⑤
思考停止したまま状況を吞み込めずに、ドアから突然現れた『ハルカさん』と思われる人物を見つめて立ち尽くす俺。ハルカさんは即座にこちらに気付くと「しまった」というような表情になる。気のせいだろうかハルカさんが現れる時にドアの向こうが暗闇に包まれていたような。
「やっちゃった…どうしよう」
ハルカさんが発した一言から俺は彼女が何か…当然だと思うけれど俺の知らない『秘密』を知っていると確信した。突然の事に躊躇いながらも、何とか『勇気』を振り絞ってハルカさんの方に近付いてゆく。
「昨日ここに居た『ハルカさん』ですよね」
「そうです」
念のためだったが確認した時の『声』も前日に聞いたものと同じだったのでハルカさん本人であると認める。それならばこの状況での質問の仕方は決まっている。
「ハルカさんは一体どうやってあのドアから出てきたんですか?マジックか何かですか?」
「それは…その…」
正直『マジック』であんな事が可能だったら扉に特殊な仕掛けが無いと不能だろう。けれどあれは『カンカラおじさん』の作品であって、素材もごくごく普通の木材を使っているように思う。だからハルカさんには俺が理解できない『何か』を説明して欲しかったのだ。ハルカさんにはしばし逡巡する様子が窺われた。「あぁ、どうしたらいいのかな…」と困ったような声で俺と視線を合わせて、最後の方はちょっと泣きそうになっていた。女の子にこんな表情をさせてはいけないと思って俺の方から譲歩する形でこんな風に伝えた。
「俺の勘ですが、何か『秘密』があるんですね。しかも『知ってはいけない系』の。俺が思うにあのドアには何も仕掛けはありません。『種も仕掛けもない』としたら残る可能性は…」
本当のところはこの瞬間、心臓はバクバクと高鳴っていて冷静に考えられていたかどうかは分からない。時々カンカラおじさんが描いた絵が掛かってある壁の方を見たりしてこれが夢ではないという事を確かめていたりした。
「そうね。あなたの言う通り『秘密』だったの。わたしが『この世界』に来れた事は奇跡のような事だったから舞い上がってたのかも。」
「『この世界』…ですか」
アニメで異世界転生ものの作品を観た事があるせいか、脳裏にはファンタジー世界のイメージの奔流が起こる。
<本当にモンスターがいるような世界の人なんだろうか。そうだとしたらやべえな>
そんな俺の心の中を見透かすようにハルカさんはこんな事を言った。
「アニメとかで見るような世界じゃないの。ああいう作品はわたしも好きだけど、少なくともわたしはそういう世界から来た人ではないの」
「そうなんですか…」
とはいえ話しているうちに俺も彼女も段々と落ち着いてきた感じ。
「わかりました。『義博くん』には『秘密』を教えようと思います。どこかゆっくり話せる場所で」
「それなら、この展示室の隣がカフェになってますよ!」
「え…?カフェですか!?」
何故か急に目を輝かせるハルカさん。彼女がそんな風になってしまった理由を俺はこの後知ることとなる。
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『幕田義博』は『ハルカ』と名乗る民族衣装風の出で立ちの女性と展示室から出てくる。その瞬間店主夫妻は厨房で作業をしていた為、ハルカが突如として展示室に現れた事に気付く事は無かった。また『カンカラおじさん』こと菅野力氏もこの日は不在。しばらくして店主は前日訪れた高校生が見知らぬ女の子と二人で席に座り何事かを話している姿を認めた。気を利かせた店主は彼らにグラスの水を用意した。
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「ありがとうございます」
水を持ってきてくれた店主にお礼を言うと笑顔で「今日も来たんだね」と言われた。流石にハルカさんの事が気になるのかその視線が彼女に注がれている事に気付く。
「ありがとうございます」
ハルカさんは店主に会釈してから遠慮なく水を飲んだ。その飲みっぷりが良いのと一気に飲み干してしまってから「美味しいですね」と言った事は彼女が俺に伝えた話と整合性がある。
「この辺りの水は美味しいからね。外国の方ですか?」
「はい。でもこの国の事は良く知っています」
「日本語上手だね。ゆっくりしていってください」
「ありがとうございます!」
店主はハルカさんが『外国人』という認識で、特に違和感を覚えてはいないよう。当然と言えば当然か。けれどハルカさんが直前に俺に伝えた事を信用するならば、彼女は『外国人』という括りでは語れない存在だ。店主が奥に戻るのを見届けてから、俺はハルカさんに訊ねる。
「ハルカさんが『この世ならざる場所』からやってきた存在という事は分かりました。その世界がこの世界の物理法則とは違う法則で成り立っているという事も了解しました。だからこの世界のすべてがハルカさんにとって『未知』であることも。じゃあどうしてハルカさんはそんな世界からこの世界の日本の…二本松なんかにやって来たんですか?」
「偶然『パス』が出来たからです。『通路』の事です。この世界とわたしの居る世界とを繋ぐ道が、偶然出来てしまったからです」
「偶然?そんな偶然があるんですか?って、疑ってもしょうがないですね。じゃあ偶然繋がってしまったと」
「そういう事です!」
ハルカさんが満面の笑みを浮かべる。先ほどの今にも泣きそうな表情に比べれば全然マシではあるけれど、何だかこんなに豹変されるとこちらもどう接したらいいのか分からなくなる。逆に、非常識なことを受け入れなければならないことで俺の心が悲鳴を上げている。
「なんでそんなに嬉しそうなんですか?」
「義博くんがとても物わかりの良い人だったからです。この『秘密』を伝えたら、その後どう説明したらいいかわたし分からなかったの」
「でも『秘密』を俺に伝えてしまってよかったんですか?何か問題は生じないんですか?」
「生じないと思います。知られてもわたしは全然困らないし」
「じゃあその秘密を俺が別な誰かに教えても大丈夫なんですか?」
「それは困るよ。わたし『尋問』されたくないし」
「『尋問』?」
「そう。この世界に現れた時にみんな困ってるのが『身分証明書』。過去に警察に尋問されて逃げれなくなってしまった人とかもいるし」
「え…そういう理由で困るって事なんですか?なんか現実的ですね」
「そこが本当に『切実』なんだよ」
「切実なんですか…」
「そうなの」
話しているうちにテンションが下がってしまっているハルカさんを見て俺はこう提案せざるを得なかった。
「ハルカさん、コーヒー飲みますか?」
再び目を輝かせた瞬間を俺は見逃さなかった。