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昭和と平成の香りが漂う駅前の商店街。その一画に今秋オープンしたばかりの小綺麗な食堂に併設されたいかんとも形容し難い謎のスペースがちょっとした話題になっていた。ことの発端は地元紙の投稿欄に掲載された県内在住のある人物による文章。それにはこうある。
『この間、○○市にオープンしたばかりの食堂に妻と一緒に出向いてみました。地元の野菜の料理が並ぶいわゆる「農家カフェ」でしたが鮮度の高い野菜を使った絶品料理に舌鼓を打ち、また柔和な笑顔が魅力的な店主の人柄の良さに感銘を受けすっかり満足してしまいました』
ここまでは店を絶賛するレビューとして読むことができた。ところがそれに続く文章でおそらく県内の読者はいくらか当惑したに違いない。
『ところで、そのカフェに併設されたとあるアーティストの作品が並べられた空間に食後立ち寄ってみたところ、あまりの異空間ぶりに絶句しかけてしまいました。異空間という表現はもしかすると失礼なものなのかも知れませんが、少なくとも私と妻は実際に言葉を失ってしまいました。カフェの店主に質問してみると『僕の中学の頃からの親友の作品です』と説明していただきましたが、なるほどもしかしたら今の時代こういうインパクトのある表現も必要なのかもなと思い直した次第です』
この記事を巡って後から実際に訪問した人々からその『異空間』の写真がSNSなどに投稿され始める。不気味なリアリティーの人体の彫像や、妖怪や妖精を思わせる謎のキャラクターの絵画。はてまたポップカルチャーの流れを汲むような色使いの風景画など、統一感の無さゆえに訪れた殆どの人はやはり投稿主と同じように絶句し帰ってゆくという。そんな風に『瞬間最大風速』はなかなかのものだったが結果として悪趣味な感を脱しきれなかった為か、数ヶ月もすると話題に上がるのは食堂兼カフェの方で異空間の方は沈静化した。
そんな折、○○市在住の高校生である『幕田義博』は同級生から聞かされた噂話から『異空間』の事を知り学校からの帰り道にそれまで何となく気になっていた食堂兼カフェ「ナ・ガータ」を訪れた。
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俺は自分でも好奇心が強い奴だと思っている。特に誰かから念押しで「ダメ」と言われる場所やものほど見てみたくなったり、行ってみたくなったりする。大抵は何事もなく済んでしまう事の方が多いし、基本優等生側で生きてきているから停学処分になったりするような事についてはハナからするつもりがない。友人の『高宮』が「俺はちょっと行く【勇気】がないわ」と言ったりしなければ態々出向くこともなかっただろう。
「ナ・ガータ」に入店すると店主が物珍しそうな視線を向ける。
「学生さん?珍しいね。学校帰りかい?」
「はい。新しく出来た店だったので気になってたんです」
「そうか。今まであんまり学生さんとかは来てなかったんだけど、高校近いから便利かもね」
店主は自分の父親よりも少し年上くらいのおじさん。人の良さが滲み出ているような笑顔で初対面の俺にもフレンドリーに接してくれる。席とテーブルが幾つか並んだ比較的ゆとりのある空間。落ち着いた色合いでもしかしたら勉強をするのにもちょうど良いかも知れない。時間帯的にお客は自分だけだったのでおじさんに「自由に座っていいよ」と言われやや恐縮な気分に。高宮からカフェだと話を聞かされていたから無難にコーヒーを注文して飲んでから併設された空間に行くつもりだった。これでも矜持があるので「変人」には思われたくない。
「コーヒーってありますか?」
「はいよ。ちょっと待っててね」
隅の方の席に座って、スマホのメモを開き店の特徴を新しいページに書き込んでゆく。
『おじさんがいい人。○○高の生徒はまだ来ていない。床がワックスでツルツル』
メモをしていると落ち着く自分がいる。席から反対側に扉が見えたが、あそこがおそらく「異空間」の入り口なのだろう。そこまで期待はしていないが、このカフェの雰囲気が穏やかだからギャップに驚くのかも知れないなと感じた。考えてもみれば一人でカフェに入ったのは人生初かも知れない。この町にはもともとカフェが少ないからこういう過ごし方でいいのかさえよく分からないが、ひたすらスマホを弄っている時間になる。
「お待たせ!モカっていう種類のコーヒー。砂糖とミルク置いておくから」
香ばしい匂いのコーヒーが純白のカップの中に収まっている。湯気の感じから相当熱いだろうなと思ったけれど口をつけた瞬間にブラックコーヒーの苦さでドキリとしてしまった。
「やっぱり砂糖とミルク入れないとダメでした」
ミルクが混ざる様子を見届け、若干多めに砂糖を盛る。流石に缶コーヒーとは味わいが違って美味と言う他ない。散々味わっているうちに当初の目的を見失いかけた。ここで俺は店主に怪しまれないようにこう訊ねた。
「そういえばあっちの扉の向こうはどうなってるんですか?」
おおよそ『異空間』の入り口と知ってはいたが敢えて知らないと装った方が自然な流れでそちらに行けると思った。
「ああ、僕の親友の作品の展示室だよ。是非見てってよ」
親友が関わっているからなのか特に変わった様子もなくどこか誇らしげな表情を浮かべたままの店主。彼はこのあたりで流れている噂を知らないのかこちらが気を遣う必要はなかったらしい。
「じゃあ、リュックここに置いて一回行ってみます」
店主に告げ、席を立ってゆっくり扉の方に向かう。内心恐る恐るノブを回して扉が開いて中を覗き込んだ時、俺は驚愕した。
「うわ!」
「・・・・・・」
扉の真ん前で仁王立ちしている人物がいる。体躯が大きく俺が見上げるような格好だが、何より驚愕させられたのがその人物が赤帽、赤いシャツ、オーバーオールという世界中の人々が知っているようなあのゲームのキャラクターの『コスプレ』をしていたからだ。