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ハルカさんと彼女のお母さんが現れてから様子が一変してしまったのが店主の奥さん。カンカラおじさんが『ワンダフル異界』と命名した異世界から現れたという認識があるかどうかはさておき、奥さんにとってはハルカさんのお母さんは店に来てくれた『お客さん』であることには変わりがないからなのか、
「あらまあ大変。おもてなししなきゃ!」
と店主を急かしてカフェの方へ二人を案内し始める。ハルカさんのお母さんも呑み込みが良いらしく「ではお言葉に甘えさせていただきます」とハルカさんを連れそそくさと展示室を出て行ってしまった。結局取り残されたのは俺とカンカラおじさん。おじさんは呆気に取られた俺をニヤつきながら見つめて、
「お嬢さんの言ったことは本当だったな。まいったな」
と何だか嬉しそうに言う。
「おじさんでも参っちゃうんですか?」
「こうなったからにはあっちの保護者と色々話つけないといけないからな。まあ何とかなるだろう」
「はあ」
正直この時の俺はおじさんが何を考えていたのかは分からなかった。とりあえずカフェの方に戻るとお客さん達がざわついている様子が見て取れた。やはりハルカさんと同じような衣装を纏っているお母さんの存在が一同に奇妙な印象を与えたのだろう。ハルカさんとお母さんは奥の方のテーブルに静かに着席している。そこでカンカラおじさんが俺に伝えたのは、「君は今日のところはとりあえず家に帰りなさい」という言葉だった。「どうしてですか?」と訊ねると、
「多分、閉店後に根本夫妻を交えて相談して色々決めることになるだろうからな。時間が掛かると思う。明日また来てくれ」
と教えてくれた。自分も残りたい気持ちはあったが確かに一日動き回った疲れも感じていたし、ここはカンカラおじさんに任せてしまっていいのだろうなと感じた。最後にハルカさんとお母さんに軽く挨拶して店を後にした俺。家までの帰路で改めて凄い展開になってしまった事を振り返っていたが、スマホの通知に高宮がクレーンゲームでフィギュアをゲットしたというあまり重要性の高くない情報が入ってきて何となくホッとしている自分がいた。夜は風呂に入ってぐっすり眠れたのは順応性が高くなってきている証拠だったのかも知れない。
翌日、家族に説明するのは大分難儀だったが「今日も出かける」と行って開店直後の「ナ・ガータ」にやってきた。そこで早速驚嘆すべきものを目撃する。
「え?ハルカさんその格好はどうしたんですか?」
昨日の今日でハルカさんが店に居ることは十分想像していた。だが「ヨシ君おはよう!これ『制服』だって!」とカフェの給仕と思われる白黒のコーデの『制服』を着こなしている姿で俺の前に現れるとは思ってもみなかった。
「???」
更なる説明を欲していた俺は奥さんの姿を見つけると駆け寄っていた。
「あのう、もしかしてハルカさんはここで働くことになったんですか?」
かなり大胆な推理ではあったが奥さんは軽い調子で、
「そうなの。アルバイト」
と言ったきり、それ以上何も説明してくれない。オロオロしている間にお客さんが入店して、ハルカさんは少し不慣れな感じではあるものの見事に給仕を務め上げている。「いらっしゃいませ」の声もそうだけれどハルカさんの存在によって「ナ・ガータ」が明るく華やかな雰囲気になったような気がする。俺も席についてしばらく様子を見守っていたが特に問題が生じていないことを確認したらあまり細かいことが気にならなくなってしまった。それよりも制服ではあってもこの世界の衣装を身に纏ったハルカさんがより身近な存在に思えてきて、気がつくと夢中で彼女の姿を追ってしまっていることに気づいた。
<ハルカさんって髪の色はあんな感じだったんだなぁ>
栗色と言えば良いだろうか。前はスカーフのような布に包まれていてよく分からなかったが、いまは独特な形状に編み込まれた髪型も含めてハルカさんの個性を引き出せているように感じる。頃合いを見て俺の様子を窺いに来てくれた店主の根本さんが、
「とりあえず家にあった制服を着てもらったんだ。帽子もあったんだけど、奥さんがあの髪型が見える方がいいんじゃないかって」
と伝えてくれた。頷きながら俺は気になっていたことを根本さんに訊ねる。
「ハルカさんは「毎日」来るんですか?それともシフトとかあるんですか?」
「シフト制にしてもらおうかなって思ってて。ハルカさん、あっちの世界では成人してるみたいから自由に働けるそうなんだ」
「やっぱり毎回あの扉を通って「通勤」というカタチになるんですか?」
「そう。今朝も開店の30分前に来てもらって。あっちの世界でもバイトの経験はあるみたいで、ハルカさんのお母さんからも許可をもらったんだよ」
「うわ…そうだったんですね。びっくりしちゃいました」
「いや、俺も正直何が何だか分かってないけど若い子いてくれれば店にとってもいい事だし、WINーWINってやつだなって、力も言ってたよ」
「そういえばカンカラおじさんは?」
「もう少しで来る予定だ」
と言っている間にカンカラおじさんが店に姿を見せた。もうツッコむ気にもなれないのだが、この日は頭にターバンを巻いていた。おじさんは俺の姿を見つけると展示室の方を指さして誘導する。呼ばれた展示室で、前日の話し合いの詳細についておじさんは丁寧に語ってくれた。ハルカさんとお母さんは閉店後にカンカラおじさんの立ち会いの元、ハルカさんがこちらの世界で過ごし易くするために「ナ・ガータ」でアルバイトとして働く案を受け入れたそう。提案をしたのは他でもないカンカラおじさんで、ここで働く際にはハルカさんはカンカラおじさんの『親戚の子』という身元保障をするつもりらしい。異世界の人がこの世界で生活する際の不具合をなるべく少なくする事を考慮した結果としてハルカさんの出身地などのプロフィールについては示し合わせた「設定」を作っておくとか、今後も工夫をしなければならない事は多いそうだが必然的に『幕田義博』の協力も要請されるとのこと。
「俺が出来ることって何ですか?」
「やっぱり同年代の友達は必要だろう。この町に溶け込めるよう二本松の事とかも昨日みたいに教えてやってくれ」
「大丈夫ですかね?」
何となく不安を口にしてしまった俺に対しておじさんは首を傾げつつ、
「まあ何とかなるだろう。ハルカさんの性格なら」
と言った。話には全然関係ないのだが、その時おじさんの頭が傾いたせいでターバンが少しズレてしまったという些細な出来事は後で思い返すと面白かった。