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「今だに信じられないな」


夜、シンとした自室で独りごちた声が思いのほか大きくて自分で驚く。夕食の際は父にも母にも「どうしたの?」と心配されるくらい上の空で、せっかくのカツカレーの味もほとんど覚えていない有様。一種のショック状態だったと後で分析はしたけれど、最後に展示室でハルカさんが暗闇に包まれた扉の向こう側に消えてゆく姿を見せつけられて俺の『現実感』はその日見事に崩壊した。崩壊してはいたものの、相変わらず「日常」がそのまま平穏に続いてゆくし、事情を知らない両親、テレビのニュースキャスター、ネット民はいつもの調子でやり取りを継続している。



『変わってしまったのは【幕田義博】だけだ』という事実に思い至り、その日の夜は気が気じゃなくて眠れなかったことをここに報告する。とにかくスマホのメモに殴り書きのようにその日起こったことを情報を打ち込んでいる間に朝が来ていたという感じ。



『義博くんにはこの町を案内して欲しいの』



コーヒーをすっかり飲み干した彼女が俺に頼んだことは本来ならばなんでもない要望。平日はアレだから都合の良い土曜日に会う約束にしたはいいが、そもそもハルカさんが次も展示室のあの扉から同じように出現するというのならタイミングが悪ければ他の人にも目撃される心配もあるし、店の外に出るためには必ずカフェを通らなければならない配置である。ならばというので、店の開店時間(10時)と同時に扉から出現してもらって俺が速攻で展示室に入って彼女を迎えにゆくという方法を提案したのだが、この作戦にも防げない穴がある。お客さんはともかく運悪く店主夫妻に目撃された場合には言い訳のしようがないということ。上手くいくかどうかは運次第なのに、ハルカさんを前にした俺は安請け合いしてしまった。それもその日の不眠の一因になっていた。



<スマホでやり取りできないのが致命的だよな…>



中学では既にスマホを持たせてもらっていたのでそんな悩みを今更するとは思っていなかった。というかハルカさんの居る「世界」にはスマホが存在しているのかどうか…いや、そもそもその世界を実際には見たことがない俺が想像を逞しくしたとてどうなるものでもない。全てはハルカさんの話を素直に信じるかどうかだ。



「信じない、っていう選択肢があるのかどうか」



朝、なんとか気持ちを切り替えて登校する準備を始める。どういう事情にせよ授業はしっかり受けておく必要があるので次第に普段通りの気持ちに戻っていた。学校でも少し眠くはあったが特に問題はなく、一限目の現文の小テストも冷静に受けられた。昼食後の何もない時間だけ、本当にどうしたらいいか分からない心境だったが高宮に土曜に遊ばないかと誘われた時に、


「あ、俺予定あるんだわ」


と答えたようにある程度は心の準備はできていたのだろうと思う。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆



土曜。朝の冷え込みのせいか町は霧に包まれていた。予報では快晴だったように、9時を過ぎて次第に見晴らしが良くなったタイミングで家を出る。自転車で向かう手もあったが、徒歩の方が都合がよさそうだった。商店街がいつも通りの様子なことに安心感はあるが、ハルカさんがちゃんと『来る』のかどうか不安が無かったわけではない。カフェでは慎重さが要求されるので若干の緊張もあった。開店の少し前に「ナ・ガータ」の前にやって来て、そうだろうとは思っていたけれど開店待ちをしている客の姿がない事を確認。開店と同時に入店して、すぐ店主に展示室に行きますと告げれば問題はなさそうだ。


「いらっしゃいませ」


刻が来て、計画していた通りのことを実行に移す。店主に告げ、了承を得て展示室に潜り込む。冷静にドアを閉め、周囲を確認する。果たしてハルカさんはあの『御神木』を見上げている体勢で俺を待っていた。


「よかった…なんとか上手く行きましたね」


「義博くん、今日はありがとう」



胸を撫で下ろすのも束の間、ここからハルカさんを連れて店の外に出るには店主の様子を伺いながらタイミングを見計らう必要がある。


「ちょっと待ってて下さい」


ハルカさんにそう告げ、カフェへの出口のドアを静かに開けその向こうの様子を観察する。運良く店主夫妻は厨房にいるらしく、そこでハルカさんを連れ出せそうな具合。


「ハルカさん来て下さい!」


彼女を呼び寄せて、一緒にカフェの方に出てゆく。無事完了し、アリバイとしてはこれで問題ないはず。



「これでとりあえずは大丈夫ですね!」



とハルカさんの方を振り向き彼女が「うん」と同意したとき、何故か不意に彼女の表情が固まってしまう。


「え?どうしたんですか?」


「あ…あの人」


彼女が白く細い指で差したその方向は店の入り口。振り返るとそこに大柄の赤い格好をした人物が立っていた。それは何故か11月にしてサンタクロースの格好をしている『カンカラおじさん』だった。そういえばハルカさんは『カンカラおじさん』を見たのは初めてでその風貌にもインパクトがあるから動揺するのは無理もない。考えてみれば運悪く『カンカラおじさん』が展示室にやってくる可能性もあったわけだから、今回の作戦はタイミングとしてはギリギリだったのかも知れない。



「お、お客さんか。君は前に来たことがある子だな。そちらは初めてかな?」



なんの躊躇もなくこちらに近づいて話しかけてきた『菅野力』氏を見てハルカさんも俺もどうしたらいいか分からずにいたが、ハルカさんがその日も相変わらず服装もそうだが外国人のような出で立ちだったので、


「あんたどこの人だい?」



とおじさんが訊ねてきたのが案外都合よかったらしい。



「えっと、すごく遠くから来ました」



そのハルカさんの言葉に思いのほか満足しているらしいおじさん。



「こういうの『インバウンド』とかって言うんだってな。国際色豊かになるのはこの町にとってもいいことかも知れないね」



当のおじさんがフィンランドに縁のある格好をしているからなのか、ハルカさんと並ぶと本当に国際色豊かな空間に見えてしまう。それはそれとして俺はこう訊ねずにはいられない。



「おじさんはどうしてサンタクロースの格好を?」



「サンタクロースがクリスマスだけに現れるという常識に囚われる必要がないと思ってな」



「ま、まあそうですね」



ここに来てからと言うもの『常識に囚われない』という言葉は俺の中で重要性を増している。実際、ハルカさんは再び俺の前に現れ、そして『カンカラおじさん』の横を一緒に通り過ぎ退店し、二本松の商店街の外れにしっかり「存在」してしまっているのだ。

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