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菊人形会場で買ったお土産の入ったビニール袋が居間に置かれている。まさかハルカさんと一緒に「こんな場所」にやってくるとは思ってもみなかった。カンカラおじさんこと「菅野力」さんにハルカさんの秘密の一端を目撃され慌てふためいていた俺とハルカさんは「とりあえず二人、俺の家に来い」とパンダ姿のおじさんに一喝されて、そのままなし崩し的に搬入口から屋外に出てそこに停めてあった彼のワゴン車で邸宅へと運ばれた。動揺していたのとカンカラおじさん特有の「圧」で車中ではほぼ二人とも無言だったのだが、おじさんはその雰囲気である程度事情を察していたらしい。
「今茶を出すから、ちょっと待ってて」
おじさんの自宅は意外にも整然としていて勝手にイメージしていたアーティストのアトリエという感じではない。建物もそれほど古びているわけではなく二階建ての一軒家。来る途中にはこの辺りに良くある田んぼ広がる山間の光景ですっかり稲刈りがされてしまっているから本当に「何もない場所」という印象。
「わたし達大丈夫かな…」
初めての事ばかりで不安そうな様子のハルカさん。
「大丈夫だと思いますよ。あの人は悪い人ではないです」
自分も菅野力さんのことをよく知っているわけではないが、奇抜な格好を別にすれば基本的にいい人そうだという勘はあった。あの優しそうなカフェの店主の親友ということを知っていたからでもある。案の定おじさんは器用に盆を運んできて茶の入った陶器をちゃぶ台のそれぞれの場所に並べてくれた。そして何故か菊人形会場でも売っていたような「まんじゅう」を揚げたお菓子も手渡してくれる。茶で一服したところでおじさんがゆっくり口を開いた。
「さて、まず二人の名前を聞いておこうか。彼の方から」
と言って俺の方を手で示したおじさん。
「○○高校の1年の幕田義博です」
それで「うん」と頷いたおじさんが次に示したのはハルカさんの方。戸惑いつつもハルカさんはなんとか口を開いて、
「ハルカです」
とだけ答えた。意外にも「そうか」と頷いてそれ以上のことを求めなかった。
「俺も彼女に自己紹介しなきゃな。俺の名は菅野力。いわゆる自営業で食ってる。あと副業でアート作品を作ってる」
「はい」と答えるしかなかったがとりあえず自己紹介が終わったので「本題」に入る必要があった。
「そっちの彼女、ハルカさん。あんたが何者なのかは俺はそれほど気にはならないんだが一つだけ教えて欲しい。ありゃどうやったんだ?」
「あの扉に…の件ですよね」
分かってはいるが俺は一応確認してみる。「そうだ」とおじさんは一言。ハルカさんの代わりに俺が答える方法もあると思って口を開きかけた時、
「偶然わたしの世界とあの扉に「道」が繋がったんです。繋がっている状態だから『向こう側に行きたい』と強く念じれば通ることができます」
その時ハルカさんがした説明は以前俺にしてくれたものより詳しい。
「念じれば行けるのか。なるほど」
そしておじさんはこの説明で超速理解している。戸惑ってしまったのはむしろ俺。
「え、その説明だけで納得なんですか!?」
思わず大声を出してしまった。おじさんは「うん」と答えてから、
「あの扉は「違う場所に辿り着けるようにと」と念を込めながら制作したからな。そういうことも起こり得るんだろうよ」
と説明。俺には普通に意味不明。
「え、でも普通はそんな事起こるはずがないじゃないですか!」
今更になって必死なのもおかしいのだが、おじさんがそんなにあっさりと納得する方が納得ゆかないという奇妙な事情があった。
「まあ常識的にはそうだな。ただ山の中にいると不思議な目にあったりとか、よく分からないことは世の中にあるものなんだ。今まで起こってなかっただけのことだろう」
「そういうものですかねぇ…」
俺はその説明ではまだ納得できないが、おじさんが納得したことについては納得した。ハルカさんはホッと胸を撫で下ろした様子。それから弾んだ声でこう言った。
「あの扉の向こうはわたしの住んでいる家の庭に出来た「ホール」と呼ばれる空間の裂け目に繋がっています」
「「ホール?」」
聞き慣れない言葉に同様の反応をした俺とおじさん。ハルカさんは説明を続ける。
「パスが繋がってそのホールと扉の向こう側が移動できるようになったんです」
おじさんはその話を聞いて興味津々という様子に変わる。「そういう場所が一杯あるのか?」とか「偶然生じるのか?」とかいろんな質問をし始めたが、ハルカさんの説明によると基本的に「ホール」の出現は予測不能であるらしい。
「俺たちの世界とお嬢さんの世界とは何か違うところがあるのかい?」
おじさんのこの質問にハルカさんはしばらく考え込んだ末、ゆっくりお茶を飲んでからこんな風に答えた。
「『念』で物を動かしたり出来ることでしょうか。この世界に来て勝手が違うなと思ったのはそれです」
「『念』か。確かにこの世界では念で物を動かしたら超能力になっちまうな。じゃあお嬢さんの世界では念で戦ったりとかも出来るのか?漫画みたいに」
「出来るには出来ると思いますけど、多くの人の『念の集合体』がそういう展開を望まないと思いますから、基本的には役に立つことしか念は使えません」
俺はほとんど呆然としたままハルカさんとおじさんの会話を見守っていたのだが『念の集合体』というのは興味深い概念だった。
「そんじゃ、その世界は『ワンダフル異界』だな」
突然奇妙なワードを発したカンカラおじさん。「ワンダフル異界って?」と訊ねるとおじさんは満足そうにこう答えた。
「ワンダフルな異世界だから、『ワンダフル異界』と呼んだだけだが」
あとで色々考え直すとネーミングはともかくとして、便宜上ハルカさんの世界の呼び名を与えていた方が会話がスムースであるということにこの時俺は気付いたのであった。