私は恐る恐る箱入り彼氏の箱を手に取り、箱に書かれている保存期間を確認する。幸いにも保存期間は切れてはいない。ただ、これだけ長い間放置していることが、中の彼氏にとってはいいはずがない。私は急いで携帯を取り出し、買った箱入り彼氏をSNSで検索する。同じように購入して、長期間放置してしまった人がないか探してみる。だけど、SNS上では私が思っていたのとは別のコメントで溢れかえっていた。
『この会社の箱入り彼氏は全部不良品! 騙された!!』
『知人に聞いた話だけど、この会社の箱入り彼氏には、やばい男しか入ってないらしい』
『友達がこの会社の箱入り彼氏を買ったんだけど、モラハラ&暴力でボロボロにされた』
保存期間のことは全然出てこなかったが、私にこの箱を開ける気を削がせるコメントばかりだった。そして、一件だけ、私と同じような状況の人のコメントを見つける。
『ずっと箱を開けなかったことを恨まれて、結局警察沙汰になった。箱入り彼氏になる人はやばい人が多いって聞いたことがあったけど、こんなに恨み深くて執念深いとは思ってもなかった』
私は目の前の箱入り彼氏を前に、考え込んでしまう。SNSの言う通り必ずやばい男が中に入っているわけではないとは思うけど、これだけ長い間放置されたことにどんな感情を抱いているのかはわからなかった。怒られたり、何か損害賠償的なことを請求されるくらいだったらマシかもしれない。箱に入れたまま放置した私に対して強い憎しみを抱いていた時、いったいどんなことになるのか見当もつかない。そのことを考えると、どうしても開けるのを躊躇してしまう。
でも、このまま開けないでいるということも同じくらい恐ろしかった。
箱から出してあげた後、誠意を持って謝罪すればきっと相手もわかってくれるはずだし、何より今の私には頼れるたっくんがいる。私は深く息を吸い、箱を開けることを決意する。私は自分を落ち着けながら、箱入り彼氏を手に取って外装を確認する。そして、箱を見回しながらふと、数年前に買った時と何かが違うような気がした。違和感を覚えながら外装を剥がし、箱を開けていく。
だけど、私が開けた箱の中には何も入っていなかった。
私は空きの箱を手に持ちながら固まってしまう。どうして開けた覚えのない箱の中身が空っぽなんだろう。先ほどのSNSでの評判を見る限りでは、この会社の箱入り彼氏は不良品ばかりだという話だし、中身が空っぽのものを掴まされだけ? だけど、すぐに先ほど感じた違和感を思い出す。先ほど感じた違和感。それは、持った時の箱の重さが明らかに買った時よりも軽かったということだった。
いつからこの箱は空っぽで、そして中にいた彼氏はどこにいったのか。いろんな疑問が頭の中に浮かんでいる時、背後に人の気配を感じ、私は悲鳴と共に後ろを振り返る。
そこには荷造り途中のたっくんが、段ボールに入れている途中の厚い英和辞書を片手に後ろに立っていた。脅かさないでよ、たっくん。私はほっと胸を撫で下ろしながら笑ったが、たっくんは私を見下ろしているだけで何の返事もしてくれない。
「たっくん……?」
不思議に思う私を見つめながら、たっくんは微笑んだ。そのたっくんを見ながら私はふとあることを思い出す。たっくんとの運命的な出会い、初めから感じていた親近感。私はふと視線を落とし、箱入り彼氏についていたプロフィールに目が止まる。そして、そこに載っていた顔写真と、目の前のたっくんの顔を見比べようとした時、たっくんがゆっくりと口を開いた。
「やっと箱を開けてくれたね」
どういうこと。私が口を開こうとするよりも早く、たっくんは辞書を振り上げ、私の頭目掛けて勢いよく振り下ろした。